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Zico帰国

 昨日のニュースでZicoがブラジルに帰国した事を知った。住友時代から数えると15年もの間日本に貢献してきた事になる。Jリーグの試合でボールに唾を吐いたのは遥か昔の事、Zicoが日本のフットボール界に残した足跡はあまりにも大きく、ワールドカップで簡単に負けちゃったからってその価値に傷が付いたりはしない。そもそもフットボールはマンガで読むスポーツという認識がまかりとおった地球の裏側までわざわざ指導をしに来たのだから、感謝以外の気持ちはありません。
 思えば当時は信じられない様なフットボール熱の中いろんなスターがJリーグを彩ったっけ。どれもが燃え尽きる前の選手だったり、もう燃え尽きた選手ばかりだったがそれでもZicoは確かな輝きを放って鹿島を強豪チームにした。
アルシンド=あのカッパだれ?

レオナルド=ブラジル代表だけど肘うちで出場停止の奴でしょ?(今思えば日本に来たの奇跡)
という前評判が決して良かった訳ではない選手を呼び活躍させ見事な青田刈りをみせた。現役を引退してからは鹿島を影から牛耳り、Jリーグで屈指のチームに育て上げた。
 日本に来る事はジーコに取ってはなんの得もなく、(金だってそんなにもらってないし、第一金に困る人じゃない)その動機はフットボールを広げるという純粋な気持ちだったと思うと、日本での扱いはイマイチ失礼だったのではと思う。前にも書いたけどZicoのネームバリューは僕らが想像するよりも高く、日本代表がイギリスに遠征した時に控え室にベッカムが「少年時代のヒーローだった」と正装姿で挨拶に来たり、アドリアーノが「サインもらってきてよ」と中田に頼んだりと、やっぱり特別な存在なのだ。実際親善試合を組むときにもZicoの名前で組みやすいという話も聞いたしね。
 15年もの間地球の裏側を行ったり来たりしたZicoの移動距離にくらべ、日本のフットボールはどれだけ前進したのだろうか。願わくはこれからもZicoに取って気になる存在であって欲しいものだ。

過去は追いかけてくる。

 僕の映画ランキング1位にポール・トーマス・アンダーソン(通称P.T.A.)という人が撮った「マグノリア」と言う映画がある。この映画でよく出てくるセリフがあって、
「どんなに逃げても過去は追いかけてくる」
というのがある。紛らわしい事にポール・アンダーソンという監督がもう一人いて、僕が好きな「マグノリア」や「ブギー・ナイツ」を撮っている監督を「いい方のアンダーソン」、「ソルジャー」や「イベント・ホライゾン」等B級SFものを撮っている方を「駄目な方のアンダーソン」と巷では呼んでいる。余談。
 実は昨日、わが家で古い少年マガジンを見つけた。懐かしー、と思いながらめくっていると「宮本恒靖物語」というマンガがあった。男なら誰もが自分の少年時代に有名なスポーツ選手のマンガを読んでいると思う。今思えばかなり強引なマンガの種類ではあったけど、必ず読んでいた事を思い出した。というわけでもちろん読み始めた。タイミング的には日本代表がドイツに飛びだつ前ぐらいの時期で、全体的に日本はいける!みたいな雰囲気が全面にでていた。
 あらすじ的に言うと、宮本選手が回想をしながら2002年のW杯に置き忘れたものを絶対に取り返すんだ、という想いを語り始める。
次に予選のバーレーン戦を前にバラバラになり始めるチームを宮本キャプテンがまとめる「アブダビの夜」の話に移る。選手達が自発的に集まり、そこで互いの意見交換をする事でチームとしての一体感とやる気を取り戻す。(途中の三浦アツの話は感動)。そしてチームは全身全霊を賭け、見事W杯出場の切符を勝ち取る。続くアジアカップの決勝では中澤を前線に上げ、勝負にでた判断を語って、「忘れていたのはコレだ!最後まで勝負に出る姿勢だ!」という事になり、W杯では日本代表の活躍がきっと見れる!という事で終わっている。
残酷である。残酷以外のなにものでもない。希望というのそう、残酷なものなのだ。この場合はさらに大きな期待がプラスされているからなおさらタチが悪い。よく考えたら僕も「いけるんじゃない?」と思っていたヤツの一人なので、今更何もいうまい。過去は常に追いかけてくるのなら、ついて来れないぐらいに突っ走ればいい!
 
 

オシム語録その2

 オシムが言ったことで最近そうだ!と思った言葉にこういうのがある。日本代表の事を聞かれた時の言葉で、
「日本のリーグにはその国を代表する様なサッカースタイルを持つクラブはない。そのために日本代表の責任はとても重い。日本のサッカーの未来には代表にかかっている」
という言葉だった。なるほど、そうなのか!と思った。
 各国の代表チームは寄せ集めのパーツを上手く組み合わせて結果を出さなければならない。代表のレベルはその練習量ではなくて、集まった個人のレベルで決まる。美味しいものをたくさん集めた料理が決して上手いとは限らないのと同じで、互いの味を消さないように尚かつ互いの存在が活きるように調整するのが監督の腕である。選手の個性+監督の戦術のバランスがそのチームの戦闘力を決める。ブラジル代表が集まった時に基礎練習なんてしない。フィジカルはやっても、今更個人の技術アップの練習はしない。
 となると、日本のサッカーのレベルはJリーグにかかっているといえる。海外に出る選手は別として、Jリーグを主戦場とする選手が多ければ多い程そういう事になる。日本にはどんなスタイルがあっているか、どんな戦術が得意なのか。全てはJリーグで探さないといけない。これからはJに注目だ!

