替え歌

 ニッシンカップヌードルの替え歌CMがイマイチ気にくわないのは僕だけでしょうか。インパクトは十分あるし、本当に本人が歌っているのかも気になるし、宣伝としては大成功だろうけど、今までのCMに比べるとあまりにもお粗末な気がする。ジャミロクワイ以外は熱心に聞いたこともないので本当はどうでもいいんだけど、妙に笑いを狙っている所がちょっと・・・、って感じである。
 日清カップヌードルには面白いCMが多く、メディアへの登場も面白い。昔のものでは原始人たちが獲物を追いかけまわすCMは誰でも覚えていると思うし、最近のでは女性の体がカップヌードルの入れものになっているCMもいいし、アニメ「FREEDOM」での登場も面白いし、宇多田ヒカルのKiss & Cryでの歌詞での登場も笑える。(あの歌詞は天才的だよね)。カップヌードルという、生活に密着した町庶民的なアイテムでありながら、その露出はいい感じに捻られていて普通ではなく、でも決してオシャレすぎない。そのセンスが良かったんだけど、今回のCMは一発ギャグを狙ったけどハズレちゃった、みたいな感じがするんだよねー。

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依存

 とりあえず僕の肘は靱帯が伸びているようで、今日明日に死ぬ様なことはなさそうです。関節もちゃんと動き異音もないので、後は安静にしてなるべく肘に負担をかけないように過ごせばなんとかなりそうです。
 というわけで右に負担をかけないように、出来ることを左でやろうと思うんだけど、どれだけ利き手に依存しているのかが分かってしまって、非常に楽しいです(笑)。肘から先は問題ないから、肘をどこかにおけば食事や字を書くのは出来るんだけど、体を洗うときが非常に不便である。左では力が入らないし、左手では左腕が洗えないじゃないか!
 と言うわけで利き手の右が使えない状態で一日過ごし分かったのは
「歯磨きが一番難しい」
ということでした。左は蹴れない僕ですが、実は左手の方が断然オモチャだったのです・・。
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外れたー

 相手と競り合いながら、なんとかボールを確保しようと体を寄せる俺。ボールは競っている僕らの前を転がっていて、体の当たりで勝ったほうがとれそうだ。僕は体制を崩しながらも体を寄せたんだけど、二人ともバランスを崩し倒れた。ちょうどその時に僕の腕は相手に下に入り、下敷きに。設計上曲がってはいけない方向に一瞬曲がり、また元に戻ったから、多分脱臼なのだろう。肘の関節が瞬間的に外れたのかな。やった瞬間はあまりの痛さで、大勢の人の前で子供のように「あぁわーだー」と言葉にならない声を発してしまい、あとになって非常に恥ずかしかったです。でもあの痛みは今までの人生ではあまり感じたことのないジャンルのもので、正直怖かった。
 足首が治ったばかりなのに、今度は肘か・・。まあ、はっきり言って足に比べるとショックは全然小さいけどね。肘なくてもフットサルはできるっしょ(笑)。明日は整体もあることだし、大丈夫かな。
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泣き女

 今日もニュースで、北朝鮮の砲撃を受けた島の様子がアチコチのチャンネルで放送された。最近では特に遺族達の様子が頻繁に報道されていて、女性達が泣き崩れる映像を良く見る。何の前触れもなく理不尽な暴力によって親類を失くす慟哭は想像しがたく、なんとも言えない気分になってしまう。カメラの前でのあまりの乱れように最初は「あれは泣き女」じゃないか?と思っていたけど、さすがにそんな事はないか。とは言え、島には防空壕が点在しており、北朝鮮とやりあうことは想定内のことだったようだ。
 街の中に普通に防空壕がある様子は想像できないだけに、そこに住む人たちの心理状態が興味深い。頭では
「まさか、撃ってはこないよね」
と思いながら、心のどかで
「ないことはないよね」
という不安も絶対にあるはずで、常時微妙なストレスを感じながら日々を送っていたのだろうか。大戦中ならともかく、現代のこの地球でそんな不安を抱きながら暮さないといけないなんて、どんな社会なのだろう・・。
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LEGO

