2008/6/5 木 | 2008.06
ゲバラのあの写真
今月号の「PLAYBOY」がチェ・ゲバラの特集。中でもゲバラが来日した時の事を書いた記事があり、すごく興味深かった。革命後、チェ・ゲバラはキューバの営業マンかの様にアジアの国を回った。1959年に来日し、砂糖を買って貰えないかと色々と政府や高官と交渉した。残念な事に当時のゲバラは有名ではなく、軽くあしらわれるという結果だったらしい。
そんな中、大阪にある川崎重工の造船場を視察に訪れた時のこと。大阪からそう遠くないところに広島があると聞いたゲバラはいても立ってもいられなくなり、自分で夜行列車の切符を買い、数人の仲間とともにこっそりと抜け出した。翌日、原爆死没者の慰霊牌に献花するゲバラの写真が残っている。彼はその足で原爆資料館に向かい、熱心に見学したあと、
「アメリカにこんなにされてなお、君達日本人は彼らのいいなりになるのか?」
と日本人担当者に言ったらしい。
んー、しょうがないとは言え、当時の政府がゲバラに対しもっと熱心に対応していたら、と思う。当時からゲバラはアメリカの敵であり、日本はほぼアメリカの属国だったわけだから、そういう事も無理ないか。
それにしてもゲバラの有名あの写真に著作権がなかった事は驚きである。もし著作権があったりしたらカメラマンは億万長者になっていただろうに。
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