siempre futsal, solo futsal 暴力と愛情の境目は、男女関係並に難しい。
甲子園優勝チームの暴力沙汰で世の中が揺れている。3回だとか、10回だとか、いやいやもっと殴られましたよ、みたいな話になっている。
今の高校生や現在10代の若者は先生に手を上げられた事がない人が多数だとか。僕の世代の高校時代でも、おそらく体罰というモノがどんどんなくなって時代であっただろう。ただ、小学生の時はボッコボッコに殴られた。小学校の時の担任に、神成(かんなり)先生という人がいて、僕らはカミナリと呼んでいた。僕の人生の中で、僕にもっとも打撃を加えてのはこの先生だ。学校で殴られて家に帰って、それを親に伝えると、
「あんたどんな悪さをしたんだ!」
と言われまた殴られる。まだそんな時代だったんだよね。その先生は人格者で、親からの信頼はすごく大きく、その拳骨は最高に痛かった。
その先生が殴る理由も、ボーダーラインもハッキリしていたので、僕らは簡単に殴られる・殴られないを判別する事ができた。当時は殴られる事は当たり前だったので、酷い事をされているという認識はなかったね。
体罰としつけの境目は難しい。こればかりは周りの人の問題ではなく、当事者の問題だと思う。そこには「気持ち」や「愛情」という、形にならないし目に見えない気持ちがあるからだ。それだけだったらいいんだけど、もしかしたら「個人的な憎悪」や「怒り」があるのかも知れない。先生もやはり人間だし、「聖職者」の地位はもはや墜ちた。
Floriano'では体罰は日常化しているのをばらされたら危ないので、みんなに秘密にしておこうね。出場停止にならない様にね。
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