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存在の価値

 失って初めてその価値を知る、というのは本当に本当の事。病気になっては健康の大事さを知り、別れては好きだった女性の事を思う、失っては友のありがたさ、家族の素晴らしさを感じる。そして、えてして多いのは後に残るのは少しの後悔。

「もっとやさしくすれば良かった」


「もっと大事にすれば良かった」


「もっと気持ちを伝えれば良かった」


そんな想いを抱えながらこれからの日々を生きるのか、と思うと苦しくなる。

 実は昨日、僕の彼女が飼っていた犬が死んだ。たかが犬、と誰もが思うだろう。僕もそう思っていた。が、いざ今まで当たり前の様に動いていたものが動かなくなり、なんの反応をしめさない姿を見たら、胸に穴が開いた。生と死のボーダーラインがどこなのか僕は知らない。姿は生けている時のままなのだが、確実に死んでいる。魂が抜けたとか、心臓が止まったとか表現は色々あるだろう、全く同じ姿なんだけど、絶対的に確実にちがうんだよね。
 ちょっと個人的な事になっちゃうからあまり詳しくは書かないけど、昨日は普段とらない行動を僕はとり、また普段とちがう事が多く起こり、その犬に死ぬ前に会えたんだ。それがなんかの虫の知らせとか予兆だとは思わないけど、逆に良かったかなあと思っている。
 実は僕が発見したんです。見れば死んでいる事は理解したんだけど、やっぱり何度も名前を読んだりした。映画みたいに心臓の音を聞こうとした。そして目を閉じてあげた。
 その犬は13年生き、僕が知っているのは4年。短いのか長いのか解らないけど、存在感を感じるのには十分だったみたいでかなり胸に来た。その存在は世の中では些細な事だけど、世の中ってその些細な存在でなりたっている。
 ま、こういうときに思うのはどう死んだかではなく、どう生きたか。そしてこれからどうするのか。良かった事もそうでない事も、後悔も、思い出はたくさんあるだろう。感じた幸せも今ある純粋な悲しみも飼い主が背負うべき責任なのだろう。
 

マッサージチェア初体験。

 昨日行ってきた病院では健康診断を受ける人と一般外来は別々の場所での受診となっていて、待たされる事もなく非常に快適だった。病院では待たされる事はある意味あたりまえとなっているので、とても感心した。新しくできた病院の様でとてもキレイな建物だった。ドックを受ける受診者たちが待たされる部屋には大きなテレビがあり、その前にマッサージチェアが6台並んでいた。マッサージチェアといえば、ヨドバシカメラとかで爺様婆様が試し座りのハズがいつのまにか寝ちゃっている光景が目に浮かんだ。ズラッと並ぶ大きな椅子に寝そべりながらうつらうつらしている爺様婆様の光景は、こいつら絶対計画的だなと、高齢化社会の行く末をみせてくれる。
 マッサージチェアなんて全く興味ないし、あったとしてもあんな大勢の人がいる所では座れない安いプライドの僕ですが、他に座る場所がないし、とりあえず試してみる事に。リモコンには「肩」「腰」「おまかせ」コース等があって、とりあえずお任せコースを選択。イキナリ背もたれの中にあるであろう何かが動き出した。感覚的に言うと、複数のゴルフゴールの上に寝て、そのゴルフボールがあっちこっちに動く、という感じか。つまり、痛いのである。それがきっといい感じにツボを刺激してくれるんだろうけど・・・。どうも不慣れな僕は背中に異物があたるむずがゆさと痛さで、もうやめようかという気持ちになるが他にする事がないし、とりあえず我慢する事に。そのウチ当たり所が良くなってきてしまいには、「これいいな」と思うようになった。ついに俺の中での「オヤジ度数」が覚醒し始めたか?

健康診断

 たまには日記っぽい感じで。
今日は健康診断を受けてきた。我が社では通常は30歳以上の人が受けるのだが、僕は以前に胃を悪くしたりしているので、受けさせて下さいよ〜とダダをこねたら受けさせてもらえる事になった。という事で、昨日の21:00以降は何も食べてはいけない僕でしたが、ミズノの個人参加に行ってしまったため21:00をすぎても水分をとり続けていた。21:00は無理だから、自分の中で22:30というリミットを勝手に作って、消化が早そうなものを食べた。
 で、今日の朝から緊張しながら尿の採取をする。失敗しちゃったどうしようという思いが頭をよぎる。コップかなんかに入れていけばいいのかなあ、なんて想像する。何も食べず病院に向かう。
 病院についてからは一瞬だった。思っていたよりも全然早く終わってしまった。しかも胃カメラやバリウムを飲むことなく終わってしまったので、勝手に22:30のリミットすら意味が無かった。どうやら僕の会社が申し込んでくれたのは下から2番目に安いコース。
メニューは
身長、体重、体脂肪
視力、聴力、
心電図、
尿、
血液、
胸部レントゲン、
問診
という、あきらかに「とりあえず形だけで」みたいな、軽〜く流された感じだった。内臓以外は健康優良児の僕、はっきり言って意味なかった。一番不安があるのは胃、できる事なら胃カメラを飲みたかったなあ。
 ま、わかった事と言えば僕は目がどうやらとてもいいらしい。子供の頃からそうだったんだが、今でも両目1.5だ。昔は2.0という尺度があったんだけど、何故か1.5が最大だったんだよね。2.0というのはもう無くなったのかなあ。
 あとは思っていた以上に体脂肪が増えた事かなあ。ちょっと気をつけようと思った次第である。

インフルエンザ

 なにやら鳥インフルエンザがやばい事になっているらしい。鳥の間でしか感染しないと思われていたウィルスが変異を繰り返し、人間にも感染するそうだ。死亡する事もあるそうだ。
 僕は人生の中で2度インフルエンザにかかっている。その度に死ぬ思いをしたのだけど、一番酷かったのは一人暮らしをしていた時。この時は風邪だったんだけど、周りに助けてくれる人はいないので、本気で
「俺このまま衰弱して死ぬのかな・・・」
なんて思ったりした。起きあがれないから食べるものを作れないし、買いに行くのももちろん無理。ひたすら寝て、起きては蛇口に口をくっつけて水を飲むだけ・・・。あの時は戸棚の奥に眠っていた賞味期限半年切れのフルーチェを平気で食ったっけ。熱でぼけてるから味なんて感じないしね・・・。
 携帯なんてない時代だったからなあ、誰とも連絡を取らず運に任せた感じがしたな。熱が下がった時の朝方、上ってくる太陽が眩しく見えたっけ。治癒能力と生命の逞しさに感謝した。が、この変異したウイルスも同じ生命なんだよね。生き延びるために向こうも必死な訳だ。

