お世話になった教師たち

 細木数子の番組をやっていたね。僕は占いに全く興味はないんだが、見ていたらナルホドなあと思わされる事を言っていた。現役教師50人を集めての問答が面白かった。教師というのは大変な職業で、それぞれ胸の奥に色んな悩みを抱えているようだった。
 僕は学生生活の中では先生にとても恵まれた。小、中、高、専門と、各年代で尊敬できる先生に出会い、今でも感謝の念を忘れていない。小学生の時、毎日の様に殴ってくれた先生には今では感謝している。
 いい先生、尊敬できる先生に出あるかどうかは人生では結構大事な事で、僕はラッキーだったと思っている。先生は知識を教えるだけではなく、人生における知恵を多く授けていただいた。僕が今書き、普段しゃべっている日本語だって、親や環境から学んだ訳ではなく、純粋に学校で習った言葉だ。僕が日本語をちゃんと理解し、正しく書く事は、辛抱強く「あいうえお」から教えてくれ先生への恩返しだと思っている。ある意味僕はその先生達の作品だからね。
 このブログで一度紹介したチリ人のエスカンドン先生はこう言っていた。
「先生である資格は、正解と間違いの違いをはっきり解っている事だ」
当時は解らなかったけど、今ではそうか、と納得している。理系の世界とちがって、言語や言葉の世界では曖昧な表現や文法とはちがう価値観があって、「正解」の範囲がとてつもなく広く感じるけど、そう言う時にビシッと判断できるかどうか、これが大事だ。これには知識や自信、経験が必要で、とても責任の重い大事な事だ。
 大人になって分かったことで、子供の頃の悩みというのは大人になっても変わらない。大人になったからって、悩みは終わらない。そして今まで僕に接してきた先生達もきっと色々と悩んでいたんだろう。僕を殴る時にもきっと、「いいのだろうか?」と思ったにちがいない。だからこそ、勇気を持って殴ってくれた事に感謝している。純粋に頭に来たから殴られた事もあったと思うけど。

投稿者 yuki : 23:59 | 2005.09

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