疲れた

 日曜日に体調を合わせるという、なんとも社会人らしくない僕のスケジュールです。今日も昼ごろから幕張の皆が出る大会を観戦予定だったけど、折からの雨で断念。17:00からのWEEDに備えた。
 今日はFBCの選手が大勢参加してくれ、メニューを一つだけこなしすぐにゲームに移行。あちこちで激しい競り合いがあり、倒し倒され、転び転ばされの展開が続く。みんな疲れているだろうなあと思ったが、コーチからの提案で1時間の延長が決定。2時間半はずっとゲームだったんじゃないかな。終わってから新宿中に軽く顔をだしたら、ゲームの人数合わせでまた走る。一度はしまった汗だらけの短パンをまた履く事になるとは。今日も満足すぎるぐらいに走った、という所でまた月曜日か...。早いなあ。
 それから、本日購入4度目の使用にしてASICSのカルチェット(ピンク)が壊れてしまいました・・・。ASICSのシューズはめったに壊れないからかなりショック。定価はたしか1万円近いよね?定価で買ってはいないけど(笑)。しかし、捨てる神あれば拾う神ありって奴が本当なのか、@14より僕の好きなスニーカー
NIKE TALACHE LOW AC ND
を誕生日プレゼントとしていただきました。ありがとうございます!
thanksカルチェットの傷が癒えたぜ!
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タイツ

 冬場のフットサルでいつからか見るようになっていたタイツ。上半身の防寒は着込めさえすれば問題ないのだが、下はたしかに寒い。長いジャージを履けばいいんだろうけど、それでは思いっきり動ける気がしない。良く考えたらタイツってかなり効果的なウェアだろうなあ、なんて思っていたが今まで手を出す気になれなかった僕である。何だか走るスピードが遅くなりそうだし、僕のプレイスタイルではすぐに膝があきそうだ。
 それがちょっと前に、冬の終わりに合わせてかギャラリーで安売りをされていたので、ためしに買ってみた。さっそく先週の練習試合で履いてみたが、案の定膝に穴が3つも開いた。履き心地は悪くはないんだけど、膝が布を覆われているのはなんだか不思議な感じで、慣れるのにちょっと時間がかかった。やっている時は意識もしないからいいんだけど、脱ぐときに江頭みたいになっている自分がちょっと恥ずかしかったりする。(笑)
 ユニクロでも売られていることを教えてもらって、今日見に行ったんだけど残念ながらなかった。仕方なく女性ものを買ったんだけど、これがピッタリだったんだよね。値段も三分の一だったし、膝に穴も開いてません。しかもちょっと短いから、レギンスになってしまうという、流行をも取り入れている(笑)。ユニクロスゲー。


 
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バイク

 僕の父は若い頃にバイクに乗っていて、その時の事故の体験から我が家ではバイクが禁止になっている。なんでも尾てい骨を折ったそうで、その時の苦しみからバイクはだめ!という事になったのだそうだ。
 せっかくの心遣いながら、僕は一度もバイクに惹かれることなく今日まで生きてきた。夏は暑いし、冬は寒いし、雨だと悲惨だろうし、という、バイクに乗らない誰もが思いつくデメリットばかりが目についていた。
 
 変化は微妙は所から起きるもので、昨日の「アメトーーク バイク芸人」を見ながら、バイクっていいんじゃないか?とちょっと思えてきたのだ。その番組を見ただけで、決して詳しいわけでも詳しくなったわけでもないけど、なんとなく格好よくていいなあ、と感じたのである。

 僕は車を選ぶときは、燃費・実用性等の要素のほかに、
「乗っていて楽しいかどうか」
という事がとても重要だと思っている。高い買い物だから、少しでも長く楽しめたり、心のウキウキ感があった方がいいんじゃないかと思うのだ。ちょっと不便だったとしても、古いモデルだったとしても、二人乗りだったとしても、荷物が載らなくても、好きな形の車に乗りたい。詳しくは知らないけど、バイクはそういった都合や便利性を取っ払って、最初から
「これに載りたいから」
というところから始まっていて、それはすごく自然で正しいことなんじゃないか、という気がしたのである。バイクに乗っている自分自身に酔っていることがネタにされていたけど、その気持ちって誰にでもわかるんじゃないかと思うんだよね。
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WE ARE THE WORLD

