2009年3月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  

一年お疲れさまでした。

 ついにやってきました、今年の最終日。今年はスタートこそ良かったのもの、5月くらいから負けはじめ、そのまま負け続け、負けながら終わった一年だった。

2005年度成績は   

17 WIN 30 LOSE 9 DRAW

です。

これは公式戦の結果で、練習試合などは含まれません。

得点は

内野22得点、高山20点、伊波17点、中村恵10点、山下9点、福島・蛭間・河村6点、高田5点、網代・磯野・岩瀬・多田・高森2点、山澤1点。

まあ、こんな感じか。
負けだしたら自信とプライドをなくしていって、負け続けている内に実はそんなものは初めからなかったことに気付いて、最後だけでも飾ろうと必死にやったが、実は実力もなかった事に気付かされた一年だった。
 チーム発足以後、一年間みっちりやり続けていた自負みたいなものはあって、最初はそれを頼りにしていたのだが、途中からそれでも足りないんだという事に気付いた。負ける度に噛み合わない歯車が少しずつヨレヨレになっていった、と思っていたけど、実は歯車がガッチリあったなんて事はなく、僕らは得体の知れない「やれる事はやった」という満足感の上であぐらをかいていたのかなあ、なんて思ったりして。
 ま、いくら反省の能書きを垂れても意味はない。これだけ負けたのだから、各々心に引っかかるものはあるでしょう。逆にこれだけ負けても何も感じない人はいないはずだしね。チームというのは個人の集合体だから、やっぱり個人が何が出来るかを考えるべきなのだろう。
 上に書いたように、
「失うものなんてないとは思っていたけど、実は初めから何もない」
が僕らのスタンスだと思うんだ。築いたものがあるわけじゃないしね。
 もう僕らに出来るのは練習だけ。必死でやるのはもはやベースにしないといけない。それができるかどうか、がこの一年を決めるのだ、きっと。
 今年はみんな、本当にありがとう。この日記にレスをくれたイソ、ユーマ、ウチありがとう。團長も気持ちは伝わっていたよ、ありがとう。パスをくれた人ありがとう、トラップ下手でごめん。必死で走ってくれたやつ、ありがとう、俺も負けないよ。点とってくれやつ、ありがとう、来年はもっとって。体を張ってくれたやつありがとう、戦っている時の姿はみんな格好いいです。ケガをおしてがんばったやつありがとう、早く直して。金をだしたやつ、ありがとう。入団してくれた人もありがとう。試合に体は来ていないけど、魂は来ていたやつ、ありがとう。指導をしてくれた團長、発破をかけてくれた岩、ありがとう。イソッチ会計ありがとう、ヒルヤンも運営ありがとう。みんなお疲れ、みんなありがとう。来年はもっとがんばろうぜ!

僕らは当たり前につめたい

 兵士というのは新兵の訓練時代からずっと同じ旗の下に集い、学び、暮らし、互いを守る中で家族の様な連帯感を感じるという。戦争の悲惨な場面や危ない場面を一緒に過ごすことで、その絆は強いものになるらしい。が、戦いの最中、隣にいる友が被弾で即死をした時に最初に何を感じるかというと、それは
「俺じゃなくてよかった」
なんだそうだ。
 先日に大会の後、ちょっと時間があったから、ゲームを買ったんですよ。これが戦争ゲームで。真珠湾攻撃のもので、パッケージにゼロ戦が格好良く飛んでいて、面白そうだったんだ。で、家に帰ってからやってみたらさ、俺メリカ軍の兵士なのね、俺。ゼロ戦でも操縦できるのかななんて期待していたけど、そんな事なくて。沈み行く軍艦から逃げ出して、ゼロ戦をバッタバッタ打ち落としたまでは良かったんだけど、2面ぐらいで(言い方が古い?)フィリピンに飛ばされて、日本兵を相手に打ち合い。最初はなんか変な感じがしたけど、途中からどうでもよくなった。ゲームだしね。
 このゲームはアメリカ製のもので、変な日本人や日本語がでてくるかなと邪まな期待をしていたけど、そんなことは全然なくつまらなかった〜。逆を言うと、日本人に対するリスペクトみたいなものがあって、びっくり。特にゼロ戦に対する憧れに近い評価はすごいね。真珠湾攻撃のトラウマがまだ残っているんだろうなあ。

お疲れ!

いやー、今日はお疲れ様でした、皆様。
いくら遊びだとはいっても、心の中の炎がうずく時があって、最後にはやっぱり本気になってしまうのはフットサル馬鹿たる所以?いやー、楽しかったです。寒いなかのフットサルはやっぱりきついけど、昼間だったからまだよかったねえ。 ちなみに商品は輸送になるので、もう少しお待ちください。
 ああいう大会に行くと思うことは三つあって、

みんな若いなあ フットサルをやる人って一杯いるんだなあ みんなうまいなあ

である。本当に最近思うよね。技術的には個人差あっても体力では負けてないとは思うけど、若いていうのはもはや驚異だね。

教え

 昨日の話題を少し引っ張るんだけど、人が人に何かを教えるというのは、すごく崇高な行為なんだよね。おそらく人間が文化的になしえる最高の行為なんじゃないかな。文化的にも社会的にも、ノーベル賞級の発明と同等ぐらいの価値があるのではと思う。
 教えるのには先生である必要はない。教員免許なんていらない。実際、人生に必要なことを僕らは周りから学んだ。友達や親、出来事から覚える。
 今実際に僕らはフットサルを教えてもらっている。団長はフットサルにおけるセオリーや技術、考え方を教えてくれている。それは僕らのフットサルにおける「価値観」に直結するので、ある意味すごく責任のある事だよねえ。
 
