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ドラゴン・ボールの行く末が非常に心配、の件

 ドラゴン・ボールのハリウッド実写が発表されたからどれぐらいたっただろうか。噂があった頃から数えるとはや2年ぐらいでしょうか。最近ではスチール写真が何点か漏れ、期待よりも不安が募る滅多にない展開になっています。ここまで来ると
「どれだけヒットするのだろうか」
よりも
「どんなとんでもない映画になっているのかな」
と、怖いもの見たさが先にたつという、おそらく映画史の中でもないパターンであります。
そしてそんな期待、いや不安をかきたてる画像を見つけましたのでご覧あれ。

フォトアルバム

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善と悪

 非常に残念で尚且つ怖いことではあるが、この世に憎悪や狂気が悪意はたしかに存在する。そして僕らは最近それをニュースの映像の中で見ている。
 特に最近ではそういったニュースが流れない日というのはなく、僕らはそういったニュースが多いなと感じながらも、心の中ではある程度の慣れが生まれていて、実は鈍感になっている。
 それでもビルに飛行機が突っ込み、誰かが誰かを殺し、どこかの国には過酷な環境で苦しむ人たちを見る度に「悪意や憎悪や狂気」の存在をしっかりと認めざるを得なく、その横顔を覗き見る度に得体の知れない不安が心の中を満たしたりする。「悪意や憎悪や狂気」はたしかに画面の向こう側にあるのだけどその目はこっちを向いてて、その視線は僕らの内なる「悪意や憎悪や狂気」を見つめている。誰の中にも悪の部分があるのであって、誰一人例外ではない。
 ま、一応性善説があるのだし、例え誰もが悪意を育てていようと、犯罪者と普通の人の間には簡単には埋まらない溝がある。おそらくそれが世界を回している原動力であり、俗に言う「希望」ってやつだろうね。

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お疲れ様でした。

 一応結果が出たということで、どうもお疲れ様でした。しかし失点が気になります。県リーグの再開に向けてのいい課題が出来たのではないでしょうか。僕も行きたかったのですが仕事のためどうにもならずすみません。
 監督から聞いたのですが、僕の怪我を心配してくれている人から
「我慢して治してください」
という言葉を頂いたようです。たとえ社交辞令だったとしても、泣きそうなぐらいに嬉しいです。思えば練習に顔を出すと
・CKの新しいパターンをわざわざ印刷してくれる奴がいたり
・早くベンチ争いしましょうよ、とありがたくない事を言ってくれる奴がいたり
・まだ病院に行っていない時にあえて
 「病院どうだった?」ときくことで
 半ば強制的に病院に行かせる奴がいたり
・自分の経験をしゃべってくれる奴がいたり
・我慢だよ、とくり返し声をかけてくれる奴がいたり
・病院より鉄工所に行った方が早いんじゃないか?と笑わせてくれる奴がいたり
・もう何週間たったけどまだ出来ないの?と発破をかけてくれる奴がいたり
・山瀬は何回もやっているから大丈夫だよ、なんて言ってくれたり
 と、僕の気持ちが切れないようなありとあらゆる言葉を頂きました。

 蹴れるようになったら僕はどんな顔でみんなに「ありがとう」と言えばいいのかわかりません。一人づつに抱きついてキスの一つでも贈ればいいのでしょうか。それとも金を用意するべきでしょうか。新しいユニを僕が全額負担んで作ればいいのでしょうか。一番の恩返しは、僕が以前より点が獲れて守れる、より使えるプレイヤーになる事でしょうけど。直ったら直ったらでリハビリっぽいこともあるだろうし、ちょっとした恐怖を克服することもあるかと思いますが、ま、僕は生きています。

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字は人を表す

 秋葉原の無差別殺傷事件の犯人が書いていた文章がたくさん紹介されている。携帯サイトの掲示板に何回も書き込みをしていたようで、その文章を分析しながら犯人がどんな人物なのかを知りたいようだ。知りたいとはいいつつも、
「普通の人である自分との決定的な違い」
をさがしているんであって、犯人を理解したい、ということでは決してない。
 
