2009年3月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  

甲子園のジレンマ

 この季節になると、毎年書いていると思う、「高校生に無理させるな」的な内容のブログ。あんな暑い所で、しかも場合によっては連戦もありと、明らかに過酷な環境。入場料を取っているのだから、ナイターだって可能なハズなのだが。
 最近の事で記憶に残っているのは、楽天のマー君とハンカチ王子が投げ合った決勝戦。あの大会は水島先生だってかけない様な展開になった。決勝戦は二人とも15回を投げ合い、引き分け。翌日に再戦を行い、直接対決でハンカチ王子が打点を上げてそのまま優勝であった。あの時の第二戦目は正午のプレイボールだったんだよね。前の日に限界を超えた投げ合いをしていたのだから、時間をあけるためにもナイターで行った方が彼らのためでも良かったハズ。大会中は甲子園は開いており、試合を1日後らせる事も可能であったし、予定になかった試合が1試合増えるわけだから、その入場料でナイターの照明代なんてどうでもなったハズ。金が絡むと色々とあるだろうけど、高校生の大会なんだからもうちょっとやり方があるんじゃないか?と毎年と思う。
 実はこの考え方とは真逆に、過酷な環境の立ち向かう高校球児が魅力的である、という事も良く分かる。真っ黒になりながら汗をぬぐう姿、若い肩にかかる重圧、あと一球で天国か地獄かと大きく揺れる運命、つかの間の輝き。そしてその修羅場を超えたものだけがプロや大学野球に進む事が出来る。相反する二つの価値観。どっちが正解なのだろうか。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

成長と老化

 おそらく僕の体が変化しているのだろう。31にしての変化だから、冷静に考えれば老化以外の何者でもないけど。あまり気持ちのいい事でもないけど、今更アタフタしても仕方ない。認めるしかない。
 
 思えば僕は成長の遅い子供であった。○ン毛等の体毛も周りより遅かったし、性に対する目覚めも遅かったのだと思う。今となっては別に気にもならないけどね。それより僕が気になったのは、自分の体の変化に良く気づくところであった。厳密に考えれば体の変化のここ!という線があるはずであって、僕は良くその線を越える時に「あ・・・」と思ったことが何度もあった。今でも鮮明に覚えているのは、汗の匂い
が変わった瞬間である。言葉では説明しにくい感覚なのだが、自分の中での汗の匂いがいつもと違う・・・と感じた瞬間があったのだ。あ、俺ちょっと大人になった・・なんて微妙な気持ちを抱いたものである。これを成長と呼ぶかどうかは微妙な所だけど。これは精神的な成長とは全く関係ないところにあるのが面白い所で、身体がいくつになっても精神的にはいつまでもガキなんだよね。こっちも
「あ、俺、昨日の俺とはちがうかも・・・」
と感じたいものだ。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

電気髭剃り

 どうも最近、髭が濃くなってきたような気がする。これも体が中年の領域に入りつつある兆候だろうか。
 皆様ご存知のように、わがフロリアーナには髭に関しては右に出るものがいない、ついこの前久々に公式戦に出場した髭大魔神@8がいる。全盛期の頃には
「アイツに髭が生えているのか」
「髭にアイツがくっついているのか」
が非常に曖昧だったので、誕生日に断髪式ならぬ「断髭式」をされたという、伝説の髭です。アイツには遠く及ばないまでも僕もなんだか髭が濃くなってきたような気がします。
 そもそも僕は髭が薄い。@8の様に立派なものであれば髭を伸ばして遊んだり、ちょっとオシャレぶったりと色々と出来たのだろうけど、伸びてもチョロチョロとしたもので、非常に格好悪い感じ丸出しになっててしまう。なので深く考えもせずに剃っていた。それも3日に一回剃ればいい方のもので、それをサボって伸ばしても誰も気づかずに自分だけ恥ずかしいという、まるでちょっと高度なプレイの様になっていた。
 というわけで、これから2日に1回ぐらい剃らないとな、なんて思っている。しかし、これが面倒なのだ。女性の方にはわからないと思いますが、(そもそもこのブログを読んでいる女性はいるのだろうか)この髭を剃るという行為は大変面倒なのである。おそらく、自動車学校でキャンセル待ちをしている時の次ぐらいに面倒だと思う。その大仕事を少しでも楽に出来るように電気髭剃りを買おうと思うのだが、いかんせん今まで興味がなかった上一生必要のないものだと思っていて、一度も電気髭剃り売り場の前で立ち止まったことがない。アレっていくらぐらいするもので、そもそもどんなシステムで髭を剃るのかな?皮膚を切らずに髭だけ切るなんてよっぽど高度な機械にちがいない。情報求む。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

