フットサルに置ける落としとは。

 朝起きると、なにやらアキレス腱が痛い。試合の翌日はあちこち痛くなるプレイスタイルの僕なので、もはや慣れっこ。今日は疲れてなかったら美浜に行こうと思っていたのだが、仕事の進み具合と足の具合をみて予約を保留していく。実は美浜の事はどうでもよく、今日の僕の課題は「なんとか8日の試合に行けるように」手を尽くす事である。もちろん、仕事とは関係ない!シフトをあれこれ試行錯誤して、どうにか参加出来そうだ。
 それにしてもチャンピオンズ・リーグ盛り上がってるね。1つのゴールで多くの人が一喜一憂。それはシェフチェンコの芸術的なゴールだろうが、リヴァプールの泥臭いゴールだろうが、勝利につながれば価値は同じ。形が綺麗に決まって奪った得点と、泥臭く奪った得点。もちろん、前者の方がいいのだろうけど、やっぱ価値は同じ。勇気が出るね。
 今日は運転しながら、昨日の試合を思い出していたら、フットサルに置ける「落とし」ってすごく崇高なプレイじゃないか?と思えてきた。受けたボールを必死でキープして、体を張ってそれを走ってきた味方に託すわけじゃない。すごい自己犠牲の精神じゃない?アンパンマンが自分の頭を人にあげるぐらいの自己犠牲精神だよね。思い出すのはラスト1分で逆転した遊行寺戦。同点ゴールは團長からの落としだったんだよね。シュートはどう考えても團長が打った方が決まる確率が高いのに、後ろに流してくれたんだよね〜。流石監督。これまた昨日の信頼の話につながるわけさ。流石俺。

投稿者 yuki : 01:17 | 2005.05

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コメント

はい、信頼関係がないとだめです。それと、確立の問題でもない。と思いながら今までやってきました。スポーツの世界では、必ず電卓ではじき出された確率で、その選手の調子の良さを見る、、が、しかし、そうでもない意外性や奇跡。計算できないのが一番の魅力だと思う。だから、歓喜する顔も素敵なんだと思う。な ゆっ

きいいいい

投稿者 ひき続き@5 : 2005年5月7日 12:00

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