オシム語録

 ちまたで話題になっているオシム語録。ご丁寧にも記録して公開しているサイトもあって、非常に親切。オシムは65歳でおまけにサラエボ生まれという事実がその言葉をより一層重くするのだと思う。レアルなどのビッグクラブからのオファーを蹴って日本の弱小クラブを選んだ理由には
「昔来た時にとても親切にしてもらえた」
というのが理由のようで、義理堅い人なのかもしれない。
 監督を変えると全てが変わるのが普通だけど、個人的にはジーコが置いていったものを有効に利用すればいいと思うんだけどなあ。トルシエとジーコは両極端な感じがして、二つに間に流れは一切ない感じがするんだよね。それは何だから勿体ないとおもうので、ある程度の共通性はあった方がいいとおもうけど・・・。そこら辺は難しい所なのかな。

My game is fair play

 ポルトガルvsオランダは激しい試合だった様だ。4人も退場者がでて、イエローカードも途中で数えるのが面倒になるくらいの人数になっていた。雰囲気からして一触即発の空気が流れていたと言うことで、両チームとも気合いが入っていたのだろう。
 試合前の儀式で選手たちはフェアプレイの象徴 My game is fairplay フラッグに先導されて、子供と手をつなぎながらピッチに姿を表す。これらは全てフットボールからラフプレイを排除するための措置で、「子供がみているんだから」という意味もある。また、面白い事に試合後の握手もルールに乗っ取って行われている。選手達が興奮した頭を一度冷やしてからテレビのインタビューに答えられる様に「間」を置いているのである。それをする事で選手は冷静になってからインタビューに答える事になり、フットボールのイメージは悪くならない。フットボールの中に存在する暴力を出来るだけ排除しようとする努力なんだけど、その暴力こそがフットボールが本能的に訴えかける大きな魅力になっているのは間違いない。
 また釜本ネタですけど、スカパーの番組でこんな事を言っていました。
「たしかに試合前にはフェアプレイの旗に続いてみんな出て来るんだけど、みんな戦いに言っているのだから、ここぞという時は身体を張らないといけない」
と言っていた。オブラートには包んでいるけど何を言いたいかはハッキリしている。メヒコもそうだけど、オランダとポルトガルの姿勢を日本代表に見習って欲しい。やっぱりファールというのは良くない事だけど、ここぞという時はファール覚悟で行くべきなのだろう。僕は競技としてのフットボールをやったことはないけど、もし自分に「ファールをする・しない」の2択を選べる技術があれば色んな事が違っていたのかも知れない。強豪国ではファールをする・しないはれっきとした技であるんだよね。ま、ここでは釜本が言っているのはマリーシアとかの意図的なものではくて、もっと精神的な心の問題だろうけど。

アルゼンチンvsメヒコ

 延長は困るねえ。寝れる時間は決まっているんだから、サクッと決めちゃおうよ。とりあえずギリギリながら勝てて良かった。危なっかしい所も一杯あったけど、もうここまで来たら後は運だよねえ。
 それにしてもメヒコのフットボールはいいねえ。みんな足下上手いし、何より戦う気迫というか、「気合い」の文字が全員の顔に書いてあるかのような姿が格好よかった。メヒコはアメリカの隣と言うこともあって歴史の中で常に戦ってきた国だし、メヒコの男はアステカ戦士の血を引いている訳だから精神的に強い事は当たりまえかも知れない。白人に比べると体は小さいけど全く負けていない所が日本のいい見本かも知れない。たしかメキシコと日本の関係も徳川家康の時代から始まっているハズ。こんど調べよう。とにかく最後まで諦めないあの姿に敵ながら感動した。
 フットボールの試合を通じて今まで知らない国に興味を抱くことはW杯の魅力の一つ。多くの人は日本に興味を持ってくれれば良かったんだけどなあ。

うらはらな想い

 ここ最近ずっとフットボールの事を書いていたら、ある考えが頭のなかで次第に大きくなっていった。それは
「フットボールが強かったらなんなの?」
という考えである。これはクラブ単位ではなく、国としての事である。もちろん、強い事にこした事はないけど、フットボールが強いからって国際社会の中での立場が良くなるわけではない。FIFAランキングが高いからといって国連でのポストが高くなるわけではない。強くなる必要が本当にあるのか?
 W杯が開催される度に思うことは
「アルゼンチンは今頃国として機能してないだろうなあ」
と言うことである。僕が実際に体験した大会は86年と90年だけだけど、今思い出しても異常とも言える様な盛り上がりの中で泣き叫ぶ大人達である。試合のある日は仕事に行かない、学校にも行かない。店も営業しない。これは決して嘘ではなく、僕が実際に体験した事である。学校に行ってもそこでまた騒ぐだけである。こうなるとW杯というのは普段の義務から解放される口実になってしまう。もちろん、彼らの中では「口実」という考えはなく、当たり前、なのである。
 ヨーロッパのフットボールの事はよく分からないけど、南米のフットボール熱の裏側には常に貧困や不遇の境遇が隠れている。それは喜びが大きければ大きいほど対局の不の要素も大きくなる。これらは全く持って違うものなんだけど、まるで磁石のようにセットになっている。そこで僕がいつも思うのは、もしアルゼンチンがフットボールの弱い国だったら、経済状態は今より良くなっていたのかな、という事である。
 2002年大会。アルゼンチンはついに経済が破綻し、最悪の状態にあった。代表の選手たちは「国民を元気にするために」という合い言葉の元戦ったが、結果は予選敗退だった。選手と国民はフットボールでも生活の面でも最悪の時間を過ごした。結局フットボールに一喜一憂している場合ではなかったんだ、と僕は思った。勝ったら何か変わるのか?優勝したらどん底から這い上がれるのか?
わからない。
 フットボールの強い国の国民は自分の国に誇りを持っている。それは愛国心とは違うものだけど、限りなく同じでその愛は自分の境遇を超える。それは代表の勝利は国の苦しさを一瞬でも忘れさせてくれるからであろう。そうなるフットボールを強くなる事に意味が生まれてくる。
やっぱり、分からない。
 ただブラジル代表やアルゼンチン代表の勇姿を見ると僕の脳裏にはその対局にある貧困が目に浮かぶ。彼らのきらびやかな格好良さが際だてば際だつほど、切なさが大きくなる。
 う〜ん、なんだか全くまとまらないけど、歓喜とは全く違うものが裏側に隠れているこの現実が気になってしょうがない。国が窮地に陥っている時こそオリンピックやW杯に参加するべきだとは思うけど・・・。
やっぱり分からない。

