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40歳弾

 書こう書こうと思っていたカズのゴールについて。シュート的にはまぐれ?な臭いはするけどあの場面であの体勢からシュートを打とうとする気持ち、しかもボールが落ちてくるのをあれだけ待つ事ができる選手は日本に何人いるだろうか。
 実はアンチ・カズも昔からいて、
*カズをスタメンで出すには交代枠を一つ確保する事が必要。
*客よせパンダ
*カズよりカズのスポンサーの方が実は魅力的

と良く言われていたが、現在ではほとんど聞かなくなった。カズの存在はアイドルのそれに近いものになってきているけど、嬉しい事にどの媒体にも尊敬の念がくみ取れる。
 で、ネットに面白いカズ伝説がたくさんある。本当なのかウソなのかは分からないけど、これを読んでいると僕は泣けてきます。全てに著作権があるかどうか微妙ですが、全てコピペです。

もんじゃ屋
キングカズは神だと思っている。

7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。

カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは いい笑顔で会話を交わしていた。 そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

ファンレター
昔弟とファンレター書いたとき、弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた。

ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら、俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった。

ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった。

カズのボール
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。それも、200個ものボールを。子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。少年たちはやはり喜んだが、渡されたアディダスのボールを見て「アディダスではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」「『カズ』のボールはとても使いやすかった」と口々に言う。

Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。


もう1回だけ、1回だけでいい。
「よく励ましの言葉とかエールとかっていわれるんですけど、僕の方が皆さんの言葉や励ましから、勇気を貰ったりしているんです。僕からのエールと言うよりも本当にみんなと頑張っていきたいなとおもっているんですけどね。 同世代の人も含めてみんな頑張って目標に向かって進んで行きましょうってことですかね。」

「練習も含めて試合全てが、一つ一つに想いを込められる。やっぱりこれは年齢でしょうね…。もう確実に先は短くなってきている…。昔も絶対に一つ一つに対して、プライドを持ってきてやってきたつもりなんですけど、今の思い入れとは全然…サッカーを愛する気持ちは全然変わりました。」

「ジーコもう1回だけ呼んでくれないかな…1回だけでいい… 一生懸命やればいいよ…。」

カルチョの国で
94年9月4日ミラノのサン・シーロ・スタジアムでのセリエA開幕戦。相手は3連覇を成し遂げ、4連覇を目指す王者ACミラン。カズのイタリアデビューである。しかし、それが一瞬にして悪夢に変わるとは誰も予想していなかった。前半28分、セリエAを代表するDFのバレージと激しく接触。前半は気合で乗り切ろうとするが、もはや目も腫れて塞がっていて満足に物が見えてない状態だった。

前半終了後すぐに近くの病院へと足を運んだ。鼻骨骨折…全治2ヶ月…。恰幅のいいイタリア人の医者は笑顔でこう言った。「いいかい、ジャポネーゼ…。君の長いサッカー人生を考えれば、これはちょっとの休息だと思えばいいんだよ。」カズは医者の顔をまっすぐに見据えながら、流暢なイタリア語で答えた。

先生の言いたいことはすごくわかるよ。僕もこれまでもっと厳しいケガを克服してきた。でもね、僕には時間がないんだ。僕はここでは招かざるゲストなんだ。みんな周りは色眼鏡で僕を見ている。なんだ、こいつは?ってな具合でね。試合中や練習中に僕にボールが回ってこないこともある。でも、それは僕にとって些細なことなんだよ。僕は自分にボールが転がってきたら、それを決めるだけの自信があるからね。でも、僕が我慢できないのは、日本人がサッカーできないと思われることなんだ。僕は証明したい。僕の力だけじゃなくて、日本人の力を証明したい。結果を出す時間は10ヶ月しかない。その中の1ヶ月を失うというのはあまりにも大きいんだ。先生、別に鼻なんかなくてもいいんだ、目さえ見えればいいんだ僕がすぐにプレーできるって診断書書いてくれないかな…。

カズはそこまで言ってから下を向いた。恰幅のいいイタリア人の医者はこれほどまでの熱意を目の当たりにして言葉を失っていた。

そして、翌日チームに届けられた診断書には全治3週間と書かれていた。カズは今でもちょくちょくその病院の先生に挨拶に行くという。

代表ユニフォーム

カズは毎回、代表に召集されるたびに「これが最後かもしれないから」と、代表ユニフォームをもらって帰っていた。そんなカズに、用具係の人が「(カズさんならわざわざ持って帰らなくても)次に来た時、渡しますよ」と軽い気持ちで言った時、キングは即座に言い返した。

