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申し訳ないっす。

 今日はみんなお疲れ様でした。仕事に行くときより早く起き、はるばる柏まで玉を蹴りにいくなんて、よっぽど○鹿でないと出来ない事です。眠い目をこすりながらナカムラ兄弟を迎えに行くときに
「オレは何をやっているんだろう」
とここ最近ないぐらいに冷静になって考えてしまいました。
 結果的には残念でした。来れなかったみんなには申し訳ないですが、実はそう悲観する内容でもなく、収穫のある一日だったとも思っています。もちろん勝たなければ意味はないけど、次はやれる自信がつきました。試合はいい緊張感があって、激しかったです。が、審判たちの判定と仕切りが素晴らしくて、関心しました。ジャッジがハッキリしていて分かりやすかった。ま、今回は事実上の1.5軍。これはこれで楽しく、いい所もありました。次頑張ろう、次。

期待倒れ。

 映画でもなんでもそうだけど、期待をしすぎると裏切られる事が多い。どんな素晴らしい作品でも、自分の脳内ワールドが一番である。
 写真の本なんだけど、「ワールドサッカーコレクション 2006」というムックである。紹介文は
世界のサッカーを知るには、まずこの1冊。ワールドカップドイツ大会&全世界のクラブチームの最新ユニフォームを紹介。全世界のサッカーファンに贈る、世界でたった1冊のユニフォームデータブック。
というものである。これは06年版なんだけど、これの前にも99,2000,2002,2003-2004,と数冊発売されていて、僕は全部買っている。上の文の様に、紹介文を読んだだけでご飯2,3杯はいけそうな感じなんだけど、これが全くの期待はずれ。代表やクラブのユニの写真は少なく、ホトンドがイラスト。紹介しているのはホームユニだけ。最新とは歌いながらも古いユニを載せたりもしている。マイナーなユニともなるとどうも信用できないのだ。
 実は今日、本屋でこの06年度版を見つけたのだけど、踏みとどまった。この本はあまり多く流通しないし、買うときは通販で買っていたので見つけた時はオオッ!と思った。今までの僕だったら飛びついていたのだけど、我慢したのだ。期待はずれ・・・のあの気分が怖いのだ。

東京ローズ

 僕が愛してやまない(というより取り付かれている)映画「プライベート・ライアン」にこんなシーンがある。トム・ハンクス率いる小隊がとある街に着くと、スピーカーから何かの演説が流れている。それはドイツ軍が作った、アメリカ兵士の志気を下げるためのプロパガンダであった。
「自由の女神は爆破された」
「ニューヨークは炎に包まれている」
等のフレーズを24時間休まずに流していたのだ。着いたばかりの小隊は気にもしないが、その町に駐留する兵士は
「あいつら、俺らがおかしくなるまで流す気だ」
と愚痴る。
 実は日本もアメリカを相手に同じ作戦を取ったことがあった。女性に
「今頃あなたの奥さんは隣のヤツとよろしくやっているよ」
「あんたがいない方が幸せだよ」
的な事を言って、戦意喪失を目指した。が、面白いのはこれからで、なんと逆にアメリカ兵に人気が出てしまったのだ。彼女の口からでる言葉と声がどうやら人気の秘密だった。東京ローズは20人はいたと言われていて、その中で一人だけが名乗り出た。名前はアイバ・戸栗・ダキノという女性で、日系二世だった。親戚に会いに日本に来たが戦争のため帰国が出来ず、宣伝放送のアナウンサーになった。そのまま戦争に巻き込まれていく。
 終戦後はなんと戦犯容疑で巣鴨プリズンに投獄される。帰国してから反逆罪の汚名を着させられ、禁錮10年と罰金1万ドルが課せられた。しかも市民権を剥奪されている。大統領特赦になるまで10年も服役する。
 戦後、アメリカ兵の心を捉えた「東京ローズ」の存在が話題になって、マスコミが大騒ぎになった。そこで彼女が名乗り出てしまった。そこでアメリカ軍隊に目をつけられ、スパイ容疑がかかる。そこが運命の分かれ道だったのか・・・。
 実は今月の26日に東京ローズ事アイバ・戸栗・ダキノが90歳でなくなった。戦後何周年の度に彼女に取材を申し込むメディアは多かったが、彼女は一切応じなかった。彼女を有名にしたのは口で、地獄を見せたのも名乗り出た時の口だった。だからこそ「東京ローズ」については一切口を開かなかったのだろう。戦後の数奇な運命に翻弄された東京ローズ。「口は災いのもと」なんて言葉は当てはまりすぎて怖い。