次の冒険がある

 4年間にわたるジーコJAPANの冒険は終わった。コンフェデでブラジルに引き分け、親善試合でドイツに引き分けた代表を見て僕を含む多くのサポーターは「もしかしたらいけるんじゃん?」という想いを抱いたと想うけど、現実というのは厳しかった。淡い期待をもうち砕くゲーム展開に少しでも眠ろうと思っても寝れなかった人も多いだろう。
 コテンパンにやられて負けるというにはなんとリアルな事か。12年前のドーハ、ピッチにうずくまり立てない選手の姿と今回の中田の姿はダブって見えたのは僕だけだろうか。当時は日本のフットボールに未来はないな、なんて思ったけど今回はいささか違う。思い出して欲しい、ドーハでは同点にされた直後には誰もがピッチに座り込んで残り時間にかけてすぐにボールをセットする選手はいなかった。今回の試合では3点もリードされても代表は攻めた。選手もサポーターの頭の中にも「もうダメだ」という考えはあったけど、最後まで戦った。
 思えば8年前はなにもなく終わり、4年前は予定調和の中での感動の薄い勝利だった。今大会からやっと日本は世界に一員になったと言えるのではないか。
 とはいえ局面では技術的にも肉体的にも世界との差を感じた大会だった。日本のサッカー人口のピラミッドで上から上手い奴を23人集めても世界との差は大きい。まがりなりにボールを蹴っている僕らもそのピラミッドの一員であるわけだから、僕らを代表する「僕らの代表」は弱いと言うことになる。残念だけど受け入れるしかない。この敗北を心に刻んで記憶にしていくしかない。
 おそらく誰かが悪いとか、采配が悪いとか、選手が悪いというわけではない。だたただ、そこまでのレベルでしかないと言うことだ。残念。残念だけどまあ、4年後がまだある。フットボールは明日もある。この先中田よりも強い奴、中村より上手い奴が絶対出てくる。これからはくれぐれも「強豪国と分けた」、「いい勝負をした」事で浮かれないようにしようと思う。やっぱ勝つ事、勝ちきる事が全てであり、一番上に掲げるべき目標だ。
 もう少ししたら新しい代表監督が発表されるだろう。4年後はもう始まっている。

厳しい条件

 今日は途中で帰ってしまって申し訳ないです。実は練習するかどうか迷っていたのですが、ボールを見たらやっぱり僕がフットサル馬鹿たる所以か。やり始めたら士気的にも最後までやった方がいいんですけどねえ。練習がなかった先週もずっと体調をくずしていて、最後の練習では指も変な方向に曲げるし、どうも30歳の壁が来てるのか?という感じです。それにしては具体的すぎだな。

 最近どうも日記の内容が熱くて申し訳ない。読み返すだけで「オレは何様?」みたいな感じがするから、これを読む人もなおさらだろう。4年に一回のことだから、ぜひとも許していただきたい。
 ついに決戦が始まる。今、この日記を読んでいる人はすでに結果を知っている人も多いだろう。夜中ちゃんと起きて見た人もいるはず。僕は明日が早いし体調が悪いんで無理だな。
 アトランタで勝ったときは「マイアミに奇跡」だったのが、今回は2点以上取らないといけない。という事は奇跡以上のものが必要になるということか、中々厳しい条件だ。母国を相手に勝ちを狙うなんてジーコにとっては複雑な思いがあるだろうが、それは向こうも同じかもしれない。僕らが想像している以上にジーコのネームバリューは高いみたいで、いろんな意味で世界が注目する試合になる。ぜひとも日本のフットボールが世界にも通じるということを示して欲しい。

JFA

 日本サッカー協会は英語で、JFA Japan Football Associationなんよね。Japan Soccer Associationではないので、是非サッカーの事をこれからはフットボールと呼びたい!という話は置いといて。
 やっぱり世の中は柳沢の話題で持ちきり。
「あんなの俺でも入るよ」、「決定力不足」、「今更シュート練習」
という言葉を多く聞く。その度になんだか切ない気分になったりする。以前にも書いたけど8年前と比べるとやっぱり代表は強くなっている。8年前は2連敗してすぐに可能性を無くした末3試合目も落としたが、今回はギリギリながらも3試合目を本気で闘う理由がある。素晴らしい事じゃないか、と本気で思う。柳沢が外したシュートはたしかに後は入れるだけ、という状態だったけど、簡単な試合が無いように、簡単なシュートなんてあるはずもない。実際にボールを蹴っている僕らは彼の気持ちが良くわかるんじゃないか?と思う。みんなの胸にも思い当たるフシがあるんじゃない?それから、決定力がある国ってどこだ?ブラジル?アルゼンチン?イングランド?オランダ?。高い決定力を持つFWがいる国なんて一握り。決定力の高いFWがいない国がほとんど、という考え方をするべきなのかも知れない。
 