 書いた文章でその人を理解できるかと言ったら、ある部分での理解は可能だろう。誰もが自分のボキャブラリーの中から知っている言葉を組み合わせながら文章を書いているからだ。書いている人の知っている事は出るが、知らないことは出てこないので案外正確な分析ができるのかしれない。しかし、非常に危険な気もする。自分が書いたもので自分自身が判断されるとならば、この僕はいますぐに手錠をかけられてもおかしくないじゃないか!。ここがイギリスだったらおそらくすでに監視されているだろうし、アメリカだったら玄関の外で武装した警察が待っているかもしれない。すごーく昔の記事でナイフはいいよね、みたいな事も書いたし。
 僕を知っている人は
「たしかにアイツは変だけど、ま、そこまではしないでしょ」
と思ってくれてると思うけど(希望)
そうでない人はいい印象ではないだろうなあ、と、テレビに犯人の文章が映るたびにちょっとビビッている僕です。表現の自由万歳。

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EURO美人サポーター

 















フットボールの試合を見に行くと、ハーフタイムに可愛い女の子が大画面に映ったりする事がある。「あの子可愛い」
「きれいだね〜」
「どこどこ?」
「角度的はあそこだよね」
「あの子じゃない?」
「なんだよ男づれじゃねーか」
なんて野郎共は思ったりする。時々子供が映ったりする事もあるが、正直どうでもいい。もはや当たり前になっている演出である。
 TV中継ともなるともっと露骨で、露出度が高いファンや、明らかにこれを狙っているよね?という目立ちたがり屋なネエちゃん達が映ったりする。昔はこんな事はなかったけど、この流れはいつから始まったのだろうか。フットボールの会場なんて女子供は立ち入ってはいけない所というイメージがあったけど、最近ではどうも違うらしい。
 ワールドカップでもそうだったけど、今行われているEUROも時々綺麗なネエちゃんたちの映像を抜かれたりする。あの映像はおそらく現地制作だから、その国における美人もしくはカメラマンの趣味で選ばれたりするだろうな。そう考えると面白い。
 調べてみたらそういう映像をまとめてるサイトもあるんだよね。これまた面白い。

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どうも最近は

 僕の右胸、乳首の下ぐらいにしこりがあります。出来たの高1の時で、乳ガンじゃないかとかなりビビッて病院に行った。結局ガンなんかではなく、ホルモンのバランスでそうなったとの事。女の子がなるのはあるけど、男性は珍しいね。だいたい3ヶ月ぐらいで消えるよ、なんていわれました。あれから13年ぐらい立つのですが、今日なんだか非常に痛いのです。そう、最近どうも体調がイマイチなのです。
 いつも通りに胃が悪るいのは別として、どうも調子がでない。口内炎が出来て非常に不愉快だし、足首のことももあるし、フットサルしない間に太るかな?なんて思っていたら痩せちゃってるしで、おまけになんだかちゃんと寝れない。頭、口の中、胸、腹、足首に異変があって、ついでに心にもぽっかりと穴が・・・。次に病院にいくときには「あんたヤバいね」なんて言われたらすんなりと受けとめることが出来そうです。
 でもまあ、何事にも波があるわけだから、今が我慢のしどころなのだろう。口内炎は直るし、夏にも慣れるだろうし、足首だって後もう少しだ。映画では「傷は女にもてる」と言っていたし。そう、夜明け前が一番暗いんだから。ここから復活が始まるのだ!俺の。

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強くある事

 人間はなんとも弱い生き物であります。生物としての身体的能力もそうだし、その身体の奥にある心にも弱さがあったりで、これが上がったり下がったりしている内に進んでいくのが人生だったりする。どうにか強くなれないものかと誰もが生きているが、そこに方程式はなく、どんなに経験を積んでも痛いものは痛く、怖いものは怖くて、たとえ自分の内なる弱さを自覚していても対策はない。
 個人差があるのも面白い所で、ある人にとっては何でもない事がある人にとってはとんでもない事だったり、とても強い人がいれば弱い人もいて、強く見える人は実は弱かったり、またその逆があったりする。
 自分が落ちた時に頼れる存在がいるのは素敵な事。そいう存在はそこら辺に落ちている訳ではないし、心の内側をさらけ出せるなんて簡単なことでない。信用するのも、信用されるのも難しい事なんだよね。願わくは誰もが強くある事が出来て、そしてそれが出来なかった時に頼れる相手がある事である。そして誰にでも自分の大切な誰かを救える忍耐と力と愛情がある事を。

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不思議なことはあるもので

 車に乗り込もうとしたら運転席に見たことのないボタンが落ちていた。見たこともないので、なんだか少し怖くなった。見るからに女性の服についていそうなボタンで、いつ・そして誰が置いたのか・落としたのかがわからない。
可能性としては

@ 僕が車の中で誰かを脱がしたか。
A 誰かが僕を車の中で脱がしたか。
B 僕の服のボタンである。
C 「次はお前だ」という、何かの犯罪の予告である。

というのがあるのですが、@とAは見に覚えがなく、特にAなんかはあまりの楽しさんに絶対に覚えているだろうけど・・・。Bもなさそうだし、Cだと警察に駆け込もうと思うんだけど・・。なんだろ。妖精の仕業か?

