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美の基準

 化粧品売場の横を通り過ぎると、美しい女性達が挑発的な眼差しをこぼしています。等身大ポスターともなると何とも言われぬ迫力があって、ちょっとドキドキするのは僕だけでしょうか。

 なにやら40年ぶりに日本人がミス・ユニバースに輝いたらしいです。40何年ぶりの事だから、大変な事であります。昨日も新聞やテレビで報道されまくりましたけど、面白い事に新聞でデカデカと紹介された写真は本人のものではなく、最終予選までに一緒に残った韓国人参加者の写真であった。報道機関としては限りなく恥ずかしいミスですね。写真はAP通信がメキシコから配信したもので、配信時の写真説明には英文で「Honey Lee、Miss Korea 2007」と書かれていたらしいので、英語が読めなかったのか、単に間違えたか、という事になります。
 面白いのは「美」で優勝したのに、その一番の効果的な武器である写真を間違われるという非常に脱力感に襲われる所であります。
 
 昨日の顔ちぇき!といい、化粧品売場のポスターといい、人間は容姿がとても気になります。流石に誰もが世界一になりたいとは思わなくとも、「美しくあること」は絶対的な価値観であって、揺らぎはない。化粧品売場こそはこの表れで、上に書いたように美女達のポスターがあちこちに貼られ、これでもか!というぐらいの迫力でその美を発揮しています。僕はそれらの美人を見るのは大好きだけど、この場合怖い何かを感じるのは何故だろう。モデルの顔アップなんかをジーッと観察してていると、完璧すぎる肌とパーツ、色合いにとても人工的な何かを感じます。写真はPhotoshopで修正されているのは当たり前だけど、完璧すぎる美しさは人間らしさと離れていって、しまいにはCGになるんじゃないか?と思ってしまう。自然、ではないんです。これは商品を売るための策、仕方がないのかも知れないけど・・・。
 ミスコンではたんに容姿ではなく、教養や社会活動への参加など、人間としての価値も審査基準に入るらしい。これはこれで何だか変な感じもするけどね・・・。

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顔ちぇき!

 ナウでヤングなカルチャーには敏感な團員の皆様はみんな知っていると思いますが、最近携帯で顔ちぇき!というのが流行っております。顔写真を送ると、芸能人の誰に似ているかを返信されるサービスである。私もやった事がありますが、合ってるのか間違っているのか、良くわかりません。写真を送信すればすぐに返信が来て、あまりの早さにちゃんと調べてるのか?と信憑性にかけるけど、一応ちゃんとしたソフトを使っているらしい。
 自分に似ている3人の有名人の名前が返信されるのですが、パーセンテージで1から3の順位がついています。自分でやった結果、どうやら僕の顔の60%以上が今井翼らしい。ほかには聞いたことのない芸能人と反町隆史だった。60%というと、本人の次ぐらいに俺が今井翼じゃないか?とにかく結構楽しいけど、まったく無意味な遊びだなあ。

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ユニマニアの墓場

 いつまでユニを集めるのか?それが問題だ。なんのため?とか、いくらまで?とか、なんで?は関係ない。あくまでも「いつまで」が大事なのである。
 良く見るユニ収集サイトの管理人が、
「さすがに保存する場所がなくなってきたので、ユニを売ろうと思う。今までは売ろうと思った事はありませんが、大事にしれくれる人がいたら譲ってもいいと思うようなった」
と仰っていた。このサイトはなかなかのサイトで、僕なんかは足下にも及ばないような数・質・レア度を誇るサイトである。それらのユニが売られるわけだから嬉しい話なんだけど、価格はあまり聞きたくないぐらいになるだろう。ポイントはそれまで熱心に金もかけ集めた人が手放してもいいと思った時期が来たという事であって、それは恐らく僕にもいつかやってくる。
 永遠にコンプリートしないコレクションというのはおそらくどんな悪い趣味よりもタチが悪い。足を洗うタイミングがないって事だからね。ユニは毎年新しいのが出るし、サッカー界に価値のあるユニも毎年生まれる。幸いながら僕は新しいものにはあまり興味がなく、80年代・90年代前半のアルゼンチンものという狭い範囲だけど、それでもゴールは果てしなく遠い。
 いつか僕も売るときが来るのだろうか・・・。

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ZARDの功績

 ZARDのボーカルが亡くなった。入院先の病院の非常階段から足を滑らしての転落死なんだそうだ。
僕の中ではZARDは不思議な立ち位置のアーティストであった。誰もが知っている曲「負けないで」に代表されるように、ヒット曲はたくさんあるけど、そのほとんどがブックオフで100円で売られているという、人気があるのかないのか、はっきりしないアーティストだったイメージがある。「負けないで」は現在ではある種のネタになっており、売れているのにこの評価の低さは何だ?といつも不思議に思っていた。僕には曲の善し悪しは判断できないけど、セールス=評価ではない事を感じたアーティストでもあった。テレビにでない事で実は存在しないみたいな都市伝説もあって、抽選で限られた客を豪華客船に呼んで行ったコンサートが初めてのコンサートだったっけ?
 ショービズ界の人がなくなると、どうすればいいのかわからない時がある。ファンでもない人の死を悲しむ事はできないけど、繰り返される報道を見ていると、ああ悲しい事が起きたんだ・・・と共感しそうになる。そういう時は自分がとても偽善者に思えて自己嫌悪に陥るんだよね。誰かがなくなった事はやっぱり悲しいことだし・・・画面を通してでしか見たい事のない存在との距離感って微妙だよね。好きだったとかファンだったとかならまだわかるけど・・・。