2008いい女ランキング

 昨日の27時間テレビでさんまさんが選ぶ「2008いい女ランキング」を発表されたなかに、AV女優の穂花が入っていたらしい。他のメンバーも気になるところだけど、(そうでもないか)穂花が入った事になんだかとても納得してしまった。
 思えば「やりすぎコージー」に他のAV女優と出演していたとき、他の女優とはちがう雰囲気をまとっていてなんだか気になった。美人は美人なんだけど、それだけではない何ががある気がしたのである。その直後ぐらいにも@5との会話の中にその名前が出てきて、さすが@5、早いな、と思ったものを憶えている。
 問題は彼女のビデオを見るべきかどうかで、このまま見ないでおくというのも、このちょっとした憧れを汚さないためにもアリかなと思うけど、こういう時はどうすればいいのでしょうか。

permalink | コメント (2) | - | posted by @6

お疲れ様です。

 良い結果が出たようで、良かったです。第1試合でも暑さが変わらないでしょうから、来週の試合に向けてのいい練習になったかな。やる前は暑いとは思いながら、実際やってみたらそうでもなかったりするけど、JFEの場合は待っている所からすでにサウナだから、また違う対策が必要かな。とにかくお疲れ様です。一度締め直して行きましょう。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

お疲れ様でした。

 主力がいないながらの結果、とりあえず一安心って所でしょうか。FPが4人という予想ではありましたが、みんなが集まってくれて感謝です。忙しい所を都合をつけて来てくれたと思いますが、普段からそのやる気があれば練習も試合ももっと盛り上がる事でしょう。結局、人間はやる気なのです。感謝こそすれど、今日の姿勢が最低ラインであり、そのラインがチームの強さを決める事を思うと、まあそれだけ数がそろって当然かな、と思います。みんな好きでやってるんだし。ま、色々あるとは思いますが、生意気ながらそんな感じかな。それにしても楽しかった。フットサル最高。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

生命の価値

 森山直太郎の「生きてることが辛いなら」という曲の詞の内容が話題になっているとか。(もちろんヤフーニュースで見ただけだけど)
 その曲の中に
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」
という一節があるみたいで、これを不快に思っている人たちがテレビ局に抗議の書き込みを行ったとか。少し前にも松本人志がラジオで
「自殺なんてねー報道すればするほど、あいつら寂しい奴らだから、オレも死のうって思う奴がたくさん出てくんねん。あかんねんあんな報道、あれは煽ってるだけ。 まぁ、ある意味ね、丁度ええ時期にアホがたくさん死んでくれてオレはええねんけど。これ以上増やせんためにもうやらんでええねん。」
という発言をして話題になった。有名人が自殺について語ることはそれなりのリスクを負うことになるみたいだ。
 日本では年に3万の自殺者がいる。この数字は交通事故で死ぬ人よりも大きく、先進国の中でも「自殺大国」の地位を不動のものにしている。原因はたくさんあるんだろうけど、ストレスの大きい社会が一番の原因だとされている。

 おそらくこの恵まれた社会が原因なのだろう。生きることに何の不自由もなくなった豊かなこの社会の中で、誰もが生きることの意味を探しながら、「いい人生を送りたい」、「いい人生を送らないといけない」
と思っている。その上

・人命は地球より重い
・生きていれば良いことがある
・悲しみや辛いことを乗り越えないといけない
・強くないといけない

という、強迫観念に似た価値観が常識となっている。本当は

・人命は地球より重くないし
・生きていれば良いことがないかも知れないし
・悲しみや辛いことから逃げてもいいし
・強くなくても生きていける

なんだろうけど・・・。「幸福=正しい」になっているんだよね。もちろんそれは間違いではないけど、それだけが正解というわけでもない。そこが難しいところなんだろうけど。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

 えー、本日私、走っちゃいました。どれぐらい走ったかは分かりませんが、とりあえず飽きるまではやったので終わる頃には汗だくになっていました。久しぶりの汗だくです。かなり嬉しかったです。そして痩せた事がプラスと出たのか、何だか身体が軽く感じられました。
 それから少し練習に入れてもらったのだけど、僕がボールを蹴ろうとすると
「メッ!」
という声を頂きました。その言い方が飼い犬に言う、「駄目!」そのもので、自分の事ながら笑ってしまいました。ま、走っている姿を見ていれば誰もがしっぽを振っている犬と勘違いした事でしょう。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

夏の思い出

 多分5メートル前に見えるあの光の揺らめきは陽炎たったのだと思う。噴出した汗はその瞬間に蒸発、太陽の光は手で掴めると思った、8月の沖縄、15年前のこと。
 空の青さはどんな絵の具を使っても再現できないもので、その真ん中を白というより黄色い雲が縦に走っている。雲の先には形のない、全ての色を消し去る眩しさを投げかけてくる太陽。落ちはじめてはいるものの、その力を見せ付けるかのような色のない炎を投げかけてくる。前を痩せた黒い犬が通り過ぎる。見た限り飼い主はいないが、野良ではないことはすぐにわかる歩き方。一瞬僕を見るが、何事もなかったかのように通り過ぎる。
 僕は文字通り右も左も分からない異国に落とされた、という感じで立っている。正直どこが前でどかが後ろなのかも分かっていないけど、とりあえず当時寝泊まりしていた部屋までの帰り道だけは覚えいた。経験したことのない暑さにその自信も溶け始めてはいるが、その前に僕の身体の方が先に溶けるだろうと感じていた。
 少し行った先に交通量の多い通りがあった。見たこともない場所に見たい事のない看板が、見た事のない文字を掲げている。これまた見た事のない車が走っていて、僕だけが浮いている様に感じれた。事実その場所の日常は昨日まで僕なしで成り立っていたわけで、大通りの喧噪すらも僕が存在する次元とちがう場所でその時を刻んでいるようであった。日常というのは実は存在せず、全ては時間の積み重ねである事を悟った僕であった。
 その通りのガードレールに白人の男性が座っていた。片足を地につけ、もう片足をガードレールの側面につけていた。厚い胸板、肩から提げたバックパック、そして不安を隠した態度が彼が金網の中、基地の人だという事を物語っていた。男性はタバコを器用に扱いながら、何かを考えている様であった。金髪の紙に太陽の光が当たり、乱反射していた。