 昔うちの社長に言われたもので、
「自分が何かをうまく出来るのは当たり前。でもだからといって、優れているとはいえない。本当に優れている人とは、自分が出来ることのレベルを超えられる人を育てた人間なんだ。」ようは、自分が何かをうまく出来ても、それを人に教え、それをもっとうまく出来る人に育てられないと意味がないということだ。最初は何を言ってるんだと思ったけど、よく考えたらなるほどなと思った。知識や技術というのは一代で終わってしまっては、もったいない。それを次の人に託し、またその人がその知識を磨き、またちがう人に託す。これこそが人間の成長なんだろう。
 
 で、団長からはフットサルの技術的な事だけではなく、「フットサルの楽しさ」も教えてもらっているんだよね。これは団長だけではなく、チームメイトからもそうだ。感動とか、興奮とか、連帯感とか。これってやっぱりすごい素晴らしいことなんだよね。
 教えるというのは、素晴らしいことで決して特殊なことではない。誰にも出来ることもあるんだ。いつか誰かに何かを教えられる人になりたいもんだ。

女王の教室

 今日は「女王の教室」というドラマを見る。厳しい先生とそれに負けまいとする生徒たちドラマだ。なんだか現在のドラマにない暗い雰囲気が気になって、途中何回かは抜けているけど今日最終回を見た。先生と生徒との関係は微妙なもので、学生時代ももちろん、今だってどう接すればいいのかは分からない。
 僕は幸いにも今までの人生で教師に恵まれてきた。こりゃ人間的にもダメだ〜、と閉口した教師もいたけど、学年を一つ上がるたびにいい先生に当たってきた。これはとてもラッキーなことで、感謝している。僕が学んだいい先生たちの共通点は教育者としても、人間としても「カッコいい」事だった。
 
 小学校の時に頭が変形するぐらいに殴ってくれた先生
 何が正しくて、何が間違っているのかを教えてくれたU井先生
 中学校に転入したときに右も左も分からない僕の面倒を見てくれたS谷先生
 専門の時に僕の奨学金のために努力してくれたO原先生
 学ぶことの楽しさと大事さ、そしてどう学べばいいのかを教えてくれたK西先生
 このブログでも何回も紹介したチリ人の先生

 曲がりなりにも成長した今わかったのは、子供の時に抱えていた悩みは大人になったからって解消する事はない。あの時僕をしかり、指導した先生も悩んでいたのだ。それでもみんな僕のために一生懸命やってくれて、おまけに憧れるほど格好よかった。大人になってその価値がもっと分かるようになった今、感謝せずにいられない。そして憧れは増すばかりである。
  

カウントダウン

 そろそろ一年を閉めるカウントダウンが始まるなか、今日は「ぱど」という無料情報誌の営業の人が店に挨拶に来てくれた。一年前ぐらいからつきあいが始まり、二人で色んな企画を考えた若い営業マンのだ。年が近くて話しやすい人なので、僕としてもとてもやりやすかった。
「ぱどに僕のコラム欄作って下さいよ〜」
「お金だしてくれるならいいですよ〜」
ぐらいな感じで話しができる。
 最近同じ年代の人と取引をする事が多くて、とても助かっている。何年か前までは年上の人が多くて、僕もだけどきっとそっちもやりにくいんだろうな、と思っていたりした。営業となると僕をたてないといけないし、僕は年下だからそんな事しなくていいですよ〜みたいな態度になってしまうし。複雑だ。
 ま、よく考えたら、そろそろ僕らの年代が企業や社会に置いて、メインのポストを占める時代なんだろう。なんていうか、社会の中心?日本の未来は俺らの肩にかかっている?みたいな感じかな〜。簡単にいったら、働き盛りなんだろうね。学生時代には自分が「ちゃんと働く事」は絶対にイメージ出来なかったが、社会の仕組みはうまく出来ている物で、いつの間にか僕も社会人になってしまった。つい先日も、自分の事が嫌いになる様な完璧な嘘をその場で思いつき、とある監査機関をかわしたばかりである。本当、人って変わるものである。自分が望もうが、望むまいが。
 

クリスマスにケーキ

 メリー・クリスマス!
昨日はみんなケーキを糖尿病になる手前まで喰ったと思うんだけど、イタリアの移民が多いアルゼンチンでは上のドライフルーツ入りパンケ(パネトーネ)を食べます。ケーキは食べないんだよね。このPANETONEも日本で買うことが最近できるようになって、僕が数々の事件を起こしたあのコストコにも売っています。価格はたしか1050円だったと思う。ケーキよりも安いし、全然美味しいんですよ、これが。イタリア産のものが特に珍重されていて、3000円するものもある。
 ま、クリスマスに何喰ったっていいと思う。昔海外に住んでいた人が、
「僕がいた国ではクリスマスにケーキなんて食べないんだよ〜。あれはケーキ会社の策略さ〜」
とちびまるこの花輪くんみたいに言っていたけど、(自慢げにね)別にいいじゃん!なんて思っていたりした。俺は昼にお好み焼き喰ったもんね!それはそれで美味しかった。
 というわけでこのパンに興味のある人が是非食べて欲しい。飲み物はもちろん、メッコールで。

メリー・クリスマス!