カワイイはここまで来た。

 そしてカワイイと言えば、エビちゃんと萌ちゃんである。タイプしているだけですでに恥ずかしいけど、最近はメディアで見ない方がめずらしいぐらいなので仕方ない。本人達も見ればやっぱりカワイイのでこれまた仕方ない。彼女たちはモデルで、その人気に関しては今更書くこともないのだが、モデルにも色々とあるらしい。モデルと言えばパリコレやミラノコレだと僕は思っていたけど、実は彼女たちはモード界とはちがう「リアル・クローズ」をまといながらウォーキングをしているのだ。よくパリコレやファッション・ショーの映像を見たりすると、
「誰があんな服を着るんだ?」と思うことがあると思う。それとちがって「リアル・クローズ」というのは市販されている服の事で、誰もが買うことの出来る「商品」なのだ。モード界では発表される服は市場にでるまでは1年ぐらいかかるらしいし、そのままの形ではなく、より一般受けするモノが発売されるのだ。ファッション・ショーでの服は商品ではなく、アートなのだ。
 で、リアル・クローズの方は商品なので、商売気まるだし。ファッション・ショーではモデルが着ている服をそのまま買える様に携帯で取引ができるようになっている。しかもリアルタイム。自分の目の前を歩いているモデルが着ている服と同じモノをその瞬間に買う事ができるのだ。多くの女性は「エビちゃんと同じモノ、萌ちゃんと同じもの」を買う事ができるのだ。ここで昨日書いた「カワイイ」が連発されるのである。昨日TVでやっていたけど、引くぐらいの「カワイイ〜」の連発+金を取るための完璧なシステムで、モデル達は僕には広告塔でなく、映画の悪役に見えたよ。

カワイイはどこへ行く

 次にワールドワイドな言葉になるのはきっと「カワイイ」である。連発されるたびに「カワイイ」の意味はどんどん広がり、今ではもはや記号的な意味合いすらもっている。「!」や「?」と同じぐらいの重要度がありそうだ。
 この「カワイイ」が本慮発揮するのは、女性をターゲットとした商品開発の場である。モニターと呼ばれる一般の女性たちを集めて、これから発売する商品について意見をあーだこーだと勝手に言って貰って、彼女たちの意見を元に商品を改良する。この時に、一番の判断基準は「カワイイと言われた回数」である。得に最初に「何これ可愛くない?」なんて反応があったら、ヒット商品間違いないらしい。ターゲットとする層がそのまま商品を作っていくわけだから、マーケティングリサーチとしては当たり前の方法かも知れないけど、いい年をしたおじさんがギャルが言っている「かわいい」を数えている姿を想像するといくらかの物悲しさを感じてしまう。ま、でも最後までコントロールしているのは会社側だし、最後に笑うのも会社側。彼女たちは利用されているのだし、道具である事は間違いない。商売はそれだけしたたかな世界なのだ。
 

昨日はお疲れさまでした。

 朝早くからみんなお疲れさまでした。結果は良くなかったけど、以前に対戦した時よりは試合らしくなっていたので、最低の結果だとは思いません。ちなみに今ビデオを見終えた所です。色々とミスはありましたが、ハッキリいうとそこまで悪くないと思います。ただ、どの局面、場面、状況に置いても向こうの方が上であったのは事実で、僕らの攻撃はカウンターが多かったですね。とはいえチャンスは何度かあったわけで、それを決める事が出来ていたらまた違う展開になっていたのかも知れません。でもまあ、いつでもそれは当たり前の事で、今更言うことでもないですかね。
 個人的にはもう少し止められたかなあ、なんて思ったりもしていたけどそんなものです。キーパーというのは孤独なもので、ヒーローになるか戦犯になるかのボーダーラインを言ったり来たりするポジションン。その実力に関係なく、キーパーをやろうと思う奴は全員偉いよ。

ちなみに原因不明の何かでこのブログにコメントを書くことができませんでしが、今日から多分大丈夫です。

桑田の引退

 引退ではないかも知れないけど、桑田が「とりあえず」ジャイアンツを退団する事になった。野球をやった事のある人なら誰もが憧れる存在で、僕の世代の人たちがリアルタイムで見てきた天才である。見ると解るけど桑田の球というのはどんな剛速球ピッチャーと比べても描く線に「力強さと美しさ」があって、例え130前後しか出ていなく「ストレートっぽい」のである。
 21年という野球人生で桑田は大投手となった。今後の報道できっと語られる事もないと思うけど、桑田は常にダーティなイメージを背負ってきた。ジャイアンツ入団希望の清原の代わりにジャイアンツに入団した頃からそれは始まっていたのかも知れない。性格的に暗いイメージもあったし、暴露本も出されたし、投げる不動産などと呼ばれ莫大な借金を抱えたことも今では語られる事はないだろう。桑田はそう言った噂や報道に反論することは一切なく、常にプレイで己を表現したきたのがより一層カリスマ性を高めている。
 桑田は守備も打撃も一流だった。清原と桑田を選ぶ時に、その守備と打撃のセンスが決めてとなったと言われている。ピッチャーとしてはダメでも、バッターとしてもモノになるだろうと球団側は思ったのだった。そこがまた憧れる所で、野球で人生を表現した男、野球でしか自分を表現できなかった男、野球で多くの事を得ながらもそれと同じぐらいのものを失った男、という不器用さや頑固さや薄幸さとはまたちがう魅力が桑田にあるんだよね。天才なのに報われないみたいな。これからどこかも球団で投げるかもしれない。最後の最後までしがみつく姿というのは天才には似合わないけど、桑田ならちがう話か。
 

武道

 相撲を知らない外国人にとって、力士の体型は好奇の対照である。相撲の本当の意味を理解している人以外には、見せ物の様なものなんだよね。その次に思うのは、
「力士はあんな姿をしているけど、健康的にわるいんじゃないの?」
という事。これは多くの人が思うんじゃないのかなあ。相撲は武道であって、スポーツではないから、体型や健康は問題ではない。命をかけた勝負に勝つ、これだけが大事である。これを理解するのはまた難しい事で、普段から相撲を知らない人には理解しがたいものだろう。
 この前に痩せすぎモデルについて書いた時にこの事を考えたんだよね。ひょっとしたらアートと武道は似かよった所があるかも知れない。一つの何かを追い求めるという意味では同じか。残念ながら僕はどっちも追いかけた事はないけど、フットサル道を行くのみである。
 