 見るからに男もオキナワに着いたばかりであった。根拠を説明する事は出来ないが、オキナワの臭いが彼に染みついていないというか、オキナワの風景が彼に溶け込んでいないというか、そこにいるけどそこにいないような、僕と同じように日常間が圧倒的に欠如しているのだ。


続きはまたそのウチ。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

おねがいマスカット

 エロ系に関してはCIA並みに情報が早く、FBI以上に飛びつくのが早い團員の皆ならもう知っているであろう、TV東京の深夜番組「おねがいマスカット」。AV女優を15人ぐらい集めてはどうでもいい事をあーだこーだとしゃべるだけの、非常に潔い上、ありそうでなかった画期的な番組である。出演者がモンロー女優の皆様ばかりなので、前編水着は当たり前。洋服の場合は常時パンチラ(打つのも恥ずかしい)という、僕が中学生であれば1週間ずっと待ち遠しく思うであろう、そんな番組である。残念ながら放送時間が2:45〜3:15という、仕事を抱えている大人なら「どうしようか・・・」と迷う時間帯ではあるものの(迷うのか!)、EUROの試合なみに見る価値がある番組であります。このブログで取り上げた「キス我慢選手権」に出ていたみひろも出ているし(彼女のことを存在自体がワイセツと表現されていた)、僕が知っている女優さんもいるので、@5あたりだったら全員知っているかと思います。
 ノリ的には、「AV女優を数人集めて歌わせたり躍らせたりちょっとサービスさしときゃそこそこの視聴率はいけるんじゃん?」的な軽いもので、なんというか、マジメに考えていない所が最高なのです。要チェック!

permalink | コメント (1) | - | posted by @6

花火

 仕事をしだしてから「花火大会」というものに行ったことがない。暑い上、人口密度が高い所ともなればよっぽどの事がない限り行きたいと思わないので、行ける環境にあってもおそらくパスするだろう。若い頃に花火師が上げる様な、球体の形をした花火を無断であげて逃げ出して以来、花火に縁のない人生である。あの時の花火のあまりの高度と音の大きさに「そりゃ許可が必要になるわけだ」と思ったものである。
 岩井俊二のドラマで「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 」というのがあって、僕は大好きである。打ち上げ花火は横から見ても丸なのか、それとも平べったいのか、それを確かめようとする少年たちの話で、その中の一人がある女の子に駆け落ちをしようと誘われていて・・・、という話である。このドラマはフィルム効果といって、映像をフィルムっぽく見せるように色を調整している。TVドラマなのにその映像はなんだか淡くて、ノスタルジックなのである。
 このドラマの印象があまりにも強くて、僕の中では花火=ノスタルジックであって、だからイマイチ魅力を感じない原因にもなっているのではないかと思う。

夏休み・・・

花火大会の夜

誰もいないプールに2人

濡れた髪の女の子が前にいる

静寂が流れ

その時遠くで花火があがる

水面に映る花火

彼女の濡れた笑顔にも反射する

「二学期にまた逢えるといいね」

遠ざかる彼女

実は彼女は親の離婚のために引越しが決まっている。再会はないのだ。


なんとも風情のある映像である。
 毎年夏になるとこの映画を思い出してしまう。僕にはこのような淡い経験がないけど、それはそれで助かったかな、なんて見ながら毎回思う。夏が来るたびにこんな事を思い出していては辛すぎるだろう。
 というわけで、花火大会のメインは実はその裏にある色恋沙汰であって、そう思うとなんだかさめてしまう。この映画以上にキレイな恋沙汰なんてないだろうし。ある視点から見ればこの映画も「小さな恋のメロディ」に通ずるものがあるなあ。




permalink | コメント (0) | - | posted by @6

はじめてのチュー

 人類史上、もっとも素晴らしいラブソングはおそらく、キテレツ大百科のE.D.「はじめてのチュー」であろう。これはプレスリーの「好きにならずにいられない」や、ビートルズの「ALL YOU NEED IS LOVE」、クラプトンの「Wonderful tonight」、エルトン・ジョンの「ユア・ソング」、そして時と場合によってはジョン・レノンの「LOVE」をも超えてしまう時だってあります。色んなバージョンが出ているし、色んなアーティストがカバーしていて、幅広い層に愛されている曲でもある。あの特徴的な声は
「録音時にテープを半分のスピードで回しながらゆっくり歌い、再生時には通常のスピードで再生する」という手法で作られたものらしい。
 この曲を聴くと思い出すのが「小さな恋のメロディ」という映画である。このマセガキどもの純愛を描いたこの映画は71年に公開されて以来、その後のどのラブストーリーにも影響を与えていて、今なおあちこちでそのタイトルを聞く。この映画の特徴的なところは、見た人はいくつになってもこの映画の事を思い出す瞬間がある所にある。それだけ心に残る物語なんだよね。見方を変えればすごく残酷な話でもあるけど、あの無垢で純粋で罪や汚れを知らない真っ直ぐさって、「はじめてのチュー」の「やった!やったよ!」の歌詞と重なる気がするんだよね。底抜けに純粋な喜びを良く表した歌詞だと思う。多分世界中で僕だけでしょうけど。同じ様にこの映画は「ゴースト」や「きみに読む物語」、「プリティ・ウーマン」、そして時と場合によっては「ローマの休日」を超えたりします。
 それにしても@10には結婚式のチューでもっと頑張って欲しかった。あれは決定力の問題かな。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