 メリー・クリスマス!
 一年で世界がもっとも平和な状態になる一日、それがキリストが生まれた日である。
 昔読んだ本で、敵対している戦争中の2つの国が、
「クリスマスだけは止めておこうや」
と話し合って、クリスマスの日だけ停戦をしたそうだ。その時はいい話だと思ったけど、よく考えたらすごく変な話だよね。人を殺してまで達成したい事があって戦争してるんだから、「クリスマスは止めておくね」といいながら、不意打ちを食らわすのが普通じゃないか?なんて不謹慎な事を思っています。今日殺しても明日殺しても同じだけど。
 でもまあ、流石宗教の力というか、刷り込みというか、クリスマスには普段宗教心の薄い我が両親もクリスチャンになります。クリスマスツリーもつくって、その足下にキリストの誕生の瞬間のジオラマみたいなもの(正式名所はペセブレ)も作っています。家の周りでは派手な照明で壁を飾っているなか、我が家ではクリスマスツリーだけでやや地味ながら、気に入っている。派手な照明は隣との競争になる内に本当の意味をなくしている気がするんだよね。

一年間ありがとうございました。

 と言うわけで昨日は一年の活動を締めくくったわけですが、去年とは大分ちがう結果ながらみんな良く走ったと思う。結果は良くなかったけど、言い訳できないぐらいコテンパンにやられたのが逆に良かったかなあ、なんて思っています。一年を振りかえって感じるの感謝の気持ち。チームの環境を作ってくれるみんなに対してはもちろんだけど、Floriano'の周りで僕らを支えてくれた多くの方々にも感謝したい。練習の相手をしてくださって、試合のテープまで貸してくれた花園デンジャラスさんにも、かなりわがままで失礼な願いを聞き入れてくれたBELTARIDOの皆様にも、結局試合はできなかったけど何かを気に掛けてくれたe.c.chibanespaのムラスギさん、丁寧に相手してくれたときわスポーツ千葉店のオオヤさん、フットサルコミュニティのスタッフさん、39さんをはじめ千葉市リーグの運営をしてくれる皆様。もう、書き始めればキリがありません。この一年で僕らが得た一番大事なものは、実は知り合ったこの方々との関係かなと思ったりしている。狭いフットサル界とはいえ、Floriano'の周りのこんな素敵な方々がいるということはチームとしての財産であります。
 

忘年会お疲れ様です。

 忘年会お疲れ様でした!(日本語的に正しいのかな?)仕事なんで先帰りましたが、あの後大丈夫だったのかなあ、少し心配です。忘年会では普段見れない色んな面が見れて楽しかった。普段と違う人、普段と変わらない人と色々いますが、みんな同じを思いを共有できて、チームの意味を再確認できてよかった。 とりあえず、画像をいくつかアップしておきます。フォトアルバムで。

フォトアルバム

サンクス・ギビング

 昨日、アメリカの歴史が気になって少し調べていたら、面白いというか、笑えない様な事が解りました。
 毎年11月第四木曜日は、サンクス・ギビング(感謝祭)の日らしい。イギリス人がアメリカ大陸に移住した直後、食物が足りなくて困っていたところを現地のインディアンが食物をプレゼントしたことに感謝の意を表すのが始まりという事になっている。その時に食べ物としてもらったのが七面鳥という事で、以来サンクス・ギビングには七面鳥を食べるのが慣わしとなっている。逆に「もらった食物はそんなに豪華なものではなかったハズ」という考えのもと、質素な食べ物が食卓に並ぶ事もある。僕はてっきり宗教的な祝日だと思っていたんだけど、実は全然ちがくて、助けてくれた人に感謝の意を表す「与えてくれてありがとう」という意味の素敵な日じゃないか。その日は家族そろって一緒に過ごす平和な一日なのである。
 とここまで読んだら、あれ?となった。たしかイギリス人は原住民を殆ど殺しちゃったんだよね???という感じで頭の中が???????マークだらけになったんだけど、どうやらやっぱりそう言うことらしい。
 手をさしのべてもらった原住民をその後清教徒は殺したんだ。恩を仇で返すとはこういうことか・・・。サンクス・ギビングには自分たちを助けてくれた人を裏切った、自分たちへの戒めも含んでいると信じたい。

24 Season 4

 やっと24のシーズン4を見終わる。いやー頑張った、俺。第4シーズンともなると初期ほどの中毒性はないけど、テンションを下げずに物語を進めるとは流石アメリカのドラマである。シーズン2で核爆弾を国内で爆発されるという、これ以上ない危機を一度は迎えているこのシリーズ。それ以降のシリーズではパワーダウンは否めないだろうとは思っていたが、全然見れる。シーズン5もアメリカでは来年1月から放送されるようで、この人気は終わらない。
 このドラマを見ているとなんだかアメリカの正体が見え隠れしているように思う。このドラマでのアメリカは常にびびっているんだよね。テロによって幾度も危機的な攻撃を受けるいうちに、不安になっている様がよくわかる。タフで強くたくましい、アメリカの理想像とはまったくかけ離れた姿なんだよね。これはアメリカ国民の高い銃保有率にも現れてるんだ。
つまり

不安→銃を持つ→やられる前に攻撃→敵を作る→復讐でまた不安になる→もっと武器を持つ→

という永遠に続く不安のループにあるのがアメリカなんだよね。アメリカの歴史そのもが、不安との戦い。
 16世紀にヨーロッパで宗教弾圧から逃れた清教徒がアメリカに着いてまずしたのは、原住民を皆殺し。怖いから憲法を変えて銃を持てるようにした。で、今度は自分たちに間で疑心暗鬼に陥り、魔女裁判。独立の時にはイギリス人を殺して、その後は奴隷制度で増えすぎた黒人にびびって殺した。が、奴隷制度は廃止された。と言うことで、KKKを作った。KKKは違法になったので、ライフル協会を作って銃保有の促進を行った。
 これは全部、「怖い」からなんだよね。これは現在の
「フセインが危ない武器もってるから先にやっちゃお」
的な発想とまったく同じで逆に感心する。
 で、このドラマも危機に陥ったアメリカを描いていて、潜在的な恐怖感をあおっている気がしてならない。だからこんなに人気がるのかなあ、なんて見ながら思った。