 大地震に見舞われたハイチのために、「WE ARE THE WORLD」が25年ぶりにレコーディングされた。今回は前回を大きく超える80人以上のアーティストが参加されたとの事。僕もTVでビデオを観て、iTunesで購入しました。現在の音楽業界を表しているのか、ラップが入ったりしてヒップホップテイストが強くなっていて、個人的にはちょっとガッカリである。前回の驚きや感動を超えるのはど考えても無理なんだから、新曲にしておけば良かったと聞きながら思った。マイケルのパートは昔マイケルの部分をそのまま使っているのは凄く良いんだけど、なんかだ不完全燃焼な感じ。発表された当初は結構話題になったが、最近では話題にもならない。簡単に、しかも結構早く消費されてしまった。
 こういった企画的な曲はさっさと商品化してさっさと稼いで、さっさと寄付することが目的だから、長く聴かれる必要はないんだろうけどね。思えばマイケルも何度かこういう企画をたて実現のために動いたが、実現しなかったことを思うと、あれだけのアーティストのスケジュールを押さえ、歌わせ、短時間で商品化したことはすごい事なのかも知れない。

 聴きながら思うのは、マイケルの声はやっぱり特別だったって事。本人がもういないのに、その声を新しい曲で耳にするといよいよその不在感が際立つ。最初に「WE ARE THE WORLD」を作った気持ちというか、理念みたいなものが変わっていなくて、それが多くのアーティストに引き継がれていると信じたい。
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挑戦あるのみ

 オリンピックについて何度か書いてきたけど、現時点で印象に残っているのは
・上村選手の「なんで一段一段なんだろう」発言
・カーリングの選手が集中している時の姿は多少難があっても不思議と美人に見える事
・国母選手の板が僕が好きなブランド、BURTONだったってこと
そして
「やっぱり挑戦する事ってスゲーカッコいいな」
ってことである。

 フィギュアの高橋選手4回転に挑戦しながらも転倒したシーンを見ながら、なんだかちょっと感動しました。僕は詳しくはないけど、彼が大きな怪我を克服しての参加であることをしっていたし、4回転を飛ばずに刻んでいけばもしかして銀はいけたんじゃないか、ってことはTVの説明で聞いていた。しかも舞台は4年に一回のオリンピック。メダルを取ればその影響でそれこそ人生が変わってしまう事もあるかも知れない。引退後の立場だってちがうハズ。リスクをさけ、確実に送りバント的な考え方もあったろうに、果敢にも4回転に挑戦するその格好よさ。確実性ではなく、自分に出来ることの最大限に挑戦するその心意気はすでに勝者である。

「失敗してもいいから自分の最大限に挑戦!」
は誰もが色んな場面で考えることだけど、なかなか難しかったり勇気が要ったりするんだよね。もちろん、大技に挑戦して成功させるのもカッコいいけど、挑戦して失敗してもそれはそれで十分にカッコいいのである。少なくとも、
「挑戦せずに確実に成功させる」
よりもカッコいいかも知れない。というわけで最後の大技に挑戦して見事に失敗、顔を血だらけにした国母選手はとっても格好よかったです。
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あらためて