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海賊版作戦

 昨日から今年一番の興行成績が約束された「パイレーツ・オブ・カリビアン3」が封切られた。日本人が一年に見る映画は1.8という数字があるので、多くの人はこの映画と今度やるハリポで今年見る映画が終わってしまう。
 これほどの大作だったら普通は夏休みの第1から2週目に公開することが通例である。一番の来客数が見込まれる時期にぶつける、これは常套手段なんだけど、今回は世界公開よりも1日早かった。この映画だけでなく、世界同時公開は最近増えている。これはもちろん、海賊版対策である。タイムラグがあると各国に映画が回るよりも早く海賊版が流れ、海賊版を見た人の分だけ興行成績が下がる。
 僕はこれはあまり意味がないと思っていた。なぜなら海賊版を見たいと思うほどのファンは絶対に映画館で見る、と思っていたからだ。映画館のスクリーンを、客の後頭部つきで丸ごとで録画してDVDに焼いたものをわざわざ買うなんてよっぽどの物好きでなければ買わないものだ。
 情報が早くなかった昔ではタイムラグがいい感じに効いていた。情報は人から人へと口コミで広がり、まだ見ない映画を頭の中で想像しながら、公開を首を長くしながら待った。
「アメリカからすごいのがくるらしい・・・」
「見たこともない映像らしい・・・」
という話を聞くことも映画の楽しみの一つだったんだけどねえ。

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風化

 懐かしい人と突然あったり、懐かしいものが突然出てきたりする事ってたまにあって、それらが一日に集中する事も極まれにある。今日はそんな日であった。
 昔に知っていた人たちと今日突然合った。全然予定はしていなかったけど、不思議と当時の空気や雰囲気をそのまま思い出す事が出来るんだよね。ああ、そう言えばあんな事もあったし、こんな事もあったなあ、なんて思う。普段は全く意識をしない上に不意打ちで来るから困ったものだ。僕にも色々と過去がある事を実感してしまった。そりゃ年を取るわけだ〜。
 で、その彼らの事だけど、一緒に働いている時にある事件が起きて色々な人に迷惑がかかって、僕も結構大変な目にあった。当事者ではないものに、僕はその事をまだ頭にどこかに閉まってあって、時々思い出したりしていた。今日当事者と会った。彼らはその事を軽く飛び越えていたようで、ビックリした。当事者たちは忘れられずに引きずっているのかとばっかり思っていたので、驚きであった。
 風化ってものは本当にあるのかあ、と実感した。物事の色がどんどん薄くなり、いつの間にか透明になる事絶対にあり得ないと僕は思っていたのですが、人間というのは強いもので、時間をも見方にしちゃうんだよね。

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調子が・・・

 最近どうも僕のPCの調子がイマイチである。ウイルスにやらているのか?大事なファイルが壊れてしまっているのか?どうも分からない。ただ不安定になっているだけ・・・、というとまるで人間の様だけど、事実PCというのは生身の人間より手がかかるものである。ここまで来るとリカバリか?なんて絶対にやりたくない作業になってしまいそうだ。僕はパソコンの中が整理されていないととても嫌なタイプの人間だけど、こういう時だけは普通に動いてくれればいいと思ってしまう。
 自分では自覚はまったくないけど、PCに依存する生活を送っている。このブログもそうだし、買い物、調べモノ・・・。なんでもかんでもPCなんだよね〜。これはあまり良くないのかもね。仕事でも画面を見ている事が多いし・・。

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ちがう発想で

 内臓関係が弱い僕。夏を迎えるにあたって、食生活を変えました。1年ほど前からちゃんと野菜を食べる様になったのはここでも書きましたが、ここ1ヵ月毎日ヨーグルトを食べています。
 以前にもヨーグルトは体にいいというアドバイスを頂いていたのですが、どうも面倒で実践できずにいた。が、この度1週間分のヨーグルトをばっちり買い込み、賞味期限の前に食べる、という宿題を自分に課せています。
 おかしな事だけど、僕の中ではヨーグルトとはあの小さい容器に入っているものであって、500グラムの大きいのを食べるという発想がなかったんだ。あの大きいのを買って二日に分けて一つ食べればいいんだ!という事に気づいて、くじける事なく続けていられるのだ。よく考えると
買って来る→食べる
という流れは変わらないんだけど、小さいなカップの奴にした場合は何個買えばいいんだよ!と、自分の中でその時点で面倒になって頭がストップしていたんだよね。ってこれは発想の問題ではなく、俺が馬鹿なだけか・・・。

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普通でない事

 世の中には「個性」というものがって、非常に大事な事とされている。特に教育の場では個性を伸ばす事は重要視されていて、「自分らしくある事」は人間としても大切な事とされている。個性はどうやって育てるのかはわからないけど、とりあえずそう言う事になっている。とはいっても、周りとあまりにもかけ離れていると白い目で見られる事も事実。他人と同じは嫌だけど、離れすぎていても怖い、というのはモラトリアム時代の悩み。 自分には他人には絶対ない所があるし、それを発見、発揮したい。群衆に埋もれるのは嫌で、自分は特別な存在でありたい。たった一つの存在でありたい、皮肉な事にこう思う事は誰もが思うとっても普通な事なんだよね。
 思えば僕という存在はこの世に一人しかいなくて、これを読んでいるあなたもこの世に一人しかいない。そういう意味では誰もがたった一人の特別な存在である。これは普通の事ではあるけど、良く考えると結構特別な事だよね〜。って何が言いたかったのかがわからなくなってきたので終了。

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don't trust over 30

 ロックスターの話をしていた時に、マリリン・マンソンの話になった。僕の中では真のロックスターは30になる前に死ぬか、才能が枯れてただの問題児になるか、が正しいロックスターのあり方だと思っている。カリスマ性が高ければ高いほどそうでないといけない、と勝ってに決めているのだけど、マンソンは40前らしい。その風体から普通の状態のマンソンは想像できないけど、健康を気にしたり、ニュースを見たりと案外普通の生活をも送っているおっさんという面もあるのだろう。仕方のないことではあるが、ロックスターのその一面は僕は見たくない。ロックスターの定義は分からないし、僕も大してマンソンの事を知らないので意見する資格はないけど、ショービズに生きるスターには、凡人とは違う価値観で常識を突き破って欲しい。
 だから僕はブリトニーやマイケル・ジャクソンの奇行が大好きである。彼らはブリトニーやマイケルという役を演じているわけではなく、本当にそうなのである。これはこれで多いの問題ありだけど、これでいいのだ。カート・コバーンが正しかったなんて全く思わないけど、その姿勢にはなんだか信用できる何かを感じるんだよね。うーん、微妙な価値観だけど。