仕事の関係は難しい。

 うちを卒業し、就職をした奴が最近仕事がうまく言っていないらしい。ちょくちょく店に来ては仕事先の愚痴をこぼして帰っていく日々が続いていた。が、ついに辞める決心がついたようだ。どうも仕事場の上司とうまく行かないようで、その上会社の社長にも気に入られていなようだ。コイツは真面目ですごく頼れる男だったので、弱音を吐くのは正直以外だったが、色々話しをきいていると成る程、そりゃ辞めるわ、と思えてくる話しばかりだった。
 彼は就職を心から望み、必死でそれを勝ち取った。就職してからもちょくちょく店に来ては「頑張ってます!」「楽しいです!」と言っていたので僕も嬉しかったが、いつからしか状況は変わり、最近では我慢出来ないものになったようだ。彼がいうには、「フィリピンパブに連れて行かれるがいやなんです・・・」と言っていた。自分が望んで就職した会社、それも気に入った仕事の最大の生涯が「フィリピンパブ」になろうとは・・・。
 実は僕も、この「社会人としてのつきあい」「社会人としての人間関係」にすごく嫌悪感があって、それらの道を避けながらこれまでやってきた。みんな知っての通り、酒も飲まないので、なおさらである。「先輩に飲みに連れて行かれる」という構図は僕の人生の中にはなく、そういった環境にならないように生きてきたぐらいだ。
 よく思うのは、仕事は運だなあ、って事。すごくしたい仕事があって、そのために一生懸命頑張って勉強して、競争を勝ち抜いて就職した先の隣のデスクの人や上司が嫌な奴だったら、それでけで仕事のモチベーションは下がる。仕事とは直接関係ないけど、仕事の周りを囲む全て(主に人間関係・力関係)が実は仕事の善し悪しを左右し、むしろメインである事がある。本当、仕事の中での人間関係は難しい。
 
 

背番号あれこれ

 サッカーの雑誌、ワールドサッカーグラフィックの特集「背番号伝説」が大変面白かった。サッカーの歴史の中で背番号はどう変わっていて、どのように特殊な意味を持つようになったのか。なぜ10はエースナンバーで、9はセンターフォワードで、7はドリブラーなのか。その答えはやっぱり歴史の中にあって、その説明文が面白かった。
 各チームにはエースナンバーがあって、それは最初から特別だったわけではなく、偉大な選手が背負う事でその価値を高め、特別な意味を持つ様になる。という事は、その後にその番号を背負う選手には期待とある種のプレッシャーが付きまとう。
 サッカーの創生期には背番号というシステムはなく、最初に採用されたのは1927年、アーセナルの試合での事だったようだ。その理由は「遠くからでも選手を識別出来るように」と、ファンサービスの意味が込められている。「見ている人に解りやすいように」という動機付けがサッカーのその後の商業化を表している気がして興味深い。
 Jリーグも最初はスタメンが1〜11を付けていたが、その後背番号固定に変わった。その中には「シャツが売れる様に」という意味が当然ある。誰しも自分の憧れの選手のシャツを着て応援したいからだ。という事は特定の選手のシャツだけが売れて他の物はそうでもないという事にもなっちゃうんだよね〜。
 ちなみに背番号の上に選手の個人名を初めて入れたのもアーセナルらしい。

福袋。

 この時期になると、「福袋」というものが気になってくる。今まで何回かサッカーウェアやサッカーユニフォームの福袋を買ったが、例外なく後悔することに終わっている。買うときは楽しみで仕方なく、到着を首を長くして待っているのだが、いざ袋を開けると、なんでこんなくだらない事に金を使ったのだろう、と自己嫌悪に陥る。
 サッカーユニ関係の福袋はマニアの間では「鬱(うつ)袋」とも呼ばれ、不良在庫の一掃をはかるための手段だということになっている。この傾向は日本人選手が海外で活躍をはじめた頃からのもので、その選手のシャツが売れなくて、どの福袋の中にも入っていることから明らかである。ま、それでも買ってしまう人がいるのも不思議だけど。巨大掲示板サイトでは袋の中身を報告しあう便利なスレがあって、それを見る限りでは当たりの袋は少ないようだ。
 ちなみに僕が何年か前に買った袋には僕がたまに着ている
「THANKYOU JAPAN」
のTシャツが色違いで3枚入っていた事がある。ここまでくると作っている側のギャグなのか、悪意なのか判別つかない領域に入る。結局は一枚だけ自分で使って、残りの2枚は誰かにあげた。
 福袋といっても、最低でも1、2万円するので、後悔するよりは自分でその金を使った方が絶対いいと思って、あれ以降買っていない。

お疲れ様でした。

 いや、今日もキレイさっぱりにやられたね〜。やっぱり強いチームは一枚も二枚も上手。試合終わってからアレがちがうコレがちがうの話し合いになった。上手いチームと僕らの差は目に見えるものがたくさんあったが、よく考えたら僕らにもまだ理解できないものもあるんだろうな。
 でもまあ、悲観的なムードになることなく、前を向けてのは収穫か。全てがダメというわけでもなく、いくつかの練習がそのまま発揮できた事は良かった。今年は負けが先行したけど、まあ、こういう時もある。負けを糧として、これから頑張っていこうと思う。個人的にもね。
 どれだけ負けても、どれだけ点を取られても、僕の中でのフットサルへの情熱が冷めないのは、僕は本当にバカだからである。そしてこのチームにはバカがたくさんいる。問題は俺を含め、これらのバカはフットサルが下手だという事だけど。(笑)これは事実である。でも、よく考えたらフットサルを始めた3年前よりは上手くなっているので、バカでも頑張ればなんとかなるモンだな。そろそろ初心者を脱皮して、初心者に毛が生えた程度、になりたいものである。 