 練習試合で僕が出血させたBLMN@4も実は僕と同じ誕生日で、きっと昨日は痛い!しみる!といいながら誕生日ケーキを食べていたに違いない(笑)。スマン。

 というわけで昨日、誕生日を迎えた僕であります。思えば昨年の誕生日は参入戦に敗れた次の日で、生きた心地がしないというか、心ここにあらず状態でした。その日のブログを読み返したら誕生日なのに体調を崩していたみたいで、なんとも残念な感じであった。あんな強烈な体験だったのになんだか遥か昔のことに思える。そしてこれを考えていると、本当に一年たったんだー、と思う。しかし去年も、そして今年も誕生日の前日に多くの仲間と一緒にボールを蹴っていられたのは(去年は足が壊れていたから厳密に蹴ってはいないけど...)幸せなことだ。
 ということを考えていたら、昔の誕生日でひどい目にあったことを思い出した。
 ブラジルでは誕生日に卵と小麦粉を投げつける習慣がある事をサッカー好きの人なら知っていると思います。フロリの初期の頃にそれをまねたことがあって、僕を含む数人が犠牲になりました。卵だけでも十分なんだけど、僕らの場合はビール、コショウ、ローション、ひげを剃る、等などと色んなことがありました。その時の写真をずっと忘れていて、ウェブ上に上げっぱなしにしてあって、今日久しぶりに見たんだけど、虐待だよね・・・。とはいえこれももう5,6年前のことか。
my_birhtdayもちろん、真ん中でやられているのが僕です。二月の真夜中の寒さを覚えています。もちろん、あのTシャツは捨てました・・・。
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さよならだけが人生

 子供の頃、良く祖父母の家に遊びに行った。僕らが住んでいた所と祖父母の家はとても離れており、行くことそのものが小旅行であった。車の窓から少しずつ変わっていく風景を見るのはなによりも楽しかった。高いビルやコンクリートがどんどん少なくなり、緑が多くなっていくその過程の中で僕はまるで冒険に出かけているいるような感覚を覚えた。
 長い休みともなれば何週間も泊まることもあった。普段の生活にはない開放感があって、おまけに好きなように甘えさせてくれるものだから、休みが終わり、家に帰るときには毎回毎回泣いていたことを覚えている。子供心にはこの別れはかなり辛く、今でもあの時の切ない気持ちを思い出すことができる。

 高速で移動が出来るようになった現代では、
「別れの意味」
も変わっているように思う。最高速の移動が「馬」だった時代の別れはきっと今よりももっと大きいもので、その悲しみもそれだけ大きかったハズである。遠方への旅ともなればそれこそ、もう二度と会えないという覚悟を含んだ別れだったのかも知れない。

 僕が自分の人生でこれは確実に人より体験しているなあ、と思うことの一つに
「一生分の別れをしてきた」
という事である。好きだった女の子も、友達も、親戚とも別れた経験は僕の人生では大きなもので、その時の経験が今の僕の性格を作っているのだと自覚している。ガキの頃にそこまでの想いをしたのだから、今ではさぞかし強くなっているだろう、と思いたいところだけど、さすがにそんなことはなく、心のその部分はやっぱり裸なのである。

 なんか、この時期になる色んなところで色んな別れが起きていることを聞いたり見たり感じたりする。別れは新しいスタートだったり、新しい始まりだったり、前向きなものだから全然良いんだけど、生きているうちはこういうものをたくさん繰り返すのあかなあ、なんて思うとなんだかなあ、って思う。そして今日のタイトルの言葉を思い出すのである。
 
 この言葉は唐の詩人、于武陵の詩である。

君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて風雨多し
人生 別離足る
が全文

井伏鱒二という人がこれを、

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

と訳したのだ。
最後の「さよならだけが人生だ」というくだりが格好良すぎて、名文句になっているのだ。
 内容的には、
もし親しい友人に飲みに誘われたら断ってはいけない。こういうことはもうないかもしれないから。花が咲き誇っても、雨がきたら落ちることもある。人生に別れはつきものだ。
という感じなのである。限りなく悲しそうな話なんだけど、実は
「一緒にいられる時間を大事にしなさい」

という意味なんだよね。
 
 日常の中で周りの人との関係をあまり深く考えることなく過ごしているけど、実はそう簡単に得られない関係性もたくさんあるわけで、惜しむ別れが多いほど幸せものだとも言える。僕は本日をもちまして年齢不公表の域に入りますが(笑)、今後、つらい別れがたくさん待っているだろうということを誇りに生きていこうと思います。みんなありがとう。
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充実

 今日は練習の前にBLUMENAU FCとの試合をセッティング。決まったのが前日の昼過ぎだから人が集まるか心配だったが、フルに2時間熱い試合を行うことが出来た。途中でBLMN@16がうちの高校生を恫喝したり(笑)、僕がBLMN@4の顔を殴って出血させたりと(笑)色々とハプニングがありましたが、楽しく蹴ることが出来ました。後期からは戦うチーム同志。これからも長い付き合いになりそうです。
 で、後半は練習。みんな走った後だったが、元気に紅白戦を行うことが出来た。細かいことを含め、積み上げないといけないことばかりなんだけど、やっぱり練習以外にないんだよね。次の一段は限りなく遠いんだろうけど、あがった瞬間って実は気付かなかったりする。練習か、練習。
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伝統と革新

