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ぱくられた!

 朝日新聞の1面に「天声人語」という毎日連載のコラムがある。読売では多分ちがうタイトルだけど、とにかくどの新聞にも短いコラムがあって僕はそれを読むのが好きだ。このブログでもそれっぽいものを目指しているけど、いかんせん見識・経験・実力・方向性がないので、毎日駄文を打っている。そのコラムは新聞に載るだけにもちろん時事ネタが多くて、今日の朝刊ではやっぱりオリンピックの話題だった。
 朝、銀行に行って待っている間に読んでいたら、、なんと昨日僕が書いた「東京オリンピックの前回と今回の意味合いの違い」について書いていた。書き方も大分ちがくて、残念ながら向こうの方が全然感情移入しやすくて的確にポイントを突いていた。
「僕が言いたかった事を他人がより解りやすく書いてしまう」
悔しさを感じちゃったけど、まあそんなもんか。

ヨイトマケ

 美輪明宏の歌で「ヨイトマケの歌」という名曲がある。女手一つで育ててくれた母を想う歌で、聞いた事がある人は多いハズ。学校で「ヨイトマケの子」といじめられて、家に返る途中の子供が泥だらけになって働く母の姿を見て、弱音を吐かなくなり強く生きていくというストーリーの歌である。とにかく心に訴える歌で、聞けば誰もが思いに耽る一曲である。これを歌った時の三輪(1966年当時は丸山だった)は今とは全く違う姿で、質素なワイシャツ一枚で歌っていた。歌詞の中の「土方」という言葉が元で放送を自粛されたこともある。今聴くと高度経済成長の途中で日本が何を失ってきたかを歌っているようで、なんだか不思議だ。
 僕らの世代が知る美輪明宏はきっと昔話ばかりする人、いつからか幽霊が見える人、というイメージのハズだ。三島に愛された話は何度も聞いてるし、最近では戦争体験を良く話していた。
 美輪さんは1935年生まれだから、71歳ということになる。と言うことは日本の近代歴史を生きてきた事になるんだよね。日本の文化と社会の変化、戦争の前と後を良く知っているだろう。その流れの中で日本が何を失い、何を得たのかを知っているのだろう。ともなれば何かを語るのは当たり前かも知れない。
年配の人が自分の人生を語るのはきっといい事だが、若い人がそれを聞きたがるとなるとまた違う問題で、僕なんかは全く聞いた事がない。ガキの頃に年配の人の話はきっとつまらないとしか思わないだろうけど、色々知りたいと感じるこの年になると教えてもらえば良かったと思う。
 ヨイトマケの歌は日本の復興の裏にあった必死な想いを歌っていると僕は思う。今日オリンピックの国内候補地が決まったけど、1964年の東京オリンピックこそ日本の復興の象徴。その裏には多くの人の「ヨイトマケの歌」があった事だろう。言ってみれば当時は日本という国の青春で、その成長が止まった現代は人の人生に例えるどの部分に当たるのかな。
 今日オリンピックのニュースを聞いたら、何故かこの「ヨイトマケの歌」の事を思い出してしまった。今回のオリンピック誘致は前回と全く違う想いの中で行われる事になるだろうけど、当時の日本の事を良く勉強したいものだ。

番号ポータビリティ

 番号ポータビリティがなにやら話題になっている。携帯電話会社を変えても同じ番号を使い続けることができる制度らしい。なるほど、金を取る道をうまく考え付いたもんだ。海外の携帯電話はみんな同じ規格のチップを使っているので、どの会社のどの機種を変えてもそのチップを入れ替えるだけでそのまま使えるらしい。なるほど便利である。
 日本の携帯電話は海外のものとちがった進化を遂げてきた。液晶の色にこったり、機能にこったり、ゲームを入れたり、辞書機能を入れたり、カメラをつけたり、バーコードも読み取れるようになって、音楽も聴けるようになっている。海外の携帯電話の需要は全くちがうようで、もっぱら機能とデザインが重要なようだ。僕が過去に憧れたモデルの中にNOKIA社の電話があって、映画「Matrix」で使用されたものがある。サイドにボタンが付いていて、それを押すとシャキーン!といった感じでフタがスライドしてその下からボタン板が現れるものだ。残念ながら海外のみのもので、日本では発売されなかった。それ以来映画等で携帯電話が出てくるとチェックしてしまう。ま、l毎回ネタになる僕の極小携帯ですが、他メーカーでより小さいモデルがないので変える事はなさそうだ。
 
 

ひえピタ

 ここんとこずっと風邪をひいていて中々直らない。市販の薬を飲んでいたけどこれが効いてるのかどうか怪しくて、もはや気持ちの問題になっている。ついに昨日は撤収から帰った後ダルい感覚、脱力感に襲われて、横になった。計ってみたら熱があった。思えば大事な試合の後は風邪をひいたり、インフルエンザになったりと、やっぱり人間は精神力が大事な事を痛感している。気を抜いた途端にやられているのだから本当のことだろう。というわけで、昨日のブログも今日のブログも冷えピタを張りながら書いている。この年になって冷えぴたを使うなんて想像もしていなかったけど気持ちいい。

優勝!