 W杯で日本が勝つ事は多くの目標の一つに過ぎない。スターが生まれて欲しい、世界に通じるクラブが生まれて欲しい、Jリーグが他国のリーグと肩を並べて欲しい、世界に認められる日本のフットボールスタイルを気付きたい、フットボールが文化として根付いてほしい、日本代表が無惨な負け方をしてもフットボールを応援し続けるサポーターが増えて欲しい。これらは全部目標であって、その中に「W杯で勝つ」というのももちろんある。だから負けたからって何かが終わる訳ではない。みんなもっと代表を、自国のフットボールを信じて欲しい。
 「Jリーグはつまらないから見ない」「代表の試合は負けるだろうと思いながら見る」という人、良くいるよね。ある意味しかたないかもしれない。バルサの試合を見てしまった人にはJリーグの試合はたしかに見劣りするだろう。代表も弱いのも事実。海外では「日本はサッカーの弱い国」として見られているのも本当の事。でも選手は必死でやっている。自分よりでかい相手に向かって蹴られようが肘で打たれようが頑張っている。その勇気だけでも僕は信じたい。柳沢にあのシュートが決まらなかったのはやる気がないからではなく、ただ下手であるからだ。それでも柳沢は日本ではトップレベルのFWだ。受け入れるしかない。
 僕が求めているのはまぐれで勝ちすすんで喜ぶことではなくて、上に書いたような目標。現時点での弱さを認めない事には始まらない。でもいつかその時は来るし、そう信じている。その時に僕ら生きているかというと怪しいとこがあるけど。が、何事も信じない事には始まらない!2002年はベスト16まで言ったけど、なにか足りなかったでしょ?ホームだったし、競合国とも当たらなかった。その厳しさが今ある。ありすぎなぐらいあるけど、希望がある間は諦めない!

天は二物を与えず

 小さなものが大きなものを倒す、弱いものが勝者になる可能性がある。以前にも書いたように、フットボールの魅力は「ジャイアント・キリング」にあって、これこそが世界中が一つのボールに熱中する原因である。フットボールの戦いはそのまま社会の縮図で、その歴史を見れば政治との密接な関係は一目瞭然だ。
 自分の町の小さなクラブが大きなクラブに勝る。これほど嬉しくて盛り上がる事はないけど、よく考えたら生活にはなんの異変もないんだよね。それでも人々は上機嫌になって勝利を祝う。実はこの流れは意図的に操作されたものと言ってもいい。歴史が資本家対労働者の対立であるように、フットボールはその代理戦争である。こうなるとフットボールでの試合は全部が仕込まれたシナリオで、「あいつらそろそろストレスが貯まっているからここら辺でフットボールの試合でもさしといて静かにさせようよ」というもくろみが見え隠れする。
スポーツが生まれる時は常に貴族階級の娯楽としてである。貧乏人はスポーツなんてしないで働けよ、というわけだ。だが圧倒的に金がかからないサッカーだけは民衆から支持され、広まった。
 ブラジルやアルゼンチンのように、かってはヨーロッパの強国の植民地であった国がなんでサッカーが強いのかがなんとなく分かる分かる気がする。そこには「強者に一泡吹かす」という労働者階級の願いと可能性は隠れているからだ。

明るい面を

 まあ、明るい面をみていこうよ。とりあえず可能性はほんの少しながらも残ったし、川口と中田はいいプレイをした。危なっかしい宮本とアレックスの空間はいいとして、守備でもみんな頑張った。もっと走ってほしかったけど、・・・。
 8年前にクロアチアと対戦した時もたしか熱い時間だった。その時はクロアチアの方が圧倒的にいいチームで、日本のチャンスは数えるほどしかなかった。今回は少なくと互角の戦いが出来た時間帯があったし、おしゃれアウトサイドさえ使わなかったら勝ち試合だったかも知れない。たらればを言えばキリがないけど、8年前と比べると代表はレベルアップしていると言えるんじゃないか?それにしてもセンターバックの控えがモニワだけってなんでだろう。松田とかを呼んでおけば良かったのに。

一区切り

 やっと「嫌われ松子の一生」を見る。小説を読んでからずっと心に引っかかっていて、ついに映画を見れたのですっきりした。読み終えてから思い出すことが多く、切なさが胸にひろがって苦しかったのでこれで自分の中で一区切りつきそう。前にも書いたけどこういった感受性を持つのはいいんだけど、普段の生活での感情の起伏というのは必ずしもプラスにならない。何を聞いても見ても読んでも無感情というはの嫌だけど、まあ程ほどが一番いいか。
 今日はいよいよクロアチア戦。こればかりは一生心に残るような試合にしてほしい。

それが根付くまで。

 いよいよ決戦が迫ってきた。最後の試合が消化試合では4年間かけて培ってきた全ての意味が薄まるので、何が何でも勝ちたい。テレビではありとあらゆる企画が試されている。ペンギンにサッカーをやらしたり、熱帯魚にサッカーをやらせたりとホトンドがくだらないものだからいい加減うんざりしてくるけど、ある意味しかたないか。望みもしないのになぜか代表選手の過去にも詳しくなったし、02年のクロアチアのキャンプ地の人々との交流を知って感動もした。そうなると不思議と感情移入してしまいそう。
 やっぱり明日負けたら日本でのサッカー熱に影響するかなあ。フットサル人口も減るかな、やっぱり。そう思うと負けた場合は予想以上の代償を払わされそうで怖い。熱しやすく冷めやすい国民である事はたしかだけど、だからこそサッカーは市民権を得て、確かに文化として根付いていると信じたい!明日その文化の立ち位置の分岐点、正しい道を進みたい。

