2011.05.20 Friday 01:29
我慢
怪我をしたときに本当に苦しいのは精神のほうだったりする。怪我そのものには少しずつ回復が見えたり感じられたりするけど、焦りやおいて行かれる恐怖や純粋に蹴りたい、という気持ちはどんな相手よりも強い。先の見えない孤独な戦いだし、その大変さや苦しみは誰とも分かち合うことは出来ない。
WEEDには僕を含め、大きな怪我をしたメンバーはたくさんいる。会話のなかで怪我をしたときの状況や感じたことの話題が出来ることがあるが、深くはならない。それは、怪我した人が感じることの一つに
「怪我は自分一人で立ち向かわなければならない問題である」
というのがあるからだ。誰の助けも借りられない。回りが助けたくても、どうしよもない。
前にも書いたけど、チーム活動を通じて悟ったことの一つに
「みんな揃って蹴れる時間は案外少ない」
というのがある。チームだって永遠に続くわけじゃないし、選手生命だってそうだ。その貴重な時間を怪我で短くしてしまってはもったいないし、怪我を悪化させる事はもっとバカらしい。人数が多い我がWEEDだけど、いらない奴は一人もいない。そういう感覚があるからか、逆に不在感が目立つことがあるんだよね。
みんないい歳だし、残された時間を有意義に過ごさないといけない。ま、競技思考でやっているのなら怪我との向き合い方だって大事な技術の一つでなんだよね、きっと。
WEEDには僕を含め、大きな怪我をしたメンバーはたくさんいる。会話のなかで怪我をしたときの状況や感じたことの話題が出来ることがあるが、深くはならない。それは、怪我した人が感じることの一つに
「怪我は自分一人で立ち向かわなければならない問題である」
というのがあるからだ。誰の助けも借りられない。回りが助けたくても、どうしよもない。
前にも書いたけど、チーム活動を通じて悟ったことの一つに
「みんな揃って蹴れる時間は案外少ない」
というのがある。チームだって永遠に続くわけじゃないし、選手生命だってそうだ。その貴重な時間を怪我で短くしてしまってはもったいないし、怪我を悪化させる事はもっとバカらしい。人数が多い我がWEEDだけど、いらない奴は一人もいない。そういう感覚があるからか、逆に不在感が目立つことがあるんだよね。
みんないい歳だし、残された時間を有意義に過ごさないといけない。ま、競技思考でやっているのなら怪我との向き合い方だって大事な技術の一つでなんだよね、きっと。