 おめでとうございます!ありがとうございます!優勝です!
今シーズンは色々ありましたね。僕らの間の空気もそうだし、フットサルについてもそうだし、なんでフットサルをやっているのかについても何かを見失っているんじゃないかと感じていたけどなんとか形になって良かったです。試合前に円陣を組んだときに
「あ、このためにやってるのか」
と、なつかしい何かを感じたのを告白しておきます。みんながいるから僕みたいな下手くそがフットサルが出来るのだし、「勝てば優勝」という舞台に立てるのです。下位リーグとは言ってもどんなチームでも勝つのは大変だし、偶然で勝てるわけではありません。胸を張ってアピールするような誇れる結果でもないけど、まあこれが僕らの精一杯なのかな。@14のパスでゴールを決めれたように、とにかく誰かのおかげで誰かがフットサルを楽しめるのだし、僕もみんなの中の一人です。これを呼んでいる團員も「みんな」の中の一人です。こういう嬉しいことがあると思うのは簡単にいうと感謝の気持ちなんだけど実はそんな単純なものでもなく、ひょっとしたら結構特別な事かも知れない。
 とはいえ、Floriano'の活動も3年目に入ってきました。そろそろ結果が欲しい時期に入りました。最近はただ勝つだけでは満足できない風土があって、勝利に対する責任が出てきました。今日の結果を受けて嬉しいというより「ホッとした」が正直な気持ちでしょう。楽しいだの、面白いだの言っていられないのかも知れません。ま、これからです。大変なのはこれからなので、出来ることを最大限に、精一杯やっていきましょう。

 ところで今日20:30ぐらいに撤収に言ったけどもぬけの殻だった。遅かった・・・。
 

フォトアルバム

放送禁止

 フジテレビの深夜番組で不定期に放送されたもので、「放送禁止」というのがある。かなり実験的な番組で、
「ドキュメンタリーの手法を使ったホラー」
である。実際に起きた事件や社会的現象の要素を散りばめながら架空の物語を作っていく。つまり、物語事態はフィクションなんだけど、その中身は全部本物、というありそうでなかった企画である。架空の物語と分かっていればいいんだけど、放送中はそんな事はまったく言わない。手法はドキュメンタリーなので、見ている時は本当に起きた事件としか思えない。途中からみてしまったものならクギづけになってしまう。僕が偶然みた回は、隣人とのトラブルで悩んでいる主婦がいつしかノイローゼに陥り、霊的なものに救いを求める話なんだけど、みていて怖かった。その時はフィクションなんて知らなかったので、本当かよ〜、と思いながら翌日色んな人に話をしてしまった。題材にされるのは誰もが知っている都市伝説や誰もが恐怖を感じるもの。良く考えるとなんの説明もなく、ゲリラ的に映像を見せつけ信じ込ませるタチの悪い番組とも言える。とにかく本当にみせる作り方が上手くて、怖い物見たさというか、そんな気分にさせるんだよね。最近DVDが出たばかりなので、興味のある人はどうぞ・・・。

サイン入りもの

 巨人軍の職員が野球用品に選手の偽サインなどを書いて、オークションで売りさばいていた事がばれてクビになる事件があった。評価が500以上だったことからかなり長い間売りさばいていたことが確認されていて、かなり儲かっていたのではないかと言われている。
 サインが施された商品というのはサッカーユニでも多数出ているが、落札した事はない。その信憑性はいつも怪しいし、サインというのは持つ人の気持ちの問題。スター選手が自分のために目の前でサインしてくれたらそれこそ墓まで持っていく価値があるが、自分に向けられたサイン以外のものはいらないと思う。レアなユニにサインなんかしてあると、例え本物だとしても「ユニを汚すんじゃねえ!」と思ってしまう。とはいえ需要はあるようで、選手を見ることが簡単ではない遠方の人は欲しがるだろうし、もらった時は嬉しかったけど今はいらないと思う人がいても不思議ではない。結局は持つ本人の気持ちの問題なのだ。
僕は王選手のプリントされたサインボールを持っている。僕が野球チームを去る時にみんながサインを寄せ合いくれたものだ。なので、王選手のサインの横に小学生の汚い字でサインがたくさん並んでいる。宝物の一つだ。
 学生だった頃に、異常にKAZUのサインが上手い奴がいた。サインをまねる人はたくさんいるけど、そいつはもはや詐欺のレベルに達する程の腕前で、文化祭の時にシャレで並べたら売れそうになって必死で止めた思い出がある。KAZUのサインはシンプルなので一見真似しやすそうだが、じつはそう言ったシンプルなサインこそが難しいと奴は言っていた。テレビ東京の鑑定番組でよくサインの鑑定士の人が出てくるが、あの人にみせたい。

アキハバラ@DEEP

 いまさらだけど、深夜にやっていたドラマ、アキハバラ@DEEPが面白い。秋葉原に集まるオタクの集団が色んなトラブルを解決していくいう内容で、オタクならではの特技と弱点にスポットを当てている。いうなれば「オタク版特攻野郎チームA」(古い?)か。原作はIWGPの石田衣良。とにかくオタク要素満載でたまあに理解理できないところもあるけど、内容はいたってストレート。互いの弱点を補いあいながら問題を解決していく。キャストは知らない人ばかりだけど、みんなその役にピッタリで面白かったが、放送時間が平日の2:00から3:00という殺人的な時間。見ていても途中でねてしまう人がたくさんいただろう。
 で、今度このドラマの映画が封切されるんだけど、なんとキャストが全員ちがう人になっているのだ。ドラマ版は知名度の低い新人ばかりだったけど、映画版では成宮寛貴、山田優、忍成修吾等がでている。知名度に負けた感があって、非常に残念。 是非とも同じキャストで見たかった。