只今

 只今、僕の携帯電話が使用不能になっています。なんだか解りませんが、電池の残量が1個減ったかと思ったら2分後にはもう一つ減り、すぐに「充電してください」というメッセージが出たかと思ったらウンともスンとも言わなくなってしまいました。只今職場にいまして、充電をすることは出来ません。コンビニで充電器を買ってこようにも、僕の愛用するMOTOROLAは専用のアダプターなしでは充電できないという「オシャレな」仕様になっておりまして、非常に困っています。今頃僕に連絡を取りたいと思っている大勢の人が困っていることでしょう。僕に励ましの電話をかけたい方、愛の告白をしたかったあなた、変な健康器具を買ってほしかったあなた、申し訳ありません。このままでは株価までに影響してしまうかも知れません。僕のせいでガソリンがより高くなってしまったらすみません。1時ぐらいには家に着きますので、追って連絡します。現在僕が持っている携帯電話は只のプラスチックの塊。扇風機の風で紙が飛ばされないように重しにしか使えません。
電池を冷凍庫に入れるとかしてみようかな。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

思い込みの怖さ

 iPhone購入のために長い行列が出来たらしい。この出来事は最近のニュースの主なテーマである「物価の症状」、「生活が苦しくなる」とは全くベクトルが違うもので、何とも面白い現象である。ガソリンの価格や生活用品の値上げに苦しむ人々がいる一方で、超高機能の電話を買うために徹夜で並ぶ人々。並んだ人の多くは高所得層というわけでは決してないだろう。全くどうなっているか解りません。
 一説にはこの世には「ブーマー」と呼ばれる「ブームを作ることが仕事」の人もいるようで、今回はこの人たちが活躍したのでは、という話をきいた。彼らはサクラを雇って列に並ばせる。そこにマスコミが目をつけ報道する。報道されると誰もが注目する。「報道される」=「流行っている」になり、この先は早い。誰もが我先にとそれが欲しくなる。最近では商品の価値というのはその商品の情報量によって決まってしまう傾向があり、本来の価値とはちがう所に評価が作られるのでなんだか不自然である。
 一番いい例が映画で、特に最近の映画ではテレビ局が作る映画ばかりがヒットしている。それは局をあげての宣伝が可能になるからだで、ハッキリ言って宣伝すればするほど「アレは面白いかも」と多くの人が思うからである。CMを多く入れる。エンタメ系の番組で宣伝する、出演者を色んな番組にだして宣伝する、関連作があれば空いた枠に再放送。「日本沈没」も「踊る大捜査線」も「花より男子」も「相棒」も全部同じパターンである。
 思えばこういった情報によって思い込まされている事は多い。

●携帯電話を持つのが当たり前。
●女性は痩せていることがいい事。
●車は綺麗でないといけない。
●口コミで評判のいいものは必ずいいものである。
●女は女らしく、男は男らくしあるべきである。
●スターバックスはちょっとオシャレ。
●両足蹴れる奴がうまい奴(これは本当か)

等など、数え始めるとキリがない。いつの間にか皆価値観を作られているんだよね〜。消費という絶対的な何かに飼いならされているのだ・・・。くやしい。
 そういう僕も「映画に使われているから」モトローラの携帯を使ったりしています。くやしいです。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

iTunes

 それにしても、ネット社会は怖いものです。もはやネットは僕の財布から金を吸い上げる大きな機械であり、その吸引力はおそらくどのダイソンよりも上でしょう。
 このたび、@10の結婚式のために数曲をiTunesからダウンロードしました。このわかりやすさというか、手軽さというか、本当にクリック一つで何十秒後に1曲が僕のパソコンにピョコっと移動する訳です。何がすごいって、金がかかっている事がまったく分からないそのシステムの巧妙さであり、金の臭いがまったくしない事である。ま、クレジットカードじたいそう言うものだけど、この場合の曲の様に、実態のないデータだけの存在だと尚更だからタチが悪い。おまけに僕がその曲をダウンロードしたらから、それに似たような関連作をすごいアピールしてくるんだよね。 それが

この木なんの木 (日立グループCMソング 日立の樹) - Single

だったりするんだよね。なんだか怖いです。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

どうもこんにちは

 えー、どうも僕です。どうも最近、このブログの内容が暗いとか、内側に向かっているとか、アイツやばいんじゃないか?とか、心配をしてくれている人がいるようです。こんな僕のためにわざわざそんな事を思っている人がいるなんて、感動です。本当にすみません。
 えー、結果から言いますと、自分自身でも解りません。確かに蹴れない事へのストレスやショックはあったし、あきらかに態度に出ているだろうなと自己分析をしていたのですが、誰かを心配させるようなことはないだろう、と思っていました。もちろん、チームメイトにはある程度心配してもらわないとちょっと寂しいですが。
 4月辺りから環境が変わり、自分の中でのモチベにも影響したりで、浮き沈みはある程度あったと思います。それを認めたくない自分もいたわけで、あせったり、言い訳をしちゃったりとで、まあ普通の状態ではなかったでしょう。初めての大怪我でもあるし、自分で言うのも何ですが、フットサルに対する僕の姿勢はマジメそのものなので(下手なくせに)、必要以上に責任を感じていたこともあったと思います。別にそんなものはないのに。