VODAFONE時代。

 マンUとVODAFONEが契約を解消するらしい。来シーズンからマンUのシャツには新しいスポンサーが付きそうだ。VODAFONEの前はSHARPで、この関係は20年近く続いた訳だから、VODAFONEは短命だったと言える。マンUの様なビッグクラブともなれば、スポンサーの金額もきっととんでもない額だろう。いまからどの企業が手を挙げるのかが気になる。気になって夜寝れなくなるといけませんので、勝ってに予想してみました。フォトアルバムを見て下さい!。


フォトアルバム

初めてドラえもんの声を聴いた時。

 例えば好きなマンガがあるとする。
それが人気があって、アニメ化されるとしよう。その作品は大好きだし、アニメも楽しみにするんだけど、今までは絵でしかあり得なかった登場人物が実際しゃべる事になると・・・。
 僕の場合はドラえもんだった。
僕はドラえもんのマンガがすきだった。マンガでしか知らない時のドラえもんやのび太は僕が想像した声でしゃべっていた。初めてアニメを見た時は「そんな声じゃない!」とすごく変な感じがしたのを憶えている。が、一度大山のぶよの声を聞いてしまったらが最後。それ以降にドラえもんのマンガを読んでも、セリフは全て大山のぶよの声できこえちゃうのだ・・・。
 記憶とは不思議なもので、今ではドラえもんの絵と共に当たり前になった今の声が聞こえるんだけど、それ以前に自分にしか聞こえていなかった「自分だけの声」が思い出せない〜。これってなんだか凄くもったいないような、大人になっちゃって無くしたもののひとつだなあ。
 すこし前まではコミック→アニメというパターンだったから、この「声があわない!」感覚があったと思うけど、アニメ先行のものもある現在、ガキどもはこの感覚を味わう事がないのかなあ。それはそれで可哀想な気がしないでもない。

コストコ余波

 いつもの生活の中で見慣れないものを見るとビックリする事がある。いつも使っているものが変わったり、見慣れた状態とちがうものがあったりすると驚いてしまう。
 今日冷蔵庫を開けたら、見慣れない赤いキャップをした茶色のボトルが中に入っていた。ボトルの大きさで何かの飲み物かと思ったが、マスタードだった。でけえ!と思ったけど気にせず目当てのマヨネーズを探していたら、これまたデカくなっていた。いつものキューピーの入れ物ではなく、もっと大きい入れ物になっていた。貼られているシールを見たら、なんと1キロと書いてあった。1キロのマヨなんて滅多に見ることがなかったので新鮮だった。
 実は以前に書いたコストコの事を両親に話したら、とても乗り気になってしまい、早速入会して買い物に出かけたらしい。アルゼンチンの住んでいた頃の気分を味わえる事が大層気に入ったそうで、しばらく滅多に食べれないラビオリやニョッキ等のイタリア料理が食卓に並んだ。
 よく考えたらお国柄を表すのに食文化ほど適したものはない。食べ物にその国の文化がでるんだよね。1キロの調味料なんかは日本文化には絶対ない発想。ペットボトルの中に醤油が入っていたら変でしょ?この「大は小を兼ねる」的な発想はもろ大陸的でアメリカ的だよな〜。
 このマヨがなくなるのはいつやら。

偶然その2。

 1983年の6月の新聞の事だから、最近の出来事。
 山火事が発生していた。消防士が森の中を進むと、燃え尽き黒くなった木のてっぺんに見慣れぬものがぶら下がっていた。それは人間だった。人間は木の枝に引っかかり、ぶら下がっていた。おかしな事に、この人間はダイバーの格好をしていた。
 このダイバーはカジノのディーラーとして働いていた。人柄が良くみんなから好かれており、スポーツマンだった。ダイビングは彼の趣味であった。
 そんな彼の仕事中の事。酔った客が自分が配ったカードで負けてしまい、殴りかかってきた。男は離婚をしたばかりで酒に溺れていた。仕事もせず、周りをも省みないダメな人間だった。すぐに警備のものが抑えてくれたが、後味の悪い一日となった。その気分を紛らわすために彼は休日にダイビングにでた。潜っている最中に心筋梗塞になり、水中で死亡した。そしてその翌日、木の上に引っかかっていた。
 
 実は彼は飛行機から落とされたのだった。山火事の消化に飛行機で上空から散水をすることになり、その飛行機が水を汲み上げたのが男がダイビングし死亡した湖だった。そして、その飛行機を操縦していたのはカジノで殴りかかったあの男だった!彼はボランティアの消防士だったのだ。事故とはいえ、吸水の際に潜水中のディーラーを引っかけて殺してしまった事の罪悪感と偶然のあまりの大きさに耐えられずに、操縦士は銃で自殺を計った。(男は飛行機に引っかけられた際にはすでに死亡していた)偶然も命がかかると怖い・・・。