1969 

 昨日の夜中にヴェルディの試合を放送していた。もちろん、NTV。ヴェルディといえば日本のサッカー界を引っ張ってきたチームで、やっているサッカーもそうだし、イメージ的にも他のチームとは違う何かを持っているチームだった。実際日本のサッカーがプロ化なる前からヴェルディだけはプロだった。試合にのぞむ姿勢や試合中の激しいプレイまで、勝ちにこだわる姿勢は他チームから浮くぐらい半端じゃなかった。その上華麗さがあって、古い言い方でいうと「お洒落」だった。メンバーはカズ、ラモス、柱谷、北澤、菊池新吉、武田と半分は日本代表と豪華なメンバーで、緑のユニには特別な価値観があった。
いつの間にか元名門になっているヴェルディ。スタンドもまばらな昨日の試合はJ2が舞台。細かいパスをつないだ過去のサッカーはホトンドなく、ディフェンスラインの裏にボールを放り込むサッカーになっていた。
 時間の流れとは残酷なもので、元名門は本当に元だった。監督は名門の頃に中盤に君臨したラモス、ベンチの中でジリジリしていた。その姿はいまにグランドに飛び出しそうだった。今シーズンからヴェルディのコーチ陣は黄金時代を気づいた選手達なんだよね。コーチ陣の方が選手達より豪華な感じがする。それも時間の流れか。

バレーボール

 興味がまったくない割には見てしまうスポーツといえば、バレーボールである。ちょうど今ワールドカップが開催されているようで、テレビでやっているとつい見てしまう。バレーボール選手は皆大きいので、その巨体を揺らしてとんでもないボールを拾っちゃったり、人間業とは思えないスパイクをみると理屈なしに魅力を感じてしまう。サッカーでも身長が高いことは有利だけど、よく考えればバレーボールチームはクラウチみたいなのが殆だから、もはやそれだけでショウとして成立してしまう。疑問はといえば、国際大会は常に行われている様な感じがして、ワールドカップは何年に一回?世界バレーってなに?どうちがうの? と分からない点も多い。しかし、一番分からないのはなんで「ジャニーズ」なの?ということ。
 おそらく最近のトレンドなんだろうけど、スポーツ大会に芸能人を付けるのがはやっている。サッカーワールドカップの時には上戸彩、香取真吾、バレーにはジャニーズ、女子サッカーはモーニング娘。視聴率対策なんだろうけど、意味があるのか?なんて思っちゃう。
 ワイドショーでやっていたけど、10年ぶりに女子サッカーのオールスター戦が行われることになったらしい。ユニフォームのお披露目の時に読売の澤選手と知らない選手が並んでいたのだけど、その間にたっていたのはモーニング娘の吉澤だった。吉澤はアイドルで、かわいいことは当たり前で、いうなれば可愛いことが仕事である。僕には二人の選手へのあてつけにしか見えなくて、笑おうにも笑えなかった。
 盛り上げるための手段なんてどうでもいいと僕も思うけど、競技自体の意味を尊厳して欲しい。

昨日はスニーカーの事を書いた。経験上、物欲にはバイオリズムみたいに浮き沈みがあって、低いときはいいのだけど、高い時は気をつけないといけない。自分の経済的な状態とはまったくリンクしてくれないので、大人としての我慢が必要だ。
 実は最近とても気になるデザインのスニーカーを見つけてしまった。フォトアルバムの所に写真があるので見てください。このシューズはテコンドーのためもので、韓国でつくられたもの。独特なフォルムがなんとも言えないぐらいに格好いい。あーあ、また波がくるのかなあ。

フォトアルバム

反省しています。

 以前にも何度か書いたけど、僕はNIKEのAIRMOCというスニーカーが大のお気に入り。このスニーカーが発売された頃は僕は貧乏学生で買う事ができず、ガラス窓のこっちからずっと眺めていたんだけど、社会心になって貧乏に毛が生えたぐらいになってから、買ってみた。多感に頃に買えなかった反動か、履く事だけではふくれあがった気持ちが収まらず、意味もなく色違いで買う様になった。社会人になった頃には生産はもう終わっていて、古着屋やオークションで買っていた。新品を見つける事は至難のわざで、何年もかけて集めた。そんな矢先、復刻版が発売される。普通の人なら
「苦労して探したのがバカみたい」
と思うだろうけど、僕はやった!買える!と喜んでしまった。復刻されたのは3色だけで、ディティールが違うから全く同じモノではないけどデザインが気に入っているので、誘惑は大きい。
 これじゃ、イカン!と思って自分を戒めるために在庫を並べてみた。@20以外はみんなはきっとバカじゃね?と思うけど、自覚しております。


フォトアルバム

サングラス

 なにやらメガネブームである。ブームが僕の所にくるのは終焉を迎える頃になるのが世の常なので、おそらく世間ではもう去っている頃だろう。ということは少し前まではファッションとして伊達メガネをつけたり、コンタクトをはずしてわざわざメガネにした人もいたのだろう。
 僕は視力はずっと2.0なのでメガネをかけたことはなく、かけたものと言えばサングラスだけである。それもかけている間は非常に邪魔になるので、運転している時だけ。サングラスというのはこれまたセンスが問われるアイテムで、一歩間違うとチンピラ、よくてヤンキーになってしまう人もいる。色素の薄い欧米人にはあたりまえのアイテムでも、日本人には敷居が高いアイテムなのだ。
 「マトリックス」という映画では主人公たち全員がサングラスを格好良くかけている。当時は格キャラクタのモデルが発売され、プレミアがついているものもあった。僕はひとつ持っていて、「エージェント・スミス・モデル」である。エージェント・スミスは「マトリックス」の中で敵側のキャラで、用は悪役である。といっても主人公のネオよりはぜんぜん頼りになるし、ナヨナヨ迷っていない。格好いいのだ。
 そのサングラスをもらった時はうれしくてエージェント・スミス気分ですぐにかけてみたのだが、似合ってない。もう見事に似合っていないのだ。劇中ではあんなにかっこいいモデルなのに、僕がかけた途端場外馬券売り場でたむろするチンピラになってしまった。それも大分金をスッた後のチンピラだ。決して安くないモノだし、処分するわけにもいかないしね。どうしよう。

