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教え

 昨日の話題を少し引っ張るんだけど、人が人に何かを教えるというのは、すごく崇高な行為なんだよね。おそらく人間が文化的になしえる最高の行為なんじゃないかな。文化的にも社会的にも、ノーベル賞級の発明と同等ぐらいの価値があるのではと思う。
 教えるのには先生である必要はない。教員免許なんていらない。実際、人生に必要なことを僕らは周りから学んだ。友達や親、出来事から覚える。
 今実際に僕らはフットサルを教えてもらっている。団長はフットサルにおけるセオリーや技術、考え方を教えてくれている。それは僕らのフットサルにおける「価値観」に直結するので、ある意味すごく責任のある事だよねえ。
 
 昔うちの社長に言われたもので、
「自分が何かをうまく出来るのは当たり前。でもだからといって、優れているとはいえない。本当に優れている人とは、自分が出来ることのレベルを超えられる人を育てた人間なんだ。」ようは、自分が何かをうまく出来ても、それを人に教え、それをもっとうまく出来る人に育てられないと意味がないということだ。最初は何を言ってるんだと思ったけど、よく考えたらなるほどなと思った。知識や技術というのは一代で終わってしまっては、もったいない。それを次の人に託し、またその人がその知識を磨き、またちがう人に託す。これこそが人間の成長なんだろう。
 
 で、団長からはフットサルの技術的な事だけではなく、「フットサルの楽しさ」も教えてもらっているんだよね。これは団長だけではなく、チームメイトからもそうだ。感動とか、興奮とか、連帯感とか。これってやっぱりすごい素晴らしいことなんだよね。
 教えるというのは、素晴らしいことで決して特殊なことではない。誰にも出来ることもあるんだ。いつか誰かに何かを教えられる人になりたいもんだ。

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