健康診断の結果。

 ついに恐れていた健康診断の結果が来た。以外にも判定は「問題なし」だった。どうやら50代までは生きられそうだ。心配の胃については検査をしていないのでどうなっているかは分かりませんが、医者からナイスな助言を頂いて、それを守っていたら以外と調子がいい。助言といっても、
「夜寝る前にご飯を食べるな」
という当たり前の事を言われただけ。僕は食に対して全く執着がないので、平気で空腹を我慢する事ができる。食を楽しむという概念があんまりない。もし世の中の技術が進んで、サイボーグになる事が可能だったら、胃をブドウ糖のタンクに変えてもらって、ご飯を食べなくてもいいように改造して欲しい。食べるのが面倒くさい時もあるしね。ただのエネルギー補給でしかないからね。
 ただ困るのは、みんなで美味しいものの話をしている時。あそこのラーメンがうまいとか、あそこの店のそばが逸品だとかいう話。ちなみに
「今まで食べた一番美味しい料理はなに?」
と聞かれたら、
「テリヤキマックバーガー」
と答える事にしています。

大人が悪い。

 ホームセンターで買い物をしていたら、40歳ぐらいの中年男性が並んでいた商品を取ろうとして、その商品を床に落とした。そいつはそれをひろうでもなく、落ちた商品を後目に並んでいた同じ商品を手に取り、すたすたとその場から去った。落ちた商品はそのままに。そいつは商品に気付いていた。なぜなら、商品が落ちた瞬間、手を出したがキャッチする事が出来なかったからだ。ボクは一部始終を見ていたから、なんとも言えない気分になった。
 学校が長い休みに入ると、決まって地域周辺をPTAみたいな団体が見て回る。その活動の目的は青少年育成という事で、色んな店に入っては
「最近若い子で困っている事はありませんか?」
ときいて回る。大勢で店に入っては、見てまわり、あーだこーだ言う。
 ボクはこの人たちが不思議で、なんだかその活動が納得がいかない。簡単にいうと、
「あなたたちがそれぞれの家庭で子供をちゃんと教育できれば、そんな事しなくてもいいんじゃないの?」
と思ってしまうのだ。
「若い子の万引きはありませんか?」
ときかれたら
「私の息子は万引きしていませんか?」
ときいているようなものだなあ、なんて思う。家庭での教育をせず、地域の指導をするのはなんだか本末転倒な気がしてならない。家庭での教育はもちろんしているだろうけどね。だからと言って、他人に指導をするようなスキルがあるとは思えない。
 今年の夏にもこういった活動があって、ボクが対応したときに、
「最近の若い子で困る事はありませんか?」
ときかれ
「子供は特にないですねえ。最近は大人の方が問題ですね」
と答えた。その時のリーダーっぽい人は変な表情をしたが、すぐに
「そうですか〜」
と他人事のように返してきた。
 上のホームセンターでの一件のように、僕らの2世代上ぐらいの大人のマナーが最近悪いなと本当に思う。運転していたりすると、特に感じる。こういう大人を見ると、なんだかこっちが恥ずかしくなるんだよね。なんでだか解らないけど・・・。

ユニあれこれ。

 そう言えば、SYDNEY FCのスポンサー付きユニの発売はなくなっそうだ。地元シドニーで発売されているレプリカにはスポンサーが付いていないけど、リーボックの日本製には付くんじゃないか?という期待があったけど、正式になくなったそうです。REEBOKだからねえ、サッカーにどれだけ力を入れているかは判断しづらいけど、日本だけを市場と考える美味しい商売とは言えない。ある意味当たり前の判断か。SYDNEY FCのユニのデザインはなかなか格好良くて、配色もいいので少し残念な気がしますね。
 というわけなので、スポンサー付きのユニはKAZU本人がまとったものしか存在しないという事になる。おまけに背番号11番のマーキング付きのものとなると、世界クラブ選手権のものだけだから、KAZU実使用、もしくは使用されずに終わったストックのものだけだという事になる。これはレアもレアですよ〜。日本では2試合しかしないし。おそらく本人が数枚、関係者が数枚、試合後の交換で数枚消えるんだろうなあ。オークションにかかったらどれだけの値段になるのかなあ。髭@8は買うかなあ。

SIDNEY FC破れる!

 昨日の試合を見ることは出来なかった。帰りの車の中、i modeでニュースをチェックしたら0-1で破れたとの事、ちょっとショックだった。yahoo!の速報でチェックしていた前半はシドニーFCの猛攻が続いていたのでこりゃ行ける!と思っていたけどそう甘くはなかった。
 それにしてKAZUの話題多いね。KAZUが京都に行ったと何かは「もう終わり」みたいな雰囲気でマスコミは見向きもしなかったのに、世の中は現金なものだ。ま、ファンはKAZUの姿をたくさん見れて嬉しいだろう。が、その特集や報道の中には「あともう少しだけ」という感覚が見え隠れして非常に寂しい。
 たしかに残り時間は少ない。それも確実に短くなっている。それを解っていながら、完全燃焼しようとするKazuの姿こそ魅力的なのかも知れないね。
 最近はボクの彼女も「KAZUはすごい」、なんて20年前からKAZUを見てきたかのような言い方で言う。