カリートの道

 ギャング・マフィアものの映画でデ・パルマ監督、アル・パチーノ主演の「カリートの道」という映画がある。「スカー・フェイス」、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、「ゴッド・ファザー・シリーズ」と肩を並べるギャング映画の傑作である。アメリカのギャング社会を描いた映画には面白いものが多く、ファンも多い。社会の暗部を舞台にしながらも家族愛や人情を描いてるのが面白い所で、とにかく登場人物が魅力的なのである。
 ギャング映画が流行った時期もあったが、最近ではまったく作られていない。それでも上に挙げた作品は時代を超えて愛されて、その魅力は時間がいくら経とうがすたる事はない。とはいえ、最近では「ゴッド・ファザー」ですら見ていない人は多く、特に若い人となると見ていない人がほとんどだ。
 今日僕の店に「カリートの道」はどこですか?と若い人が訪ねてきた。案内している間にギャング映画の話になり、
「アレは見ました?」
「いいですよね〜」
「この一本はもはや定番ですね〜」
と話が盛り上がった。年を聞いてみた所、二十歳だという。僕はビックリして、なんでそんなに知っているんですか?なんて聞いたら、「先輩に薦められた」という。なるほどなあ、なんて思いながらしゃべった。若い人がこの映画をしっているなんて思いもせず、僕はとても嬉しくなった。
 映画を人に薦めるのはとても難しいもので、歯がゆいものでもある。自分が好きな何かを人に説明するのは自分の何かをさらけ出しているみたいで勇気のいる事だし、気に入ってもらえない時の落胆は計り知れない。薦められた方もなるべくいい感想を言わないと、という間違った責任感が出てくる。気に入れば問題はないけど、気に入らない時はどうすればいいのか分からない。相手の事を思って嘘をつくのもなんだか返って不誠実な気がするし。
 ともかく「先輩に薦められた」というのは立派な理由で、そうやって映画の良さは後世に伝わっていく・・・。

新党結成

 総裁選を前にして、僕は新しい党を立ち上げたいと思います。それは
「アキレス腱ズ」
です。主な活動はアキレス腱の痛みと治療方法について語らい、みんなで励ましあうかなり内側に向けた党です。僕はFloriano’のマイノリティ軍団「ひざーズ(イソ派)」にも所属しているので掛け持ちということになってしまいます。が、僕の場合は打撲っぽいのでその内卒業できると思います。しゃがんだ後がかなり痛い現在ですが、不安になる痛みではないので楽観視しています。
 團員の誰もが痛いどこかを抱えていると思う。昔はココが痛い、あそこが痛い、という話はよく聞いたけど、最近は聞かない。みんな我慢しているのだろうと思っていたけど、どこか痛い状態があたりまえとなっているのでは・・・と心配しています。ま、痛い痛い!とアピールしても「直せよ」で済む事なので、必要以上に言わない事は賢明は事かもしれません。若いうちはいいが、フットサルを引退してジジイと呼ばれる年齢になった頃に苦労しそうだ。今は筋肉が大きくて強いので色んな怪我をカバーできていると思うけど、いろいろな力が衰えてきて、それこそ体が衰えてきたら大変なことになるのでは。とりあえず腰、膝、足首、人によってはアキレス腱痛に苦しみそう。
 ガキの頃は「古傷がうずくぜ!」なんてセリフが格好良く感じれたけど、今では決して格好良くない。

文字足らず

 昨日の日記を読んでいたら、なんだか気に食わない。自分で書いといてなんだが、言いたいことの半分も書けてないじゃん、みたいな感じで削除してやろうかなんて思ったけど、そこは時の運と実力。スペル間違いとタイプ間違い以外は直してはいけないという自分のルールを厳守しました。
 ま、ポイントをちゃんと突けないのは当たり前で、僕は体験もしていなければ理解もしていないのだから、戦後と国のあり方、国民の考え方なんかを書いても恥はかくだけである。オンラインでかける恥は大体網羅したからどうでもいいけど、根拠のないテキトウな意見は危ないしね。言葉にならないものもあるというわけです。
 今日の日本代表に試合の前に君が代が歌われていいタイミングだなあ、なんて思ったけど、なんでSOWELUなんだ?可愛いのは解るけど・・。

終戦記念日

 戦争が終わって今日が61年目である。昨日書いたように、アイデンティティのためか僕はあまり戦争を気にした事はないが、さすがにこの日になると世間の風潮も手伝って、考える事がある。
 個人から見ると61年というのは人間ひとりの人生ぐらいの時間だが、国から見ればそう長い時間ではない。古い文化を持つ日本ではなおさらそうだろう。ただ、61年前の今日はこの国の歴史の分岐点だったし、ある意味生まれ変わった大きな変化があった日である。良いのか悪いのかは別として、日本はこの61年で経済大国にのし上がり、あらゆる面で世界をリードしている。やれ政治が腐っていようが、少年犯罪が多かろうが、命の価値観がねじれてようが、アメリカのいいなりだろうが、借金だらけだろうが、愛国心がなかろうが、文化が堕落していようが、フットボールが弱かろうが、世界をリードしている。文盲率はゼロ。医療レベルは高い。表現の自由もある。社会は機能している。電車だって時間通りに来る。発展途上国の国民から見れば、日本は天国である。
  少し前に貧乏話を書いたけど、本当に貧乏をした人の共通する想いに
「自分の家族、妻や子供にこんな想いは絶対にさせたくない」
というのがある。戦後間もない日本は貧乏なんていう言葉では表現できないぐらいの状態だったろうし、それこそ家族のため、妻のため、子供のためにという想いが復興という希望を灯し、支えたのだろう。61年間の努力の上に今の社会があって、その苦労を知らない僕らが現在の日本に評価を下せるとは思えない。おそらく日本人以外の人種にこんな短期間で国を立て直す事は到底無理で、南米だったら100年かけても難しい。僕らに出来ることは、この国を立て直した人の想いを汲んで、この国に誇りを持つべきだと思う。いくら先の見えない不安定な国で傾き始めていても。