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自分を追い込む難しさ

 昨日な皆様、お疲れさまでした。あれだけ走れば夏の体育館への準備ができるという事になりますかね。涼しい今であの苦しさなので、夏はどうなんだ?という不安に襲われています。去年もやったのに思い出せないのは、思い出したくないということでしょうか。
 それにしても体育館をぐるぐる回る作業というのはどうも僕には苦痛です。そりゃ肉体的にも苦しいのですが、精神的にもっと苦しいです。どうも「走るだけ」という事に楽しみを見いだせないんだよね。
 @10ほどじゃないけど、僕もフィジカル練習に大賛成で、良くない試合結果が出る度に
「走りがたりないんだよ、もっと走らないと」
が口ぐせなので、フィジカル練習の重要性は解っています。解っているどころか、アレを週2か3でやればいいんじゃないか?と本気で思っています。実際フロリアーナが一段階アップしたのはフィジカルを取り入れてからだったし、体力が全ての基本である事は一目瞭然です。とはいえチームとしての練習時間は限られているし、走るだけなら一人でも出来ます。
 実は昨日ぐるぐる走っている時に最後の何十秒を全力で走るじゃない?あれのラストの時に僕はすごいいいダッシュが出来たんですよ、自分で思ったけど。実はこれは体力があるからとか、何かが覚醒したからとかではなく、どうも
「はいラスト!」
という言葉が効いていた気ががするんだ。つまり、自分ではかなり限界までやっているつもりでいたけど、心のどこかでセーブしていたかも知れないという事になる。余力を残していたということになる。
 ま、その後にボールを使った練習でいい所を見せてアピールしたいという事ももちろんあるけど、どうすればいいのだろうか。走っている所で潰れてもいいと思うんだけど、その後の練習が出来なくなってひまうし・・・。本当、自分を追い込む事は難しい・・・。
 部活もやったことがないし、野球をやっていた時だってここまで走った事はないから、今が一番走っているんだよね、俺。それもどうだろう。だからきっと走る事に喜びを感じられないのかなあ。やれって言われる事がいかに有り難いかだよね〜。



フォトアルバム

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SAT

 立てこもり事件でSAT隊員がなくなった。被弾したのが防弾チョッキの前と後ろをつなげた場所で、そこは防弾になっていないので、運が悪かったとしか言いようがない。犯人はもちろんそこを狙っていたわけじゃないし、装備に不備があったわけでもない・・・。
 SATというのはエリートで、一人を育てるのに金と時間がかかる。マニアがいて多くの情報が出てはいるが、その信憑性は分からない。僕の知り合いに一人いるけど、試験内容、訓練内容は親類にすら秘密で、家族側からも聞く雰囲気にはならないそうだ。
 うちにも警察官が一人いるし、こういう事件が起きる度に他人事とは思えない。実際殉職のニュースを聞いたときは安否を心配したんだよね。恐らく彼らはある程度「最悪の状況」に対する覚悟は出来ているだろうけど、周りの人はそうは行かない。僕の知り合いのSATの兄貴と良くそういう話をするけど、本当にそうだ。だからこそこの世は平和であって欲しい。

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チャットっていうアレ

 昨日の夜にまたウイイレのPC版をやったんだけど、1対1ではなく、2対2という、知らない人とペアを組んで、これまた知らないもの同士(とは限らないけど)と試合をやるという、中々面白いシステムである。
人と組んでやるわけで、ある程度のコミニュケーションが必要となる、かと思っていたけどそんなことはなく、短いチャットだけで済んだ。試合中はリプレイの場合のみに長いチャットができるけど、試合中では
sr SORRY
np NO PROBLEM
oc おしい!
という略語ならぬ略字?みたいなものを使う。僕はまったく何も知らないのでマネをするしかないけど、とりあえず
シュートを外したら sorry それ以外の人は nice shot!
と反応するのが普通のようだ。もちろん、試合前には「お願いします」、試合後は「お疲れ様でした」、と相手に対する礼儀を表現することがエチケットである。
 で、昨日その2対2の試合を終えた後に、チャットでの会話になり、
「あの人は負けそうになると切断してくるから気をつけた方がいいですよ」
みたいな会話になり、初めてのチャットを行いました。ま、別にどうってことないけど、自分の中で構築されるイメージが合っているのかが全く分からないから、なんだか不思議な気分になってくるんだよね〜。全然男口調だけど、もしかしたら凄い美人がウイイレが好きだって事を回りに言えず、夜な夜なパソコンに向かっているかも知れないよね!ってそんな事ねえか。

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ヴォイニッチ手稿

 不思議な書物は存在するもので、ヴォイニッチ手稿というのがある。イラストが多く含まれた古文書で、1912年にイタリアのとある寺院で発見された。この本が面白いのは、今だに誰も読んだ事がない事である。
 何故かというと、この本は誰もが見たこともない文字で書かれていて、意味があるかどうかは不明なのだ。解読に打ち込む研究者や団体は未だに研究を続けているものの、その中身に何があるのかは誰も解らない・・・。書かれている文字には意味はなく、実は壮大なイタズラなのでは?という考えもある。
 さらにイラストには植物らしきものが多く、ありそうだけど実は存在しない植物だらけなのである。
 写真がこの本の1ページなんだけど、(フォトアルバムにアップ画像あり)たしかに意味がありそう。元もと読めないのか、読めないように書いてあるのか・・・、謎である。
本なのに誰もが読んでいないなんて、シュール過ぎて面白い。イタズラで作られた本にいい大人が振り回されているとしたら、もっと面白いんだけどなあ。