 子供の頃に誰もが遊ん事のあるオモチャといえば、LEGOである。子供の頃どころか、今でも遊んでいる!と言われても全然納得できるぐらいLEGOは完成度の高い玩具である。パーツを買い込んで全くオリジナルのものを作ったり、膨大な数のブロックを使って巨大なもの、等身大ぐらいのものを作ったりして、その人ならではの遊び方ができるのがいいよね。
 で、どんなオモチャを使っても、
「本来の使い方とはちがう使い方」
をする瞬間ってあるよね。マニュアル通りの遊び方もいいけど、同じもので全く違う遊び方を思いつく時って想像力が爆発する瞬間であって、子供にはいいことなのかもね。僕が良くやっていたのはLEGOを人間型に作るんだけど、足や腕、首の接続を甘めにしておいて、遊んだときに銃で撃たれたら足がとれるとか、首がもげるとか、今思えば親が見たら不安になるような遊び方をしていた。心臓の部分を突起がないLEGOにしておいて、スライドしで簡単にずらすことで心臓を撃たれた!というふうにして遊んでもいた(笑)。今思えば残酷なことをしていたなあと思うけど、LEGOで「処刑場」、「強制収容所」、「人体実験」を再現しているキットもあるんだよね。それを子供に買い与える親はいないと思うけど・・・。
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ニホンゴムズカシイ

 日本語を習い始めたとき、どうしても漢字の存在に納得がいかなかった。只
でさえ同じような存在のひらがなとカタカナもあるのに、その上漢字まであるなんて、日本語はなんて非効率な言葉なんだ!と思っていたのです。こちとらアルファベットの20数文字で聖書作ってんだぞ!なんて思っていたわけです。その時、先生が僕らに読ませたのは
「ははははは丈夫です」
という一文であった。正解は
「母は歯は丈夫です」
なんだけど、まあ意味合いは置いといて、漢字を使うことの意味が分かる例文であった。納得しながらも、漢字って無限にあるんでしょ?と日本語の奥深さと、これから待ち受けるであろう長い長い勉強の時間にビビったのである。
 
 高速を走っていると、宣伝みたいなものを読まされることがあると思うんだけど、今日見たので
「ひといきつくなら○○パーキング」
という文章であった。もちろん、「一息つくなら」が正解なんだろうけど、僕は瞬時に
「人、行き着くなら・・」
と無意味にも哲学的に読んでしまった。一瞬、なんて深い宣伝なんだ・・、と思ってしまったわけです。やっぱり漢字は必要ですね。
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何がどうなるのか

 昨日、強化マッチに出かける時にTVをつけたら、北朝鮮が韓国を砲撃し韓国も対応射撃(やり返した)のニュースが流れていて、ビックリした。今ちょうどアジア大会をやっているし、疑惑の判定に対する報復?なんて無責任に考えていたら民間人に重傷がでた事を知っていよいよビビる。こりゃ帰ってくる頃には戦争になっていたりして・・と不安を抱きつつ家を出ようとしたら、どうやら母もかなりビビっている様子であった。隣国での出来事なんだから、直接的に日本には関係はないのかもしれないけど、お隣でドンパチをやられたら流れ弾が飛んでこないとは限らない。

 思えば僕の家族は戦争体験をしている。父の一家はそもそも戦争移民だし、母側はフォークランド戦争、内戦状態に近いクーデターを体験している。そして何よりも男が多い家系で、僕の祖父母の孫は(僕を含め)12人いるんだけど、女子は一人だけなんだよね・・。過去には徴兵に取られたりと苦い思い出が多いだけに、今回の母のビビりようは良く理解できる。戦争になったらド素人の僕らが戦争に駆り出されるってことはないだろうけど、
「何が起きるのかがわからない」
のが戦争なのだら、必ずしも今まで通りに過ごせるとはいえない。戦争で儲けるって国もあることだし、絶対に起きないとは言えないよね・・・。
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いのちの電話