 怪我の状態ですが、病院で見てもらったところ、「本人の判断次第」という事になっています。走る事はもう大丈夫だと思うけど、蹴るとなるハッキリ言ってわからないそうです。関節が普通の状態より開いていることも微妙なところのようですが、良くなっている事は間違いないようです。後は時間との戦いと、自分の中での判断のようです。ま、これに関しては監督が病院の医者よりも100倍厳しいので、心配はありません。

 何よりも変わったのは自分の中での価値観であります。これは僕の周りの皆様のおかげです。
「どうですか?」
「早く直してくださいよ」
「たまには顔を出してくださいよ」
という内容のメール、お言葉を頂く度に、
「早く直さなきゃ」と思っていたのが、
「ちゃんと直さなきゃ」
と思えるようになりました。

 いつの間にか僕の回りには色んな人がいます。チームメイトをはじめ、SPIN-OFFのみんな、個人参加で顔をあわせる方々、セビボス、施設のスタッフ。もちろん、みんなと一日でも早く蹴りたいのですが、
「もし怪我をゴマかしてやってしまったら、それこそ一生蹴れなくなるかも知れない」
と思うと、怪我に対して真摯な態度で向き合う事ができます。これはみんなが僕に「一緒に蹴りたい」と思わせてくれる存在であり、そういう考え方にしてくれおかげです。うーん、何が言いたいかというと、僕は大丈夫です。素敵な仲間に囲まれ、厳しい態度で挑むべき環境があり、真剣に打ち込むべき目標があり、待ってくれている奴らもいます。大丈夫どころか、かなり恵まれているんじゃないか?とも思います。これでロトが当たったとか、モニカ・ベルッチに逆ナンされた、とかだったらもっと最高なのですが、そこまで言ってしまったら怖いです。治す理由があるウチは僕は大丈夫でしょう。まあ、あんまり「そんなに心配してねえよ」みたいな事になったら非常に恥ずかしいので、ここら辺にしておきます。以上。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

 最近気づいた事ですが、フットサルをしていると、どうも
「どこでも裸になれる症候群」
みたいなものなってしまうんじゃないでしょうか。
 先日の結婚式、スーツ姿からユニ姿に着替えた僕らですが、場所的には階段の踊り場、ちょっとしたロビーでした。決して更衣室や着替えのための部屋ではなく、他の式のお客様も通る場所でした。そんな所で何の迷いもなく裸になる面々。平気でパンツ一丁になり、余興の準備をしました。その時は余興への緊張や異常なハイテンションのため、気になりませんでしたが、明らかにおかしいです。
 思えば普段から上半身裸はあたりまえ。下も脱いでタオル一枚のヤツもいる。着替えはコートの外の通路。しかも暑い時期にはそのままケビン高森塾が開催される事もある。僕ら的には当たり前ですが、どうも世の中ではちがう価値観があるようです。
 本日私、車のガラスを拭こうと起き抜けに外に出たのですが、気づいたら上半身裸でした。暑いので全く気にしていたなかった自分にびっくりであります。私生活でもいつペナルティがあるかも知れません。気を付けましょう。ちなみにこれを書いている今もパンツ一丁です。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

案外

 案外僕らのウケが良かったらしいですね。何だかとても意外な感じがします。予想された反応としては

・うるさい
・空気よめない
・あそこのテーブルには近づくな
・勢いだけでどうにでもなると思うなよ
・他の式場からクレームが来るんじゃないか
・ロビーでパンツ一丁になるなよ
・恥かかせるな
・周りのことを考えろ
・主役はお前らじゃないんだぞ
・2回目の余興にも出てくるなよ
・食い過ぎ、飲み過ぎ
・家みたいにくつろぐな
・新郎をいじりすぎ
・スタッフのネエちゃんをいじりすぎ
・ワタミじゃないぞ、ここは
・本当にフットサルチーム?


的なアウェイ感を予想していたのですが
「いい披露宴だった」
「いい仲間だね」
「大切にしなさい」
なんて言われてしまったらしいです。嬉しいですね。ちなみに@10のお父さんはどう考えてもこっちのノリだったね。ユニと背番号を用意してあげた方がいいんじゃないか?