ケジュマンに思う

 一昨日と昨日のこのブログを読んだ人は分かると思うけど、また僕に「精神論」の天使が降りてきた。次のフィジカル練習ではみんな気をつけた方がいいかも。1週間は筋肉痛取れないよ。
 という話は置いといて、今日アルゼンチンvsセルビア・モンテネグロ戦を見ながら、大きな点差にめげず立ち向かうケジュマンの姿を見ていたらなんだか泣けてきたんだよね。僕はもちろんアルゼンチンサポーターだけど、退場になったケジュマンの姿にはなんだかサッカーの残酷な面が全て写っているような気がして悲しくなった。セルビア・モンテネグロにはケジュマン、ミロセヴィッチ、スタンコヴィッチまでいるのに前半だけで3点も取られるようなこともあるのか〜。あれだけの選手、あれだけの国にもどうにもかなわない相手がいると思うと、日本が勝とうと思うなんて欲のかきすぎ?なんて思っちゃう。
 セルビア・モンテネグロが背負う歴史もそう思わせるのかも知れない。実際モンテネグロは独立を宣言しており、セルビア・モンテネグロとしての出場はこのW杯が最初で最後である。ユーゴスラビア時代から続くサッカーの系譜はセルビアに引き継がれることになっている。がんばれケジュマン!

やっぱ本物はちがう

 昨年の年末かな?TVで恒例の解説者や現場の人をを集めたサッカーの番組をやっていて、釜本さんが出席していた。日本代表の決定力不足の話題になって、日本人で唯一ゴールをちゃんと決められるのは釜本さんだけじゃない?という話題になっていた。本人を前にして、なんで第2の釜本が出ないのか、という話題に移った。メンタル面なのか、技術面なのか、それとも子供時代からの教育法なのか。そこで
「ゴールを決める時はどうすればいいんですか?」
と本人に話題が振られ、そこにいた全員と視聴者は固唾を飲んだ
釜本さんは
「良く狙って蹴ればいいんだよ」
とおっしゃった。全員がなるほどなあ、と思いながらもそれだけ?と心に思ったあと笑いが場を包んだ。

 最近テレビや新聞で3-5-2だの4-4-2だの、戦術やシステムの話題が多い。まるでシステムに優劣があるような書き方がされている。これは多分国民性だと思うけど、日本人はそういった話題が好きなのだろう。ウイイレの影響かなあ。好きなんだろうけど、あまり意味がないと最近感じる。机上の論理なんだよね。システムの必要性や本当の意味はプロにしか解らないのではないか?と思う。
 もっと単純なものだと思う、勝つというのは。勝つチームというのはやっぱり技術のあるチーム、最後まで諦めなかったチーム、最後まで走ったチーム、戦術を理解しているチーム、そして狙って蹴るチーム。決してシステムで勝つわけじゃないんだよね。単純な事なんだけど、「狙って蹴る事」って難しいんだよね、本当は。

敗者の代償

 98年フランス大会を3戦全敗で終えた日本代表。「負けたけど良く頑張った」という空気の中、代表選手は空港で大勢のサポーターに迎えられた。「ドーハの悲劇」の影響もあって、98年のW杯出場にはついに念願が叶った!という想いが国中を包んでいた。
 アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカというグループ分け。当時は1勝1分け1敗という言葉が流行り、ジャマイカには勝てるんじゃん?的な予想はまるっきり外れ、奪った1得点はロペスの当たりぞこないのシュートを中山が身体ごと押し込む泥臭い一点だった。
 傷心の帰国ではあったが、当時の雰囲気は決して悪くなく、

● 日本のサッカーはこれから
● 中田をはじめとする若い力がある。次をがんばろう

的な希望があったが、シュートを外しまくった城に水をかける事件が起きた。当時は当たり前だの、いいことではないだの、選手を甘やかしてはいけないだの、負けて帰ってきてるのにいい言葉をかけられるか!だの、応援のあり方を間違えている、と意見は様々だった。
 7年後に城は
「サポーターがW杯で戦う重みをしっていた証拠。本当に勝って欲しいと思われていたという事だ。今では誇りに思う。ある意味サポーターが選手にむけた初めてのアクションとも言える」
と語っている。

当時の選手と今の選手ではきっと意識レベルもちがう。技術も戦術も格段にレベルアップしている。それはサポーターも同じで、代表に求められるレベルも上がっている。もう勝利しかないのだ!世の中のサッカー熱はそれでしか冷ませないのだ。
 が、僕はちがうことを示して欲しい。もちろん、勝つことももちろんだが、中山があの時見せような気迫、「オレは勝ちたいんだ!」という何がなんでものヤケクソを見せて欲しい。
 自国開催だった02大会とはちがう難しさを誰もが悟った今、中山のあの膝で押し込んだ得点はどんなに偉大な一点だったかが分かる。泥臭い一点だったが、それは日本のサッカーに対する姿勢を表したのであり、後の代表に対する偉大な手本だとも言える。あの1点は日本代表がW杯に初めて参加した唯一の記録であり、もしその一点がなかったら日本のサッカーは何を失っていたかはわからない。足を骨折しながらも決めたあの一点はそれほど大きい意味を持つ。あの時の中山の思いを無駄にしないためにも是非とも走りまくって欲しい。希望のあるプレイをしてほしい。サポーターが水を投げる事のないように、黙らせるぐらいの気迫でプレイしてほしい。