沖縄

 沖縄帰りの真っ黒に焼けたバイトがお土産を買ってきた。ちんすこうである。@22の「白い恋人」ぐらいの送りバント的な選択である。前にも書いたけど僕は一度だけ沖縄に行ったことがあって、当時の印象は「基地の中に沖縄があるんじゃないか?」みたいな物悲しさがあった。南国のそこ抜けた明るさを想像していたのだけど、その明るさゆえにアメリカの影が際立って、逆に悲しかったのを思い出す。
 この時期になると戦争の話題が目立ち、その歴史をみんな振り返る。戦争の経験は年毎に確実に薄らいでいるが、沖縄に由来のある人はおそらく深く考えるんだろう。僕が沖縄に行った時は戦争の傷跡は微塵も感じなかったけど、あのでかい基地こそ戦争の一番の生産物なのだろう。
 沖縄に行ったのは遥か昔、中坊の頃だったけど、アレ以来行きたいとは思わない。僕は日本人としてのアイデンティティは薄いけど、我が物顔で街を闊歩する米兵に違和感を感じたっけ。

職業

 職業は色々あれど、絶対にやりたくないものが一つある。
 今日、皆さんが待つ体育館に向かう途中で信号待ちをしていたら、交差点の角でプラカードを抱えている人を見かけた。住宅販売のプラカードだった。今日は暑いと思ったらイキナリ雷雨になるという天気の中大変だろうな、と人ごとながら心配してしまった。今思うとああいった光景は結構みていて、必ず住宅販売やモデルハウスの案内なのでもしかしたらああいう職業があるのか?なんて思ったけどまさかそれ専門の職業のハズがない。恐らく不動産屋さんの一番下っ端の人がやらされているんだろうなあ。プラカードを立てていくだけだったらノボリでも立てておけばいいのに、おそらくアレには人に話しかけたり案内したりと少なからず接客の意味もあるだろう。とはいえ、通り過ぎる人の好奇の目が自分に向けられているのはいい気分ではないはず。しかもあまりにもやる事がなくて、自分の人生まで振り返ってしまいそうだ。数多くある職業の中でも非生産的な仕事だろうなあ。

人生のハイライト

 やっぱり人生のハイライトと言えば、自分の性格や考え方が確立されていく17〜21歳ぐらいの時期だろう。オトナでもないし、ガキでもない中途半端な時期に感じ経験したことが強烈な思い出として残っていく。人生の中でもっとも多感な時期だろうし、希望や不安や欲望がグチャグチャに混ざり合って形のない何かこそが自分自身だったし、それは名前のない感情にコントロールされてるのだから全く思い通りにならない。でもあの頃の全てが後の人生を決めると言っても過言ではない。昨日書いた夜行バスの思い出のように、ふと思い出すのはあの頃の事だし、当時の音や臭いや温度を鮮明に思い出せるのはそれほど強烈なインパクトを持った時期だったからだろう。
 とは言えオトナになって分かったのは自分は何も変わっていないと言うことで、それこそ小学校の低学年の頃から成長していなのかも知れない。そんな自分は恥ずかしくもあり、なんとなく誇らしくもある。思えば当時僕が接したオトナ達もきっと同じ様な言を考えていただろうし、同じように迷っていたのだろう。
 30の大台を前にして最近はなるべく昔の言を思い出そうと勤めているけど、面白いぐらいに思い出せない。UFOに拉致されて記憶を消されたぐらいに思い出せない。思い出してもここには書けないようなものばかりだし。まあ、思い出すほどのモノもないだろう、というのが最終的な結論かな。

夜行バス

 大阪に行くときに良く夜行バスを利用した。当時は千葉中央駅を真夜中少し前にでて、大阪の梅田の6:00前に到着する案配だった。深夜バスの利用者といえば
@ 貧乏学生
A 訳ありカップル
B 夜逃げ中の家族
C 貧乏旅行中の若者
D 家出中の少女
と相場は決まっている。会社によって違うかも知れないけど、夜行バスの座席は普通のバスと変わっていて、並んでいる席はない。両窓際に一列、そして真ん中に一列並んでいて、隣合わせにならないように出来ている。中は消灯状態で、おまけに窓にはカーテンがかかっていて中は真っ暗になっている。小さな読書灯はついているが、使う人はほとんどなく、暗闇と静けさがバスの中を満たしている。バスの中で出来る行為としては
@ 寝る
A 寝る
B 寝る
である。途中にトイレ休憩が一度あるが、誰も言葉を交わす人がいなく、耳にする声は運転手のアナウンスだけである。長い時間を一緒に過ごすのだけどそこに一体感はなく、とにかく静かで葬儀みたいな空間である。
 もっと切ないのは着いてからで、夜が明けたばかりの街に放り出されるのである。地理を憶えていればいいのだけど、まだ憶えていない頃は、酸っぱい不安と焦りが心を満たして、地球上の最後の人間の気分はこんなものか、なんて思ったりした。
 バスが到着すると乗客は全員我先とバスを降り荷物を受け取り、バラバラに散っていく。みんなどこかに向かっているのに僕だけどこに行けばいいのか解らない時の気分と言ったら、なんと表現していいのか・・・。右も左も解らないとは上手く言ったもので、もう立ちつくすしかないのだ。大きな荷物を背負っているしね・・・。梅田は常に人で溢れかえっている街だったけど、そんな時間には人影はまばらで、夏の終わりの残暑が厳しくても吹く風は冷たかったっけ。