フットサル浸透はまだまだだな・・・。

 フットサル振興ブランド、SPAZIOの人とこの前また会った。
 商談の後にまたフットサルブランドがどうのこうのという話しをした。少し前にフジテレビの深夜に放送された女性タレントのフットサル番組を見たときに、SPAZIOが提供しているウェアがあって、
「あれ格好いいですねえ、KAPPAとコラボして」
とKAPPA好きのボクは言ったんです。そしたら、
「店長、あれどうにかしましょうか?」
と言うから、
「いや、あれ一般販売していないし、多分無理じゃないですか?あったら欲しいけど」
なんて話しをしていたら、あるかどうか調べて見ますよ〜、なんていいながら帰っていた。
 そしたら今日電話がかかってきて、
「店長ありましたよ〜。しかも社員価格7掛けでいいですよ〜」
なんていうから、ええ?マジ!と思っていたのですが
「あれですよね、ピステですよね」
え?いや、ピステではなく、ユニフォームだよな俺が言っていたのは・・、と記憶の中の映像を巻き戻していると向こうから
「いや、店長がカッパとおっしゃってたんで・・・、あれですよシャカシャカの服の事ですよ。ウィンドーブレイカーっぽい服ですよ!ピステとかいうらしいですよ!」
ああああ!あなたの中ではKAPPA=カッパ(合羽)だったのか!!!!!!!!!!!!!!!!
とやっと会話の合点がいく俺。
 彼はすご〜く苦労して来年のラインアップの商品を、おまけにスタッフ限定物ものを抑えてくれたので俺も「いらない」とは言えず、購入する事に。
 Floriano'ピステよりSpazioピステの方がはやく届いちゃいそうだよ〜。

ランキング

 そういえば、去年はその年の色々なランキングを発表しているのを思い出した〜。今年もやろうと思うのだが、この一年で何をしたかを思い出そうとしても、なかなか思い出せない。これは毎度の事だけどねえ。一年には色んな事があったんだけど、結構憶えていないものだねえ。
 で、今日トヨタカップが開幕したんだけど、何でKAZUの試合今日じゃないの?明日になっているらしいんだけど、視聴率の事を考えても今日にすれば良かったんじゃない?
 日テレはサッカーの事を知っているのか知らないのか上戸彩を引っ張り出して、これでもかというKAZUの特集をしているのに。日曜日と月曜にでは絶対的にテレビの前に座る人数は違うからねえ。
 で、今日試合前にKAZUの特集をしていたから、てっきりその後にKAZUの試合があるかと思ったら聞いたこともないチーム同士の試合だったからガッカリ。ただ、特集は面白かった。なんだか、終わりぐらいで少し泣いていたもん、俺。KAZUが北澤と食事をしている所をカメラが撮っていたんだけど、北澤が
「代表、やりたいでしょ」と振ったらKAZUが遠くを見ながら
「行きたい。呼んでくれないかなあ。最後の一度だけでいいから行きたい」
と言っていた。それを聞いて、ウルウルしている俺。いや、真面目な話、そのまなざしにKAZUのサッカー選手としてのキャリアを支えたものを少し垣間見た気がしたんだよねえ。
 とにかくシドニーFCが負けるまではKAZU祭りだ!

ワールドカップ抽選

 日本の相手、決まったね!ブラジル、クロアチア、オーストラリア。なかなか良いんじゃない?という感じがする。ブラジルには頑張って全勝で行って貰って、したたかに2位狙いでいくしかないでしょう。ブラジルのところに微妙なチームが入って先の見えない混戦より、この方が全然いいでしょう。
 くしくもKING KAZUが所属した事のあるチームの国ばかりというのはただの偶然ではない!おそらくKAZUはトヨタカップで大活躍しまくって、賛否両論ありながらも代表に選ばれ、しかもスタメン。各試合に1点を入れ、今までお世話になった国に恩返し。俺の中でのシナリオはこんな感じ。
カズの11番はあいてるぞ!

この先の世界。

 つい最近、うちの元バイトが女の子を生んだ。少し前にその子を連れて店に来た。よく小さな子供はかわいいね、と言いますが、ハッキリ言うと生まれたての赤ちゃんは毛の生えていないサル以外の何者でもない。可愛いのは絶対にお世辞です。
 ま、そんな話はいいとして、僕はその新しい生命に少し感動した。現時点では彼女には無限の可能性があって、ひょっとしたら有名人になるかも知れない。メチャクチャな美人になるかも知れない。いや、もしかしたら初の女性首相かもしれない。もっと言えば、多くの人を救う発明をするかも知れない。可能性は無限なのだ。物事はそんなに単純で簡単なものではないけど、否定だって出来ない。
 ただ、彼女がこれから生きる世の中を思うとなんだかやるせない気分になる。今僕らが生きる社会も少しずつ歪みはじめ、これから先の世界が良くなるとは思えない。その責任は僕らの肩にも大きくかかっているわけだけど・・・。
 ニュースを見ると暗い気持ちになる事が多い。小さな女の子や子供を狙った犯罪が起きるたび、この社会はどこへ向かって行くのかが心配になる。Floriano'にも子供を持つ親もいるわけで、もはや他人事ではない。この世の中が変な方向に進まず、全ての子供に明るい未来がある事を信じたい。
 

この世で一番怖いもの

 ラジオを聞いていたら、「私の怖いもの」というテーマでメールを募集していて、すごく面白いものがあった。その人が言うには、「マリオのゲームで、マリオが死んだ時にかかる音楽が怖い」が一番怖い事になっていたらしい。その人の兄がマリオが大好きで、上手ければいいんだけど、下手なので良く殺していたらしい。マリオが崖のギリギリでジャンプしたり、大砲の弾や亀に追いかけられる所を見ると生きた心地がしなかったと言っていた。
 僕の記憶の中で一番古い恐怖の思いでは「デモンズ」という映画で、呪われた仮面を付けた人間がオートミールみたいなものを吐きながら悪魔になっていくというB級ホラー。小学校低学年の時にそれを車で見る映画館に家族で行ったんだけど、ずっと助手席に隠れていた事を覚えている。うちのオヤジがなんでそんなものを見せたのかが不思議だ。
 恐怖の対象は人それぞれで、聞いてみると面白い。クモが嫌いな人もいれば、蛇がダメな人もいる。恐怖の対象にはお国柄も垣間見えて、なかなか面白い。幽霊が悪魔がダメな人もいるよね。恐怖の対象は限りなく無限にありそうだけど、夕方のニュースを見ていると、この世で一番怖いのは人間だな、やっぱり。

