生命力

 我が家のアイドルであり、オアシスであり、そして家族の潤滑油である愛犬「ユリ」が今、自力で立てない状態になっている。何かの原因で脊椎の神経が傷つき、脳の信号がうまく体に伝わらず、首から下が麻痺した状態になっている。症状が出たのはGWに入る直前で、動かずにいるところを弟が発見し、僕に連絡をくれてすぐに病院に連れて行ったのだが症状は好転せず、見る見る動かなくなった。両親はタイミング悪く旅行中だったのだが、早めに帰ってくるなど、家の中はパニックになった。
 胴が長い種類の犬には時々ある事のようだが手術以外の治療はなく、受けられる病院も県内にはない。おまけに手術は最低でも50万円はかかり、成功の保障もない。先生からこの説明を受けた我が一家はグウの音もでず、夜中の動物病院に重い空気が流れた。父はすぐにでも手術できる神奈川の大学病院に連れて行く!と言ったものの予約が必要で、おまけにGW。手術できたとしても最速で3週間後、という事であった。とりあえずは投薬などで出来ることをやりましょう、という事になり、家に帰ることになった。
 ユリは乱暴なぐらいに元気すぎる犬で、常に動き回っているのが普通だった。それが動かなくなった現在との対比をより大きくさせていて、その状態が家の中の雰囲気を暗くさせていた。家族全員が何も出来ない歯がゆさと向き合い、こうなった原因を考えたり、何かいけないことがあったのだろうかと考えたり、この先どうなるのだろう、という不安と戦っていた。
 大変なGWになった、なんて思いながら皆で世話をしていたんだけど、驚くことに元気なのである。食べるし飲むし、人の出入りがあると吠えたりもする。
その様子がいつまでもメソメソしている僕らを説教しているみたいで、僕は活力というか、生命力というか、命の力はスゲーな、と思った。
 投薬治療が効いたのか、ユリは現在ではちょっとずつ良くなっており、瞬間的に自分で立てるようになっている。完治までの道のりは長く不透明だけど、毎日ちょっとずつ希望みたいなものが見えていて、生活は元のリズムに戻った。
 僕はこういった、「動物かわいそう話」は大嫌いで、TVで見るようなお涙頂戴話を見るたびに頭にくる。可愛そうな動物を見て悲しむのは当たり前、というその価値観も大嫌いである。今回そんな状態になりながらもちゃんと元気に生きているユリを間近に見ながら、僕のこの考え方はやっぱり正しいと思った。見たがる人は悲しんでいる自分に酔っているだけじゃん、とまでは思わないけど、かわいそう、と思っている時点で上から目線なんだよね。きっと本当の悲しみはそんなものではなく、もっと何も感じないような無色無臭でなもので、言葉にも涙にもならない名前のない何かなのだろう。まあ、この先はどうなるかは分からないけど、ユリを見ながら不思議となんとなく前向きになれるんだよね。
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