青山敏

 最近膝が曲がらない私である。このままではFLORIANO'のマイノリティ勢力である「ヒザーズ」(メンバーは@4、@10)への入団が近い。90度までは問題ないんだけど、足をたたむ事がでない。もちろん、正座は無理。この前のアサヒ飲料大会初戦の開始すぐに相手選手とヒザとヒザをぶつけて以来、直らないのだ。おそらくそれだけだったら直っていたんだけど、実はその次の日の仕事で、まったく同じ所を強打している。商品を並べている棚があるんだけど、突き出している角の部分が僕のヒザと同じたかさがあって、おまけにそれが少し尖っているんだ。そこのぶつけたのさ〜。グサっと。あまりの痛さにその場で動けない俺。グゥの音がでないとはこの事・・・なんて思ってヒザをみたらジーンズがまるで刃物に切られたかのようにスパッと切れていたのだ・・・。ヒザからは血がで出ているし〜。本当、災難である。 
 昨日はオシムジャパンが初戦を快勝で飾ったけど、その先日に行われたオリンピック代表の試合でも痛々しい場面があった。青山敏選手が後ろからタックルを受けて退場するのだが、その足首がアップで映されてとても気持ち悪かった。足首の外側になにか飼っているんじゃないか?というぐらいに腫れていて見ていてかわいそうだった。
 青山敏はU−21の選手だらかまだ若いけど、僕の年齢の怪我はもしかしたら大変な事になるかもしれないので気をつけたい所である。

ジョニー・デップ

 「パイレーツ・オブ・カリビアン」が大人気である。そのおかげでジョニー・デップの人気がまた凄いことになっている。海賊ものの映画といえばコケるのが当たり前という価値観があって、それはハリウッドの歴史を見てもわかる。衣装にもセットにも莫大な金がかかるし、海での撮影が多いという事も予算がかさむ理由である。そのため、海賊映画で儲ける事は無理という経験値があったのだが、これを軽く飛び越えたのがこのジョニー・デップの「パイレーツ〜」である。それほどデップにネームバリューがあるのだ。
 が、この映画のおかげでデップの人気が変な方向に進んでいる気がする。新しいファンが増えるから仕方のない事でもあるけど、昔からデップのファンだった人は同意してくれるはずだ。
 デップといえば、暴力行為で何度も逮捕され、ウィノナ・ライダーと婚約しながらもケイト・モスに持ちかえまた婚約をしてはまた破棄し、今度はヴァネッサ・パラディに行くという羨ましすぎるコースを走った男である。それ以外にも浮き名を何度も流したけど真相はわからない。ドラッグにも酒にも手をだし、パパラッチを殴り、誰だかは忘れたけど女を殴って逮捕されている。とにかく現在のいいパパで家族を大事にする男のイメージからは程遠い人間なのだ。だが、そう言ったエキセントリックなイメージこそデップの魅力で、「普通とはちがう」所が良かったのだ。
 デップはハリウッドを嫌ってずっとフランスで生活している。彼が演じてきた役はデップにしか出来ないものばかりで、おかしさの中の悲しさや、その切なさを表現できる少ない俳優である。金や名声に目もくれず、人が選ばない難しい役をび続けてここまでの地位を築いた。黙っていれば二枚目なのにスターになる事を拒み、、自らアウトローの道を選んできたはみ出しものなのだ。だからこの「パイレーツ〜」で評価される事が気にくわない。
 「パイレーツ〜」を見たとき、「なんでデップはこんな映画に出たんだろ」と思った。バイト感覚?なんて思ったりしたけど蓋を開けてみたら大ヒット、冒頭に書いたハリウッドの定説をもひっくり返した。メジャーになったのである。最初は「メジャーな作品だからこそテキトーに演技をしたのだろう」と皮肉っぽい事を期待していたけど、「2」にもでちゃって、それで火がついて、なんて予想しない展開になってしまった。なんだかとても大きな違和感があるのだ。
 ま、どうでもいい話だし、そんなもんデップのかってだし、ただ金が欲しかっただけかも知れないし・・・。

犯罪者にも教育を

 ブラジルで最近の流行りの犯罪といえば、それは偽造ナンバープレートの作成。盗難車に偽造したナンバーをつけてそれを売っぱらっちゃうのだ。ITの進歩により家のパソコンでも作れるみたいで、また摘発の難しさも手伝って、横行しているみいだ。
 写真のナンバープレートも偽造されたものだが、すぐに警察に見つかり御用となった一枚です。デキは本物と全く同じなのに、警察はすぐに気づき逮捕となった。さて何故でしょう・・・。 
 ナンバープレートの地名がなんと我がチームの名前の由来となったフロリアーナポリスのものだ!僕はこの写真を発見した時はとても嬉しかったけど、なんだか変なのだ。そう、スペル間違いがあるのだ。FLORIANOがなんとFRORIANOになっているのだ!LとRの区別が付かないのは日本人の専売特許なのに、なんでブラジル人が間違えるのか・・・。とにかくこの痛い失敗が響いて、偽造者は逮捕された。格好悪い。