フォトアルバム

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古書への憧れ

 人間の歴史がいつ始まったかというと、それは書く事を憶えた瞬間であろう。口述でなく、書くことで後生に何かを残す事は動物にはない、人間ならではの崇高で文化的な行為である。それを書いた人間が死んでも、書くことで何かを残し、それを次世代の誰かがより高い次元に上げる。これは人間が知性を発達させる事であり、教育であり、歴史を作る事なんだよね。

 ジョニー・デップの映画で「ナインス・ゲート」というのがあって、世界に3冊しかない本を取り合う話である。それらの本には重大な秘密が隠されており、3冊を揃えた者のみがその秘密を知る事が出来るのである。
 この映画ではオカルトな味付けがされているけど、古書に対する評価は大変なもので、歴史的な資料としてはもちろん、時代を越えて存在する事への評価でもある。印刷技術が生まれるまで本は手書きでコピーされたわけで、数は圧倒的に少ない。その数の少なさもまた所有するものにとってはこれ以上ない優越感だろう。
 文盲が当たり前の時代に、極一部の限られた人たちが怪しげな奇術が書かれた本を回し読みする・・・。中身は錬金術や死者の蘇生方法、秘密結社の儀式を描いているのかも知れない。常識も価値観もまったく違う現在と比べると、読んでいるその瞬間の気持ちよさは想像もできないぐらいに凄いんだろうなあ・・・。それを想像しただけでワクワクするのは俺だけ?
 
 というわけで僕は古書を持ちたいと思う。読めるかどうかは関係ない!今から必至で勉強して歴史研究者になるか、博物館のオーナーにでもならない限り手書きコピーの時代の本を触る事は無理なので、ここはゲーテの初版本、それも「若きヴェールターの悩み」が欲しいと思ったので調べてみた。結果をいうと存在はしているみたいだけど、奈良大学の図書館の金庫に稀覯本として収蔵されているらしい。やっぱり個人で持つ様なものじゃないのね・・・。

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やってやった

 今日のニュースステーションで僕が少し前に書いた中国ネタが放送された。中国の風邪シロップに毒薬が混ざっていた例のネタだ。事件は昨年の9月に起きているので、日本のメディアがこの事件を報道するのに時間がかかりすぎている。原因はたくさんあるだろうけど、一番の原因はなんといっても中国に対する配慮である。
 犠牲者が300人以上いる時点でとんでもない事件だけど、中国が関与を認めるまでに時間がかかった。原因が特定され、パナマまでのルートが暴かれ、生産地が特定されるまで中国は知らんぷりを決め込んでいた。世界から批判され出してやっとその関与を認め、重い腰を上げる形となった。日本ではそれを待っての報道となってしまった。中国が認めるまでは報道しない・・・、顔色を伺っていたのだ。
 今回の件だけではなく、電線がパクられた事件でも中国の暗躍を報道する事がいつからかでなくなった。詳しい事は分からないけど、裏での規制があったりするのかなあ。それにしてもニュースよりも、新聞よりもブログの方がニュースを早く伝えるなんて、どんな世の中だ?

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40歳弾

 書こう書こうと思っていたカズのゴールについて。シュート的にはまぐれ?な臭いはするけどあの場面であの体勢からシュートを打とうとする気持ち、しかもボールが落ちてくるのをあれだけ待つ事ができる選手は日本に何人いるだろうか。
 実はアンチ・カズも昔からいて、
*カズをスタメンで出すには交代枠を一つ確保する事が必要。
*客よせパンダ
*カズよりカズのスポンサーの方が実は魅力的

と良く言われていたが、現在ではほとんど聞かなくなった。カズの存在はアイドルのそれに近いものになってきているけど、嬉しい事にどの媒体にも尊敬の念がくみ取れる。
 で、ネットに面白いカズ伝説がたくさんある。本当なのかウソなのかは分からないけど、これを読んでいると僕は泣けてきます。全てに著作権があるかどうか微妙ですが、全てコピペです。

もんじゃ屋
キングカズは神だと思っている。

7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。

カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは いい笑顔で会話を交わしていた。 そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

ファンレター
昔弟とファンレター書いたとき、弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた。

ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら、俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった。

ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった。

カズのボール
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。それも、200個ものボールを。子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。少年たちはやはり喜んだが、渡されたアディダスのボールを見て「アディダスではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」「『カズ』のボールはとても使いやすかった」と口々に言う。

Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。


もう1回だけ、1回だけでいい。
「よく励ましの言葉とかエールとかっていわれるんですけど、僕の方が皆さんの言葉や励ましから、勇気を貰ったりしているんです。僕からのエールと言うよりも本当にみんなと頑張っていきたいなとおもっているんですけどね。 同世代の人も含めてみんな頑張って目標に向かって進んで行きましょうってことですかね。」

「練習も含めて試合全てが、一つ一つに想いを込められる。やっぱりこれは年齢でしょうね…。もう確実に先は短くなってきている…。昔も絶対に一つ一つに対して、プライドを持ってきてやってきたつもりなんですけど、今の思い入れとは全然…サッカーを愛する気持ちは全然変わりました。」

「ジーコもう1回だけ呼んでくれないかな…1回だけでいい… 一生懸命やればいいよ…。」

カルチョの国で
94年9月4日ミラノのサン・シーロ・スタジアムでのセリエA開幕戦。相手は3連覇を成し遂げ、4連覇を目指す王者ACミラン。カズのイタリアデビューである。しかし、それが一瞬にして悪夢に変わるとは誰も予想していなかった。前半28分、セリエAを代表するDFのバレージと激しく接触。前半は気合で乗り切ろうとするが、もはや目も腫れて塞がっていて満足に物が見えてない状態だった。

前半終了後すぐに近くの病院へと足を運んだ。鼻骨骨折…全治2ヶ月…。恰幅のいいイタリア人の医者は笑顔でこう言った。「いいかい、ジャポネーゼ…。君の長いサッカー人生を考えれば、これはちょっとの休息だと思えばいいんだよ。」カズは医者の顔をまっすぐに見据えながら、流暢なイタリア語で答えた。

