痛い!

 ここ所股関節通に襲われている僕です。そんなに無理をしているわけではないが、なかなか回復せずに困っている。右足に力を入れると付け根の内側が裂ける感じで痛いのである。まあ、股関節痛は蹴っている人なら誰でも体験していると思うけど(そうだよね?)何年か前にも苦しんだ覚えがあるんだよね。
 メインの活動であるWEEDではどんなに痛くても参加したいので、後ろ髪を引かれる思いでとりあえず今日の個人参加はパス。みんな楽しく蹴ったんだろうなあ。体、筋力が衰えているのだろう。
 なんか、こういう事があると「後何年出来るかなあ」とか考えちゃうんだよね。そういうキャラじゃないと思うんだけど・・。イカンイカン、こういうのって50%は心の問題だからな。先輩のあの人とあの人とあの人が頑張っている間は弱音は吐けないぜ。
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ALL YOU NEED IS LOVE

 マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を観ていない。マイケルファンとして失格だなあ、とは思うものの、どうもマイケルの死に便乗した商法な気がして劇場に行く気にならないのである。とはいえ、とても気なっているので(笑)あちこちで情報を集め、ほとんどの内容を把握している。色んな所で色んな動画を見ながら思うのは
「なんで何かを極めた人たちは「愛」にたどり着くのだろうか」
ということである。
 予告のワンシーンで、マイケルがスタッフに注意をする場面である。
「このステージは皆で作っているんだ。皆で作り上げているLOVEなんだ。だからこそ完璧に仕上げないといけないんだ」
というのがある。僕はそれを観ながら、「やっぱり」と思った。なぜなら、マイケルは常に人類愛・地球愛をドまじめに語ってきた人なのである。そういう活動もしていたし、そんな内容の曲も多い。とにかく、こっちが恥ずかしくなるぐらいに大真面目に愛を語るんだよね。よくもまあ、ガキの頃から誰もが足を引っ張りあう世界に生きてきた50にもなるオッサンが「愛」を語れるもんだ、といつも思うけど本気すぎて逆に格好良く思えるんだよね。ジョン・レノンもそうだったし、突き抜けた存在というのは「愛こそすべて」と思うものなのかな。
 でも、こうも思うんだよね。恥ずかしくなるぐらいに「愛は世界を救う」と本当に本気で思わない限り、その可能性は生まれないんじゃないかと。それを実践していたマイケルはきっと、本当に本当に本気で「世界を変えられる、世界を救える、それは愛だ」と思っていたに違いない。
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my last days

Yahoo!でこのブログのタイトル「our last days」を検索すると、なんと一番最初にこのブログが表示される。一時期は「ゼーガペイン」というアニメと争っていたけど、ここのところずっと検索勝負に勝っている。Yahoo!では勝負が付いた感じはあるけど、Googleで検索すると2ページ目の中盤ぐらいでやっと見つかるぐらいである。クラに頼めばどうにかしてくれるのかな。

 とにかく、our last days なんてフレーズは映画や小説やその他のエンタメで使われてきたやや手垢がついている表現だけど、僕はその響きが好きなのである。何かのタイトル、名前を決める時はこの「響き」が凄く大事で、文法的な正しさ、格好良さ、覚えやすさはどうでもいいと思っている。そした当たり前だけど、タイトルをつける対象となるものとの間に「考え方や意味が通じているか」も大事である。余談だけど、今劇上でかかっているMichael Jacksonの映画「This is it」というタイトルは今年で最高で完璧なタイトルだと思っている。

 というわけで僕のこの「our last days」は30歳を過ぎ、自分の体を才能や能力にある種の限界を感じながらも、同じぐらいの可能性があるんじゃないかと自分に言い聞かせよう!という意味を込めたタイトルである。思えば僕に残された時間は有限で、僕が行う全ての行動には目には見えない「残存回数」があるんだよね。だからこそ
「最後の日であるかの様に」
何事にも悔いの残らないスタンスで生きていたいという、やや恥ずかしいタイトルなのであーる。

 これを読んでくれている多くの仲間との出会いの中で、僕は「日常」というのは当たり前のことではなく、かなり特殊な時間である事を認識する様になった。そしてその日常も僕が望む形のままで続かないこともウスウス感じています。変化は僕の都合お構いなく訪れるし、今の僕の年齢は不安定な時期ともいえる。だからこそのこの時間が大事なのだし、一生懸命やる意味もあると思うんだよね。僕らが止まっている間も時計は動き続けている。人生ランニングタイムなのだ。きっと。
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東京タワー

 最近、「東京タワー」は特別なものなんじゃないかと思い始めている。買い物の帰りではいつも高速の上から眺めているので特別な感じはしなかったけど、歳を取ったからなのかな、なんか凄く魅力的に見えてきたんだよね。

