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火葬。

 今日は朝から火葬に行ってきた。そのため仕事の予定がずれて、練習にいけず申し訳ない。火葬後は火葬前より寂しさがつのる気がする。火葬前はたとえ遺体だったとしてもまだ存在感があってさわる事もできるが、火葬後は本当にいなくなるのでいよいよその不在感が際立つ。小さな入れ物に入れられてからはもうちがうものだからねえ。
 火葬の儀式には仕事的な慣れを感じたけど、はっきり言って日本でなくなる貧乏な外国人よりは手厚く葬ってもらった。立派な葬式だった。坊主さんは知り合いの方で、とても親身にしてもらった。犬が生きていたときに何度かあった事があったようで、
「私たちの商売はなくなってからのご縁。この犬とは生前会ったこともあって、遊んだこともありますので」
といって一切お金をもらおうとしなかった。また泣かされる展開になってしまった。参った。
 つくづく思うのは、葬式は残された人たちのためのものだよね。納得させるためのものなんだろうなあ。新しい日々に対する節目でもあるだろう。
 どうやって死んだのかなとか、死んだ後どうなるのかをたまに考えることもある。お坊さんは色々と丁寧に説明してくれた。が、やっぱり思うのはどう生きたか。生きていた時は幸せだったのかなあ、とかね。 終わりというのは本当に突然のことで、準備をする時間なんて与えてくれない。せめて心の準備でもしておきたいものだけど、これはすごく難しい。僕らに出来るのは一日一日を大事に生きることだけ。自分のためにも、周りの全てのためにも。映画や小説でありがちなパターンだけど、

「ケンカをしたその日に大きな天災が起きて、2度と会えないのかもしれない」

なんた事もなくはないからね。
そしていい思い出を心の中にしまっておいて、時々取り出しては眺めてはまたしまう。これが一番かな。

 

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