先生の言いたいことはすごくわかるよ。僕もこれまでもっと厳しいケガを克服してきた。でもね、僕には時間がないんだ。僕はここでは招かざるゲストなんだ。みんな周りは色眼鏡で僕を見ている。なんだ、こいつは?ってな具合でね。試合中や練習中に僕にボールが回ってこないこともある。でも、それは僕にとって些細なことなんだよ。僕は自分にボールが転がってきたら、それを決めるだけの自信があるからね。でも、僕が我慢できないのは、日本人がサッカーできないと思われることなんだ。僕は証明したい。僕の力だけじゃなくて、日本人の力を証明したい。結果を出す時間は10ヶ月しかない。その中の1ヶ月を失うというのはあまりにも大きいんだ。先生、別に鼻なんかなくてもいいんだ、目さえ見えればいいんだ僕がすぐにプレーできるって診断書書いてくれないかな…。

カズはそこまで言ってから下を向いた。恰幅のいいイタリア人の医者はこれほどまでの熱意を目の当たりにして言葉を失っていた。

そして、翌日チームに届けられた診断書には全治3週間と書かれていた。カズは今でもちょくちょくその病院の先生に挨拶に行くという。

代表ユニフォーム

カズは毎回、代表に召集されるたびに「これが最後かもしれないから」と、代表ユニフォームをもらって帰っていた。そんなカズに、用具係の人が「(カズさんならわざわざ持って帰らなくても)次に来た時、渡しますよ」と軽い気持ちで言った時、キングは即座に言い返した。

キング「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」

今の代表ユニフォームをキングがもらって帰る日がくることを願っている。


サッカーの話

Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。 せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、「お楽しみのところすいませんが」弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。と厚かましく、言った。

カズさんは、「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。

弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。

するとキングは「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。

カズは、振り返って一言言った。表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」


猫になりたい

ずいぶん前に読んだ雑誌からの孫引きなので、細かな部分には間違いがあるかもしれないが、とにかくサッカーの三浦知良選手が、どこかの幼稚園を訪れた。リフティングやカズダンスを披露し、喝采を浴びたあと歓談の時間となり、三浦選手は園児たちに、「みんな将来は何になりたい?」と尋ねた。

園児たちは当然「Jリーグ入りたい!」「セリエA行きたい!」などと口々に叫び、三浦選手はウンウンとうなづいている。そのうち、大工さんになりたい、という声が上がった。ケーキ屋さん、お医者さん、という声も出た。

三浦選手はやはりうなづき、「どれも大事な仕事だね。大変だけど夢を捨てちゃいけないよ」

すると、それまで黙っていたひとりの園児が手をあげていった。

「ぼく、猫になりたい」

幼稚園の先生や親たちは息をのんだ。三浦選手は大きくうなづき、「猫になる、っていうのも大切な夢だよね。いいかい、ぜったいに、その夢をあきらめちゃいけないよ」

このエピソードを知って以来、三浦知良とは、サッカー選手というより、偉大な人間の足下にボールが転がってきたので、偉大な人間らしい態度でひたすらそのボールを追いつづけている、といったような人間なのだと周囲に触れ回ってきた。

その園児が、後の猫ひろしである。

後悔したくないから
2002年W杯の日本vsベルギー戦の直前まで、カズは一人黙々とグラウンドで練習を続けてコンディションを整えていた。

ある記者がカズにその理由を尋ねると、カズは「試合直前だけど試合が始まるまでは何が起こるかわからないよね。もしかしたら集団食中毒が起こるかもしれないし、代表に選ばれたFWが怪我するかもしれない。そして、もしかしたら誰かの代わりに自分が選ばれるかもしれない。もし、そうなって自分が日本代表に選ばれた時、恥ずかしいコンディションでピッチの上に立つなんてことは、自分には絶対にできない。日本代表というのはそういうものじゃないんだ。後悔は絶対に残したくないんだ。」と答えた。

反省

サッカー文化の歴史が深い国の選手は「カズは98W杯の日本代表には必要だった」と言います。強豪国と言われる国は、必ずベテランを代表に入れます。あの時点で日本で最も修羅場を潜り抜け、経験値が一番高かった選手は間違いなくカズだった。彼を引きずり下ろしたのは、僕らを含めたあの時の流れ(世論)が大きかったと思う。思い返すに、どこかに彼を引きずり下ろそうとする好奇な報道、視点が世間的にあったのではないか?

それに軽はずみに乗った自分達もよくなかった。

まぁ、俺がのったところで、何もかわらないのは承知ですが、そういう人達の積み重ねで流れは作られるから、その一人としての反省です。あの時カズが代表に入らなかったことは、日本サッカー史の汚点だと思います。

この事を考えられたのは、彼が現役でプレイしているからだと思います。あれだけのドン底を味わってもなお、サッカーをプレイし、楽しみ、マスコミにも丁寧に応対し 、ファンを大切にしている。カズが98年でサッカーを辞めていたら、Jで復活していなかったら、今回のことを考えることはなかっただろう。

色々言いたいことは沢山あるのでしょうけど、それを堪えてグランドで勝負している姿勢も尊敬します。代表落ちして、あれだけの好奇の眼にさらされた時にも、ちゃんとマスコミに対応していました。あの一瞬だけを見ると、堕ちた英雄という見方も出来るかもしれませんが、あの時、カズがマスコミを通して見せたプロとしての姿勢の意義は、今振り返るととてつもなく重いものだと思います。現状を受け止め、逃げなかった。