偶然。

 偶然とはおそろしいもので、それは僕らの生活の中に出番を虎視眈々と狙っている。

 とあるビルの屋上に、ある少年が今にも飛び込まんと目をつぶっていた。少年には階下を見る勇気はなかったが、自殺に対する決意は重いものだった。ちょうど同じ頃、少年のいる屋上から三つ下の階では夫婦が大きな声で互いを罵倒していた。この夫婦の喧嘩は毎度のことで、隣人にとってはもはやいつもの事、と当たりまえのこととなっていた。頭に血が上った奥さんは銃を持ち出しては主人を脅し、主人の謝罪とともに喧嘩が終わるパターンがお決まりだった。銃は主人のものであり、観賞用として壁にかけられていた。銃には弾は込められておらず、夫婦もそれを承知していた。
 が、その日はちがった。
 喧嘩も佳境に入り、奥さんが主人を脅そうとしたそのとき、銃は暴発した。その弾は主人にはあたらずに、窓のガラスを割り、上から飛び降りた少年の腹に穴を開けた。少年の体は腹に弾を受けそのまま落ち続け、三日前から張られていてガラス掃除の安全ネットに引っかかった。少年は死亡した。その原因は屋上から飛び降りたことではなく、腹に受けた銃弾だった。
 なんたる偶然か。ネットが張ってあったことで、もし弾が腹に当たっていたなかったら、少年は助かっていたのだ。つまり、自殺事件が一転して殺人事件となった。
 が、実はこの事件はもっと複雑なものだった。
 飛び込んだ少年のポケットには遺書が入っていた。その中に
「すべてを終わらせるために僕がやりました」
という一文が記されていた。
 実は少年は喧嘩をする夫婦の子供であり、その喧嘩に耐え切れず銃に弾をこめたのだった。全てを終わらせ、自らも自決するつもりだったのだ。
 少年の仕業であることは同じビルに住む少年の友達の証言で明らかになった。銃を撃った母は逮捕された。
 少年の思惑通りに事は進まなかった。彼は全てを終わらすことはできたが、自分の死の共犯者になってしまったのだ。
 
 この話は本当にアメリカで1958年に起きた事件。不思議。
 

フットサルとアイドル

 昨日の夜の深夜、フジテレビでアイドルとフットサルの番組をやっているのを見た人、いるかな?今月号のPIVO!も表紙は吉澤だったし、最近ちょっと考えさせられていた。
なんでアイドルがフットサルなのか。
 始まりはナデシコジャパンを応援するための一つの企画だったようだが、その輪がどんどん広まり、今では「芸能人女子フットサルチーム」というくくりの中には数チームあるようだ。そして、昨日みたかぎりではレベルは別として、遊びではない。みんな必死なんである。相手に抜かれそうなときにファウルを覚悟で相手の体に手をかけるアイドルを見て、僕はビックリした。でも、それってアイドルとしてはどうなの?
 つまり、フットサルが先なのか、芸能が先なのか、の問題である。もちろん、芸能は先であろう。が、反響、イベントの規模としては「必死でやってます」という建前は必須なのだろう。関東リーグの公式戦よりも、下手したら代表の試合よりも観客を集めているんだから。フットサルをないがしろにしないためにも。
 PIVO!にもそういう記事があって、「フットサルをがんばれない人は芸能界でも成功しない」みたいな表現があって、ずっとそれが頭に残っていた。本当にそうなのかな、と。
 ま、昨日みて分かったけど、どのチームにも「フットサル要員」がいるんだって事。あきらかに、ね。この話題はイマイチまとまらず、次回に持ち越し。

連敗ストップ!

 ついにこの日がやってきました!ついについについに、昔のロッテかの様な連敗街道に終止符を打つときが!それも新しい力の活躍で勝ったのだから、俺は活躍していないけど死ぬほどうれしい!
 勝った試合の後半は創始者メンバーがズラリとベンチに並んだ。考える所はあるけど、チームが強くなるとはそういう事。新しいメンバーが今いるメンバーを越え、活躍する。これはチームの土台を上げるのには必須なのである。
 くやしいけど、何を隠そうチームが強くなる事に一番喜びを感じるのは俺らなのである!。これは創始者メンバーの特権!みんなありがとう!これからだ、これからだぞ!

高揚感と興奮

 昨日の話題の続き。
その情熱の話なんですが、深く聴かなくなった事もそうなんですが、音楽がもたらす高揚感をあまり感じなくなった、という事でもある。バカみたいに一曲に感情移入しちゃって泣き出しちゃうとか、思わず大声で歌いたくなる衝動の事。それが最近ないんだよねえ。
 昔は歌詞カードとにらめっこしながら、ありもしない行間の意味までもを詮索して勝手に盛り上がってたりしたなあ。これ、オレの事を歌っているよ、とか思っていたりして。若かった。
 前にも書いたけど僕はMJことマイケル・ジャクソンが好きで、アルバムは全部憶えるまで聴いた。バブルスが死んでも、マイケルが白くなっても、ガキにいたずらしても、その音楽にはなにやら僕に合うような波長があるような気がしていた。イントロを聴いただけでもその曲の全てを理解して、脳天を打たれるような、そんな感覚があったんだ。だから、今でもマイケルは聴く。昔から好きだったアーティストは聴く。その感動は今でも変わらない。が、そこで止まっているんだよね。新しいアーティストを発掘できない。だから、永遠に昔のアルバムを聴いている。
 少し前にCDを整理しようと思って、いるものといらないものを分けていたら、いるものは本の十数枚だった。CDはもっとたくさんあるけど、その中ではこれ以降聴きたいと思うものはそれだけであった。うーん、じゃあ、残りのCDはなんで買ったんだろう・・・。当時の事を思い出しつつ、どう処分すらか考えながら一枚一枚を眺めた・・・。
 「ハイ・フィデリティ」という映画があって、音楽オタクがこうじて中古レコード店を経営している男の話しである。膨大なレコードのコレクションを所有しているんだけど、その並べ方がすごい。なんと、「自分がその曲と出逢った順」でレコードを管理しているんだ。いわば、音楽を通じて自分の人生の地図みたいなものになっているんだ。
「この曲と出逢ったときはあの娘とつきあっていて、雨の日に酷い言葉を投げかけられフラレたんだっけ」
みたいな事を音楽を通じて思い出していく。情熱というのはすごいもんだ。

i pod

 なにやらipodが流行っている我がFloriano'。流行の流れが早いのか遅いのか、ついにうちのチームまで来たか!という感じだ。街を歩いていたり電車にのったりすると、耳から白いコードを下げている人の多さにいつもビックリする。スタイリッシュな(なのか?)その色はきっと
「僕が今聞いているのはipodだからね。まちがってもMDとかCDとかじゃないよ、今流行っている何万曲も入る最新鋭のipodだからね」とアピールしたいのだろう。僕にはそう見える。
 それにしても、みんな何を聴いているんだ?それが気になる・・・。
 学生の頃から比べると、本当に音楽を聴かなくなった。昔は一枚のCDをそれこそ擦り切れるぐらいにきいたのだけど、その情熱は今どこかへ行ってしまった。CDを聴いても数回再生しただけでCDラックにしまうものが多い。昔は一枚のCDをそれこそ何ヶ月も毎日聴いたりした。面白い事に何度も聴くと、何回も聴いている曲の中に新しい発見があったり、惹かれなかった曲に情熱が移行したりしていた。一枚をとても長く、深く聴いていた。
 一日のうちに音楽に割けられる時間がないのが原因なんだろうけど、その情熱を無くした事がなんだかとてももったいない気がする・・・。最近では運転している時にしか聴かない。なので、ipodに対して魅力をまったく感じないんだよね〜。

