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敗者の代償

 98年フランス大会を3戦全敗で終えた日本代表。「負けたけど良く頑張った」という空気の中、代表選手は空港で大勢のサポーターに迎えられた。「ドーハの悲劇」の影響もあって、98年のW杯出場にはついに念願が叶った!という想いが国中を包んでいた。
 アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカというグループ分け。当時は1勝1分け1敗という言葉が流行り、ジャマイカには勝てるんじゃん?的な予想はまるっきり外れ、奪った1得点はロペスの当たりぞこないのシュートを中山が身体ごと押し込む泥臭い一点だった。
 傷心の帰国ではあったが、当時の雰囲気は決して悪くなく、

● 日本のサッカーはこれから
● 中田をはじめとする若い力がある。次をがんばろう

的な希望があったが、シュートを外しまくった城に水をかける事件が起きた。当時は当たり前だの、いいことではないだの、選手を甘やかしてはいけないだの、負けて帰ってきてるのにいい言葉をかけられるか!だの、応援のあり方を間違えている、と意見は様々だった。
 7年後に城は
「サポーターがW杯で戦う重みをしっていた証拠。本当に勝って欲しいと思われていたという事だ。今では誇りに思う。ある意味サポーターが選手にむけた初めてのアクションとも言える」
と語っている。

当時の選手と今の選手ではきっと意識レベルもちがう。技術も戦術も格段にレベルアップしている。それはサポーターも同じで、代表に求められるレベルも上がっている。もう勝利しかないのだ!世の中のサッカー熱はそれでしか冷ませないのだ。
 が、僕はちがうことを示して欲しい。もちろん、勝つことももちろんだが、中山があの時見せような気迫、「オレは勝ちたいんだ!」という何がなんでものヤケクソを見せて欲しい。
 自国開催だった02大会とはちがう難しさを誰もが悟った今、中山のあの膝で押し込んだ得点はどんなに偉大な一点だったかが分かる。泥臭い一点だったが、それは日本のサッカーに対する姿勢を表したのであり、後の代表に対する偉大な手本だとも言える。あの1点は日本代表がW杯に初めて参加した唯一の記録であり、もしその一点がなかったら日本のサッカーは何を失っていたかはわからない。足を骨折しながらも決めたあの一点はそれほど大きい意味を持つ。あの時の中山の思いを無駄にしないためにも是非とも走りまくって欲しい。希望のあるプレイをしてほしい。サポーターが水を投げる事のないように、黙らせるぐらいの気迫でプレイしてほしい。

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