 東京タワーが完成したのは高度経済成長の真っ只中、1958年のこと。当時は世界一高い塔だったんだから、日本の復興のシンボルだったに違いない。馬車馬の様に働きながら戦後を支えたお父さん達はきっと、特別な想いを持って東京タワーを見上げた事だろう。そういう意味ではやっぱり特別な意味合いを持った建造物なんだよね。僕はもちろんその時代を知らないけど、完成の報が流れた瞬間、なんとなく自分達を誇らしく思う空気が日本中を包んだのではと想像してしまう。当時は夢と希望を両手に握って万進していたのだから、きっとある種の達成感みたいなものが全国に広がったんじゃないのかなあ。

 象徴としての東京タワーも美しいけど、都内の暗い色の風景にあのオレンジが凄く映える。どう考えても周りから浮いているはずだけど、50年の間になじんだのかな。完成して以来、多くの人たちが東京タワーを見上げて、力をもらったことだろう。そして東京タワーもその歴史の中で、劇的に変わっていく町並みを見守ってきた。新しい電波塔が出来ることでその役割を終えそうだけど、象徴としての役割は永遠に終わらない。
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どうなるやら

 この前TVを見ていたら「庶民の味方」、みのもんたさんがデフレを解説されていました。されていたというか、誰かが解説しているのを聞いていただけだけど。

モノが売れないので値段が下がる

モノを売る・作る人たちの給料が下がる

消費がなくなる

またもモノの価格が下がる

また給料が下がる

また消費がなくなる

繰り返す
と、悪循環に陥っていく経済の動きのことである。教科書に載るぐらいの誰もが知っていることなのに、対策がないのはなぜだろうか。なんて考えながらチャンネルを変えてみたら、4チャンで
「激安アウトレットモールの紹介」
をやっていたんだよね。朝からクラクラしたものである。なんか、世の中の混乱度合いが非常に分かりやすいタイミングであった。
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ブラックタピオカ

blacktapioca 最近ブラックタピオカが入っている飲みものにハマっている。本当は飲み物はどうでもよくて、あの黒い粒々を食べたいだけなんだけど、毎日の様にコンビニで買っている。これが高価な食材なのか分からないけど、ただのミルクティーにブラックタピオカが入っているだけで210円もするんだよね。ブラックタピオカ自体には味はないんだけど、「柔らかいけど硬い」とでも表現するべきあの噛み心地が最高なのである。
 僕はそういった「柔ら硬い」感触が大好きである。ずっと前に書いたヌガーもそうだし、グミも好きだし、マシュマロ、和菓子、餅も大好きである。良く考えたらこれは「味」とは関係のないところなんだよね、やっぱり。
 この話をすると「エロいんだな」と良く言われるけど、心あたりがないわけでもありません・・・。
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そこだけはわかる

 世界一美味しい食べ物は「テリヤキマックバーガー」であると信じて疑わない味覚がお子ちゃま僕です。それほど食べ物に興味がないわけです。宇宙食みたいに、歯磨き粉のチューブから吸うだけで2食分持つ、そんな食べ方が普通になる時代が早く来ないかなあと今から待っています。
 そんな、味のことが何もわからない僕ですが、どうしても許せない味がひとつだけあって、それは
「レトルトカレー」
の味です。学生時代に金があまりにもなさすぎてボンカレーばかり食べていたので、今では拒否反応に近いものが出てしまう。あの酸っぱさというか、あの油分がもうダメで、多分10年ぐらいは食べていない。
 実は食べ物屋さんでもレトルトカレーを使っている店が結構あったりする。中にはちゃんとしたカレーと混ぜているところもあるけど、少しでも混ぜてあったら拒否反応が出て気付いてしまう。だからカレーを頼むのにちょっとした勇気が必要なんだよね。
 ちょっと前にも最近人気の幕張のパーキングエリア「PASAR」で勇気を出してカツカレーを頼んだんだけど、案の定ボンカレーでした・・・。後悔、後悔でです。
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昔がそんなに良かったか?

