さよならだけが人生

 子供の頃、良く祖父母の家に遊びに行った。僕らが住んでいた所と祖父母の家はとても離れており、行くことそのものが小旅行であった。車の窓から少しずつ変わっていく風景を見るのはなによりも楽しかった。高いビルやコンクリートがどんどん少なくなり、緑が多くなっていくその過程の中で僕はまるで冒険に出かけているいるような感覚を覚えた。
 長い休みともなれば何週間も泊まることもあった。普段の生活にはない開放感があって、おまけに好きなように甘えさせてくれるものだから、休みが終わり、家に帰るときには毎回毎回泣いていたことを覚えている。子供心にはこの別れはかなり辛く、今でもあの時の切ない気持ちを思い出すことができる。

 高速で移動が出来るようになった現代では、
「別れの意味」
も変わっているように思う。最高速の移動が「馬」だった時代の別れはきっと今よりももっと大きいもので、その悲しみもそれだけ大きかったハズである。遠方への旅ともなればそれこそ、もう二度と会えないという覚悟を含んだ別れだったのかも知れない。

 僕が自分の人生でこれは確実に人より体験しているなあ、と思うことの一つに
「一生分の別れをしてきた」
という事である。好きだった女の子も、友達も、親戚とも別れた経験は僕の人生では大きなもので、その時の経験が今の僕の性格を作っているのだと自覚している。ガキの頃にそこまでの想いをしたのだから、今ではさぞかし強くなっているだろう、と思いたいところだけど、さすがにそんなことはなく、心のその部分はやっぱり裸なのである。

 なんか、この時期になる色んなところで色んな別れが起きていることを聞いたり見たり感じたりする。別れは新しいスタートだったり、新しい始まりだったり、前向きなものだから全然良いんだけど、生きているうちはこういうものをたくさん繰り返すのあかなあ、なんて思うとなんだかなあ、って思う。そして今日のタイトルの言葉を思い出すのである。
 
 この言葉は唐の詩人、于武陵の詩である。

君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて風雨多し
人生 別離足る
が全文

井伏鱒二という人がこれを、

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

と訳したのだ。
最後の「さよならだけが人生だ」というくだりが格好良すぎて、名文句になっているのだ。
 内容的には、
もし親しい友人に飲みに誘われたら断ってはいけない。こういうことはもうないかもしれないから。花が咲き誇っても、雨がきたら落ちることもある。人生に別れはつきものだ。
という感じなのである。限りなく悲しそうな話なんだけど、実は
「一緒にいられる時間を大事にしなさい」

という意味なんだよね。
 
 日常の中で周りの人との関係をあまり深く考えることなく過ごしているけど、実はそう簡単に得られない関係性もたくさんあるわけで、惜しむ別れが多いほど幸せものだとも言える。僕は本日をもちまして年齢不公表の域に入りますが(笑)、今後、つらい別れがたくさん待っているだろうということを誇りに生きていこうと思います。みんなありがとう。
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