 沖縄旅行のお土産といえば「ちんすこう」と相場が決まっている。10人が沖縄から帰ってきたら9人はちんすこう、残りの1人が沖縄限定のタンカンハイチュウを買ってくるぐらいのメジャーなお土産である。ちんすこうは嫌いではないし、シンプルながらも美味しいお菓子だと思うんだけど、何個も食べようとは思わない。1個2個で十分、という感じなのだが、最近このちんすこうが予想もしない方向から進化を遂げていて、一段も二段も、それこそメダル圏外から一気に表彰台のトップまでに昇りつめるような変化を遂げているのだ!
 それはズバリ、ちんすこうショコラ・・・、ちんすこうをチョコレートでコーティングした特別なちんすこうなのだ!。いや・・・、ガッカリしないで最後まで読んでください。

 ちんすこうはクッキーみたいなものだから、チョコとの相性がいいのは当たり前。このアイディアは昔からあったんだろうけど、きっとそこには「伝統」とのせめぎ合いあって、中々一歩を踏み出せなかったんじゃないか、と僕はかってに想像している。若い人がちんすこうにチョコを合わせることを考え、そのアイディアを上に上げるんだけど、ちんすこうの重鎮みたいな人がいて
「ちんすこうにチヨコレイトをかける?ふざけているのかこの若造が!」
「紅芋味は許したが、さすがにこれは許さん!」
なんて言われながらも頑張ってきたのだと思うと、より美味しく感じるのであーる。
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オリンピックって他国を知るチャンス、だよね。

 スポーツニュースを見ながら、たまあに恥ずかしくなる光景がある。例えばサッカーのニュースだったりすると、大事な試合の前の記者会見で、世界的に有名な選手に
「中田選手のことはどう思いますか?」
と、日本人の記者が日本人選手のことをきいたりする。有名な監督に
「日本代表のことはどう思われますか?」
ときいたりする。その試合の対戦相手だったり、次に当たる相手だったらまだいいけど、何の関係もないのに日本人選手やチームのことをきいたりする。時には
「何でそんなこときくの?」
ときかれた側の表情が映ることがあって、途端に恥ずかしくなったりする。これは野球選手がメジャーに行ったり、バレーの選手がイタリアに行ったり、ハンドボールの宮崎選手がイタリアに挑戦したときも同じだった。きかれた側は失礼のないように丁寧に答えてくれるけど、頭の中に「?」と浮かんでいることが丸分かりなのである。
 日本のマスコミは日本人しか追いかけないのは昔から有名な話である。僕は
「いや、イギリスとかイタリアの方がすごいんじゃないの?」
と思っていたけど、そっちは国籍関係なくにすごいらしい(笑)

 というわけで、僕は上村愛子選手がメダルを逃したことを知っているけど、優勝した選手がどれだけすごいのかを知らなくて、国母選手がメダルを逃したけど優勝した選手がどんな選手なのか、名前をすらも知らないことに気付いた。国母選手が叩かれていた時に、強化指定選手じゃないから金をもらっていない事も知らなかった。だけど、日本人なのにロシア代表で出ているカワグチ選手のことはバッチリ知っていたのだ。リアルタイムで見れれば解決する問題なんだろうけど、多くの人がハイライトや短いニュースで情報を頼りにしていることを思うと、さすがに偏りすぎじゃないかと思うのだ。
 誰もが応援したい自国の選手を中心に報道するのは当たり前だし、叩かないで純粋に報道して欲しいんだけど、ちがう国の人だったとしても、優勝した選手にはそれなりにいい話やドラマがあるはずである。勿体無いなあ、と思うのと同時に、
「自分の国の選手ではないけど、見ていたら格好良くて好きになっちゃった」って事も十分にありえるわけで、そしてそれってとてもオリンピック的な感じがして、すごく素敵な事なんじゃないか!と思うのである。
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