pupi

 流行りすぎた上、売上の行き先がいまいち不透明な「ほっとけない世界のまずしさ」のシリコンバンド。見る人見る人手首白いバンドをつけているので、逆に付けにくい感じになっている。
 この写真のものはインテルでアルゼンチン代表のサネッティ選手が作ったPUPIという財団の公式リストバンド。サネッティは人格者として知られ、試合で着用したウェアやスパイクをオークションにいつも流して、その金を恵まれない子供たちのために役立てている事は有名。インテルに長い間所属し、イタリア人でもないのにずっとキャプテンをつとめていることからその人格が伺える。
 リストバンドには POR UNA SONRISA(スペイン語で「一つの微笑みのために」)とプリントされているものと、刻印されているものがある。PUPIはアルゼンチンの恵まれない子供達への慈善事業がメインになっていて、サネッティとその奥さんが運営しているらしい。
 僕は募金や寄付などの「偽善的な行為」にちょっと抵抗があったけど、最近は考え方が変わって、
「金さえ出せば偽善でもいい」と思うようになってきた。どんな思惑があろうが、金が集まってそれが正しい方向に使われればそれでいいやと思うようになった。なんで今回、このリストバンドをいくつか買ってみた。
 アルゼンチンは今経済不況に喘いでいて、この先の見通しも暗い。こういう時に一番影響を受けるのは社会の弱者。僕はアルゼンチンからは何の恩恵も受けていない。受けた医療、教育は私立だったし、祖国としてのアイデンティティもそんなにないけど、それでも何かしらの影響は受けているハズなので買ってみた。このリストバンドの原価はおそらく5〜10円。そして売られている価格は1000円。どう考えても法外な値段。その金が正しく使われる保証もない。そして手首にこれを巻くのは「僕はまずしい人の事を考えています」というアピールになってしまう。でも、それでもいいかと思って買いました。
 僕がいたころからストリートチルドレンはいたし、今では状況はもっと酷いとよく聞く。僕らが今住むこの日本の社会とは比べ物にならない貧しさと厳しさがアルゼンチンの社会にはあって、正確にいうと日本と一握りの先進国以外の国でもそうだろう。その原因や対策などを話すととても大きな話しになって解決しないのは目に見えるので止めておく。僕が使った金が正しく誰かにわたればそれでいいや、と願うばかりです。

接客あれこれ。

でさあ、いや、俺の中で昨日の話しが続いてるんだけど、昨日の夜、灯油を買いに近くのスタンドまで行ったんだ。対応してくれのはまっ黄色い髪を帽子に押し込んだ兄ちゃんで、帽子の隙間から長い髪がパラパラ落ちていた。よく見る歯が何本かなくて、絶対夜道では合いたくない感じの人だった。この人がさあ、凄い親切に丁寧に接客をしてくれて。多分20代前半の人だろうけど、寒いだろうに凄いずっと笑顔でさ、いいって言っているのに車のトランクまで灯油の入れ物を運んだりしてくれた。時給は良くて900円ぐらいだろうな。マニュアル通りの冷たさもなく、口調も決して丁寧ではないけど、心がこもっている感じでやってくれたんだよね。僕も帰りに心からありがとうが言えてすごく嬉しかった。千葉銀とこうもちがうか、とおもっちゃったねえ。

大金持ちになりたい。

 僕はあまり金に執着しない人間ですが、今日はだけはちがった。
 出勤してから千葉銀行に両替をしにに行きました。商売をしている人はよくする行為だが、一般の人はあまりしないと思うが、結構面倒な行為なのです。銀行まで行って、お金を等金額のちがう大きさの紙や硬貨に変えるんだけなんだけどね。銀行には両替専門の機械があって、それを使う。
 実は今年の4月から両替は有料になった。年間の契約で12600円払えば両替しほうだいなのだ。それ以前は全くの無料だったんだけど、店舗は両替しない事にはやっていけないので、しかたなく契約した。ちなみに窓口でやった場合は50枚以上で315円かかってしまう。
 で、そのカードをもっていったんだ。店の近くの千葉銀行の両替機は調子が悪いのか、よく止まる。タイミングの悪いことに、今日もとまった。
(太字は心の声)
銀行の姉ちゃん「すみません、両替機が止まってしまいました〜」
俺「そうですか、どれぐらいかかりますか?」
女「20分から30分です。お金は預かりますので、また後で来ていただいてもいいですよ」
俺「平気で30分かかるとかいうな!そう簡単にこれねえよ!。解りました、まってます」
姉ちゃん「すみませ〜ん」

たっぷりと30分待たされて、窓口に呼ばれた。
銀行のおばさん「はい、どうぞこちらにます・ありがとうございました。」
「お待たせしましたの一言もねえのか!こっちは足首痛いのにずっと待ってたんだぞ!(関係なし)・・・」無言で金を受け取る。

 両替にかかる利用金は手数料と言うことになっている。30分も待たされてそれで手数料をとるのか、とかなり頭に来ました。銀行の姉ちゃんとオバハンは偉そうな感じがして非常に嫌な感じでしたね。僕がすごい金持ちだったら
「預金全部おろしてやる!」
「いや、それはおやめくださいー」
みたいな事もできるのに・・・。もう、俺が預金を全部おろしたらこ銀行やっていけるのか?みたいな嫌味を言ってみたいもんだ。なんて思ったりしました。

長期離脱?