今でもプレイしているからこそ、俺も97、98年を振り返り、あの時の自分達の振る舞いは正しかったのか?を考えることができるのだと思います。

そして40歳になった今も、カズはカズであり続け、毎試合全力を尽くし、プロであり続けています。

それに、彼はいつもダンディです。オトナがカッコつける意義を教えてくれます。




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白髪

 ガキの頃に読んだ短編で、白髪をテーマにしたホラー小説があった。ナルシストな主人公の男が鏡を見ながら白髪を一本発見し、それを抜こうとする。最初は手で抜こうとするが、上手くつかめずに失敗ばかり。次にピンセットで抜こうとするが、上手くつかめない。今度はハサミで切ろうとするが、他の毛ばかり切れて肝心の白髪は切れない。この時点で自慢の髪型はいびつな形になり、白髪の周りだけ髪が薄い状態になる。イライラした男はナイフを取り出し、一気に髪の束を切ろうとするが頭皮を傷つけてしまって、血だらけになってしまう。男の怒りは頂点に達し、こうなったらスキンヘッドだと思い全頭髪を剃るが、不思議と白髪だけが剃れない。男はついに精神的におかしくなり、拳銃を取り出して白髪の頂点を持ち、引っぱりながら白髪を撃ち切ろうとする。1度目は外すものの、2発目には拳銃で頭を撃ってしまい死んでしまうというものだった。
 僕は中学生の頃からすでに白髪がたくさなんあったんだけど、自分ではそれが凄くいやだった。さすがに上の男の様には成らなかったけど、鏡の前に立って、手鏡で後頭部の白髪を抜いたりもした。この作業には中毒性があって、どうしても止められてない。大した問題でもないので気にしなければいいんだけど、当時の僕には一本の白髪すら認める事ができなかった。 今では全く気にならなくなった。そうなると今まで見えていた白髪が見えなくなったから不思議である。
 昨日、愚かにもフィジカル練習前に@3、@7とアリーナのジムに行った。(やめて置けばよかった)。日曜日の午後なのに、結構な人数がいてビックリした。折角の日曜にみんな何をしているんだ?と思ったけど、誰にでも白髪と同じ様な「許せない一線」があるんだろう。

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お疲れ様でした。

 いやー、今日は大分長い一日だったのではないでしょうか。しかし、丸一日というのはコレで最後じゃないのかな。(そう祈っています)。その後にも元気にフィジカルで走るみんなを見て、
「コイツラ馬鹿だなあ」と思いながら、
なんとも言えない逞しさを感じました。スピードや能力に差がありながらも、最後まで諦めないのはとても大事な事です。勝って兜の緒を締めるじゃないけど、この姿勢は後から絶対効いてくるよ。シーズンは長いし、もうすぐ夏だしね。とにかく走ることは絶対無駄にはならない。うん。

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JUST FOR KICKS

 5月19日ぐらいに、スニーカーについてのドキュメンタリー映画が公開される。非常に楽しみである。スニーカーの歴史はそんなに深いものではないのでそれを振り返り、まとめる事って今までになかったから楽しみだ。
ADIDASがRUN DMCにフューチャー(今っぽい表現!)され、NIKEがマイケル・ジョーダンによって広められた様に、スニーカーは時代を表すものでもあるんだよね。スニーカー文化があるかどうか分からないけど、それに近いものは確立されていて、ビジネスとしては年間に26億ドルのドル箱でもあるんだよね。
 HIP HOPスターの多くがいつもピカピカのスニーカーを履いていきがっているけど、その裏では発展途上国の国民は安すぎる賃金でスニーカーを作っている暗い部分もある。その側面に光があたる事はめったにないけど、NIKEの工場で子供が働かされた事もあったという事実もあるんだよね。楽しみだ。

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俺も中国なみ

少し前にヨドバシカメラに行った時に、ユニに張り付けたワッペンと同じようなものを見つけた。家庭のプリンタで印刷して、紙をを切って同じようにアイロンで貼り付けるものである。もちろん、團長が作ってくれた本物のワッペンとは耐久度も色合いも全然比べモノにならないけど。
 で、勝手に色んな公式グッズを作ろうと思っている。新しいプラシャツなんか良いかも、と言う感じで。今あるTシャツの胸に貼り付けるだけでそれっぽくなってなかなか楽しい。貼り付ける行為そのモノが楽しいので、僕にはホペイロの才能があるかも知れない。裁縫好きだしね、実は。そのうちそれとなく着ていきますので、欲しい人は一緒に作りましょう。

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パクリの罪

 少し前に書いた中国のディズ似ー・ランド((C)どこかの新聞)の話題が相変わらずニュースを騒がせている。今日の朝の時点ではその遊園地が全てのパクリをやめ、偽シンデレラ城を壊している映像が紹介された。遊園地の広報担当者は
「模様替えです」
と発表したようで、模倣を認めたわけではないそうだ。
 このニュースは中国のコピー文化をとても良く表している。ひねりの聞いた上手い言い訳と偽ディズニーキャラの完成度の低さは笑いを誘って、未だに引っ張れそうな話題だ。
 中国がコピー天国である事は昔からの事。バイク、車、電化製品のパクリは多い。

SAMSUNG→SANSUNG
SONY→SQNY
HONDA→HONGDA
SUZUKI→SUZIKI
ZOSHIRUSHI→ELEPHANT
YAMAHA→YAMENA

と、儲けたいのか笑いを取りたいだけなのか解らないそのパクリ具合は見ているだけで面白い。
SONY→SQNYには消費者をだまそうとする悪意が見え隠れしているけど、
ZOSHIRUSHI→ELEPHANT
は優秀な放送作家が考えたとしか思えない。(笑)

 とまあ、多くの場合は「しょうがねえな〜」と笑いに出来るけど、笑えないニュースもある。

 去年の9月頃、パナマで風邪シロップを飲んだ子供100人ぐらい死亡したんだけど、これは中国が作った偽造薬が原因だった。
 病院に患者が押し寄せて、身体の一部の機能が停止または麻痺したり、呼吸困難に陥ったりと特異な症状で、原因は分からないままだった。 唯一の手がかりは、患者全員が風邪シロップを飲んでいたという事だけだった。大騒ぎになってアメリカのの医療陣まで派遣され、風邪シロップに含まれていた「ディエチレン・グリコール」が原因であることが解った。この成分は毒物で、もちろん口にしてはいけないもの・・・。
 この偽造薬のせいで結局360人ちかく死んだらしいんだけど、その中の100人以上が子供との事。親から薬を飲まされた末の出来事だから、そのショックは大きい。中国はその責任を認めていないらしいけど、作った工場が上海にある事は解っていて、どうやってパナマまで輸出されたことも調べられている。うーん、重すぎてコメントが出てこないニュースである。