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またあの季節

 また夏がやってくる。この梅雨があければ真っ青な空に白い雲、そして容赦なく襲ってくる太陽。毎年の事だけど、夏というのはなんだか特別感がある季節である。夏休みあけで明らかな雰囲気が変わる女の子がいたり、色んなデビューをしちゃったり、街におかしい人が沸いたりとで、誰もが開放的になる季節である。
 そしてこの季節になると僕を襲う事がもう一つある。それは「寝れない症候群」である。暑い事もあるし、4時にはすでに太陽は頭をだしてくるし、おまけに今年は蹴れない事もあって体力が余っているんだよね。寝付けない上にやっと寝ついても2時間で起きちゃったり、起床時間よりも全然前に起きたりとで、前にも書いたけどおそらく僕は「寝ることが下手」なのである。どうにかならないものかと思うけど、31年間そうだから、おそらく一生そうなのだろうなあ。

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グッと来る

 少し前に映画の話をよくする上司としゃべっていたら
「最近グッと来る女優がいないよね」
という話になった。この「グッと来る」の中には色んな意味があり、もはや二人の間でしか通じない言葉であるが、簡単に言うと
「ナイスバディで」
「顔がエロくて」
「表情もいい感じにエロくて」
「かわいげもあって」
「性格が悪そうで」
「やっぱりなんかエロい」
という、ほぼエロければいいという判断基準ですが、そこにが言葉では伝えられない微妙はニュアンスがあったりする。どっちにしろフェミニズムの見地から見れば、待ち伏せされ後ろから蹴りを入れられて横っ面を引っぱたかれても仕方がない判断基準ではあるのだが、まあ映画好きを自自負している人たちなんてそんなもんです。
 過去にグッと来た女優と言えば
売れる前のアンジェリーナ・ジョリー
「ダーク・エンジェル」の頃のジェシカ・アルバ
イマイチ売れなかったアシュレイ・ジャッド
誰もが一度は見るであろう、「諍い女」エマニュエル・ベアール
マリリン・マンソンの元嫁として有名なローズ・マッゴーワン
等など
思い出している間になんだか恥ずかしくなってくる中学生的なピックアップである。

 そん中、彗星のように現れたのがオルガ・キュリレンコ。映画「ヒットマン」の演技で上記の条件に全て当てはまる高打率、名前もいいけど脱ぎっぷりもいい新人女優である。おまけに今度のボンドガールになることが決まっているという事で、来年もしくは再来年はメジャーな存在になっているかもしれない。やっぱり人間そうは変わらないものですね。

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死刑

 死刑制度がない国は案外多いらしい。「採用していない国」といった方が正しいかな。採用している国は日本、アメリカ、中国、イラン、ベトナム等など。採用はしているけど執行はしているのか、となるとまた別問題のようであって、1年間で執行された極刑の90%は中国が占めているらしい。
 人間の歴史から見ると死刑というのは当たり前にあったようだけど、「人権」という概念が出来てからじょじょに減っていった、という流れのようだ。たしかに江戸時代の刑罰や中国の拷問の歴史を読んでいるだけで気が滅入る描写がたくさんある。
 
 殺人者を処刑したら処刑した方も殺人者になるわけで、罰しているのに自分も同じことをしている事になってしまう。殺人者と同じことをしている時点で正義がどこにあるのかがかわからない。そして人間に人間を殺す権利があるのか、ということもある。この堂々巡りが進まない間に時代が進んで、今に至る、という事なのかなあ。
 日本では死刑を執行するのには法務大臣のはんこが必要である。法務大臣がOKと言わない限り、実行されないので、全く執行しない、どんどん殺すも法務大臣次第なのである。そしてはんこを押す事は、その犯罪者の人生に関わる事になる。実際は会ったり話したり、接したりすることはないが、誰だって犯罪者と縁を持ちたくない。どんなに遠い縁であっても。押す事をためらう気持ちは理解できる。