出会いは大事に

大正11年生まれ。宮内大臣(現在の宮内庁)より位を授かる。戦時中は小隊を率い色んな修羅場を潜る。戦後は国から派遣され、当時の大統領アイゼンハワーと謁見。よって英語はペラペラ。乗っている車はクラシックなベンツ。現在では持っている不動産を外国人に貸しているが、
「アイツらは日本に来ると女ばかり追いかけている。今でもなんであんな奴らに負けたのかがわからん。アメ公どもが」
が口癖。戦争映画を見ると
「アイツの帽子のかぶり方がなっとらん。帽子は天皇様からの預かりモノだ、俺の隊ではそんな事はゆるさん。あの俳優は大根だな。」と事あるごとにいう。

 僕はこんな人に出会ったことがあった。84歳の今でも平気でベンツを運転している。84歳とは思えないその姿と元気さはもはや異様で、威厳というか、貫禄がある。見ているとそれだけで、
「あ、戦争を生き抜く人はやっぱり違うな」と思わせるなにかがあって、本当に考えさせられる。84歳なのにというのは失礼だけど、ペラペラといきなり英語を話し出す姿はハッキリいって格好よく、人間ってやっぱり経験だなあ、と思ってしまう。

やせすぎモデルの件

 このニュースを聞いた時に最初に思い出したのは、猟奇的な事件が起きる時の
「ホラー映画が悪い。ゲームが悪い」
という責任転嫁のアレである。いささか違う様な気がするけど、
「モデルに憧れると食べなくなって拒食症になる」
という乱暴なこじつけは同じだ。一番不思議に思ったのは、
「頑張ればスパーモデルの様な身体になれる!」
と思う人がたくさんいるって事だよね。ふしぎだ〜。
 ファッション・ショーにおけるモデルというのはデザイナーが作った服を見せるためのキャンパスであって、そこには人間としての資質や性格なんてどうでもいいんだよね。生きてはいるけど、限りなくモノに近くて、尚かつ「品」なんだよね。主役はあくまでも服であって、モデルはそれを運ぶ台車に過ぎない。この問題はそこに焦点があるのだと思う。ファッションには「健康であるために」、という考え方はないし、何か規制を付け加える事はそれこそ表現の自由を犯しているのと同じだし、芸術を規制するなんて事は人間に出来る愚かな行為の代表格だと思うだけどなあ。

最近の軽はすごい

 吉祥寺に行ったときの事。高速道路を走っていた僕の前をポルシェが走っていた。ポルシェといえば、公道を走るレーシングカー。僕は車の事を知らないのでのでモデルまではわからないけど、とりあえずいかにも高そうで走りそうな車だった。
「ポルシェだ〜。すげー」
なんて思いながら、後ろを走っていた。首都高を降りて葛西あたりになると車線も増えて、みんなスピードを出し始めるのだが、僕の横を猛スピードで白い軽自動車が抜いていった。僕だけならましも、ポルシェをもサクッと抜き去り、前方に消えていった。僕はすかさず速度計を見た、110キロだった。110ぐらだったらどの車も出すと思うけど、あの軽はおそらく125-135ぐらいは出ていただろう。ドイツを代表するポルシェを抜いてしまう軽自動車・・・。さすが日本の技術。おそるべし。

吉祥寺SKIT

 吉祥寺にサッカーユニ専門の店があって、そこはまるで夢のような場所であることは前にも書いたけど、実はスニーカー専門の店もあるという事が最近わかって、本日行ってきました。ユニの店もこのスニーカーの店もそうだけど、買取をやっているというのが一番のポイント。新商品だけではなく、レアな商品やプレミア商品、今では他で買うことが出来ない古い商品を置いているというのがなんと言っても一番のん心躍る所である。で、この写真が拾ってきた店内の写真だけど、とりあえずこれを見た@20と@9は今週末には行くことだろう。
 この店は吉祥寺SKITという店で、このリンクとは別のホームページもあるから見たい人はチェックしてください。
 スニーカーというのはレアなモデルになると雑誌では見るけど実物は見たことない、というのが多かったが、この店にはそういったものがたくさんあってビックリした。初めて見たモデルや知らなかった色のものもあって見るだけでとても楽しかった。この店は有名みたいで色んな雑誌に登場しているみたいで、きっと多くの人は知っているだろう。とにかくスニーカー好きな人は一回行っておいた方がいい!

吉祥寺SKIT ウェブサイト

コンサート

 僕はコンサートやライヴの類があまり好きではない。一度だけブルー・ハーツのコンサートに行ったことがあって、その時はとてもいい経験だった。だが、あれ以降不思議に行こうとは思わなくなった。何だか「みんなで」という連帯感がなんだか怖くなったのだ。怖いというか、なんだか気持ちが悪くなった。コンサートに限らず、大勢の中での連帯感、統一感、一体感というのが不自然な気がするんだよね。
 コンサートというのは行きたい人が高い金を出して見に行っているわけだから、そう思う人はいないだろうけど。そういう意味では予定調和の中での一体感であるから、ある程度計算が裏で見えるんだよね。一番怖いパターンはやっぱり宗教で、
「大勢の人がみんな同じ価値観を持っている」
事はある種の正義になりえて、それに従わない事は良くない、みたいな事にもなり得る・・・。難しい。

痛い!

