続編はオリジナルを越えられない!

最近、「マトリックス」シリーズを見直した。日本一早い試写会が運良く当たって、見たときはその斬新さとカッコ良さに打ちのめされ、非常に感動した事を覚えている。首を長くしてAを見てからはそのやる気は少し失せ、Bに希望をかけていたけどやっぱり裏切られた。「続編は決してオリジナルを越える事は出来ない」という映画の世界の定説があって、この映画も多くのシリーズと同じように終わりにかけて尻つぼみになっていった。この定説からはずれている映画は「インディ・ジョーンズ」と「ロード・オブ・ザ・リング」だけって事になってます、ちなみに。
 で、マトリックスなんですけど、その魅力と言えば「反社会的」な所にあって、たとえば権力者に楯突いたり、警官をぶっ殺したりする描写があったりと、人間が自分を取り巻く社会に対する不満を記号的に分かりやすく描いているのね。「マトリックス」という、自分たちを管理する社会に反旗をひるがえし立ち向かった行く姿は、体制や汚職政府に怒りを覚えている国民をそのまま表しているのね。それらをロング・コート、グラサン、クンフーという格好いい3大要素で包んで、意味深なストリーと要素を加えていい感じで仕上がっていたのですよ、@は。
 僕はAもBもスキなんだけど、最後に向かっていく程テンションが下がっていくにはやっぱり否めない。@の反社会的な要素はどんどんなくなっていき、終いにはコンピューター側との共存を認めるという、@が好きな人がひっくり返る様な終わりかただった。
 これには色々な要素があって、例えば
@ 話がでかくなりすぎて、誰もが納得するオチが作れなかった。収束がつなかった。
A みんなの期待がでかくなりすぎて、何を出しても満足してもらえなかった。
B 貧乏だった監督が億万長者になって、反体制だったのに金持ちになって体制側の人間になった。
と色々あるんだけど、長くなるといけないのでここら辺で。
一番の原因はやっぱりBで、作っている間に思想が変わってるんだから、一貫したテーマが保てないよな〜、というのが映画ファンの意見の様だ。
でもまあ、マトリックスの世界だったらさあ、出来る出来ないの差はソフトをダウンロードしたしないの差だからさあ、フットサルのトッププレイヤーのソフトをダウンロードしてもらうとかいいよな。間違ってピルマをダウンロードしてエビになったり、イワの場合は個人参加で浮いたりするのかな。

投稿者 yuki : 23:57 | 2005.06

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