 そもそも「犯罪者に人権があるのか?」という問題である。ダーティー・ハリーだったら何の説明もなく犯罪者の頭を吹き飛ばしてくれるけど、現実はそうはいかない。

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EUROの裏

 ワールドカップで非常に盛り上がる試合と言えば、歴史的、政治的に遺恨がある国同士の試合である。アメリカ−イラク、フランス−セネガル何かは色々と考えさせられる試合であった。EUROにもおそらくそう言った側面があるんだろうけど、不勉強のためかイマイチ分からない。ドイツ−オーストリアの試合なんて結構盛り上がりそうだけど。過去には戦争をしあったり、植民地を取り合ったりした事もあるだろうし、ナチ関係もあるだろうから絶対に裏にはかなりきな臭い話題もあると思うんだよね。最近のフットボールはクリーンなイメージを作りのに必死だからそういった話題は表にでないのかな。

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永遠の片思い

 僕はずっと片思いをしている。彼女にであったのは4年前だろうか。あれから僕はずっと一途に、毎日のように想いを伝えているんだけど、それを聞き入れてくれるどころかほぼ無視という仕打ちを受けている。ありったけの優しさで扱っても、まるで宝物のように大事にしても、彼女の態度は変わる事なく一切こっちを向いてくれない。
 そりゃ4年前に初めてあった時からは大分距離は縮まってきたけど、それでも彼女は他の人の言うことばかり聞いて、僕のいうことはあまり聞いてくれない。気持ちというのは本当に伝わらないものである。
 原因はわかってます。それは僕に彼女を扱う技術がないのです。ある程度の努力はしたのですが、彼女が満足するところまでは行かず、肝心なところでミスをしたり、タイミングを間違えたりと、いい所がありません。どうにかならないもんかと、毎日悔やむばかりです。まったく、フットサルボールってヤツは。

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時間

 どんなに高くてもいいから買いたいものといえば「健康」と「時間」である。残念ながらどっちも非売品な上、人生の中で限りがあるという非常にレアな商品であります。例えるなら僕の左足でのシュート、といったところでしょうか。健康は気をつければそこそこ長持ちはするのですが、時間ともなるとこれはやっかいです。そもそも誰も触ったこともなければ、見たこともないというモノでありまして、おそらく概念としてでしか認識できないもの。物事の変化を理解するための「概念」なのだろう。これを掘り下げると一生かけても説明も理解も出来ないのでここら辺にしておきましょう。
 そして、現代を生きる人なら誰でも時間に縛られています。電車の時刻表から出勤の時刻、カップ麺が出来上がるまでの3分、信号待ち、銀行、ドラクエを買うための列、もっと大きくいうと寿命なんかもそうです。誰も時間から逃れることはできません。
 ということで、「時間を有効に使う」という考え方があります。何かをやっている間にもう一つの何かを同時進行でやったりと、生活の中での工夫は誰もがしていることでしょう。しかし、弊害もあります。それは知らない間に「せっかち」になっている、ということです。そんな僕も実はとてもせっかちであります。横断歩道で待っているときはすかさずiモードを開き、車で信号待ちをしている時は文庫本を開く。ちょっと空いた時間があると、なんでもいいから何かをしたくなるのです。別に普通に待っていればいいのに、この「待つ」という行為がもう我慢が出来ないのです。時間を有効に使っている、といえば聞こえはいいですが、おそらくこれは病気なんでしょう。
 オッサンになる頃にはゆっくりと静かに生活をする予定なのですが、このままではオッサンになる前に早死にしそうです。

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僕もそうありたいと思う

 この間に久しぶりに浜野に言ったら、色んな人に声をかけられた。最近個人参加来ないですね?とか、最近見かけませんがどうしたんですか?とか、チームの調子はどうですか?とか。非常に有難いのだが、いちいち「じん帯が〜」なんて説明していると自分の気分も落ちてきそうなので、おでこに
「只今じん帯損傷中」
とマッキーで書こうと思う今日この頃。
 
 誰かが言った言葉が誰かを救う。言った本人にはそんなつもりがなくても、受け手から見ればそれは黄金に輝く一言だったりする事がある。それだけで救われたり、それだけで真っ暗闇だった空間の霧が晴れ、光がさすことだってある。誰かを勇気付ける言葉を言えるというのはとても素敵なことで、それっておそらく優しさの正体だろう。
 先人が言われたように、やさしさは本能ではない。だから優しさを勉強し、鍛えるしかない。それは大げさなものではなく、誰かが転んだりしたら「あ、痛そうだなあ」と心の中で想像するだけでいい。他人の痛みを想像すること、それが優しさが生まれる源なのだ。
 世の中には素敵な人がたくさんいるもので、今の僕も助けられています。僕もそんな人たちにとってそうでありたいと願う、また、今日この頃です。