 土曜日のフットサルで相手選手のヒザが僕の腿にクリーンヒットした。どんな怪我でもやっている内に忘れられる事が僕の野生児たる所以だったのだが、さすがに今回は無理で、途中でリタイヤして初めて足に氷をあてました。サッカーやフットサルをやっている大体の人が経験あるらいけど、僕は初めてで正直怖くなりました。24日に試合があるのに、こんな所で怪我してどうするんだ!なんて思って、怪我に苦しむ@20の事が頭に浮かんだ。が、腫れる事もなく、内出血もないのでおそらく打撲でしょう。とはいえ歩く特に痛くて、筋肉が収縮する度に痛くて片足を引く歩き方になった。
 今日は休みだったので映画を見に行ったのだけど、足を引いているから不自由でしょうがなかった。今日ほどエレベーターやエスカレーターが愛おしく思えた事がない。体の不自由な方の苦しみや不便さを少しでも理解できたなんて思わないけど、何が嫌かって、それは周りの目線である。自意識過剰な所もあると思うけど、絶対に誰かが
「あの人足が悪いのにスニーカー見てるよ」
なんて言われている気がするのだ。普段は手すりを握ったりもしないけど、手すりにつかまり過ぎて腕が筋肉痛になってしまいそうだ。

食い物へのこだわり

 食べ物へのこだわりを持つ人は案外多くて、僕の周りでもラーメンのためだけに深夜に都内まで飛ばす奴がいる。あそこのラーメンが美味しい、いや、あそこはもっと美味も美味しいという会話はいつでもどこかで行われているし、TVを見ても食べ物紹介の番組は嫌になるほど多い。
 以前に何度も書いたけど僕は食に対するこだわりがまったくなく、食べるのが面倒くさいと思うことも多い。できることなら体を改造してらって、一日一回の補給で済むようにしてほしい。手っ取り早く栄養が取れるように、宇宙食みたいなチューブに入っているペースト状の食べ物が普及しないかと期待している。 食というのはその国の文化そのものだけど、最近では食物に対する安全が揺らいでいてあちこちで嫌な話題を聞く。どんなものでも100%の安全なんてないだろう、そのためか販売店では成分や生産地が表記されるようになっている。食べるものを信用できないと言うのは、いよいよこの世の何かが狂っているって事になるのか?選ぶなんて出来ない、食べるだけでも精一杯の時代もあったハズなのに今度はそれをえり好みする事はなんだか不自然な気がする。とはいえ子供がいる人には大問題だし、生きる事の基本は食にあるわけだから・・・。今がこんな難しいという事は、10年後、50年後はどんな社会になっているのか・・・。不安。

兄貴業と若さへの憧れ

 ブラッド・ピットは1963年生まれである。という事は、43歳という事になる。信じられない。20台後半と言われても僕は信じてしまう。言うなれば、年齢と外見が一致しないのだ。そこにはハリウッドの中でトップを争う俳優ならではの肉体管理と努力があるのだろう。
 どの人間にも老いる事は当たり前でありながら、誰もが必死に抵抗する。これは女性だろうが、男性だろうが関係ない。誰もが若く見られたいし、若くいたい。ハリウッドの俳優ともなればそれは死活問題で、なおさら大きな問題だ。整形手術もじさない。
 が、映画は面白いもので、どの年齢の役も必要だ。年齢相応の役を演じればいいのだが、美形が売り物だったブラピは40台の役はやりたくないのだろう。これはブラピだけではなく、多くの俳優も同じで、今ハリウッドに足りない役は「兄貴的役」なのである。「兄貴的役」というのは

●若さ特有の青臭さを決して臭わせない
●かといって爺くさくなく
●若い奴に頼られ
●若い奴に尊敬もされ
●かといって若い奴との感覚に開きがなく
●若い奴の手本になる

日本では竹内力と哀川翔で芸能界の「兄貴的需要」を分け合っているけど、ハリウッドにはそういった兄貴的存在がいないのだ。デ・ニーロ、パチーノ、イーストウッドではもう行きすぎてるし、ショーン・ペーンは怖くて誰も頼ってくれなさそう。トム・ハンクスとトム・クルーズは頼りない。世代的に言うとジョニー・デップ当たりがいいんだろうけど、一匹オオカミっぽいし、チャーリー・シーンは人徳がなさそう。という事はハリウッドでの兄貴的存在はジョージ・クルーニーだけだ。兄貴的需要を独占しているのだ。実際オーシャンズ11ではそういった役だし、マーク・ウォルバーグは舎弟だ。
 
 以外にも若く見せたいがために必死になるのは、政治の世界。いつまでも若く、強く、元気でない事には始まらない。白髪染めは欠かせないし、ポスターでは何十年も前の写真を使う。たしかにヨレヨレの爺さんには一票を入れようとは思わないから、ある意味当たり前かなあ。
 オシム監督は年齢相応の外見をしているけど、オーラというか、存在感に凄みがあって年齢による経験がいい感じに滲み出ている気がする。僕も爺になったらあんな感じで屁理屈ばかり言って回りを困らせる爺になりたい。それが若さを保つ一番の秘訣かも知れない。
 
 