今回の結婚式を通して、いろいろと考える事がありましたので、気分しだいではありますが、この話題をしばらく引っ張りたいと思います。



permalink | コメント (2) | - | posted by @6

恥ずかしい。

 昨日のブログを読み返すとなんとも言えない恥ずかしさが込み上げてきます。実はあれを書いた時は熱がでており、おまけにスーザンがずっと撮っていたビデオを編集しながら書いていたので、どうにもこうにも感情が高ぶってしまいました。アップする前に一度読み返し、こりゃ消してまた一から書いたほうがいいのかな、なんて思いが頭をよぎりましたが、まあ本心は本心なのでそのまま行かせて頂きました。ブログを通じてかける恥は、愛の告白以外は大体網羅したかな、これで。
 こうなったら僕が編集した@10の結婚式DVDで一儲けさせていただこうかと思います。非常に手間がかかった上、カメラマンスーザンのおかげでいいところが全部バッチリと抑えられていまして、10年後も笑い泣き出来る商品になっています。残念ながら地下1階のロビーで半裸になっている僕ら、そして余興はありませんが、思い出す時によぎる映像は押さえてあります。とりあえずサンダンス映画祭に出品しようと思います。お楽しみに。

permalink | コメント (2) | - | posted by @6

俺らはみんな、お前の事が好きだ

 誰かが誰かを想う。普通であり、シンプルなことであり、尚且つ誰もが経験することでありながらも、なんで文字の変換しにくいのかね。
 
本日僕は生まれて初めての結婚式に出席しました。告白しておくと、最後のスライドで泣きました。隣にタケとイワがいたので流石に涙は我慢しましたが、心のダムは決壊していました。誰かを想うのは普通のことなのに、なんでこう特別な事なのかね。
 
 勝利の興奮とか、努力が実る素晴らしさとか、仲間に対する愛情とか、目標をかなえる達成感とか、フロリアーナが僕にもたらすであろう全てのいいことを僕は体験しているつもりでいました。が、今日の様な気持ちになるとは思いませんでした。誰かの幸せに自分も泣くとは思いませんでした。好きだとか、愛しているとか、尊敬しているとか、慕っているとか、言葉はたくさんあるんだけど、今日僕が感じたこの気持ちが文字にならないのは、僕に才能がないからだけではないでしょう。

 思えば誰か1人欠けただけで今日の日が無かったかもしれないことを思うと、僕らは大変な集団を作ったことになります。何の縁が巡りめぐってこの出会いにつながり、その出会いが大きな結果を生み、今日僕らの中から「誰もが祝福する存在」が産まれた。ある意味では僕らは人として出来うる最高の何かの体験したのかな、とも思ったりしています。大げさかも知れないけど。でも、なんて言うか、アイツを見ながら自然と微笑んでいるみんなを見ると、こっちまで嬉しくなってくるんだ。僕はアイツの何でもないけど、みんながアイツを好きでいてくれている事が嬉しいんです。誰かのために笑顔になれるそんなお前らが好きなんです、そしてそれを再確認させてくれた@10が好きなんです。

 誰かが誰かを好きになり、一緒に生きたいと思い、その人のために生きたいと思う。「愛」ってそんなもんで、それは当たり前の感情だし、結婚式をしたらかそれが強くなるわけでもなければ、披露宴をしたから何かが確実になるわけでもない。準備に奔走する@10を見ながら、なんでここまで大変な思いをしているのかな、なんて正直思っていました。もっとシンプルに、単純に考えればいいのに、なんて思っていました。が、式が進むに連れ、
「これって俺らのためにやってるんだよね」
と気づきました。もちろん、新婦を含め自分達のためでもあるけど、結婚式と披露宴って多分、大きな
「ありがとう」
なんだよね。来てくれた人に対する感謝なんだよね。勝手な解釈だけど。
 
 今日はみんな、お疲れ様でした。ありがとうございました。みんなに出会えて幸せです。こんなチームを作る事に参加出来て幸せです。アイツが幸せで、僕らも幸せです。おめでとうございます。上手くかけなくてごめんなさい。
 

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

a day for you

 人生の新しい門出に立った時、人は
「一人じゃない」
ということに気づくといいます。自分が今の場所に立つのには家族、友人、知り合い、仲間の支えは不可欠であった事、そして自分を取り巻く多くの人のおかげでもある、と悟るといいます。ま、誰一人として一人で生きているわけではありません。人というのは人との繋がりの中で生きていて、その繋がりの中で育ち、成長し、今に至るわけです。
 前置きが長くなりましたが、我が10番が結婚することになりました。今頃彼は振り返っていることでしょう。自分が歩んだ道、そしてその道を一緒に歩いた人たちの事。良いこと悪いこと、多分色々あっただろうし、こういう機会でなければ中々振り返るものでもないので、存分に泣いたり迷ったりして欲しい。

 これからアイツがどうなるのか、予想もつきません。幸福な側面と同じぐらい苦労もあるだろう。でも、僕は彼を知っている誰もがこの結婚を祝福をしてくれることを確信しています。仲間の彼への思いを通して、アイツの人柄が良く見えるものです。

 願わくは彼らがこれから生きる社会が秩序だって平和であり、彼らの毎日が今以上に楽しい日々であること、そしてどんな問題をも2人で乗り越える力があること、アイツのような人たちのために世界がちゃんと回ること。僕は本気で願っています。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