 昨日のTVで「ニッポン人の忘れもの」という番組をやっていて、それとなく見ていた。
抜粋
すべてが便利で快適で、物が豊かになった日本。でも、日本人の心の中は、どのくらい豊かになったのでしょうか? こんな時代の中で、今、テレビが出来ることは何か? そんな思いから、このプロジェクトは立ち上がりました。日々、人々の喜怒哀楽を、今という時代を、伝え続ける情報番組のスタッフが力を合わせて出来ること、それは、これまでの自分を、これまでの時代を、改めて見つめ直し、これから先につなげていくことのお手伝いをすることではないかと考えます。

という内容であった。僕も最初は
「へー、あんな事こんな事があったんだ〜」
と思いながら見ていたけど、途中で
「これって僕の嫌いなお涙頂戴番組じゃないか?」
と思えてきて、途端につまらなくなった。何よりも不思議に思ったのは
「昔がそんなに良かったのか?」
という事である。隣の芝生は青く見えるのと同じで、今に不満を抱いているから過去が良く見えるのは何となく分からないでもない。でも、だからといって過去が素晴らしかったというわけでもないんだよね。その時代を生きる人たちはその時代に対して不満を抱いているのは当たり前だし、悪い事と同じ数だけいい事もあるのだ。どの時代もダメだし、どの時代も素晴らしい、が正しい考え方なんじゃないかと思う。
 戦後、そして行動経済成長の頃には今より信じられないぐらいの猟奇的な犯罪がたくさんあったし、環境汚染もひどかったし、冤罪事件のような国家権力の脅威もあったし、ノスタルジックに振り返られる時代でもなかったんだよね。
 不景気で犯罪も多く、希望の見えない今だからこそ、過去を正しく見返す意味があるのだと思う。でも良く考えると、現在は過去の積み重ねで出来ているわけで、今が良くないってことは過去に原因があるってことなんだよね。ということは、未来を決めるのは今日って事か。
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便利なのかどうか

 新しいPCに変えてから初めてDVDを焼こうとしたんだけど、どこかが上手くいっていないみたいで、何回焼いても再生できなかった。チームのDVDをずっと焼いてきて中では一回もなかったので、ちょっと面倒なことになっている。  
 WINDOWS7なので、今までのソフトが使えずに新しいソフトを使っているんだけど、きっとこれはいけないんだよね。
 物事が進化して便利になるのはいいんだけど、今までのやり方を変えられてしまうと途端に困ってしまう。変わらなくてもいいこともあるんだよね。まあ、ちょっと勉強したらできるようになると思うけど・・・。

 全くの余談ですが、今日ATMOSに行ったらとんでもなく可愛い女性店員さんがいました。「都内にいる女性はなぜ可愛いか」についてまた語り合いましょう。
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思春期と分け目

 前に書いたプロアクティブの呪いか、額にニキビが出来た。それも髪の毛の分け目のすぐ下で、非常に目立つ位置である。別に気にしなくてもいいのに、
「分け目を反対方向にすれば隠れるんじゃないか?」
と思いついたので早速朝から実践してみる。
 それにしても分け目のあの「慣れ」ってなんだろね。その形に慣れているのか、反対方法にしても中々定まらない。途中から意地になってやっと何とか形を作り出勤。しかしその形が中々続かずしょっちゅう頭を触りながら過ごした一日であった。僕は頭にかける時間は1日で3分ぐらいだけど、今日は1ヶ月分さわっていたんじゃないか。分け目を変えるのは簡単じゃないんだね。

 中学2年といえば思春期に足を踏み入れる頃である。女子はもっと早いんだろうけど、男子は色気づく頃である。その時の友達で気合の入っているヤンキーがいた。彼は後にプロボクサーになるぐらいの、絵に描いたようなヤンキーであった。彼はなぜか僕のことを好きで、色々と一緒に遊びながら同じ時間を過ごした。そして誰でもそうであるように、彼にも普段は絶対に見せない内なる弱さや繊細さがあって、僕は彼のその人間っぽさが好きであった。中2といえば人生の中でもっとIQが低い時期だろうけど、自分という人格が形成されていく時間でもあるんだよね。ほとんど猿みたいな思考回路だけど、それでも色んな出来事や人を通して学校では教えてくれないことを学ぶ時期でもある。
 ある日から彼から電話がかかってきた。携帯なんてない時代だから、もちろん家の電話である。なんだなんだと思いながら受話器を取ると彼からの電話で、
「明日床屋に行くんだけど、髪の毛を中分けにして欲しいんだけど、なんて言えばいい?」
と恥ずかしそうに、しかし真面目にきいてきたのだ。普段はツッパっているヤンキーが恥ずかしそうに言うものだから、僕は笑いそうになるのを我慢しながら、
「普通に言えばいいじゃん」
と答えただけだった。翌日学校に現れた彼はバッチリ中分けにしていたが、
「お前ら髪型について一言でも言ったら殴るぞ」
という雰囲気をムンムンと醸しだしていた。僕は彼のことがもっと好きになった。
 僕が今日やったように、きっと彼もその日、なれない手つきで髪をいじっていた事だろう。その時の様子のことを想像していると今でも笑いそうになる。そしてアイツを通して色々と学んだなあ、と思う。分け目ひとつ変えただけで思い出した話である。
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