 いつもの様に新聞のコラム欄を読んでいてら、くしくもあじろ〜日記と同じく「雨」についての話題だった。さすがあじろ〜日記。大手新聞の先をこしちゃうなんて!
 で、そのコラムに書いてあったことがとても興味深かった。日本語には「雨」の名前がたくさんあるという話だった。降りかた、降る時期、地方等によって色々と面白い名前があるのだ。

☆卯の花腐し(うのはなくたし)
卯の花の咲く頃、降り続ける長雨で白い花が痛むのでこう呼ぶ。夏を告げる雨。
☆青葉雨(あおばあめ)
青葉を濡らす雨。「翠雨(すいう)」ともいう。青葉から雨が滴る様は「青葉時雨」。
☆送り梅雨
梅雨が明ける頃の雷雨の事
☆天泣(てんきゅう)
空に雲がないのに細かい雨が降ってくる。
☆雨夜の月(あまよのつき)
雨の夜は雲に覆われて月が見えない。会えない恋人のたとえでもある。
☆小糠雨(こぬかあめ)
霧のように煙のように降る細かい雨。
☆銀箭(ぎんせん)
「箭」は矢のこと。夕立を銀の矢が降る様に見立ている。
☆男梅雨☆女梅雨
ザーッと降ってさっと上がる梅雨は男梅雨。
いつまでも降り続く梅雨は女梅雨。

とたくさんの個性的な名前がある。これは恐らく日本だけのもので、日本語の奥深さと表現力の高さを感じた。思えば日本は水の国なので、雨の様子に面白い名前を付けるのはある意味では当たり前の事かも知れない。どれにもちょっとした遊び心があって、その地域の生活に想いを馳せさせてくれる。

タラコの歌はホラーである。

 最近はやりのキューピーのタラコの歌が聞いていて気持ちが悪い。有線で流れているので、気づかないうちに聞いてしまい、怖い思いをしている。とにかく歌詞が怖い。

気が付けば窓の外
気が付けば家の中
気が付けば肩の上
気が付けば皿の上
気が付けば口の中
気が付けば夢の中

という歌詞がたタ〜ラコーの間に入っている。その歌詞だけを読んでいたら本当にホラー映画じゃないか。おまけに歌っているのが子供なので余計に怖い。どう贔屓目に考えてもオーメンシリーズと立ち居地が一緒じゃないか!なんだか迫りくるような恐怖感があって、童謡の「かごめかごめ」と同じような不気味さもある。
 怖い音楽の代表といえば、音で距離感まで表現してしまった映画「ジョーズ」で人間が襲われる時の音楽である。このタラコの歌はどっちかというと和的な恐怖感があって、ジワジワと追い込まれる感覚。さらに子供が歌っていることがその不気味さに拍車をかけていて、出来れば夜には聞きたくない。おそらく同じように思っている人もいるはずなのに、売れちゃっているらしい。不思議だ。

この時にこの曲

 とある部屋に若い女性が一人。誰かを待っている様子。壁に掛けられた時計に目をやる。真夜中までもう少し。
 同じ頃、タクシーに飛び乗る若い男性。大事に抱える箱の中にはクリスマス・ケーキ。腕時計に目をやる。真夜中までもう少し。
「運転手さん、急いで下さい」
 彼女は窓から顔を出し月を眺める、彼もタクシーの窓から月を眺める。バックに Six Pence None The Richer の「Kiss Me」が流れる。 
 
 昔流行ったドラマで「アリーmy love」というのがあって、そのドラマの主人公アリーは自分のテーマ曲を持っていた。ツライ時や泣き出しそうな時にその曲を思い出して自分を元気づけていた。さすがに僕には自分のテーマ曲はないけど、ふとした瞬間に頭に流れる曲があって、それは OASIS の 「CAST NO SHADOW」という曲。一人でコレを聞くとウルウルしてしまう困った一曲である。
 上記のクリスマスの恋人たちの様に僕らの人生の場面場面にもバックに流れる歌があればとてもドラマチックになるだろう。それを考えると結構楽しくて、試合前にはベタだけどロッキーのテーマを流したり、QUEENの「WE WILL ROCK YOU」を流したりと、いい感じの演出ができそう。ま、人生は格好いいだけではないから、時には笑点の音楽も鳴らさなければならない。 この間撮った映像に音楽をのせればそれこそいい映像になるかもしれない。

 

9.11の正体

 5年前に同時多発テロが起きた時、僕は仕事中だった。同僚に「戦争になった」と聞かされ、仕事そっちのけでyahooニュースを何度もクリックした。ニュースはなかなか更新されず、戦争という良くわからないけどとりあえずいい気はしなくて、正体のない不安を抱いた。
 家に帰ってからTVをつけても混乱は続いていた。ビルに飛行機が突っ込むあの映像が繰り返しながされた。軍事アナリストの人が感想を聞かれ
「いや、テロリストは良くやりましたよ。アメリカ本土が攻撃されたのは今回が初めてですからね」
とコメントし、周りを凍り付かせた。みんな混乱していのたのだ。犯行声明が出されてからはイラクの子供達が喜び騒ぐ映像が流され、まるで攻撃の成功を祝っているかの様な印象を与えた。後に分かったのだがその映像はイラクでの地方での祭りの様子で、攻撃とはまったく関係のない映像だった。みんな混乱していたのだ。
 遥か遠い国での出来事ながら、そのインパクトはとても大きな物だった。僕らが享受する平和は世界中の色んな物事が微妙なバランスを保ちながら支え合う土台の上に乗っていて、決して当たり前にある安いものではなかった。飛行機がビルに突っ込むあの映像はスピルバーグやルーカスでも作れないぐらいにリアルで、僕らは悪意と憎悪が本当に存在し、人々が窓から身体を投げ出す度にその横顔を見た気がした。
 とはいえ起こったのは日本からは程遠いアメリカ。直接的な恐怖や痛みはなく、不謹慎だけど
「すごい映像をみた」
という人には言えない妙な興奮と
「世界はこれからどうなるのだろう」
という得体の知れない不安があるだけだった。