貧乏話

 昨日の流れで貧乏話で行こうと思う。
 貧乏話には色々ある。あの時は大変だったなあ、なんて思い出しながら過去を振り返る類のもの。これらにはある種の懐かしさがあって、多少の笑いが入っていたりするので普通に誰にも話せるものである。もちろん、「現在はそれほど貧乏ではない」というのが前提である。
 だが、あまり話したくない貧乏話もある。これらは懐かしいというより惨めで、体験した本人はしゃべりたくないどころか思い出したくないレベルのもので、誰かに話しても聞いた人が引いてしまう程のものである。いくら時間がたっても美化も風化もできないのが特徴で、芸人でもなければカミングアウトは難しい。
 貧乏話には「時代」が大きなポイントで、それが戦後だったら
「まあ、あの時はみんなそうだったから」
と軽く流す事が出来るけど、飽食の現代社会における貧乏というのはいよいよ本当に惨めで、明るさは微塵もない。色々な境遇の人がいるだろうけど、現代社会では生活力があればどうにかる。いざとなれば住み込みの仕事をすればいいし、智恵を出せばどうにかなる。とはいえニッチもサッチもならない境遇の人もいるわけで、自分の貧乏は我慢できても他人の貧乏はあまり見たくないと僕は思う。

 と言うわけで僕の貧乏なんですけど、幸いながらも笑いを交えて紹介できるものが多い。学生の時はバイトをいくつか掛け持ちすればどうにかなった。とりあえず米があれば、みたいな感じで暮らしていたので給料前は厳しかったけど、明日何食べよう・・・・という事は流石に無かった。ある意味ラッキーか。

食生活

 さんざん走った練習後、食生活の話になった。その中で、「若い頃に食べたもが今の自分の体を作っている」という話を聞いて、若い頃の事を思い出した。
 僕が大阪で学生をしていた頃(自分でも言うのもなんだけど)超がつく程の苦学生だった。学費・家賃・食費という当時の僕の生活の3大元素が肩に重くのしかかり、その日暮らしの生活を送っていた。以前にも書いたけど、バイトはレンタル店と寿司の配達をしていた。ビデオは趣味で、寿司は食べさせてもらえるから、というのが選んだ理由だった。が、大阪の商人は本当にしっかりしていて、余ったものしか食べさせてもらえない。そして極力余らない様にと計算しているから思ったほど食べさせてもらえなかった。ホトンドは鉄火巻きとカッパ巻き、運がいいと穴子棒がもらえた。と言うわけで当時の食生活は
レトルトカレー→カップラーメン→寿司の余り→寿司の余り→レトルトカレー、鯖の缶詰→寿司の余り
というローテーションだった。ホトンド栄養素ゼロだけど、若いというのは恐ろしいもので当時は全然平気だった。
 僕の一つ上の学年に30歳の女性がいた。彼女は会社を休職しながら学校に通っていた。変な話だと思うだろうけど、その会社から語学を学んでこいと言われ、入学していた。そんなすぐに話せるわけないじゃん、と思っていたけど彼女は一種の天才で、2年で本当にスペイン語をマスターして卒業していった。彼女も若い頃に貧乏していて、僕の話を聞いてもらったら、
「若い内は大丈夫だよ、それでも。年をとったときにもしかしたら困るかも知れない。でも大丈夫だよ、体に変なブツブツが出来るぐらいだから」と言っていた。
 その時言われた事が今日の話と似通っていて、思い出してしまった。最近毎日サラダを食べているので、健康になれるかも!なんて思っていたけど、もしこの話が本当だったら、先が思いやられるかも・・・。

パソコンの設定

 人生で面倒くさいことといえば、それは免許関係、家族関係、そしてパソコンの設定関係と相場は決まっている。パソコンがあまり得意ではない人にはパソコンの設定はチンプンカンプンがあたりまえだし、たとえ得意だったとしてもレベルが高くなるにつれ面倒くさい。
 実はわが社のあるパソコンの設定を今日させれらた。僕はLANコードを自分で作っちゃうぐらいのことをやらされて来たので今更びっくりはしないけど。が、注文の内容は
「Meが入っていたパソコンに2000を入れちゃったんだけど、なんだか変になっちゃったから直して。後、光フレッツにつなげようと思うからよろしく」
である。
 なんでMeが入っているパソコンに2000を入れるのか、の理由はいいとして、かなり大変だった。OSは立ち上がるんだけど、ドライバがことごとく入っていないから、LANボードどころか画面の色数もあっていない。色数が足りないから表示されているものが読みにくい。絵はなんとかなっても、数字となると解りづらい。ドライバはダウンロードすればいいんだけど、LANボードのドライバがないからそれは出来ない。仕方なくもう一台のパソコンでダウンロードする事にしたけど、部品の規格番号が分からないことにはどれをダウンロードすればいいのか分からない。デスクトップだったらその場で開けて部品を見ればいいのだが、ノートのためそれは出来ない。しかたなくもう一台のパソコンでインターネットで構成部品を見て、一個ずつダウンロードして、それをフラッシュメモリに入れて修理中のパソコンに移す。文字にすると2行で済むけど、実際の作業は苦行に近い作業で、何回再起動すればいいんだ!と途中から嫌になってくる。
 が、人間本気でやればなんとか出来るもので、何時間かかけて完成。ふー。二度とやらん。

サッカーファン

 今日はいつもお世話になっている営業の人と会った。もう長いつき合いなのだが、今日初めてその人がフットボールファンだという事が解った。もう50歳以上の人なので、日本のフットボールの歴史をずっと見てきたぐらいの熱いファンである。今まではそんなそぶりが全くなかったので驚いた。
 その人がいうのには、最近の日本代表のサポーターがなっとらん!という事だった。ドイツまで行って応援しているのだからそんな事ないんじゃないですか?と聞いたところ、海外に行くその行為があるからサポーターではなく、みんな観光客になっているのだ、と嘆いておられた。なるほどなあ、なんて思った。選手も協会も変わるように、ファンも変わるのは当たり前か、なんて思った。
 僕らはドーハの事やJリーグバブルの頃を知っているが、その事を知らない世代も多くなっているわけで、彼らから見ると日本のサッカーは全く変わった印象になているハズだ。
 今日オシムの選んだ選手が発表され、その内容は誰もが驚くものだった。選手名はともかく、13人しか選ばない手法も新鮮すぎて怖い。上手く行けばいいのだが、残念な結果が出ればまたマスコミがたたき始めるだろう。ともかく日本のフットボールは新しいスタートを切った。新しい世代がまた生まれるのだ。