 どうも昨日の試合で相手と同時にボールを蹴ったとき、足首を変な方向に曲げてしまったらしい。同時に蹴りあいになって、僕がぶっ飛んだのは覚えていて、その後走るのが少し怖い感じがあったんだけど、まあ試合中は頭がナチュラルハイになっているのでそのまま走った。
 その後仕事でも痛たかったけど、捻挫なんて毎度の事だから今日の強化マッチは頑張ろうと思っていたんだけど、夜に痛くて起きたんだ。今回はいつもとちがって、足首の内側のくるぶしの周りが痛い。たまに関節などが痛いときに、関節を動かして曲げたりしていると骨がパキッてなって、痛みがなくなることってあるじゃん?それの、永遠にパキッてならない感じになっている。
 今日の朝起きてからはもう歩けなくて、運転も危ないので一日家でゆっくりしている事にする。怖いのは、たまに少しだけしびれがあるんだよねえ〜。やばくない?明日症状に改善がなかったら病院だな。

ラーメン道。

 少し前までうちで働いていたバイトが就職を決めて辞めていった。彼はすごく真面目かつ能力のある子で、フリータ−ながら「就職する」と決めたら自分一人であっと言う間に本当にテキパキと就職してしまった。要領といいというか、やると言ったらやる、といった感じで芯のしっかりした青年だった。仕事もよくしてくれて、責任感もあって任せられるバイトだった。ガンダムが大好きで、「ガンダムってロボットでしょ?」なんて言ってしまった日には、うるさいうんちくが待っているのであった。
 そんな彼は大のラーメン好きで、店のなかでバイトを集めては「ラーメン部」をかってに作っていた。嫌がる他のバイトを引き連れ、店を閉めてからくりだしていた。彼がいうにはラーメンは道であり、武道である上飲み物であって、尚かつ深夜の2:00にただラーメンを喰いに行くためだけ世田谷まで遠征する価値のある飲み物だそうだ。初めのうちはみんな「行きたくないです〜」といいながらも「しょがねえな」みたいな感じでついていっていた。が、回数がどんどん増えるにつれ、
「胃が痛い」、「胸がムカムカする」、「気持ち悪い」
等のクレームを良く聞くようになった。そのうちこの「ラーメン遠征」は「ラーメン拉致」として名前を変えていき、ピーク時には3日連続で拉致されることもあったという。その頃になると、バイトから
「店長、○○さんにラーメンはもう止めろと言ってもらえませんか?」
と言った本気なのかギャグなのか解らない声もあった
 そんな彼も店を卒業していき、ラーメン拉致はなくなり、本気でホットした人も多かった。が、その彼は最近よく店に出没する。どうやら新入社員としての道は険しいようで、「さみしい」と言っては客として良くきている。みんなはまた拉致られるんじゃないかと心配している・・・。

忙しい。

 いやいや、最近は本当に忙しい。
実は明日からウインターキャンペーンというのがはじまって、全国のTSUTAYAが年末の一大イベントに入る。何が大変かというと、これは準備であって、やることが多い上人数が多いので情報共有が大変。また最近わが社のもう一つの店舗を僕が見る事になっていて、仕事は一気に2倍になった。なので、最近個人参加に行ってなくて、おまけに昨日は練習に行っていないから、ボール蹴りたくて仕方ありません!用意してある着替えが僕を呼ぶ・・・。
 イソがNEWシューズをゲットしたという話を呼んで、これはやばいなと、俺も欲しくなるじゃないかと。実は新しい外履が欲しい。室内用はあまるぐらいにあるんだけどねえ、なぜか。今度の日曜日に買おうかな。あじろ〜日記でイソのフットサル靴履歴を公開していたけど、あれ面白い。そういえば、昔そんなこととしていた。途中でやめちゃったけど。誰が何をどういった理由で履いているのかを調べてみようかな。
 
 
 

火葬。

 今日は朝から火葬に行ってきた。そのため仕事の予定がずれて、練習にいけず申し訳ない。火葬後は火葬前より寂しさがつのる気がする。火葬前はたとえ遺体だったとしてもまだ存在感があってさわる事もできるが、火葬後は本当にいなくなるのでいよいよその不在感が際立つ。小さな入れ物に入れられてからはもうちがうものだからねえ。
 火葬の儀式には仕事的な慣れを感じたけど、はっきり言って日本でなくなる貧乏な外国人よりは手厚く葬ってもらった。立派な葬式だった。坊主さんは知り合いの方で、とても親身にしてもらった。犬が生きていたときに何度かあった事があったようで、
「私たちの商売はなくなってからのご縁。この犬とは生前会ったこともあって、遊んだこともありますので」
といって一切お金をもらおうとしなかった。また泣かされる展開になってしまった。参った。
 つくづく思うのは、葬式は残された人たちのためのものだよね。納得させるためのものなんだろうなあ。新しい日々に対する節目でもあるだろう。
 どうやって死んだのかなとか、死んだ後どうなるのかをたまに考えることもある。お坊さんは色々と丁寧に説明してくれた。が、やっぱり思うのはどう生きたか。生きていた時は幸せだったのかなあ、とかね。 終わりというのは本当に突然のことで、準備をする時間なんて与えてくれない。せめて心の準備でもしておきたいものだけど、これはすごく難しい。僕らに出来るのは一日一日を大事に生きることだけ。自分のためにも、周りの全てのためにも。映画や小説でありがちなパターンだけど、

「ケンカをしたその日に大きな天災が起きて、2度と会えないのかもしれない」

なんた事もなくはないからね。
そしていい思い出を心の中にしまっておいて、時々取り出しては眺めてはまたしまう。これが一番かな。

 

| top |