メッコールの真相。

 今日の練習後、何人かにメッコールを飲んでもらった。僕の予想では
「何飲ましてんだよ〜」
「こんなもん買ってくるんじゃねえよ」
吐きだした後に「何これ?」
という反応を期待していたんだけど、飲む人飲む人
「う〜ん、飲めない事ないね」
という、期待はずれの返事だった。みんなノリ悪いなあ。僕の中ではかなりの珍品、ジンギスカンキャラメルなみの衝撃だと思っていたんだけどなあ。
 実は店のスタッフ何人かにも飲ませてみた。みんなやっぱり微妙な顔をするんだけど、飲めないことはないみたいな反応になって、終いには「おいしい!」と言い出すヤツもいた。
うーん。
 でもまあ、記憶って都合のいいように変えられ覚えているものなのは確か。すっごく美味しいと思っていた食べ物は実はそうでもなかったり、可愛いと思っていた女の子そうでもなかったり。そいう時って、すっごくガッカリするんだよね。全ての思い出が嘘なんじゃないかって。その大筋はあってるだろうけど、末端はちがうんじゃないかっていう不安。だれでもそうだろうけどねえ。映画とか、漫画とかってそうなんだよね。すごく熱中したもの程そうなのかなあ。

 

パチユニ鑑賞。

 今日はじめてサッカーユニのスーパーコピーを見た。いわば、パチユニである。
 パチユニといえば、サッカーの会場なので怪しげな外国人が売っている偽者のユニのこと。試合前は3000円なのに試合後になると一気に値段が1000円にさがるという、発展途上国のインフレの様な値段設定が特徴。偽者は偽者らしく質はもちろん悪い。メーカー(NIKEやADIDAS)などのマークが入っていなかったり、スポーンサーが入っていなかったりと一発で偽者と分かるものが多い。ユニコレクターからは嫌われ、その存在はもちろん違法である。
 最近オークションなどで、とても精巧なコピーが出回っている。写真のものがそう。特徴は

ブランドマークが付いている。
買うときに付いてくる紙タグも本物と同じ。
首の後ろのタグも本物と同じ。NIKE、PUMAはタグではなく、プリントなんだけどそれにも対応。
エンブレムなどの刺繍も本物と同じ。
マーキングも本物と同じ。
袖につくワッペンにも対応。

つまり、本物とほとんど同じなのである。写真では本物かどうかは区別が付きません。そして、価格が平均3000円なのである。同じような条件で本物のユニをそろえようと思ったら、

ユニ価格 10000円
マーキング 3000円
袖のワッペン (非売品)

値段がぜんぜんちがうのだ。

 今日バイトの一人がこのスーパーコピーとも言うべきか、このユニを見せてくれた。コピーの多くはタイで生産されていて、彼が買ったそのユニもタイからの航空郵便だったそうだ。オークションで買ったときは「オフィシャルショップで購入したものではありません」という注意があったので、(コピー商品の決まり文句)があったので、本人はパチを知っていて買っていた。
 僕は初めてみたので、その場で脱がせて隅々までみた。確かに質は本物より少しは落ちるんだけど、それでも3000円は安すぎだと思った。はっきりいうと南米メーカーより質はいい、マジで。
 僕はパチユニの存在についてはどうでもいいんだけど、値段が気になる。つまり、正規メーカーはそのネームバリューをいいことに、ボッてるんじゃねえか?生地の質には差があったが、マーキング、刺繍に関してはほぼ同レベル。生産に関しては大手メーカーの方が大量生産できるし、マーケティング、販売についても絶対的に有利だし。不思議だ・・・。タイ人はさあ、3000円でここまでの商品を作ってるんだよ?こうなったらタイのブランドを立ち上げた方がいい、絶対。創造は模倣からはじまるんだから〜。

フォトアルバム

イタリア05-07

ん?
なにこれ。
いやいや、これが今度のワールドカップでイタリアが纏うユニでございます。イタリアのユニといえば、シンプルでありながらも実に魅力的なデザインで各国の中でも人気のユニフォームではあった。確固たるアイデンティティがあって、さすがデザイン大国、芸術の国だなあ、と誰も関心していた。デザイナーには有名なブランドを手がける人を使ったりしていたしね。バッジョが纏った94年のDIADORAモデルなんかは今では超プレミアが付いている。
 が、なにこれ?ぱっと見ファッションセンターシマムラにありそうなデザイン。アンダーシャツにエンブレムをつけただけのやっつけ感。パジャマ?といわれても仕方ない。
 どんなデザインであれ、チームが勝って行けば格好よく映るのがサッカーシャツ。が、これはどうだろう・・・。売れるか?

イングランド-アルゼンチン

 昨夜放送された国際親善試合イングランドVSアルゼンチンを最後まで見てしまった。両国の間に親善なんてものは存在しないのは承知の通り、非常に熱い試合だった。最後にはイングランドが立て続けに2点を奪って勝利した。くやしい。
で、昨日の試合を見て気付いた事。

@ 発表されたばかりの新ユニを着用するのではと思われたアルゼンチンは結局着用せず、現行のアウェイだった。ただ、キーパーだけが新デザインのユニだった。(番号の書体がちがうんだ)
A アルゼンチンは背番号だけだったのに対し、イングランドは名前も入り、さらにマッチデイプリントもされていた。(胸番号の下に2005.11.13 vs ARGENTINAと書くマーキング)UMBROは偉い!(商売上手)
B アルゼンチンの選手はトラップミスしないらしい。
C アルゼンチンの3番、ソリンは長袖を着ているがずっと腕をまくっていた。半袖にすればいいのに。
D ランパードは案外えげつないタックルをする。
E ルーニーは大相撲でもいいところまでいきそう。
F ベッカムは格好いいな、やっぱり。
G ジョー・コールはイギリス人っぽくないプレイがいいね。もっと跨げ。
H ソリンは神出鬼没。登録上は一人だけど、ピッチ内に3人はいると思う。
 

