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生きているだけでまるもうけ

 このブログで何回か書いたように、人間の平均寿命が30年前後だった時代があったわけです。30年しか生きないので、人生の中で起こる事一つ一つが現代の人間より濃いハズで、僕はそこに大きな興味を抱いていました。
 老いる前に死ぬ人生というのもあって、悲しい事ではあると共に、そういう境遇の人は卑怯にも若いまま記憶の中に残る。
 生きるか死ぬか、それが問題だ。
 そして少し前に多数決の矛盾を書いて、人々の絶対に相容れない悲しさについて語ったが、実は人には絶対的に共通な価値観があって、それは
「幸せである事がいい事」
という価値観である。何が幸せで何が不幸かという定義の議論はまたの機会にして、幸せは正義、というのがこの世を生きる人々の一番の存在理由です。本人はそう思っていなくても、意識なんてしなくても僕らは「幸せ」の虜で、「幸せ」はどんな金、名声、女、権力よりも崇高で得難いなものです。
 寿命が30年の時代の人間、老いる前になくなった人間、そして今日30年になった僕の人生の幸福密度はどうちがうのだろうか。結局の所幸福は自分の中での尺度でしかないから、分からないのである。が、30年も生きてきて分からないとなれば、幾つになっても恐らく分からないままなのだろう。そりゃ幸せな時もあれば、そうでない時もあるわけで、人生はおそらくそう言った瞬間の集合体なのだろう。
 本当はきっと「生きるか死ぬか」ではなく、「どう生きるか、どう死ぬか」が先進国の現代を生きる僕らの基本スタンスなんだよね。「生きているだけでまるもうけ」が本当であれば、どう生きるかを(ある程度)決められる僕らの日々の価値は過去の人間からみれば、凄く高いもので、より幸せなのだろうか?。
 僕は以前から、
「死んだ時までの幸福、不幸の総計算は誰もが同じだろう」
と思っていた。例えば僕とある人が同時に死んで、
「この人はあんたよりちょっぴり幸せだったね」
なんて言われた日には死んでも死にきれず自縛霊になってしまう。でも、本当はどうなのだろうか。

 とにかく今日で30になりました。30になったこの日にみんなと一緒にフットサルが出来てとても嬉しかったです。心のどこかで一昨年みたいな事をされるんじゃないかと思って着替えを多めにもっていったけど、使わずに済んで何より。@7が言ったように、僕らがジジイになったら思い出すのは現在の日々である。この先何があるか分からないが、俺はそうであって欲しい。そしていい思い出は多ければ多いほどいい。ま、30になったからって何も変わらないけど・・・。ありがとう!

posted by @6 : 11:10

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