戦いの後

 丸一日を過ぎた今日は昨日の敗戦のニュースばかりだった。1対1で駒野がやられるシーンが何度も報道され、なんだか自虐的な気分になった。今後の展望も色々と論議され、予選突破の可能性は4%とされている。
 熱くなる事は予想されていた。当初の予定ではオーストラリアが先に足を止めるのでは?とされていたけど、結果は逆だった。なんだか現実の壁は思っていたより高く、「走ること」ですら負けているのだから日本は何で勝負をするんだ?とちょっと不安になっている。4年もかけて作り上げた全てが通用しない事を悟った時に抱く気持ちはどんなものだろうか。プロジェクトの予算はいくらだったかは分からないけど、3試合全敗だったら誰かの首は飛ぶだろう。
 それから僕はNIKEの最近のCMに反対する。あの「ゴールを奪う事が美しいではなく、シュートをする行為こそが美しい」というカントナが出演しているアレ。そんな訳ないじゃないか!そこがこの国のまちがっているとこじゃないか!シュートは入れてナンボ!ゴールは奪ってナンボ!と僕は思います。以上。

日本vsオーストラリア

 いやー、最後にやられちゃったね。川口のあのセービングを見ていたら懐かしい思い出蘇って行くような気がしたけど、やっぱりあの時とはやっているサッカーも、選手もみんなも違うんだよね。日本のあの得点も評価できるかどうかは別として、あの暑さの中ではいくらプロでも厳しい所はあるのかとわかったね。この後のクロアチアvsブラジルの結果次第ではガチンコのクロアチアと出来る可能性は高い。これも難しい相手だろけど、可能性はゼロじゃない限りがんばって欲しいものだ。

ADIDAS帝国

 アルゼンチンが勝って一安心。アルゼンチンはアフリカのチームに対して分が悪い所があって、A代表でもユースでも、オリンピックでも負けているから一安心。02大会の成績を早くも越えているので、このまま頑張って欲しい。それにしてもアルゼンチンのサッカーはクラシックというか、古風というか。王様を一人中央に置いてそいつをみんなで使ってフォローする、そしてソリンは走る、みたいな感じだ。前にも書いたけどソリンは登録上は一人でもピッチ内には3人はいるはずだ。開幕戦だからあまり派手には動いていないけど、大事な試合になればなるほど派手な動きをするだろうから、今から注目だ。
 それにしても赤いスパイクを履いている選手が多い。写真のものがそうなんだけど、その日のゲーム環境や好みに応じて、アッパー・シャーシー・スタッドの3つのパーツを自由に組み合わせ、いつでも最適な機能を発揮できるハイスペックシューズ!というのが特徴になっている。店でさわった感じではとに軽い!おまけに柔らかい!なんでもし踏まれたらすごく痛いと思うんだよね〜。日本では俊輔が履いているのでチェック。
 それにしても今大会はADIDAS三昧。開幕セレモニーの衣装もADIDASだったし、ピッチ横にADIDASの看板はあってもNIKEはない。よく考えたらW杯で使用されてきたボールはADIDASしかないから、FIFAとの関係は昔からのものなのかなあ。よく考えたら、今回のW杯のロゴの三つの顔あるじゃない?あれの一番上の顔の髪の毛は3本なんだよね。これはサブリミナルねらい?
 それに待ったをかけたのがあのマラドーナ。開幕セレモニーに出るはずだったのに直前で「やっぱ止めとく」といらしさを見せてくれて上、コートジボアール戦を観戦したときは86年のLecoqアルゼンチンユニを来ていたんだよね。普通に現行ユニを着ればいいのに、そうしない所は流石天の邪鬼だ。

今更

 実は一昨日、昨日と仕事で出かけたのですが、両日とも会議室の僕の席はエアコンの真下という、強運を発揮してしまってどうやら風邪を引いてしまったようだ。特に2日目のエアコン君はデスクに置いた僕のメモ帳のページがめくられちゃうぐらいの勢いで頑張ってくれちゃって結構きつかった。が、昨日も書いたように結構緊迫した会議で「席変えてください」なんて言えず、相手団体には引き分けたけどエアコンにまけた、という感じか。
 そして今更だが、NHKBSに契約しておけばと後悔している。今日の深夜というか、明日の早朝にアルゼンチンvsコートジボアールの対戦があるのだが、スカパー!では録画放送になっている。情報を遮断するのは難しいこの世の中。放送までに絶対ニュースで見ちゃうんだよね。せっかく録画して置いたとしても結果が分かってしまえばハイライトで十分、早送り観戦のやっつけ仕事になってしまう。どうしよう・・・。スポーツバーは日本戦だけみたいだし。

感受性

 今日もまた電車にのって出張に出かけた。流石に今日は酔わなかったけどとても疲れた。社会というのは複雑なもので、複数の団体が同じ目標を元に集まっても不思議と上手く行かないものだ。もちろん自社の都合も目論見もあって、互いの腹の内を探り合う展開はとても疲れる。正しいことはそう多くない。みんなそれを知っているのにやろうとしないのは何故だろう。
 今日は電車の中で「嫌われ松子の一生」を読み終えた。昨日は上巻、今日は下巻を読んだので、電車はちがう意味でも金がかかる。残りページの枚数が少なくなるたびに僕は少しずつ泣きそうになり、電車の中にいることを思い出して必死に我慢した。もっと若い頃は自分の中の感受性を自覚する事ができたけど、それはそれで苦しいんだよね。年を取るたびに封印したのか薄れていったのか解らないけど、感動や悲しみを感じる事はあったとしても昔ほど深いものではなかった。今日この本を読み終えて当時の感覚を少し思い出した。出来事も登場人物も架空のものだという事も分かっているし、現実の世界ではもっと悲惨な事がたくさん起こっているけど、僕の心は小説の中を泳いで切なさで一杯になっちゃったんだよね〜。オススメします。