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スター

 最近の芸能人は特別な存在ではない、という指摘が@10からありましたが、言われて見ればその通り。気になる芸能人というのは世代によって大分ちがうだろうけど、現代における芸能人というのは以前より身近な存在となっているのは間違いない。そのせいだろうか、「大スター」と呼ばれる人はあまりいない。キムタクがどんなにすごい存在だろうが、高倉健には叶わない。そう、大スターが生まれる土壌というのは特殊なものなのだ。
 今後高倉健の様な、美空ひばりの様な、山口百恵、力道山、長嶋茂雄の様なスターは絶対に生まれてこない。それは時代がちがうから、である。上記のスター達は戦後復興の日本を励ましながら、テレビの普及とともに現れたスターである。「テレビと共に」というのがポイントで、テレビが特別なものだった時代に活躍した彼らはより特別な存在になるんだよね。特別なものであるテレビの中に映る特別な人たち、その存在はきっと凄く強烈なものだったんだろう。おまけに今ほど情報が豊富ではなかったので、その素性は一切知られなかっただろうしね。人々が描いたイメージは凄く大きく、輝いたものだったんだろう。異次元の存在ぐらいに思っていても不思議ではないんだよね。
 現代ではテレビ、ラジオ、衛星放送、インターネット等、芸能人の素性を知るツールがたくさんあって、芸能人を身近に感じる事ができる。僕らが彼らを「僕らと同じ人間」だと思うのは当たり前だけど、時代によってそうでなかったって事が言える。考えてみればこの感覚の違いはとても面白くて、技術の進歩が人間の生活にどれだけ影響を表しているか分かるね。

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ユニフォーム

 緑のユニが完成したのはちょうど一年前の事である。今回のグレーと比べると制作期間も、僕らの中での摺り合わせも、共に時間がかかっている。大人数の意見を合わせる事は困難で、誰かの意見が通れば誰かの意見が日の目を見ない、という事は当たり前であるものの、出来上がった時の喜びは全員同じというのが不思議な事である。ユニ番長として(もちろん権力者のつもり)一番嬉しい瞬間である。
 ユニの作成というのは注文者、作成者、そして注文を受ける中間業者にとって細心の注意をはらわなければならない仕事である。デザイン、サイズ、番号、番号書体、マーキングの位置、色あい、枚数、全て注文者と中間業者の合点があってからの作成になる。そしてその過程でミスは絶対にあってはならない。その為何度も打ち合わせをする。時には店内で、時には電話で、メールで。作成するのに時間がかかるものなので、サイズを間違えただけでも一大事である。チーム内で一人だけユニが間に合わない事態になってしまった場合にはクレームだけじゃ終わらない。
 中には「強うそうな感じの〜」みたいな曖昧な注文もあるだろうし、出来具合が気に入らない注文者もいるだろうし、ほとんどの注文は
「できるだけ早く欲しいんですけど!」
と難しいリクエストであるだろう。制作中には注文者から度々まだですか?の電話攻撃もあるだろうし、リスク、手間、かか時間を考えるとショップ側にとってあまり美味しい仕事ではないと思わんだよね〜。

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権力って奴は

 人間にはどうしても他人より良く、強く、高くありたいという、本能に近い願望がある。人類皆兄弟、世界平和を願いつつも、私生活では誰もが他人より少しでも優位な地位に立ちたいと思っている。それは容姿、金銭、社会的評価、幸福、才能、ありとあらゆる面でそうである。そして現実世界におけるその差も歴然としていて、生まれながらにして個人差はすでに存在している。優劣は絶対に存在しているが、必ずしも才能や力量とは比例しない。すなわち、能力・才能に恵まれた者が必ずしも権力を握るわけではない。

 仕事や人生での色々な場面で権力ある人と出会って来てわかった事で、
「権力(力)のある人ほど、その力を振りかざさない」
というのがある。
 学生の頃に清掃のアルバイトをしていた千葉にある某記念病院の院長は、僕に気さくに話しかける人であった。コーヒーまでおごってもらった事があった。おじいちゃんなんだけど「じゃ頑張ってね」と言って手を挙げながら去っていく姿を僕は素直に格好いいと思った。これまたアルバイトをした大阪の和食チェーン店の社長はサンダルで店に来る人であった。どこの爺さんだ?なんて思っていたら店長達がぺこぺこしているのを見てびっくりした覚えがある。共通するのはその謙虚さである。もちろん、社長・院長とアルバイトの差にはハッキリとした差があって、友と友の付き合いにはならないけど、人間的な豊かさが見て取れてとても気持ちが良かった。
 それとは逆に小さな権力を振りかざす人もいる。権力のある人物が謙虚な態度で人に接すればそれだけで好印象を与える事ができるのに、見方を変えればもったいない事をしている。その姿はとても滑稽で笑えるけど、良く考えたら非情に物悲しい。その権力が実は大したものではない時ほど悲しい。他人を上から見たり、力を誇示するのは快感があるんだろうね、きっと。
 権力というのは実はとても責任の重いもの。その力が大きければ大きいほど責任は増す。我がFloriano'にも色々と責任を負っているメンバーがいる。すなわち彼らに決定権があり、それはある意味では権力と呼ぶ事が出来る。残念ながら我がチームの場合は労務とプレッシャー、雑務があるだけで、権力と呼べるような甘い蜜はないけど・・。
 

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お疲れ!