僕とメッコール。

 今日は夜にSEVILLANASの練習に参加。思わぬプレゼントが僕を待っていた。なんと、先日このブログで書いた幻の飲み物、「メッコール」がついに発見されたのです!灯台元暗しとはこの事で、千葉パルコの図書券でおもちゃが買えるとある本屋にあったとの事。発見者はFloriano'の10番、イソ。流石10番ともなると視野が広いね。また、買ってきてくれるというそのネタ提供の心意気がいいね。
 メッコールをネットで検索した人もいると思うけど、フォトアルバムにあるのが正真正銘のメッコール。勿体なくてまだあけてません。味を確認したいとも思うけど、なんか体が「止めろ!」ていうんだよね。心の奥の暗い記憶がそうさせるのかな。


フォトアルバム

スーパーサッカー

 今日放送の宇TBSスーパーサッカーに、歴代日本代表のユニが紹介されていた。うらやましすぎるラインナップで、欲しくなったよ。マーキングや仕様から見て、どれも選手が使ったものだった。個人のコレクションをかりたのだろう、どれもレアなものばかりだった。
 進化した新ユニの機能性が紹介されるとともに、古いユニフォームの機能性のなさの話になっていたけど、僕は古いユニフォームが好きだ。ユニの一番の大事な機能は「相手との区別がつく」にあるわけだから、汗をすぐ吸い込んで蒸発させるとかの機能はその次でいい。
 サッカーユニのコレクターは昔からいるけど、サッカーのユニが商売として認識され始めたのは恐らく90年代初等からだろう。それ以降一般販売が広く行われ、ADIDAS、NIKEの大手が参入、サッカーのユニは一般的なものになった。個性的なデザインは画一的になり、縫い合わせだったものが昇華プリントになり、刺繍だったものがシールになった。
 こんな時代だからこそ、写真の様なレトロなユニを見ると、そのあまりのシンプルさに感動して、
「ただ国・チームを表す」
というその存在理由に感動します。そして財布のヒモが緩くなってしまいます。

自転車の旅

 この前のブログでチャリの旅の事を書いた所、脳の中の記憶の扉が開いたのか、もっと長い旅の事を思いだした。あれは確か中3か高1ぐらいの時の事だったと思う。クラスの中に釣り好きな奴が一人いた。こいつが「今度印旛沼まで釣りに行く。行かない?」と声をかけてきた。そのインバヌマがどこにあるかすら分からなかった僕らは、
「なんとなか楽しそうだ」
という事だけでついていく事にした。
 当時僕らが住んでいたのは稲毛区。稲毛区から印旛沼まで自転車で移動する訳だ。釣り好きのやつが先頭にたって僕らを案内する事になっていた。
 夜明けぐらいにはつきたい、という事で朝の4時に集合する事になっていた。僕らはもちろん嫌だったけど、釣りとはそんなものだ、という一言で押し切られた。
 いよいよ決行の日が来た。僕らはすごく眠かったけど、夜中に起きて遊びに行くという普段は絶対しない行動が僕らをナチュラルハイにした。ガキとはそう言うものである。釣り好き友だちが先頭にたち、僕らは後に続いた。時間も時間だったので車通りもほとんどなく、僕らは普段と違う表情を見せる街にドキドキした。夏といえども夜風は涼しかった。
 移動は続く中、僕らは当たり前に迷子になった。お前道知ってるんじゃないの?とみんなで案内役を責めたけど、「だって夜はわかりにくいもん!」と言われ全員なんだか納得してしまった。
 夜がどんどん明けるなか、6:30すぎに印旛沼に到着した。太陽はもほとんど昇りきっていて、熱さがまた押し寄せてくる頃だった。僕らは疲労困憊で釣りなんてどうでもよかったけど、せっかく来たんだからとりあえず軽くでいいからやってみようか、という事になった。
 が、釣りに関しては素人。おまけにやる気がない。更に帰りの道を思うと、
「もう帰ろうか」
という雰囲気が場を満たしていった。1時間ほど糸を垂らしただろうか。もう帰る!と言い張る僕らをよそに釣り好きの奴だけが、岸に向かいながら
「お前ら先に行け、オレはまだ釣っていく。坊主では帰れ・・・」
と言った瞬間にズボボボッと膝まで泥の中に沈んだ!
あまりの突然の出来事に僕らは大爆笑!当の本人は焦りながら
「助けて!助けて!」
と言ったが、僕らはあまりの大爆笑に腹を抱えながら笑い転げた。本人は草をつかんで止まろうとするけど、その旅に草はブチッと切れて、どんどん沈んでいく・・・。僕らはまだ笑っていたが、よく見たら膝まで沈んでいるハズだったのに、いつの間にか腰までが地中に埋まっている。印旛沼には底なし沼なんてないと思うけど、その時は全員心底ビビッた。僕らは笑いを納め、こんどは引きつった顔で、自分たちが落ちないように気を付けながら何とか奴を引っ張り上げた。
 奴は胸までを泥で真っ黒にしながら、ゼーハーゼーハーと口で息をしていた。僕らは笑いがまた止まらなくなって、遠慮なく大声で涙が出るほど笑った。その中は奴だけはちがう涙を流していた。
 帰り道は行きとはちがく短く感じるものだけど、奴にとっては泥だらけでの移動はこたえただろう。無言での帰宅となった。僕らもなんだか不憫に感じ、声をかけずに帰った。
 その後、不思議とその話題に触れる事無く、僕らは卒業した。
 今思い返して見れば、あの時は本当に危険な状態だったと思う。ある程度の人数がいたからガキの力で引っ張り上げる事が出来たけど、一歩間違えば・・・と思うと、やっぱり当時の我慢できない笑いを思い出してしまう。すまん。