電車と親指

 今日の練習で左手の親指をあらぬ方向に曲げてしまい、今非常に痛い。腫れ具合からする骨折もヒビもなさそうだから、とりあえず病院まで行かないで済みそう。とにかく会社でフットサルで怪我をしたなんて事は死んでも認めるわけにはいけません。この気持ちはみんなもわかってくれるハズ。Floriano'では「右の名波」と呼ばれる僕だが、左手は結構使うらしい。とりあえず解ったのは髪を洗う時、歯磨き粉を出すとき、このブログを書きながらスペースキーを押すとき、そしてウイイレをやるとき!(コレ大事)が痛い!またシップの日々かなあ。
 今日は久しぶりの電車に乗って酔ってしまった。行きはいいけど、帰りはラッシュアワーにぶつかって消耗した。車窓に映る乗客の顔をみていたら、この国がどれだけの努力の上で成り立っているかが解ったよ。ああいう顔って人前では出したくない表情だと思うんだけど、みんな疲れているんだなあ。少し前にオランダでの労働条件についての記事を読んだのだけど、日本とは労働時間も休日日数も全然違う。羨ましくなるぐらいの条件で、一瞬住んでみたいなと思ってしまった。その記事には日本人の勤勉さは作られたもので周りの目を気にしてのものだそうだ。あながち間違いではないとは思ったけど、決めつけるにもどうかと思った。そりゃ楽な方がいいしね。ただ日本は歴史の中で強い向かい風に吹かれ、そこから這い上がった国である。その経験がもたらした価値観なんだよね。
 僕が見た電車の人々も未だに強い風に吹かれていたっぽい感じだったけど、それは俺らも変わらない!不本意な頑張りはしたくないけど。

ジャイアント・キリング

 サッカーの魅力の一つはやっぱり大物食い、ジャイアント・キリングである。弱い国が強い国に勝つ、これほど興奮する事はない。「マイアミの奇跡」なんてそうだし、02年大会のセネガルなんてまさにそうだよね。特にセネガルはフランスの植民地だったから、その意味は「強いチームに勝った」なんてものより全然濃い意味があった。
 僕はこういった「元植民地vs元征服者」という組み合わせがとても面白く、今回も色々と調べた。で、思ったのはやっぱり、サッカーの魅力というのは「強いものが勝者ではない」という所にあって、それこそジャイアント・キリングなのだ。こういった試合での勝利は勝利以上の意味があって、それこそ国の存在意義というか、国の存在理由になるんだよね。案外単純なもので、サッカーで勝っただけで国民の不満は簡単に消えちゃうもの。今でこそないが、国民の不満がたまった頃にサッカーの国際試合を組むのはアルゼンチン政府の十八番だったしね。サッカーは政治とは一切関係のないものでないといけないが、そう上手くも行かないか。
 

注目の対戦 2

 昨日書いた試合もそうだけど、本当に一番危険なカードはクロアチアvsセルビア・モンテネグロだよね。国と国の戦争ではなく、91年から旧ユーゴで民族浄化の内戦だっただけに余計タチが悪い。おまけに第二次ではクロアチアはナチスに協力してセルビア人をこれでもかと虐殺しているから、その恨みは永遠に消える事はない。
 民族浄化だからもう論理的な会話ではもう無理なのね。女でも子供でも殺す虐殺だから、このカードが実現したらサッカーを理由に一悶着がある可能性は高い。選手もそうだけど、問題はサポーターなんだ。内戦だから、戦っていたのは一般市民。ドイツに応援に行くのも一般市民。互いに殺し合った人たちがまた出会うわけだから、何もなかったら逆に不自然だ。しかもわずか15年前の事だから、実際戦った人もいるだろうし、戦いで家族を殺された人もいるだろう。普通に何が起きるか怖い。

注目の対戦

 今回の大会でありえる対戦でやばいものの中に、ドイツ対オランダがある。昨日書いたネオナチの事もそうだし、歴史的背景もある。オランダは1940年から5年にかけてドイツに征服されていた苦い過去があるので、オランダにとってはドイツとの対戦はどれも敵うちなんだよね。ライカールトがフェラーにツバを吐いて以来因縁の一戦とか言われているけど、根幹にはもっと深いものがある。
 不思議なことと言えば、今回のオランダ代表には黒人選手が少ない。ファン・バステンが差別主義者だという話も聞かない。もちろんメディアなどにはこの事で突っ込まれてはいるけど、明快な答えはない。まさかネオナチ問題で両政府の間に「黒人を入れない方がいい」という政治的配慮があるとは思えないけど・・・。サッカーは政治とは関係ない、という建前はあるけど果たしてどうだろうか。

開幕が近いという事で

 やっぱドイツがホスト国がドイツという事で、今回気になる、心配なのはネオナチだよね。02年は開催地が遠いこともあって何もなかったけど、98年の時は計画的とも言える暴動を起こして、フランスの警官一人を意識不明の重傷にしている。ドイツという国にとってもそうだけど、ドイツ国内の右翼団体にも今回の大会は絶好のアピールチャンスなんだよね。
 ネオナチは本来はヒトラーの思想を継いで、アーリア人の優秀説を信じて国内の外国人労働者を排除するのが目的になっているんだけど、若者の団体になっている今、暴力を振るうための理由になっているらしい。その数は40000人弱と言われているから、警備がどのこうのの問題じゃない。オランダと当たるような事があれば、これこそやばい状態になるかも。