 あれから5年も経ち、いよいよ9.11を語る自由が生まれようとしている。発生直後は愛国心という大きな建前があって、誰もが周りの顔色を伺いながら団結、愛国心、博愛、自由、人道、命の尊さを語った。それも一段落し、今年から9.11に関するドラマや映画が登場する。9.11での金儲けが始まった。
 付き合いのある映画買い付け業者の人から聞いた話でこんなのがある。今最も買われている映像は映画ではなく、9.11関係の映像である。これはプロだろうがアマだろうが関係ない。アメリカは監視社会でビックリするほど監視カメラが多くて、それらの映像がどんどん流出しているのだ。誰もが見たことのない映像もたくさんあるという。だが、どうしても買えないものがあって、それはペンタゴンの映像だそうだ。写っちゃいけないものがあったのか・・・という話が多いようだ。さらにWTCのタワーが崩れる映像をプロに見せると、
「ビルを解体する時と同じ。爆発させているとしか思えない」
という風に見えるんだそうだ。アメリカではこの陰謀論がどんどん大きくなっているらしく、ブッシュは何を狙っているんだ?という話も出ているらしい。

 9.11の事件は近代の歴史でもっとも大きなものだ。現代社会に置ける経済の象徴であるWTCが崩れていく様は、それこそこの世が崩れていく姿を思い起こさせた。誰もが明日からは同じ生活が出来ないかも知れない、日本も戦争に巻き込まれるかも知れない、ひょっととしたらこの世の終わりが来るかもしれないと思った。あれから5年もの時間がたって、当時危惧していた世の中になったかどうかは判断に困る所だ。世の中はそこまで変わっていない気もするし、いややっぱり悪くなっているなあ、と感じる。
 

撤収完了

 ついに今日で設営、撤収が終わりました。面倒な事に参加して僕らのミスを嫌な顔もせずに被ってくれた色んな方々に感謝します。ありがとうございます。
 チームというのは多くの人が集まって成り立っているわけで、誰もがチームに対してある程度の責任があると僕は思う。運営、管理、会計、代表、とそれぞれ役割分担があって、仕事をやってくれている人のおかげで僕らは楽しくボールが蹴れるのです。それらの人たちに感謝しつつ、出来るだけよ協力をしないといけません。僕らのフットサルはたしかに趣味だが、だからと言って何かを「誰かがやってくれるから」と適当に出来る訳でもないし、普段の生活と同じレベルで考えるべきだと思います。こういったことがまた起こらないように、気を付けたいと思います。チームとしての責任もあるけど、個人としての責任もある。気を付けよう。
 

お疲れ様です。

 いやー、試合っていいですね。それも勝った試合だと尚更いい。今回は得点源の@20がいなかったけど何とか顔向けできる結果になってよかった。とはいえ反省点も多いので、次戦までに調整しましょう。個人的には第1失点目の原因にもなっているので、反省です。でもまあ、一番良かったのは2点リードされても沈まなかった精神と、実力が拮抗している相手になんとか競り勝てた所かな。この雰囲気でこれからも行きたい。

縁起担ぎ

 世の中に縁起担ぎをする人は案外多い。家からでる時の足を右にするとか、試合前に特定の食べ物を食べるとか、特定の色の何かを身につけるとか、勝負の世界に生きる人には特に多い。超一流の選手でも縁起担ぎをするから、何かを突き止めるその先に自分の実力では計れない何かに頼りたくなるのであろう。どんな技術を磨いて実力を育てても、運の要素は絶対にあるから、ある意味当たり前なのかも知れない。
 僕らレベルでもきっとやっている人はいるだろう。勝ちたいという気持ちはどのレベルでも共通だからね。でも、僕みたいなタイプは全くしない。多分みんなの予想通りだろうけど。ま、例え何かをしても
「お前は他にやることがあるだろ?」
と言われるのが目に見えているし。と言うことで明日は勝つ!何にもすがらずに勝つ!普通に勝つ!