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というわけで

 ついにスーツを購入。前にも書いたけど、18歳の時に買った以来なので、割と楽しみにしていた。僕が好きなブランドのスーツを買う事に決めて、いざ買い物に。僕の買い物はプレイとは全くちがうもので、判断も早れば決断も早く、ずっと迷っていることがない。しかしスーツともなれば別物である。何せ、人生で一度しか買った事がないのだから、
 それにしてもショップの店員さんは上手い事。僕が質問する事に簡素に答えてくれ、僕が嫌な気分にならない具合に誘導してくれる。

●すごくお似合いですよ
●このサイズがお客様にぴったりです。
●この靴を履いていただいて、全身チェックしてみてください。
●この細身な感じがお客様にぴったりですよ。

等と言われているうちに、気づいたら15分たらずで店を出た僕でした。これは前プレにうまくやられたという事でしょうか。

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欲望の鬼2

 でもまあ、欲望があるからこそ人間は繁栄したのだし、欲望なしには進歩はありえない。悟りでも開いちゃったらまた違う話になりますが、次のレベルへ、次のレベルへ、という飽くなき探求心が文化を産んだと言ってもいいだろう。衣食住の満足なしにはものを書くとか、絵を描くとか、音楽を奏でるとか、そういう発想は生まれない。そしてそれはまたより住みいい家、より美味な食べ物、よりいい服を求める事に繋がっていく。それらが満たされた上で生まれたのが文化という概念で、その文化が動物と人間の境目を作っている。ま、それでも欲望はつきない。なぜならおそらく本能レベルでの欲求なのだから。という事は僕はどんどん買い物をしていいという事だな?

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物欲の鬼

 自分の成長を知るのに一番便利なものは「欲しいものリスト」である。ガキの頃に欲しかったものBEST10と今欲しいものBEST10を比較すると、ガキの頃は1万ですんだ物が、現在となると1億あってもたりない。人間嫌でも成長するものである。 
 そして最近どうも僕の物欲のバイオリズムが頂点を向かえそうだ。今どうしても欲しいのは

Sisiiの皮コート 10万ぐらい
PS3の本体とGrand Theft Auto 4  5万ぐらい
7月のイベントに向けてのスーツ   〜10万ぐらい
NIKE WMNS AIR MAX 95 ZEN    1.5万ぐらい
NIKE AIR REJUVEN8         1.5万ぐらい
新しい靭帯                priceless

 最後の超レアな商品以外は買えないこともないけど、10月に車検を迎えるために新しい車を買うか、車検を通すかという難題も残っており、常々物欲のラインと財布の都合はシンクロしないものである。
 全く、資本主義の賊に過ぎない。最近ゲバラのDVDや本を読んでいるのに、その想いをまったく汲めていない僕である。
 実は僕は「常に何か欲しいと思っている」自分自身が大嫌いである。シンプルに生きたいという考えがありつつも、心の中には物質主義なところがあり、結局どっちなんだ?という葛藤がある。モノを買うことで得られる幸福感は絶対にあるし、悪いことでもないけど、
「それがなかったら困るのか?」
と自問自答する僕もいて・・・。自己実現って難しい。

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朝から病院

 朝から病院に行く。待たされる事が嫌なので、本当に朝一で病院に到着。この歳になるとさすがに慣れたもので、待合室で時間を潰す術は心得ている。バッグの中には文庫が一冊と、「ユリイカ」が入っている。病院の待合室で「詩と批評のユリイカ」を持参するのは僕ぐらいだろう。なんてオシャレだ。
 とは言え気分はかなりブルー。当たり前だけど病院には病人がたくさんいるわけで、誰もが健康時とは違う自分と一刻でも早く決別したいのだ。ある意味では非日常。
 結局は2時間ほどで 
待機→診察→待機→レントゲン→診察→会計
という流れになった。問題の僕の愛すべき右足首は間接が少し通常時より開いているようで、特の手の施しようがなく、ひたすら安静が必要との事。その期間は2,3,4ヶ月ぐらいという、趣味でやっている商売の予想損益分岐点みたいな曖昧さ。
 病院に行く時というのはある程度の覚悟があって、どうにかして欲しいと心から願っているものである。もう言うとおりにするから治して!と半ば医者にすがってもいる。と同時も完璧に納得できる治療方法が分かるまでは帰らない!と思っているのだが、不思議と待っている内に一刻も早くここから出たい、と心変わりするものである・・・。全く。