フィリピン獄中結婚

 5月の初めぐらいにラジオでこんなニュースを聞いた。
 フィリピンで大麻不法所持で逮捕され、死刑判決を受けたものの、2003年に無期刑に減刑された鈴木英司受刑者(49)=愛知県出身=が、フィリピン人女性と今年3月に獄中結婚していたことが分かった。日本の外務省によると、海外に無期刑(終身刑を含む)の邦人受刑者は19人(05年1月現在)いるが、獄中結婚は珍しいという。
 マニラ首都圏モンテンルパの刑務所内でインタビューに応じた鈴木受刑者によると、妻マリッサさん(25)と知り合ったのは00年12月。看守に金銭を渡し、所持を見逃してもらった携帯電話で、日本人の知り合いに送ったつもりのメールが、番号間違いでマリッサさんに届いたのがきっかけだった。
 
 その番組では知りたくもないフィリピンの刑務所事情(それはそれで面白かった)について説明があった。フィリピンでは刑務所の制度は日本とは大分ちがくて、刑の重さによっては週末は家に帰れたり、昼間は外出が許されたりするらしい。ただ、看守の買収が当たり前の様に行われているのは事実で、刑務所内では看守より囚人の方が力が強かったりする。携帯電話の普及で刑務所内から外に好きに連絡が取れるようになり、
「俺に便宜を計ってくれないと、仲間にお前の家族を襲わせるぞ」
という脅迫に怯え、賄賂を受け取る看守がほとんどらしいのだ。
 このニュースの面白い所は「送り先を間違えて始まった恋」、という所にあって、まるで映画の様な展開じゃないか。ここがハリウッドだったら既に映画化されているハズだ。

 このニュースには実は続きがあって、なんとこの女性は妊娠していたのだ!だが、鈴木容疑者は無期刑のため、外出は許されていない。実は彼女が看守に賄賂を渡して刑務所内に一泊しているのだ。一般人の宿泊はもちろん禁止なのだが、これも賄賂がなせる技か。

 昨日のブラジルの話もそうだけど、発展途上国に置ける刑務所って頭の痛い問題なんだよね。犯罪者のために金を使わないといけないので、本心の所では収監せずにさっさと殺したいんだろうなあ。刑務所がまた犯罪の温床になっているので本来の役目を果たしているとは言えない。こういう話になってくると、「犯罪者に人権はあるのか」という話になってくる。映画だったらダーティー・ハリーが爽快にぶっ殺してくれるけど、現実ではそうも行かない・・・。

球蹴っている場合じゃない!

 ニュースでは見た事ないんだけど、今ブラジルが大変な事になっている。なんと警察官を標的としての襲撃が頻発しているのだ。12日の夜から14日にかけ、麻薬密売組織とみられる武装グループが警察施設や警察官らを次々と襲撃した。地元の報道によると警察官が35人、市民3人、武装グループの14人が死亡、約50人が負傷ているらしい。犯行は計画的で、非番の警察官の家までに踏み込んでの攻撃だから、よっぽどの異常事態だと言える。また同時に、サンパウロ州内の24の刑務所で受刑者の暴動が一斉に発生。一部は収束したものの、18カ所で刑務官ら計約100人を人質にして立てこもった。事態は収束しているみたいだけど、警官に対する突発的な攻撃が時々様だ。
 警察もだまっている訳ではない。仲間がやられた事にたいしての報復もすざましく、ここぞとばかりに関係のない罪人をも射殺しているのでは、と言われている。警察が誰かを殺したときは検死と報告書が必要になるようだが、誰がなんで殺されたのかの理由は一切発表されていない。12日以来の一連の襲撃では、攻撃に加わった容疑者71人が、警察との交戦で死んだと言われている。警察、警備、刑務所職員等では、44人が殺された。
 こうなると一種の内戦状態じゃん!と思うけど、じつはブラジルではこういった事件は年に何回かはあるみたいなので、日本ではニュースにもなっていないのかなあ。襲撃が一般人に及ぶ事もないようだが、暴動としてはここ数年で一番大きいものらしい。
 こうなると理由が気になるんだけど、収監されている麻薬組織「州都第1部隊」のメンバーたち数百人を警備が最も厳重な刑務所に移送したことから、同組織が「報復」のために警察への襲撃などを開始したようだ。同組織の指導者が獄中から指令を出しているとも言われていて、攻撃がやんだという事は政府と組織のボスとの間に何かしらの合意があったのでは、と囁かれている。政府は「交渉はしない」と公言していたらしいけど・・・。

結婚相談所

 今日の夕方のニュースで結婚相談所の今、みたいなニュースをやっていた。女の人がウェブ上で僕がオークションの商品を吟味するように、男性会員に「身長が180以上、年収1500万円以上」と条件をつけて検索していた。その結婚相談所サイトでは写真を載せるスペースがあって、その女性はそこに力を入れていて、デジカメではなく、わざわざ写真屋さんでとってもらった写真をアップしていた。写真ではきれいに写るんだけど、本物とは許せないぐらいのギャップがあってちょっと腹立たしかった。
 結婚相談上はマイナスなイメージは否めないけど、よく考えたら合コンと変わらないシステムだよね。というより、お互いの目的がハッキリしているわけだから、合コンよりは話が早く進むのかも知れない。面白いのはこのサイトはランキング方式になっている。男性会員の「気に入られランキング」が定期的に発表されるのね。ある意味その人の人間性を一切無視して収入や趣味でランキングしているわけだから、すごい現実的。女は本当にしたたかだなあ。

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