理解できるかどうかは問題でない

 猟奇的な犯罪に対する興味は大きなものである。悪いこと、良くないことであるのは誰だってわかっているけど、怖いものみたさに似た感情は間違いなくあって、その「すごく良くない何か」を覗き見たい野次馬根性は誰にだって備わっていることを認めないといけない。市橋容疑者のニュースを見ながら、
「なんでここまで話題になるのか」
を考えていたら、何だか分かった気がした。自分に関係のないどこかで起きている何かは絶対に面白いんだよね。影響を受けないことが約束されている中での「すごーく悪い何か」というのはどんな小説や映画よりもきっと興味深いはずである。それに興味を持つのは「人間の汚い部分」とされている。自分の中にそういったものに引かれる要素がある事を、素直に認めらる人は少ないだろう。大抵は
「何でそんなことが出来るのか、理解できない」
「怖い」
と否定しながらも一方ではすごく気になっていたりする。
 容疑者を遠めに見ながら、自分と決定的に違うんじゃないかと普通は思うだろうが、果たしてそうなのかなとちょっと不安になったりする。誰にでも境界線を越え、あっち側に落ちてしまうこともあるんじゃないかと。そう思うとあのニュースでは捕まっている容疑者も怖いけど、それを見ている群集も同じぐらいに怖く思える・・・。
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