ボクシング、どこへ行く

 それにしても、今日のスポーツ新聞は真っ正面から亀田を批判していて、
「あ、やっぱり世の中の受け止め方はそうだったのか」
と納得。僕もあとから試合を見てまた納得。
 以前にも書いたけどボクシングは本当にストイックなスポーツ。モデルより少ない食事でマラソンランナーより走るし、その上汗を一滴単位で出すために自分の体を絞り、水を飲まなくても小便を出す。体も心も極限状態に追い込んで、ある意味人間らしさを失う所まで行く。そんな2人がリング上で拳を合わせる訳だから、ボクシングは他のスポーツとはちがう雰囲気が漂う。リング上では政治も金も生い立ちも社会的な立場も関係なく、2人の人間が拳と拳で戦う。個対個、人間対人間の純粋な戦い、それはボクシングだ。間違ってもそこにビジネスが入り込んではいけないし、結果を操作するような事はあってはいけない。
 今回の一戦で日本のボクシングの大事な何かが損なわれたのかも知れない。冗談抜きで取り返しのつかない事になってしまったのかも知れない。僕は素人だけど、ボクシングを見るファンは素人なので、みんながそっぽを向くような事があれば興業としてのボクシングは成立しない。本当に致命的な事かもしれない。でもそんな事はどうでもいい。 
 リング上で死んだ選手はたくさんいる。有名になった選手もいれば、無名のまま去った選手もいる。大きな怪我を負ってその後の生活に支障をきたした人もいる。彼らの家族、トレーナー、仲間、ファン、ボクシングに関わる人たち全員の努力でボクシングは今まで続いてきたのに、なんだかそれが損なわれた気がして悲しすぎる。本当に血の滲む努力をした人を僕はみたので、尚さら悲しい。悲しいというか、頭に来る。このままでは日本のボクシングはショウになってしまう。ショウはスポーツじゃないから、本当のチャンピオンはこの国に存在しないと言うことなってしまう。いいのか?

酸っぱい勝利

いやー、亀田長男の試合は見ていないし、信号待ちをしていたら@10に合うという大事件があったから今日は無視してちがう事を書こうと思ったら、なんだか楽しい事になったみたいだね。ニュースで見る限りかなりの接戦でダウンを食らいながらも亀田長男は最後まで必死に力を振り絞って似合わないクリンチまでしたそうだ。思えばここで負ければ良かったんだよね。
「負けはしたけど良く頑張った」
的な展開になっていったかも知れない。ネットでのコメントなんかは信頼はできないけど、スポーツ新聞のニュースをコメントに困ったようなものが多いので、まあ、そういう事なんだろうなあ。
 面白いのが相手のランダエタ選手のコメントで
「亀田はこの結果を受けて、もっと学ばなきゃならないと思う。彼はまだ子供だけど、彼は悪くない。悪いのは周りの大人だ」
と言いながら、柔和な笑みを見せたという。格好良すぎじゃない?ちょっと。おまけに再戦したいですか?と振られた時に「もちろんだよ」と答えたという。ランダエタ選手の男っぷり急上昇ですよ。
 とはいえ、実力も経験も上手な相手を前にして最後まで頑張った亀田長男。嫌っている人でも試合を見たことだろう。まだ19歳だし、これからだろう。

亀田長男正念場

 いよいよ世界タイトルへの挑戦を迎える亀田長男。一大イベントのはずが、どうも盛り上がりにかけている。チケットはやっと掃けたようだが、オークションでは結構な安値になっているうえ、一時は話題になった偽チケットもシコミじゃないか?という話になっている。テレビ局はこれでもか、という感じであおっているけどさてどうなるやら。ここに来て同棲相手がいたことが発覚。報道関係者の間ではこの話題は実は公然の秘密だったようど、いまさらという感じがしながらも、中学時代からずっと一緒だったのではないか?という話題にみんな興味深々。会見でこの話題について突っ込まれるものの無視でやり過ごした亀田長男。親父の不機嫌顔が目に浮かぶ。
 会見の場で相手の選手に幼児オムツとおしゃぶりを渡されキレるというナイスなアシストがあっていい話題になって準備万端。が、本当の勝負になったら勝てるかどうかは怪しいところだ。負けた場合の損害は計り知れないので、あとに続く兄弟たちのためにも勝利以外はありえない。
 僕も知らないけど日本には世界チャンピオンが後5、6人いるんだよね。世界チャンピオンになっても知名度が低いのは何故だ?階級が細かくなった事も原因の一つではあるが、もし亀田長男が勝ってボクシングブームが来れば彼らにもスポットが当たるかも知れない。そういう意味でも勝って欲しい。

追伸:さっきTBSを見ていたら、対戦相手の選手がアルゼンチンのサッカーユニを着ているじゃないか!彼はベネズエラ人なので理由はわからん。アルゼンチンは過去に何人も世界チャンピオンをだしているし、伝説的な選手もいるから尊敬の念を込めての事かもしれない。いや、そんな深い理由はなくて、ただの偶然だろう。しかしユニがパチ丸出しじゃん!チャンピオンなんだから本物買えよ!

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