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久しぶりに

 久しぶりに両親と食卓を囲む。この年になって両親と接する時の恥ずかしさや照れというのはもうないが、いかんせん何ヶ月ぶりの事なので、なんだか落ち着かなかった。ま、そこは家族のことなので、特にわざとらしく話し合う事もないけど、まあ何ヶ月もなかった事だから楽しかった。
 僕は両親のことが好きである。どの息子も心の中に両親に対する愛情というのは小さくともあるので当たり前だと思うけど、まあ大きな声で言えるぐらいに好きである。
 どの夫婦も一筋縄ではいかないドラマを持っているだろうけど、僕の両親程波乱万丈な人生を送ったカップルはいないだろう。国籍の違う二人であるだけで特別なことなのに、全てを捨てて永住までしちゃっているので、本の2,3冊は書けるだろう。二人が生きた時期も厳しい時代で生活は楽ではなく、差別やしなくてもいい嫌な思いもしただろう。そんな時代を、僕を含む3匹の子ザルを抱えて走った事を思うと誇らしく思うとともに、どこにそんなパワーがあるのだ?と不思議に思う。ま、どこから見てもただのオッサンとおばさんだけど、この二人が支え合い生きてきたんだよなあなんて考えると、やっぱり人って強くあるべきだなと、互いにためにね。
 

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目がと目が合えば

 良く「話す時は人の目をみなさい」
なんて良く言われます。気心が知れている相手なら何の問題もなく目を合わせる事はできますが、良く知らない人と目を合わせるのはなんだか難しかったりします。意識せずにいれば何事もなく簡単に出来る事だけど、一度意識してしまうと不思議と特別なことになっちゃったりします。相手が綺麗な女性だったりすると、こっちが見るのは失礼なんじゃないかとか、顔が赤くなってるんじゃないかとか、顔がにやけているんじゃないかとか、よだれが出ているんじゃないかとか、良く分からない恥ずかしさに襲われたりたりします。
 それとは逆でまったく変なタイミングや所で目が合ってしまう場面があったりする。デパートでこっちがエスカレータであがっている時に、隣の下りに乗っている人と目があったり、交差点の向こう側で信号待ちをしている人と目が視線がぶつかったりとか。
「いや、こっちが見ているから向こうが見ているのか、それとも向こうが見ているからこっちが見たのか、それとも二人とも同時に見ているからで、って事は向こうが僕を見ているということで、ていうか僕も見たから目が合うんだよね?・・・エッ?ちょっと待てよ、ってこれってもしかし恋?」
みたいな、良く分からない気分になったりするのです。
 そして今日、事件が起きたのであります。
帰宅途中、交差点で左折しながら僕が曲がる方向の右側に、家に入ろうとする若い女性がいました。僕は何気なく見ていたのですが、なんと向こうが見返してきたのです。最初は車ごと見ているのかな、と思ったんですが彼女がはっきりと僕の目を見てきました。僕も負けじと目を合わせたのですが、どっちも引かずにずっと目があったまま。僕は左折の途中だったので目を離そうとしましたが、向こうも首を動かしながら僕を見ています。僕も視線を動かさずにすっと見ていてた。ドアを片手で押さえながら、僕をみる女性。道の先を気にしながら、彼女を見ている俺。この時間がすごく長く感じられたんだけど、おそらく2,3秒だろう。これがウォン・カーウアイの世界だったら、
「そのとき僕らの距離は3.0m。3秒後僕らは恋に落ちた」
みたいな事になるんだろうけど、さすがに怖いので視線をずらし先を見た僕でした。負けた。(安全運転)。
 

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この世のあり方

 秋葉原での凄惨な事件。最近はこんなことが続いているから、なんだか慣れている自分にビックリする。心のどこかに「他人事である」という考えもあって、自分にはそんなことは起こらないと思っているんだよね。現場を歩いていた被害者達もそう思っていた事だろう。
 なんだかこの世は傾きかけている。社会がねじれ、その影響で人々の心に影が生まれ、何が正しくて何が間違っているのかがわからん、そんな状態になっている。99年には終末的な思想があったけど、21世紀に入った現代こそ一番ノストラダムスが合っている。
 ま、常に今が最低の状態というのがこの世のあり方。過去に正しかったとか、間違っていなかったとか、そういう状態というのはなく、「常にどこか崩れている」がデフォルト状態。それは100年前も10年前も同じで、おそらくこの先も同じであろう。ベタな話ではあるけど、箱の底には希望が残っていると言うことで、それを信じるしかないのかな。
  