フランスが燃えている。

 フランスが大変な事になっている。移民が中心となり、国にに対する不満を訴えているようだ。最初このニュースを聞いた時、暴動の原因がイマイチ解らなかった。新聞やネットを読みあさっても、その原因を完璧に解説してくれる所はなかった。
 原因は移民の貧困と失業率の高さらしい。すっごくざっくばらんに言うと。貧富の差が激しい社会なので、表の原因はそれだろうけど、根底にあるのは「差別」だろう。ニュースや新聞には載らないけど、結局はそれだろう、と僕は思っている。その中には宗教や、不信もあるはず。フランスのマイノリティはフランス社会への「同化・慣れ」を認めるはずがない、種族としてのプライドがあるからだ。(僕の個人的な意見です。正しいかどうか解らない)。なにより、僕がこのニュースをイマイチ理解出来なかったのは、「移民」という言葉を良く理解出来て否からだろう。移民政策を行う国としてのあり方の難しさが表れている。
 かって僕が暮らしたアルゼンチン社会にも、チャイナタウンやリトル・トウキョーがあった。どの国でもそうだけど、中国人は中国人で、日本人は日本人で集まる。移民は他の地に希望を求めて旅立った行く訳なんだが、異国にいてまず何をするかというと、自国の文化の保護、プライドの保護、アイデンティティの確認。これは不思議と絶対そうなんだよね。すごく矛盾がある事だけど、絶対そうなんだよね。そりゃ、当たり前の行動なのかも知れない。親は子供に自分の国の言葉を習わせ、文化を教えようとする。ま、僕が日本語を覚えたのもそういう親がいたからだ。これは世界中のどこでもそうだと思う。どこでも同じなはず。
 この問題は移民の問題じゃないと思うんだよね。移民が問題の根幹にあるのではなく、ある問題が移民に投影された結果だと思う。金の問題?プライドの問題?差別?宗教?どれでもそうだろう。特に日本に住む僕には「移民」「貧困」というのは理解しづらい。これが幸か不幸、それも解らない。




 

幻の飲み物、その名はメッコール。

 中学2年生の夏、僕は友人につられて当時住んでいた稲毛から幕張本郷までチャリで旅に出た。僕らのミッションは幻の飲料、「メッコール」を味見する事だった。
 このメッコールという飲み物は「麦で出来ているコーラ」という、言葉だけではどんな味か分からない表現のされ方をしていて、飲んでみない事には分からない、という事で僕らはチャリに乗った。「すごく不味いコーラがある」という噂だけが先行していて、僕らはそれがすご〜く気になり、さらに夏休みの暇さ加減も手伝って、炎天下の中チャリにまたがった。本当にあるかどうか分からない飲み物のために。
 ジリジリと太陽が焼け付く中、僕らは目的地に着いた。稲毛から幕張は近そうに思えるけど、厨房のチャリ移動にはきつかった。ついた頃には汗だく、ノドはカラカラ。もうメッコールでもなんでもいいから、冷たいものを飲みたかった。
 幕張本郷には変わった形のラブホテルがあって、メッコールが売られている販売機はそのホテルの向かいにあるという事だった。自販機は本当にあった。そして、その中には確かにメッコールはあった。僕らは飲んだ、そしてすぐに吐いた。
 大人になってから色んな人に「メッコール」って知ってる?と聞いたが、知っている人いなかった。あの飲み物はなんだったんだろう?と思う事があったが、誰も知らない。あの夏の旅ごと幻なんじゃないか?という気がしてきた最近、インターネットで検索してみた。メッコールはたしかに存在し、やはり謎の飲み物として扱われていた。勇気ある人はメッコールを検索してみてください・・・。

おいおいおいおい!

 な、なんと、あのスタローンが今度は「ランボー4」を作るつもりらしい!「ロッキー」の事を書いたばかりだったが、今度のニュースだ。ここまで来ると本気なのかどうかもいまいち判断しづらい部分もあるけど、公式なコメントも出ているようで、期待・心配を通り越して、もはややけくそ?
「ロッキー6」では脚本・監督・主演を務めるが、「ランボー4」では出演だけの様だ。誘拐された少女を助けに行くというあらすじは決まっているのもの、脚本はまだ仕上がっていないとの事。
 こういうニュースは大体金のめどがついてからリークされるので、おそらく本当だろう。やっぱり辞めました〜、の線もあるだろうが完成の可能性は高い。ま、現時点では待つしかないか。
 最初のランボーもロッキーもアナーキーな反・ヒーローだったのに、シリーズが進むにつれ、アメリカンヒーローになっていく過程はとても似ている。ロッキーはアメリカの象徴だったアポロと戦った後、アメリカを代表してドラゴと死闘を繰り広げる。一方ロッキーは警察や軍と戦いながら、2ではベトコン、3ではロシアと戦う。いつの間にかナショナリズムの象徴になっているんだよね〜。アメリカの存在が問われるこの時代に、純粋なヒーロー像はある意味新鮮に映るだろう。やっぱり期待してしまう僕である。

大胆。

代表の新しいユニが発表された!
写真がそうなんだが、感想は人それぞれだろう。脇の曲線は日本刀の刃に浮かぶ波紋を表していて、世界に立ち向かうサムライを意識しているとの事。という事は日本代表のオリジナル!?もしそうなら、画一的なデザインが多い昨今のユニ業界においては、ちょっとした革命じゃないか?僕は肩のデザインをちょこっと変えるぐらいでお茶を濁すだろうと思っていたので、デザインはいいとして、その英断は嬉しい。アルゼンチン、ドイツ、スペインはどうなっているのだろう。流石に同じ曲線は入ってないよね?日本刀は日本だけのものだからね。
 

フォトアルバム

お疲れ様でした。

 ま、最後の13秒で逆転されるもったいない敗戦だったけど、やっぱり相手は一枚も二枚も上だったな。個人的には課題も見つかったし、今後の練習へのいい持ちUPになりそう。
 前回の練習の筋トレが思ったより好評で、なんだかみんな筋肉痛になって悔しいといっているので、今後の練習では筋肉系・筋肉トレ系のメニューを入れようかと思っています。どう?案外必要かもね。次の試合までは大分時間あるので、またコツコツとがんばって行きましょう。

人数少なし。

 なんだかまた明日、人数が少ない感じだ。感じというか、絶対的に少ない。人数の少ない時の試合というのは何だか気合いが入るものでもあるが、試合中にベンチを見るとポツンと一人だけ座っていたりすると少し寂しい、心細い感じがする。いつもは大人数なイメージがあるからね。普段はもっと試合に出たいよ〜、もっと出してくれよ〜と思う傍ら、こういう状態になるとなんだか少し不安。
 人数少ない時の思い出といえばいつかのMILKY戦だが、あれはもはや奇跡、いや、奇跡以上の出来事だから、再現は難しい。あの時はみんな以上なテンションの中だったし、運もタイミングも風までも(室内なのに)見方してくれた。今回もそうなる事を祈る!

