2007/5/31 木 | 2007.05
美の基準
化粧品売場の横を通り過ぎると、美しい女性達が挑発的な眼差しをこぼしています。等身大ポスターともなると何とも言われぬ迫力があって、ちょっとドキドキするのは僕だけでしょうか。
なにやら40年ぶりに日本人がミス・ユニバースに輝いたらしいです。40何年ぶりの事だから、大変な事であります。昨日も新聞やテレビで報道されまくりましたけど、面白い事に新聞でデカデカと紹介された写真は本人のものではなく、最終予選までに一緒に残った韓国人参加者の写真であった。報道機関としては限りなく恥ずかしいミスですね。写真はAP通信がメキシコから配信したもので、配信時の写真説明には英文で「Honey Lee、Miss Korea 2007」と書かれていたらしいので、英語が読めなかったのか、単に間違えたか、という事になります。
面白いのは「美」で優勝したのに、その一番の効果的な武器である写真を間違われるという非常に脱力感に襲われる所であります。
昨日の顔ちぇき!といい、化粧品売場のポスターといい、人間は容姿がとても気になります。流石に誰もが世界一になりたいとは思わなくとも、「美しくあること」は絶対的な価値観であって、揺らぎはない。化粧品売場こそはこの表れで、上に書いたように美女達のポスターがあちこちに貼られ、これでもか!というぐらいの迫力でその美を発揮しています。僕はそれらの美人を見るのは大好きだけど、この場合怖い何かを感じるのは何故だろう。モデルの顔アップなんかをジーッと観察してていると、完璧すぎる肌とパーツ、色合いにとても人工的な何かを感じます。写真はPhotoshopで修正されているのは当たり前だけど、完璧すぎる美しさは人間らしさと離れていって、しまいにはCGになるんじゃないか?と思ってしまう。自然、ではないんです。これは商品を売るための策、仕方がないのかも知れないけど・・・。
ミスコンではたんに容姿ではなく、教養や社会活動への参加など、人間としての価値も審査基準に入るらしい。これはこれで何だか変な感じもするけどね・・・。