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色んな事があるもので

 渋滞にはまる。いつもは特に混まない所なのになかなか進まない。Uターンできる場所もなく、そのままずっと待っていたら渋滞の原因は交通事故であった。現場を通過しながら横転したバン、消防車、数台のパトカーが目に入る。バンが横転するぐらいの事故だから、明日のニュースにもなるのかな、なんて考えながら家に着く。
 家に帰ってテレビをつける。ちょうど僕が信号待ちしている頃、秋葉原で凄惨な事件が起きていたらしい。男が秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み何人かをひいた後、サバイバルナイフで見境なく歩行者を襲った。チャンネルを変えると、NHKと日テレでエコ関連のイベントが行われていた煌びやかなステージでアーティスト達が地求愛を唄っている。逃げまどう人々を写した携帯動画と特徴的なダンスを踊るアイドル。なんたる対比。
 1週間の中でも、おそらく誰もがゆっくりするであろう日曜の午後。誰もが次の日の事を考えないように過ごす中、色んな事が起こる。いいことも不幸な事も、同時に起こるのがこの世界である。そして僕らは常に無防備である。

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これではいけないのではないか

 日本代表の試合に2万5千人しか集まらないのに、中田氏の試合に6万3千も集まるのはどういう事?本来であればこの数字は逆であるべきではないか?確かに中田氏のイベントには前園がいるけどね。前園がどんなプレイをしたのかが非常に気になる。夜のニュースでやるかな。
 でも見方を考えれば、こんな企画サッカーにこんなに人が集まる事は日本のサッカー文化にとってはいいことなのかな。流石に誰もが中田やダービッツが見たくて行くとは思えないけど、実際はそうなのだろうか。おそらく中田氏が世界を2年も回って気づいたのは、自分の広告塔としての価値なのだろう。現役復帰の話も出ているけど、それはそれで面白そうだな。

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時間は平等に流れているけどその方向は同じとは限らない、のだ。

 異動した事で、久しぶりに会う人が多い。そこで気づいたのだけど、僕の性格はかなりドライなようだ。なぜなら、会う人会う人「そういえばこんな人いたな」と毎回思い出しながら思っているからである。もちろん顔には出さないし、「おお久しぶり」なんて言いながら会話をしているのだけど、頭の中では
「会わない間にこの人のことを考えた事も、思い出した事が一度もないな」
と、自分の中のドライさにビックリするぐらいである。それもかなりの高確率だから、俺ってもしかしたら人間失格?とちょっと自己嫌悪に落ちいっている。
 ま、殆どの人が仕事上のつながりで個人的な付き合いには至らない関係だけど、その中でも真剣な話をした人もいたので、正直ショックであった。
 思えば僕が今いる場所から移った時に始めたのがフットサルで、そしてフロリが生まれ現在に至るわけだけど、この4年間はそれだけ濃密だったと思いたい。誇張なしでフットサルために生きてきたし、というかフットサルがあったから生きてこれたけど、のめりこみ過ぎて他の事なんて考えていなかったんだろうなあ。反省はするけど、なんだか僕はすごく正しい事を気づかずにやってきたんじゃないか、と思う。

 それにしても時間の流れというのはすごいね。みんな年を取っているんだもん。当たり前だけど、4年ぶりに会うと変わっている人もいたり、すごーく変わっている人もいたりで、時間には誰も勝てない事を実感する今日このごろであります。