山本モナ

 実は、山本モナはいいんじゃないか、と思っていた訳です。名前を知ったのは例の政治家と噂になり、バラエティー方面に出るようになった時からかな。僕が知らなかっただけかもしれないけど、スキャンダル以降露出は増え、テレビで見かけるたびに
「案外しっかりした人じゃないの?」
と、スキャンダルがもたらしたイメージとはちがうなあ、なんて思っていた訳です。実は彼女のイメージはマスコミが作った虚像で、彼女は被害者なんじゃないか?と自分の中でのイメージが変わるかなあと思った時、またスキャンダルである。今度はジャイアンツの二岡選手という、これまた大物中の大物。素晴らしい選球眼である。
 くしくも前回のスキャンダルと同じく、キャスターの仕事が決まった矢先の出来事だったようで、また?みたいな雰囲気になっています。
「山本モナはやっぱりアレだったんだね」なんて見下した感じになっていますが、ハッキリいうと僕はもっと好きになりました!その脇の甘さというか、勢いの良さというか。計算した上での売名行為だったらもっと素晴らしいけど、そうでなくてもその潔さが素晴らしい。応援しようと思う。二岡も。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

深夜

 深夜のファミレス。例のエビがたくさんのっているサラダを出してくれる店。奥の窓側の席にいつもの野郎共が集っている。僕はドリンクバーの所で、後どれぐらい「やわやかブドウ」を飲むのかな、なんて思いながらグラスに半透明な液で満たしていく。注ぎならが口の中でその液体の味を反芻していて、もはやこの味が好きなのか、正直分からなくなっている。
 僕の背中側ではいい歳のオッサン共2人が1冊のノートを挟んで向かい合わせに座っている。ノートには●がたくさん書いてあり、それらが細い線で繋がり合ってピラミッドの形を作っている。1段目には●が一つ。二段目には●が二つ。三段目には4つ、四段目には8つ。良く見ると一人のオッサンはどうも困った顔をしている。上記の図を書いたのはもう一人のオッサンで、こっちは笑顔を浮かべながらもう一人のオッサンの反応を待っている。困った顔のオッサンは、うーん、と唸っている。明らかにネズミ講への勧誘である。僕が店を出る頃にも静かなる戦いはまだ続いていたのだが、どうなったのだろうか。
 

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

セールのあれって何だろね

 シャツとネクタイを買いに行く。シャツの値段が1万だっていうのはまあいいけど、ネクタイも同じ値段ってどういう事?とまあ、愚痴は置いて、ちょうど運良くセールだった模様。ちょうど良いと言うのは、客が多いから店員さんがこっちばかりに集中出来ない所である。密着マークをされるとフットサルと同じでタジタジになる僕である。よって、ある程度放置されるのが良かったりするのだ。
 で、セールとは言っても必ず「除外品」というのがあって、そのコーナーだけすごく魅力的に見えるのは僕だけでしょうか・・・。その時もネクタイの値段なんて気にしていなかったので、余計な買い物をしてしまう始末。これは今回だけではなく、セールだから行っているのにセールじゃない商品を買ってしまう事は何度もある。僕の中では「セール」や「バーゲン」という言葉は「人が一杯」「ストレス」と同義語なので、決して好きでないのですが・・・。普通の日には密着マーク、セール日は人が一杯。良い具合の日、というのはないのだろうか。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

変化は突然に

 今月、僕の二匹目の弟に子供が生まれます。この出来事は家族の中では大きな事件で、生まれる前からも色々な変化が起きています。両親は早くも色んなものを買いそろえていて、「早く生まれて欲しい」と思っています。僕の弟というのはこれまたいい男で、人としても正しいヤツで、アイツの子供として生まれるのなら苦労はしそうだけど幸せだろう、と僕は確信しています。生活の何もかもが変わってしまう変化というのは突然襲ってくるものなのです。
 そして今月、僕は初めて結婚式に出席します。楽しみでもあり、少し大変でもあります。結婚する本人だってそう思っている事でしょう。アイツの生活も一変する訳です。そして、僕が知っている若いカップルが結婚1周年を迎えます。若い二人の結婚は僕が思っていたものよりもずっとリアルで、話を聞くとこっちまでが明るい気分になります。
 
 割と悲観的な内容が多いこのブログですが、小さいながらも明るいニュースは周りにはある。僕の周りにだってある。そしておそらくだけど、こう言ったいいニュースが僕の日常、そしてこの星を回しているんだろう。どのニュースだって、どんな出来事だってすごく小さなものだけど、世の中ってそれらの小さな存在の集合体。そられで成り立っているんだよね。
 暗い事ばかりに注目しがちな毎日である。凄惨な事件や悲しい真実は派手に報道されるからね。だけど光と影の関係の様に、明るい側面だってちゃんと存在している事を時々忘れそうなる。それってなんだかもったいなくて、また自然じゃない様な気さえしている。底抜けに明るい世界だってきっと可能なんだよね、本気で望めば。変化はいつも突然なんだから。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

7月を写真で説明すると

こうなったりします。
今月は色々とあるのです。
フォトアルバム

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

生きているだけで丸儲け

 なんとか生きている心地がしてきた僕であります。昨日知人が店に来てくれて、僕の症状を言ったら何と彼も全く同じ症状に少し前にかかったという。今年の風邪はそういう症状らしい。相変わらず病気関係では最先端を行っている僕です。熱はもうないのですが、一向に食欲が戻らず、今の状態ではおそらくCanCamのモデルといい勝負していると思います。ミス・ジャパンにだって負けません。ボクサーだったら一階級下げようか、みたいな話になると思います。
 それにしても弱っている時に助けてくれる人は天使に見えてくるものです。身体が弱っている時というのはおそらく精神的にも弱っているわけで、ちょっと気を使ってくれるだけで、この人とつき合った方がいいかな、結婚した方がいいかな、それとも飼ってもらった方がいいかななんて思うものです。その内あなたのオタクにお邪魔するかも知れません。
 