アメリカ文化くそ食らえ!改め、他人のふりみて我がふり直せ。

 今日はしゃべり文体で!
で、僕もあれこれ買い物をしたわけですよ。彼女の怒られないように中途半端に不機嫌になりながら、商品をみていた。商品の中には衣服や本もあった。本は洋書でハリー・ポッターやアメコミっぽいものもあって、全部英語だけどね。僕は尿意が催してトイレを探した。が、僕がいたフロアにはないようで、一階に降りないと行けないらしい。しかたなく僕は嫌々引いていたカートを置いて、トイレに向かった。トイレは一階、レジがズラ〜っと並ぶそのまた後ろにあって、僕がレジとレジの間を通ろうとしたその時だった。店員が僕に話しかけてきた。
「お客様すいません。この通路はカートが通る所にになりまして、通り抜けはできません。」
え?そうなの?と僕は思って回りをみたんだけど、普通にレジとレジの間なんだよね。
「あの、トイレに行きたいんですけど」
と僕が言ったら
「はい、ではあちらの通路を通ってください。こちらはカートが通るので大変危険となっております」
いや、普通にレジとレジの間じゃん、しかもカートなんて通ってないじゃん、と僕は思って
「いや、トイレすぐそこじゃないですか」
と僕は言いました。事実、トイレは僕のすぐ前。なぜなら僕はすでに殆ど、レジとレジの間の通路を渡り終えていたのだ。カルフール見たいに分かりやすく「通れません!」になっていればいいんだけど、普通にレジとレジの間だったんだ。そしたら店員が
「こちらをお通りください」
とまた言いやがった。僕はいよいよ頭に来て、
「は?」と思い切り嫌味を込めて言ってやろうと思ったけど、
「いや、オレはもう28歳。しかもオレも客商売。ここはグッと我慢だ」
と思って、レジをグルッと回って無言でトイレに入った。その時に、何も言わなかった自分とこの店のスタンスにブチ切れて、早歩きでカートまで戻って、
「もういい、帰る。こんな所二度とこない」
と彼女に言った。彼女は僕が不機嫌になっていることは分かっていたので、
「おめえいい加減にしろよ〜。なに勝手にキレてんだよ」
と思ったと思うけど、無言でついてきた(そのほうが怖い・・)。
 が、このスーパーは最後までむかついた。なんと、レジをでた後からも出口まえにレシートを提出させられ、カートの中身とレシートをチェックをされるのだ!
「おまえ、どさくさに紛れて金払ってないもの一緒にいれてるんじゃねえの?」
て感じなんだよね。アメリカンスタイルってこれ?

 僕は自分でも客商売をしているけど「お客様は神様」という価値観には真っ向から反対している。南春夫がどんなにいい人間だったであろうと、絶対認めない。が、今回コストコに行った事で、
「これもねえな」
と思った。客と店の関係は常に対応にあるべきなんだと僕は思うんですけど、これじゃ買い物させてやるってスタンスに感じるんだよね。コストコでは経費をできるだけ押さえる為に陳列や包装、サービスを控え、その分商品を安くするというスタンスになっている。みんなもその価格に惹かれていく。ある意味ただしい事なのかも知れないけど、あまりにもマニュアル化されていて嫌な感じだ。
 帰りに運転しながら、なぜかアメリカ文化について考える。図々しいな、アメリカ文化は。でも、まてよアメリカに文化なんてあるのか?音楽はアフリカから、映画はイタリア・フランスから盗んでるだけジャン!その時にガムとチョコレートを置いていってるだけの話じゃないか!アメリカが作って、偉い!と思うのはハンバーガーとNIKEだけ!まちがっても民主主義はお前らが作ったわけじゃない!

アメリカ文化くそ食らえ!つーか、アメリカに文化なんてあるのか?

 みんな、幕張にあるコストコというスーパー、知っている?
ちょっと変わったシステムで、年会費を4200円払わないとそこでは買い物を出来ないスーパーマーケットなんです。
 今日、彼女がどうしてもというんで、そこに行ってきたのですが、久々にというか、頭にキてぶち切れそうになりました。
 このスーパーには色んなルールがあって、その中にカートを引きながらでないと、入店できないというのがあるらしい。入店する時にさっき作った会員証を見せながら入らないといけないルールがあって、入る前からちょっと面倒なのだ。で、僕の前をそれをしらない家族がいて、彼らは店員に
「カートがないと入店できません。2階からカートを持ってきてください」
といわれていました。その店員の横にはカートが数台ならんでおり、その家族のお父さんと思われる人がそこからカートをとろうとしたら、店員が
「こちらのカートはご利用いただけません。2階からもってきてください」
お父さんは少しムカっときたのか、
「ここにあるんだから使ったっていいじゃん」と言ったら店員が
「いえ、こちらのカートはご利用いただけません」
お父さんはついにキレて声を荒げながら
「じゃなんでそこの置いてあるんだよ!俺みたいなのが忘れた時のためにおいてあるんじゃねーの?」
と叫んだら、周囲の空気は一瞬固まって、店員の上司みたいな人がでてきて
「どうぞ、こちらのカートを使ってください」
と折れ、その場を収めた。
 融通のきかない店員だな、と思いながら僕も入店。店内はアメリカ度数100%の商品陳列。安い、多い、デカいの3大原則が忠実に守られ、客は自分の車と同じくらいの大きさのカートを引きながら我先と商品をカートに突っ込んでいる。
 僕はここらへんから、
「ここ、どこかおかしい」
と考え出して、あまりの人の多さにいよいよ不機嫌になっていく。なんだか物欲の砦、みたいな(よく分からないけど)感じがして、不自然な気がしてたまらなかった。
 今でこそサッカーユニフォームの数が70枚を越える曲がった価値観の僕ですが、就職するまでは貧乏を絵に描いたような生活をしてきました。そのなかで、スーパーといえば、
「必要なものを買いに行く所」
であって、決して
「安いからとりあえず買っておく」
場所ではなかった。コストコに置ける商品は5個セット、10個セットが多くて、テレビで特集を組まれるような大家族でもないかぎり、不必要なものがついてくる。カートにこれでもかと入れていく人たちを見て、ぼこの人たちはみんな大家族なのかなと馬鹿な事を考えていた。
 コストコの中はアメリカなんだよね。昔、「アメリカの贈り物」という映画があった。第二次大戦終了後のフランスの片田舎でアメリカ軍が駐留していた話なんだけど、主人公の男の子は駐留軍の基地のなかのスーパーに憧れるんだ。同じ商品が壁の様にズラーっと並んでる様子とか、ジーパンが積み上げられている様子とかに。
 アルゼンチンではコストコみたいなスーパーばかりだったから僕はそうでもないんですけど、この「アメリカ世界に憧れる日本人」が無性にむかついてきた。
 アメリカの嫌いな所は、世界のどこに言っても、その場所をアメリカに変えちゃうでしょ。沖縄に行ったときも同じ感覚を味わったけど、絶対そうだよね。それがむかつくんだ!俺は!お前ら何様じゃ!俺は純粋な日本人じゃないけどさ・・・。
 続きは明日。実はちょっとした事件があったのさ・・・・・・・。これ以上書くとむかついて寝れなくなるから明日!