キング「……次の保証なんか、オレたちにはないんだ!」

今の代表ユニフォームをキングがもらって帰る日がくることを願っている。


サッカーの話

Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。 せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、「お楽しみのところすいませんが」弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。と厚かましく、言った。

カズさんは、「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。

弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。

するとキングは「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をした。

カズは、振り返って一言言った。表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」


猫になりたい

ずいぶん前に読んだ雑誌からの孫引きなので、細かな部分には間違いがあるかもしれないが、とにかくサッカーの三浦知良選手が、どこかの幼稚園を訪れた。リフティングやカズダンスを披露し、喝采を浴びたあと歓談の時間となり、三浦選手は園児たちに、「みんな将来は何になりたい?」と尋ねた。

園児たちは当然「Jリーグ入りたい!」「セリエA行きたい!」などと口々に叫び、三浦選手はウンウンとうなづいている。そのうち、大工さんになりたい、という声が上がった。ケーキ屋さん、お医者さん、という声も出た。

三浦選手はやはりうなづき、「どれも大事な仕事だね。大変だけど夢を捨てちゃいけないよ」

すると、それまで黙っていたひとりの園児が手をあげていった。

「ぼく、猫になりたい」

幼稚園の先生や親たちは息をのんだ。三浦選手は大きくうなづき、「猫になる、っていうのも大切な夢だよね。いいかい、ぜったいに、その夢をあきらめちゃいけないよ」

このエピソードを知って以来、三浦知良とは、サッカー選手というより、偉大な人間の足下にボールが転がってきたので、偉大な人間らしい態度でひたすらそのボールを追いつづけている、といったような人間なのだと周囲に触れ回ってきた。

その園児が、後の猫ひろしである。

後悔したくないから
2002年W杯の日本vsベルギー戦の直前まで、カズは一人黙々とグラウンドで練習を続けてコンディションを整えていた。

ある記者がカズにその理由を尋ねると、カズは「試合直前だけど試合が始まるまでは何が起こるかわからないよね。もしかしたら集団食中毒が起こるかもしれないし、代表に選ばれたFWが怪我するかもしれない。そして、もしかしたら誰かの代わりに自分が選ばれるかもしれない。もし、そうなって自分が日本代表に選ばれた時、恥ずかしいコンディションでピッチの上に立つなんてことは、自分には絶対にできない。日本代表というのはそういうものじゃないんだ。後悔は絶対に残したくないんだ。」と答えた。

反省

サッカー文化の歴史が深い国の選手は「カズは98W杯の日本代表には必要だった」と言います。強豪国と言われる国は、必ずベテランを代表に入れます。あの時点で日本で最も修羅場を潜り抜け、経験値が一番高かった選手は間違いなくカズだった。彼を引きずり下ろしたのは、僕らを含めたあの時の流れ(世論)が大きかったと思う。思い返すに、どこかに彼を引きずり下ろそうとする好奇な報道、視点が世間的にあったのではないか?

それに軽はずみに乗った自分達もよくなかった。

まぁ、俺がのったところで、何もかわらないのは承知ですが、そういう人達の積み重ねで流れは作られるから、その一人としての反省です。あの時カズが代表に入らなかったことは、日本サッカー史の汚点だと思います。

この事を考えられたのは、彼が現役でプレイしているからだと思います。あれだけのドン底を味わってもなお、サッカーをプレイし、楽しみ、マスコミにも丁寧に応対し 、ファンを大切にしている。カズが98年でサッカーを辞めていたら、Jで復活していなかったら、今回のことを考えることはなかっただろう。

色々言いたいことは沢山あるのでしょうけど、それを堪えてグランドで勝負している姿勢も尊敬します。代表落ちして、あれだけの好奇の眼にさらされた時にも、ちゃんとマスコミに対応していました。あの一瞬だけを見ると、堕ちた英雄という見方も出来るかもしれませんが、あの時、カズがマスコミを通して見せたプロとしての姿勢の意義は、今振り返るととてつもなく重いものだと思います。現状を受け止め、逃げなかった。

今でもプレイしているからこそ、俺も97、98年を振り返り、あの時の自分達の振る舞いは正しかったのか?を考えることができるのだと思います。

そして40歳になった今も、カズはカズであり続け、毎試合全力を尽くし、プロであり続けています。

それに、彼はいつもダンディです。オトナがカッコつける意義を教えてくれます。




posted by @6 : 17:54

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