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

お疲れ様でした

 今日参加してくれた皆様、お疲れ様でした。この時期のJFE体育館はサウナに近いものがあるので、さぞ疲れた事でしょう。そして戦争は引き分けだったということで、気温同様に熱い戦いだった事が容易に想像できます。ま、引き分けは何ともコメントのしにくい所だけど、まあそういうもんかな。今自分たちが立っているレベルを認識しろってことで、やっぱり練習それでも練習さらに練習という事でしょう。がんばりましょう。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

戦争

 昨日の夕方あたりから熱がグングンと上がりだした。真夜中あたりに39度をマークしたので、これはやばい!となんだか恐怖を感じる俺。40度の大台が見えてきた頃には
「これが例の人体自然発火現象か!」
と、一瞬気が遠のきましたが、病院に行った結果今日・明日は死なないで済むらしい。今頃僕の体内では病院でもらった抗生物質と、どこのドイツだか分からない菌が戦っている事でしょう。体内は戦場なのです。願わくは正義の方に勝ってほしい。
 という話は置いて、明日のためにみんなには早く休んでいただきたいです。自己管理が出来ない僕の様なヤツはいないと思うけど、念に念を入れて身体を労ってください。明日はある意味僕らの戦争であります。そして、絶対に勝たないといけない戦争です。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

手紙

 思えば手紙をもらうというのは素敵な事である。書いてある文を読みながらアレコレと考え、書いてくれた人の姿を想像してしまう。ちょっとアブナイ気もするけど、相手のことを思う、そこに手紙にはあってメールにはない温かみがある気がする。綺麗な字になるように、紙が変な方向に曲がらないように、しわがつかないように。紙と向き合い、相手の事考える。書くという行為は自分自身と向き合う事でもあって、相手への気持ちを通して自分を知る。
 どんな文章でも結局は言葉の組み合わせに過ぎない。それは偉大な文章だろうが、街の落書きだろうが同じだけど、誰かに向けて書いたものにはある種の気持ちが宿る。よく「行間に書いてある」なんていうけどそういう事なんだろうな。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

返事のない手紙

 ひょうんな事から昔の写真を探す用事があり、しまってあったアルバムを出して眺めていた。若かりし頃の僕の姿は見慣れたものであったけど、もし声をかけられるのであれば
「お前もっとがんばれよ」
「早めにサッカーボールを蹴っとけよ」
と言いたいところである。
 ということは置いといて、アルバムと共に何通かの手紙がしまってあった。その手紙がいつ貰ったものなのか全く覚えていなくて、読み返していたら当時の事がアリアリと思い浮かんできた。どうやら僕はもらった手紙をずっとしまっていたみたいで、すごく昔のものからちょっと前までのものもあって、それを読むことで僕の人生の流れをなぞれる様な気がした。
 前にも書いたけど僕は昔のあったこと、会った人の事をまったく覚えていなかったりする非常に冷たい欠陥人間である。そして今更反省しても遅いけど、おそらくそれらの手紙に返事を出していない。一通ずつ読み返す俺。すごく気持ちがこもっているものもあって、そして時間が経った今だからこそ意味を持つものがまたたくさんあって、なんだか泣けてくる朝の光、いつのまにか4時過ぎ。
 
 知らないうちに僕らは多くの人と出会い、おそらく同じ数だけ別れを繰り返す。心に痛みが残るものもあれば、僕のように簡単に忘れるのもあって、人と人の繋がりは千差万別。その出会いを大事にするかどうかもその時の自分のあり方でまた変わってくるんだろうけど、その時は未来の事なんて考えない。人と人の繋がり正解・不正解はないだろうけど、その人のことを思う時に笑顔になれるものがいいな。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6

かわいさ100%

 仕事仲間と喋っていたら
「年を取るにつれ、女性が可愛く見えてくるんじゃないか?」
という話になった。実は僕も似たような感覚を抱いていて、非常に納得した。
「最近の若い子はみんな顔がいいよね。昔はもっと容姿に強弱や個人差があったような気がするけど、最近ではなんだか平均値が上がってきているんじゃないか?」
なんて思っていたけど、実は変わっていたのは僕の方だったのかも知れません。
 たしか食生活が変わる事で欧米化もしているだろうし、化粧品を使い出す年齢だって早くなっているだろうし、大人っぽくなるのも早くなってはいるだろうけど、それだけはない。あきらかに僕の中での「ハードル」が下がっているのだ。これは非常に危険な兆候で、おそらく「オッサンへの第1歩」なのではないだろうかと、ちょっとビビっております。
 前向きに考えれば、
●性格込みで女性を評価している。
●外見だけではなく、総体的に見れるようになった。
●イチローなみのストライクゾーンになった。
●世の中にショートカットの女性たちが多くなった。
等などなるのですが、はたしてどうなのだろうか。この先は僕の深層心理の問題で、僕ですら分かっていない所なので答えが出ない。人の変化というのは怖い。それが自分であっても。

permalink | コメント (0) | - | posted by @6
| top |