時はたつのは早いもので。

 そう、もう11月なんだよね。実に早いもんで、また一年、歳をとってしまう。あと一ヶ月もすればジングルベルが街を流れはじめるわけで、そうなると2006年へのカウントダウンの開始だ。
 今日はクリスマスの商品を用意した。毎年行っているけど、年をおうごとにどんどん早くなっているような気がする。クリスマス関係の映画には有名なものがたくさんあって、その時期になるとテレビでやってりして、みんな見たくなるのが面白い。映画としての価値や感動は一年を通じて変わらないのに、まるで季節ものの花の様にその需要は高まる。
 初めてフットサルボールを蹴ったのは2002年の夏ぐらいだから、もう3年とちょっとになるのか。長いのか短いのか。ま、本格的にやりだしてからわかったものは、やっている時間には大して意味がないって事。長いから必ずしも上手くなるわけではない。不思議なもので。そりゃ経験は大事だけどねえ。時間=密度ではないからね。
 3年前よりは上手くなっているのきっと間違いない。でも、僕は確実に3年前より違う方向を、レベルを見ている。「僕ら」と言った方が正しいか。個人参加に行った時の目をつける所は変わったね。以前は派手なドリをする人とかをうまいと思ったが、今ではパスの早い人トラップ上手い人をみてしまう。そういう所に成長を感じたりする。
 偉くなったねえ、俺も。なんてね。

ロッキー其の2

昨日ギャグで
「ロッキーネタでも書こうかなあ」
と書いたけど、よく考えたら一杯あるんだよね。
 先にも書いたように、「ロッキー」は時代的に革命的な映画だった。70年代のアメリカ、そして「ロッキー」の舞台であるフィラデルフィアは経済不況にあえぎ苦しんでいた。町は暴力と犯罪が溢れ、ゴミが止めどなく散らばり、ホームレスが増えるばかりであった。この映画に置けるフィラデルフィアはの天気は常に曇っている。
 スタローンも喘いでいた。30を過ぎて未だ俳優とは呼べない肩書き。それもそうだ。顔は不格好に曲がっていて表情がない。滑舌も悪い。が、モハメド・アリといい勝負をした無名ボクサーの試合をみて、「ロッキー」を書き上げる。
 まずロッキーの境遇が描かれる。町ではみんな互いを憎んでいる。ジムではトレーナーがロッカーを新人に勝手に渡している。仕事はヤクザの下っ端。夜中に出歩いている女の子を家まで送っても、「うるせえよ」と言われる。空をみても分厚い雲が太陽の光を遮っている。そういう町、そいう時代なのだ。
 バーでテレビを見ていると、アポロが写っている。ロッキーとは正反対に、アポロは派手に光り輝いている。そして、自分を対戦相手に選ぶ。そしてロッキーはこの境遇を変えようとトレーニングを開始する。そして勇気をだしてエイドリアンに声をかける。
 それからロッキーは変わる。朝から生卵。夜明け前にランニング。あの有名な階段を上がるシーン。最初は脇が痛み、息が切れる。が、何かが変わっていく。エイドリアンは心を開き、トレーナーのミッキーは指導をしてくれる事に。エイドリアンの兄は「ガウンに俺の肉やの広告を入れてもいいか?」と頼んでくる。快諾するロッキー。ロッキーが走っている所を、町の人が「がんばれよ」とリンゴを投げるシーンがあるが、あれは演出ではない。スタローンは全く持って無名だったので、本当のボクサーだと思われていたのだ。試合のシーンのため、実際にスタローンは毎日走った。そして声をかける人は増えていく。
 走りながらバラバラだった人々の心をつないでいくロッキー、いやスタローン。最初はゼーゼー言っていたのに、今度は軽々と階段を上がるロッキー。両手を高く上げるその時はじめて分厚い雲の間から太陽が顔を出す・・・。そして試合。
 試合ではロッキーはボコボコにされる。が、油断するアポロにいい勝負をして、アポロもついにロッキーを認める。いい勝負。結局ロッキーは負けるが、本当の勝者が誰なのかを観客は知っている。そして有名な「エイドリア〜ン!!!」のシーン。
 冒頭のアポロがTVの中に写る酒場のシーン。派手なパフォーマンスを見て酒場の客のが、
「黒人が調子にのってんなよ」
と言う。それをロッキーは
「アポロは全力をつくしたからそこまで上り詰めたんだ。あんたは自分の人生の中で全力を尽くしたことが一度でもあるか?」
と言い返す。
 「ロッキー」はそのままスタローンの物語である。くすぶっている30過ぎの男が全力を尽くして変わっていく物語。ロッキーは試合には負けるが、人間としては勝者になる。スタローンもそうなっていく。
 時代が変わっても、ロッキーが階段を上がるあのシーンは本当に感動的だ。どんなSFXもCGもかなわない。なぜなら、ロッキーはヒーローでも超人でもなく、僕らと同じ普通の人間だからだ。ただ必死でやってやると心に決めた男だからだ。

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