 この度、「千葉いのちの電話」の新しいポスターをデザインさせていただくことになり、この仕事を取ってきてくれたFLRN'@20と打ち合わせに行ってきました。千葉命の電話とは、不幸な自殺者を一人でも減らしたいという思いの元、電話相談を受けているボランティア団体である。恥ずかしながらも僕はこの話を頂くまでその存在を知らなかったので、色々と知れべなが勉強してみた。ポスターを作る上では色々知っておきたい事もあったのだが、実際に電話を受けている皆さんの話がとてもためになった。人の悩みを聞くのは簡単なことでもなく、出来ることなら避けて通りたい部分でもあるんだろうけど、その人に対し真摯に向かいあっている姿勢にちょっと感動しました。「助けてあげる」という姿勢ではなく、一緒に話を聞いてあげるというスタッフのスタンスをなんとか表現したいと思っている。
 誰かのために何かをしたいと思っていても、簡単なことではないよね。時間も労力も必要で、人間が相手なのだから責任みたいなものが生ずる。ある意味では「覚悟」みたいなものが必要なのだろうし、
「自分以外の誰かのために真剣に考える」
ってことって、誰にでも出来ることではない。それだけになんとか良いものを作りたいなあ、と思うのである。
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柔軟

 整体で柔軟を薦められてからまじめに取り組んでいる。運動の前後はもちろんだけど、体が柔らかくなっている入浴後の柔軟がかなり効果的で、すでに効果が見えている。真面目にやりだす前とは手が届く範囲も違うし、柔らかくなった事を体感している。
 入浴後の時は暑いので全裸でやっていて、絶対に人には見せられない姿である。体を冷ましながらゆっくりゆっくりとやりたいんだけど、逆に体が温まってくるのが問題である。せっかくフロに入ったのに、また汗が出てきちゃうんだよね。少し冷ましてからやればいいんだろうけど、体が熱いうちにやりたいし・・、かといって終わってからシャワーを浴びては本末転倒。どうすればいいのかな。(笑)
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やりたいけど出来ない

 この前のコーチのスクールで、2時間の間に5回も手でボールを触っ奴がいた。5回もともなるともう信頼が置けなくて、
「触ってませんよ〜」
といわれてももはや狼少年状態。問答無用でハンドという判断になった。ちょうどその場にコーチがいて、ここがブラジルだったらマりーシアってことになって、審判にバレなければそれも立派な技術になるんだけど、日本では真逆だよねー、みたいな話を皆でした。
 
 サッカー経験者を見分けるときの一つの基準として
「シャツや手首をつかんで来るか」
というのがある。僕基準ですけど。上手い人は掴むことで相手の動きを制限し、かわしたりする。最近はスクールに来る中学生の子供でもやっているから、小さい頃からやっているのか!とビックリしたのを覚えている。掴む人、掴まない人の間にはハッキリとした境界線がある。出来る人と出来ない人の差がハッキリしているんだよね。今まで対戦した相手の中には掴むどころかもっと酷いことをされたこともあったし、僕もしていたと思うけど、これって面白い話題だよね。
 突き詰めて考えたことがあまりないけど、そこまでして勝ちたいか?ってことで、もちろんそりゃ勝ちたいよ!(笑)ってことになるんだろうけど、それってあまりにも安易すぎる。マりーシアって言葉だって便利に使われているだけで、汚いプレーを一つのせずに勝つための技術を磨くべきだ!という意見があってもいいはずである。まあ、試合の中では負けたくない!という一心での本能に近い行動なんだろうけど、指導者の立場としてはこれをどう捉えているのかが気になるよね。子供に掴み方を教えたりする指導者とかいたりして。
 良い悪いの話ではなくて、スポーツマンシップとか道徳的な見地とかもどうでも良いんだけど、もうちょっと深く考えてもいいテーマかな。
 
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