電車

 今日は出張、東京での会議に出席した。僕はリフティングと同じぐらいに電車が苦手で、毎日電車に長時間揺られ長い距離を移動する人を素直に尊敬します。恐らくみなさんは僕何かより精神的に強いハズだ。
 学生の頃から僕の中では「移動時間ほど無駄なものはない」という考えがあって、将来仕事につく時には都内に電車で出るような仕事はできればしたくないと思っていた。通勤時間で往復2時間もかかれば、それこそ一週間で14時間という事で、一年でいうと730時間という事になる。およそ30日という事で、一ヶ月丸ごと電車に乗っているわけじゃん!なんて無駄な計算をしていた。今になっては仕事とはそんな簡単な事で決められるモノではない、とは思いながらも未だ電車を嫌う僕である。
 海外ではラッシュ時にすし詰め状態になり、駅員が客を中に押し込む電車の映像は日本の変な文化として紹介される。日本人はこうまでして仕事をするんです、なんて小馬鹿にしながら紹介している。僕はその現場を見た事はないからヤラセか経済高度成長のごく希な偶然かな、なんて思ったけど本当はありそうだ。でもやっぱりそんな境遇に負けずに仕事に励む努力がこの国を支えているのだし、その努力を行える事が日本人の世界に誇るべき所だと思う。電車に乗ると何が戦後の日本を支えたのかが何となく見えてくる気がするし、アメリカ人には「マネできるのならやってみろよ」と言いたい。俺は言う資格ないけど。

スナック菓子

 僕はスナック菓子にあまり興味がなく、わざわざ自分から買って食べるような事はしない。たまに家にあったりすると手を出すことがあるけど、食べたくて食べたくて仕方がない!という状態になったことはない。でも好きな人は本当に好きで、一日に一種類は食べないと気がすまない、なんていうのをたくさん知っている。実際スーパーのスナック菓子売り場に行くと、あまりにも種類がたくさんあって、どれも美味しそうに見えるので、食べたくなる人の気持ちもわからんでもない。
 アメリカでは肥満が大きな問題になっている。友人に聞いてみたら、学校の廊下にはお菓子とコーラの自販機が置いてあるらしい。面白いことに小学校にもあるらしい。給食も多くのものから選べるようになっていて、人気はフライドポテトとバーガーにコーラ。子供は自分の好きなものしか食べないから、どんどん太っていく。食事の指導も特にない。肥満の治療として手術がはやっていて、腹腔鏡下で胃をバンドで締める方法,胃に垂直にバンドをかける方法等、たくさんあるらしい。
 この問題はすごく単純なことなんだけど、おそらくアメリカは肥満で沈んでいくだろうと言われている。興味深いのは低所得層から肥満になっていっている事。食というの文化であって、ある意味その国の文化的水準の高低を表している。低所得層から太っていくということは、質の悪い食品を食べているからで、それこそアメリカは底辺から崩れていくということになる。
 僕らが知るアメリカというのは映画やテレビで見る筋肉隆々のカッコいい俳優とスタイル抜群の女優だったりするけど、現実はまったく違う姿なのだ。

またやってしまった。

 ずっと買うべきかどうか迷っていたエアモックヘンプ。素材が麻という独特な感じ、限定発売、僕のサイズはすぐ無くなる等、買う要素はたくさんあったんだけど、
必要か?
そんなに買ってどうする?
買ったら履くのか?
二色あるけどどっちにするの?
と買わなくてもいい要素もあって、なんとか我慢していた。我慢していた所を、日曜日の練習後みんなでスニーカーの話になって・・・、さらに@2に
「あれ買わないんですか?」
なんて言われて・・・
買うに決まってるじゃないか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
とまるで買う動機を待っていたかのような、誰かに背中を押して欲しかった僕である。
 このモックは麻で出来ているので、細かな毛羽立ちや小さな折キズ等があったりする。行ったショップには僕のサイズはラスト一足。おお、やっぱり来てよかった!なんて思っていたがラストの一足なのにどうも気になる場所にホツレがあった。それがどうも許せない俺・・・。迷った末店員に相談したら近くの店舗から僕のサイズのものを持ってきてくれた。非常の申し訳ながらも、笑顔満面のオレ。いい買い物をした。

表参道

 僕が表参道が好きだ。オシャレぶっているわけではない。歩いている人が必要以上に気取っている所と駐車場が極端に少なく、その上だいたい埋まっている所を覗けば、とても雰囲気のいい所である。勾配があることを覗けば、僕がが生まれ育ったブエノス・アイレスにそっくりである。ブエノスのその部分は実はパリの丸パクリなので、行ったことはないがひょっとしたらパリにも似ているかも知れない。
 で、とにかく外国人が多い。近くに基地があるんじゃないか?と思うぐらいに多い。表参道に行っても小粋なカフェになんて怖くて入れないので、スター・バックスに行ったりする。スタバは外人のたまり場になっていて、気取っているのか解らないけど外が30度なのにみんな外で飲んでいたりする。スタバの店員は英語が必須なのだろうか、みんな流ちょうな英語を話す。店内では英語も良く聞かれ、行ったことはないけど欧米の空気が流れている。通りでも外国人が闊歩している。そして 非常に困るのだが、僕がスターバックスに行くと店員に英語で話しかけられる。先日もトレイのモノをかたそうと思ったら、英語でなにやら言われたけどとりあえず笑っておいた。千葉だとそんな事ないんだけど・・・。