 お疲れ様でした!とりあえず初めての勝ち点を獲得したという事で、第一歩を踏み出した感じですか。ま、試合以外にも色々な仕事があって、そっちもお疲れ様です。言うまでもないけど、僕らがプレイできる環境は多くの人の努力、我慢の上に成り立っているわけで、それを思うと軽率な行動は出来ません。再確認させてくれた一日でした。ね。

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バベル

 映画「バベル」を見た。期待していた通りに面白い映画であった。となりの馬鹿オンナがチラチラと携帯電話をチェックしていた事以外は。
 「バベル」は「バベルの塔」からそのまま取られている。バベルの塔というのは、人間が神に近づこうとして高い塔を作ったところ、神がこの行為に怒り、同じ言葉を使っている事が原因だとして、人間それぞれに違う事を話せるようにした。それ以降人間は混乱に陥り、同じ言葉を話す人同士で集まり、現代ができたという話である。人間の愚かさを表した教訓めいた話でもあるんだよね。
 で、映画はその言葉の違いによって気持ちを伝える事ができずにすれ違いを重ねる人々を描いている。話が話しだからイライラしっぱなしの展開だけど、良く考えると良くある事だわ〜、と納得。必見です。

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ウイイレネット対戦

 一時期収まっていたウイイレネット対戦をまた最近やっている。ワールドワイドとは言っても、回線速度やPCのスペックのため、どうしてもラグが生まれる事が多く、日本人ばかりと対戦している。この「日本人ばかりと対戦」というのはどうやら当たり前みたいで、対戦相手を募集する時にJP_ONLYとか条件をつけたりするやり方が一般的。これは面白い現象で、実世界と同じで、オンライン上にもマイノリティのコミュニティが生まれているという事になる。日本人同士(距離が近い同士)で対戦をするとラグなしで快適にプレイする事ができるので、どうしてもそうなってしまうのは仕方ないけど。
 ここでわかったんだけど、どうも僕は「弱い」部類に入るようだ。5試合して1試合やっと勝てる僕の実力では成り上がる事は到底ムリ。僕はすでに100試合近く重ねているけど、相手の戦歴を見ると
558勝410負70分
とかだったりするので、こなしている試合数が違いすぎるのだ。さすがにココまでやる根気が僕にはないので、そこまではしようとは思わないけど・・。
 ウイイレにもゲームで言う「ハメ技」の様な得点パターンがあって、これ利用する人が多い。僕はこれが嫌いで、(やれと言われても多分出来ないけど)落としをシュート!みたいな得点を取るのが面白い。サッカーゲームではなく、フットサルゲームもあれば凄くいいと思うんだよね。4人対4人オンライン対戦みたいな事が出来たら楽しいだろうに。そっちだったら俺も上手くなれるだろうし。

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ニュースの早さ

 昨日書いた遊園地のネタなんだけど、いつも読んでいるブログでその存在知って、調べてみたのね。で、家に帰ったらそのネタがヤフー!ニュースに出ていて、(しかも画像まで同じ)、今日の昼にはテレビのニュースに出ていた・・・。しかもテレビのニュースでは新たなキャラの存在が発覚。なんと、ドラえもんらしき人形がいたのだ。
 遊園地の管理者らしき人物のインタビューもあり、
「ディズニーに似ているけどマネしたわけでありません」
とおっしゃっていた。かと思えば人形の中に入っている人へのインタビューでは
「うん、マネマネ。だってディズニーまで行って動き方の勉強をしてきたんだもん」
と爆弾発言。しかも園内で他の客の前で被り物の頭だけを取り質問に答えるという大陸的なアバウトさが最高である。
 次に園内の風景が流される。とにかく人形の中に入っている人が熱くて良く頭だけを取る。しかも子供や客がいる前でも平気で取る。そしてキャラ同士でしゃべる。
 本当にニュースが流れるのが早くて、ビックリした。僕の中ではただの面白いネタだったけど、これがテレビニュースになるなんて驚きです。そのスピードも凄いけど、良く考えるとこのニュースが面白いと世の中が認めているってことだよね〜。違う意味であの遊園地に行ってみたい。

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石景山遊楽園

 今最も熱い国といえば、中国であります。北京オリンピックに向かって猛突進する経済活動は眠れる大国に色んな変化を起こしている。隣国から建材をパクッて自国で流用してしまう逞しさには世界中が驚きましたが、もっと面白いことがありました。ハッキリいって面白すぎです。
 石景山遊楽園という遊園地があるらしんだけど、これがディズニーの要素をチョコチョコとパクッているのだ。「ディズニーは遠すぎるから」というキャッチコピーがあるぐらいだから、潔すぎる確信犯なのです!

フォトアルバム

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悔しさとは

 他人を理解する事は難しいけど、自分を理解する事も実は難しかったりする。自分でも知らない間に自分の中で新たな価値観が生まれたり、自分では気付かない内に何かに執着していたりする。家族や周りの人から
「最近変わったね」とか「いつの間に○○になったの?」
等と言われ、その時にふと気付く
「太ったね・痩せたね」
「年取ったね」
「明るくなったね」
「うまくなったね」
等の外見的な要素ももちろん、精神的な事もそうだったりする。
 たしか一昨年の終わり頃だと思うんだけど、父に
「お前最近フットサルやっていて幸せそうだね」
みたいな事を言われた。日本語にするとちょっニュアンスが伝わりにくいけど、
・フットサルが楽しそう
・フットサルと出逢えて楽しそう
的な事を言われた。当時の僕は仕事が忙しい上にフロリアーナは負けが混んでいて、僕的には冬の時期だった。僕的には不動明王みたいな面構えをしていたつもりでいたけど、そんな事を言われて以外だった。今でもあの時期が楽しかったとは言えないけど、実はそれなりに楽しんでいたのかな、俺。苦しい時やどうも上手く行かない時を後から振り返っても消化できていない事が多い僕だけど、どうだったのだろうか。
 で、この前の結果を受けて、あの当時の頭の中を思い出してみようと思った。苦しい時を乗り越えるヒントがあるのかも知れない。でもねえ、なんだか今の気持ちは感じた事のない感情なんだよね。ただ悔しいだけじゃなくて、甘かった自分への喝、上手く行かなかった事への後悔、そしてまたやれば上手く行くかもしれない希望、今すぐにでもまたやりたいモチベ。悔しいけど、この悔しさを糧にしたい。誰もがいうもはやありふれた言葉だけど、真の悔しさってこういうものだったのね。

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