なんで一段一段

 冬季オリンピックに興味がまったくない僕は、
「スノボをやっている奴らはやっぱりチャラいのね」
なんて、興味ないだけに変な影響を受けてしまっている今日この頃です。
 
 しかし、ニュースを見ながらとてもいい1シーンを見てしまいました。上村愛子さんが4位で終わり、語った
「なんで、こんな一段一段なんだろう」
という言葉に不覚にも泣きそうになりました。過去のオリンピックでは7、6、5位と階段を上がり、またも一歩だけ前進の4位。確実に上がっているだけでも凄いし、世界の中で4位なんだぜ!なんてこっちは勝ってに思うけど、4位という結果は彼女が重ねてきた全てに値する結果ではなかったって事でしょう。

 くわしい人にきくと実は順当な結果で、もっと言うとかなり運が良かったって話である。実力的にはもっと下なんだけど、上の人たちが何人か転倒し、おかげで4位が転がり込んできたという見方もあるのだそうだ。それだって実力のうちでしょ、なんて思うけどそんなのはどうでもよくて、僕は
「一段一段」
というその表現に心を打たれました。
 
 何かを一段を上げるのがどれだけ大変か、何かに真剣に打ち込んでいる人なら用意に想像がつくと思う。血のに滲むような努力をしても報われる保障はどこにもない。自分に才能があるのか、耐える精神力があるのか、やっていることは正しいのか。外国人選手との差を埋めることはできるのか。もう無理かな・・・なんて思う瞬間は毎日の様にあるはずです。彼女はそれと向かい合い、戦い、しかもそれを4年間重ねてきたんだよね。そこまでに必死にやった人間が
「メダルいけるかな、いきたいな」
と思うのは当然のことで、しかもその可能性があった彼女だから・・・。

「4年間もやってきたのに一段か...」
悪くはないんだけど最高ではない、というその結果がもたらすガッカリ感というか、絶望感というか、誰にも想像できないものでしょう。彼女の周りには多くのファンがいて、多くのスタッフがいて、家族、スポンサー、そして日本代表の肩書きという、
「結果を出さないといけない理由」
はいくつもあるわけで、それを思うとより切ない。でも、それよりも何よりも一人の人間が必死に打ち込み、あと一歩で目標に届かなかったそのやるせなさ、それが全部「一段」という単語に含まれている気がするんだよね。
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