ストリート・カルチャー

 30歳を前にする僕が「ストリート・カルチャー」なんてタイプしているとなんだか気恥ずかしい気持ちがありますが、気にせずいきます。
 実は最近「ロード・オブ・ドッグ・タウン」という映画を見た。これが心にグサっと刺さって、引っ張って取ろうとしたら今度は返しが引っかかって取れない、みたいな状態になってしまった。
 アメリカ西海岸ヴェニスビーチ周辺、通常ドッグタウン。この見捨てられた街で育ち、スケートボードに明け暮れる3人の少年たち―トニー、ステイシー、ジェイ―にとって、風を切ってストリートをすべるときだけが最高に楽しい瞬間だった。やがて、溜まり場にしていたサーフ・ショップを中心にスケートチーム【Z-BOYS】が結成され、ますます彼らのワイルドなスケーティングに磨きがかかる中、平坦なストリートから立体的なスケーティングができる"空っぽのプール"こそが彼らの聖域となる。そして全米のスケート大会に出場し、突如としてメインストリームに登場した彼らはその革新的なスタイルで若者たちを熱狂させ、瞬く間にスーパースターになっていく。しかし同時に、その発狂を利用するメディアが彼らをビッグビジネスに巻き込もうとしていた。「20年後も僕たちの夏休みは続くんだ─。」そうプールのそこで誓った3人だったが・・・。的な感じ。
 どうしようもない悪ガキが特殊な世界で有名になっていくパターンというのは多くの映画で見る事が出来るけど、この映画は事実。当時のメンバーの一人が脚本に参加しているけど思い出を美化していない所がいい。どの人にも青春時代があって、当時の仲間がいて、その時失ったモノや得たモノを抱えながら生きていくんだけど、この映画ではその感覚がすごく身近にあって、なんだか自分の参加している感覚になっちゃうんだよね。
 で、この映画でのストリート・カルチャーはスケボー。75年だから、僕が生まれる前の話なんだよね。ただの遊びが一大ムーブメントになっていって、それが伝染病の様に広がり、巨額の金と名声を得る手段になっていく流れはまるでジェットコスターの様に一瞬で、その速さが若者の青春と繋がっている。悲しいのは大人の世界から見ると彼らはただのガキに変わりはなく、ストリートで生まれたカルチャーは絶対に文化にはならないんだよね。この映画では終いには金儲けのために利用されてしまうから、威厳や価値なんてあったもんじゃない。もしかしたら「ストリート・カルチャー」なんて名前を付けた時点でその意味が失われているのかも知れない。うーん、なんだか言いたいことがまとまらないので興味のある人は是非とも見てください。

アイドル、アイマール

 最近知ったけど、アイマールがレアル・サラゴサに移籍していた。サラゴサはすでに同じポジションで同じ国籍のダレッサンドロを獲得している。アイマールはバレンシアで5年半過ごしていたので、そろそろ出る頃ではあった。市場が開く度に移籍が噂されていたけど実際に行動することはなく常に残留していたから以外だった。思えば2002年大会はヴェロンの控え、2006年大会はリケルメの控えだったアイマール。ここ何年かは表舞台での活躍はなく、今年で26歳。移籍時といえばそうかも。 アイマールは数多くいるマラドーナ候補生の中でも、一番の候補だった。技術の高さはもちろんだけど、小さな身体で狭い隙間を抜いていくプレイスタイルがマラドーナとに似ているからだ。現在ではメッシーが一番の候補だと言われているが、プレイスタイルがあまりにも違うため、 TVだけでの決まり文句になっている。
 アイマールにはもう一つのセールスポイントがあって、それはセールス面である。そのビジュアルからアイマールはアイドル的な人気があって、バレンシアの様な小さなチームがアジア遠征を行えたのもアイマールひとりのおかげである。僕はバレンシア-アントラーズという非常にレアなカードを一度見に行った事があるが、バレンシアサポーターの95%はアイマールの名前しかコールしていなかった。当時は入団したてのディ・バイオがいて、出て来た時に喜んだのは僕ととなりに座っていたスペイン人だけだった。
 残念な事にアイマールには広告塔としての興味は一切なく、非常に無愛想である。僕が見に行ったその試合もケガで出場せず、試合前にグランドを何周かしただけで帰っていった。スタンドに向かって見事なぐらいの無視を決めて、一度も手を振らず、視線もあげずに姿を消した。試合終了間際にはユニフォームを片手に出てきて、「出場するのか?」と期待させるだけさせて置いて、ずっとベンチに座っていた。僕はサインなんていらないけどせめて手を振るべきじゃないのか?なんて思って、あまりの無愛想さについアントラーズを応援してしまって、バレンシア陣営の中で肩身の狭い思いをした。思えばその時はスタジアムの前で「アイマールTV」と書かれた販促物をもらったけど、そんなものが実現される事はなかった。恐らく何かの宣伝活動を予定していたのだろうけど、アイマールはそういうキャラではないらしい。
 アイマールにはここで是非とも頑張ってもらって、サラゴサで結果を残してもらいたい。今回の移籍では追い出された感があって、必ずしも納得の上ではない移籍の様だ。バレンシアを見返して欲しい。 
 

過去の日記

 昨日の練習後でちょっとヘビーな仕事になって、僕は途中で帰ったのでどうオチがついたか非常に気になる所。とりあえず僕は負けるのは嫌なので、勝てるのならどんなに怒鳴られても大丈夫、なんて思いながら昔の日記を読んでいた。特に去年の負けている頃の日記は全然面白くなくて、ない元気をなんとか絞り出している感じがして切ない。負ける時のあの気分というのは何回負けても慣れないモノで、読んでいる内になんだかもやもやしてきたので、12月31日の日記を読んでみた。いやいや俺、いい事書いてるじゃないの!!当時の「来年こそは!」のあの深く静かに腹の底からわき上がってくる気合いを思いだした。うーん、表現はしにくいけど誰にでもコレにかける想いがあって、覚悟があって、今年はそれを見せないといけない。

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