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ゲバラのあの写真

 今月号の「PLAYBOY」がチェ・ゲバラの特集。中でもゲバラが来日した時の事を書いた記事があり、すごく興味深かった。革命後、チェ・ゲバラはキューバの営業マンかの様にアジアの国を回った。1959年に来日し、砂糖を買って貰えないかと色々と政府や高官と交渉した。残念な事に当時のゲバラは有名ではなく、軽くあしらわれるという結果だったらしい。
 そんな中、大阪にある川崎重工の造船場を視察に訪れた時のこと。大阪からそう遠くないところに広島があると聞いたゲバラはいても立ってもいられなくなり、自分で夜行列車の切符を買い、数人の仲間とともにこっそりと抜け出した。翌日、原爆死没者の慰霊牌に献花するゲバラの写真が残っている。彼はその足で原爆資料館に向かい、熱心に見学したあと、
「アメリカにこんなにされてなお、君達日本人は彼らのいいなりになるのか?」
と日本人担当者に言ったらしい。
 んー、しょうがないとは言え、当時の政府がゲバラに対しもっと熱心に対応していたら、と思う。当時からゲバラはアメリカの敵であり、日本はほぼアメリカの属国だったわけだから、そういう事も無理ないか。
 それにしてもゲバラの有名あの写真に著作権がなかった事は驚きである。もし著作権があったりしたらカメラマンは億万長者になっていただろうに。

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地球にやさしい

 どうも最近は
「地球にやさしくあることが当たり前」
的な雰囲気が世の中を包んでいる。「僕は地球のことを考えています」的な言動をする有名人が増えてきたからだろうか。「エコ」という言葉には「オシャレ」、「かっこいい」、「ちゃんと考えている」、「立派」的なニュアンスが含まれていて、なんだか最近では滑稽に感じる。さらに
「エコロジーのことを考えて当たり前」

「実践して当たり前」

「実践していない奴は悪だ」

「殺しちゃってもいいんじゃね?」

という風になってきているので、10年に後は「エコロジー法」みたいな法律ができるんじゃないか?

きっと正しい事だし、必要な事でもあるんだろうけど、それ以外の価値観を認めずに突っ走るこの風潮はどうも不自然な気がする。すでに「これちがうんじゃない?」と言える自由はない様な気がするし、例えそうだと自分でも思っていても口には出せないだろう。集団や、集団が起こす流れは怖いからねえ・・。

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時間

 ここのところ、足の怪我のためにずっと蹴れずにいる。ここまで長い時間フットサルをしていないのは初めて蹴った時から一度もないだろう。心の中を時間が過ぎていくのを我慢するのは忍耐のいるもので、ストレスや不安、そして得体の知れない焦りが毎日の様に僕を鏡の向こう側から笑っている・・・。なんて書くとちょっと危ない人になってしまうけど、まあ本当に危ないので仕方ない。
 怪我をした当初はしばらく休むこともいい気分転換になるんじゃないか?と思っていたけど実際はそんなことがなく、動かないように、走らないようにと、暇な時間がある度に自分の中での格闘がある。
 僕がいない間にチームは進んでいるわけで、ただでさえついて行くだけで必死な僕にブランクがあるようではハッキリ言って厳しい。ここで簡単に諦めがつくのなら楽だろうけど、そうならないことも僕のいいところである。(笑)。こうなったら
「じん帯損傷と付き合うための10のルール」
「じん帯損傷で3万が1000万に!?」
「じん帯損傷であの子をゲット」
という自己啓発的な本を書こうと思う。

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不安。

 結局プリウスを買うか、チャリに乗れよという事だろうか。このガソリンの価格は車を運転する事を特別な事に変えてしまうのかな。ガソリンは生活になくてはいけないものだから、一度は消費は落ち着くものの、3ヶ月後には消費量は元に戻るらしい。と言うことは慣れって事か?作戦?社会はどこに向かっているのだろうか。なんだか不安になる。10月には車検を迎えるのだが、刻一刻と事態が変わるので悩みまくりである。

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たばこ

 映画の常套手段として、こういうのがある。電柱の影に刑事が隠れている。刑事は向かいの建物の窓から目を話さずに、たばこに火をつける。
 相変わらず刑事は窓を見ている。そしていつの間にか足下にたくさんの吸い殻が落ちている。落ちた吸い殻の数で時間が経った事を説明しているのである。

 実はこういったシーンが最近映画やテレビではほとんど見なくなっている。特にTVでの喫煙シーンはほとんど皆無だと言っても過言ではない。いつのまにかタバコは誰もが悪だと思う存在になっているのだ。僕はタバコを吸わないけど、タバコが持つ記号としての格好良さはあると思っている。表現としての喫煙を規制、もしくは自主的に規制するのはなんだかおかしい。
 今日、出勤途中、ガソリンの値上がりにビビリながらタバコの事を思った。タバコの「害の部分」がクローズアップされ、社会から締め出されるのはすごく早かった事を思うと、ガソリンを使う乗り物が規制されるのはそう遠くない未来なんじゃないか?という気がする。そういう風潮はもうすでにあるし、後は時間の問題かな。

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