なぜ都内に可愛い子が多いのか

 @14BLOGを読みながら、
「恵比寿〜代官山は、かわいい娘がいっぱいいて、目の保養になりました」
という一文に激しく同意しました。これがもし会話の中での一言だったら、
「やっぱりそう思う?」といいながら、全員で30分はしゃべれるネタです。なぜ都内に行くと可愛い女の子がたくさんいるのか。これは僕も前々から思っていた疑問です。まあ、普通に考えれば東京は経済や文化の中心であり、人が集まるのは当たり前で、自然と「可愛い女の子」がいる確立は高い。それもファッションの中心地ともなればなお更である。お洒落なところに行くのだから、みんな精一杯のお洒落をして出かける。青山通りを歩きながら、お洒落な自分自身を演出していると考えるのが普通かな。そうすることで次第に洗練されていくって事でしょう。
 しかし、この考え方とは全く逆の、
「美人は地方に多い」というのがあるよね。秋田美人という言葉があるぐらいだし、山形、博多も美人の産地として知られているらしい。まあ、美の定義なんてのは人それぞれなので一概に言えないし、この話題だって永遠に答えの出ない話題の一つである。そこが面白いんだけど。
 ま、東京なんて実は田舎ものの集まりだから、歩いている美女はみんなそれぞれ違う所から上京していると思うのが普通かな。ただ、買い物から帰ってきて千葉に着くと、上下スウェットの茶髪の女の子地べたに座っているのを見たりすると途端に悲しくなります。
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久しぶりのヒット

kappa この度、WEED@8のつてを辿ってこの商品を買ったのですが、これが大ヒット!あまりの完成度の高さに感動すらしてしまった。VERDYの商品ということもあり、ショップで見かけることがなかったので存在すらを疑っていたのですが、買ってよかったです。種類はトレーニングトップで、まあ上着の部類に入るけど、生地がとにかく薄くて大丈夫かよ?と思うぐらいの薄さ。一瞬間違えてプラシャツを注文してしまったのか?と思うほど。この生地が適度に柔らかくて、適度に硬くて、適度に伸びてという、とにかくいい感じなのである。生地の表面には通気性に関係がありそうな細かいドットが打たれており、生地の色を引き立てている。そして着て初めてわかるんだけど、作り(裁断?)そのものが立体的になっていて非常に着やすく、着ていて気持ちがいいのだ。おすすめです。KAPPAは機能面で優れている印象はなかったけど、この一枚で印象が全く変わった。おすすめです。
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WE ARE ALL ONE

 サウナの様な環境の中でみんな一生懸命やってくれたかと思います。走りました。あれだけ用意した水と氷も残り5分のところで切れそうになったことから、その過酷さが伺えます。でも、それでも足りないってことでしょう。それが何なのか、それをどうすればいいのか。試されているのかな、今、多分。
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明日も

 早いもので1週間が過ぎて明日も試合である。今回の会場はいつもと違うので、普段とちがう雰囲気になることでしょう。明日も観戦するつもりだが、観戦できる場所があるのかな。
 最近では試合前にお父さん的心境(怪我なく終わればOK!)になっていることもあるが、ゲームが始まればやっぱりそこは勝負である、こっちも暑くなってくる。場所が場所なので、明日はいつも以上に暑くなる事でしょう。試合もそれぐらいに熱くしちゃいましょ。
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変わるのは自分

 こうも毎日暑いと、去年もこんなんだったっけ?と思ったりする。覚えていはいないけど、おそらく昨年も、その前の年も、そしてその前の前の年も暑かったはずである。
今日
「なんだこの暑さは!」
 と思ったけど、おそらく去年も同じように
「なんだこの暑さは!」
と思っていた事だろう。薄々はそうなんじゃないか?と思ってはいたけど、ついに僕も気づいてしまいました。人生、
「同じことを何度も繰り返している」
って事に。
 32年も生きているわけだから、1年の中でのイベントを飽きるぐらいに体験してきたし、少ないだろうが人生で体験できる全ての中の何%かを体験してしまっているわけだから、繰り返すことはある意味では当たり前かもしれない。でも僕はそれが怖いのだ。
 自分でも分からないんだけど、おそらく僕は今
「この先これの繰り返しじゃねーか?」
と不安になっているのだと思う。勤めだしてから10年。ある程度の慣れもあるし、中年に差し掛かっているしで、現時点では新しいもの・可能性が見えていないことに対する不安なのだと思う。ミドル・エイジ・クライシスの手前か?
 まあ、人生の諸先輩たちがこれを読めば
何を知った気になっているんだ!
新しい体験はこれからいくらでもあるぞ!
ガキが人生を語っているじゃない!
青い!
と怒られそうである。
 
 そんな事を考えていたら、昨晩ついに閃めきました。ベッドに横になりながらテレビを見ていたんだけど、開いた窓から入ってくる風でカーテンが揺れるのを見て、
「なんか去年も同じ風景を見たな」
という思いが頭をよぎったその瞬間、
「例え人生が同じことの繰り返しであったとしても、自分自身は最初にそれを体験した時と同じ自分ではない」
という事に気づいたのです。確かに去年の夏も暑く、
やっぱり横になりながらテレビを見ていたし、
やっぱり窓から風が入ってきて、
やっぱりカーテンが揺れるんだけど、
でも、その時の僕は前の僕とはやっぱり違うんだよね。おそらく世の中が変わることはほとんどなく、変わるのは僕ら自身であって、それが世の中の変化なんじゃないか?と今思う。いつだって、変わるのは自分自身、なのである。そう思うと何となく(理由もなく)前向きになれるから不思議である。

長い上に意味不明ですみません。たまにはこういう日もあるっていう事で。
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ハリー・ポッター

 「ハリー・ポッター」シリーズの最新作、
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」
が昨日全世界で同時に公開されて、あちこちで色んな新記録を樹立しているらしい。一作目が公開されたのが2001年のことだから、かなりの時間が経っているのに相変わらずの人気である。地上波で過去作を放映したりとプロモーションも完璧だが、それだけではなく、やはり、作品の高い評価から生まれた固いファン層がハリー・ポッターの世界を支えているということでしょう。
 僕も今までの作品を全部見ている。そこまでのファンでもないが、今度の作品も劇場に見に行きたいと思っている。未見の人は「ハリー・ポッター」と聞いただけで子供向けの甘いファンタジーを想像するだろうけど、実はそんなことは全くなく、かなり暗い、限りなくホラーに近い作品である。

 とにかく主人公のハリーが大きな運命を背負っており、そのために毎回苦しんだり傷ついたりする。両親は幼い頃に殺されており、親戚の家に居候をしているので肩身の狭い思いをしている。おまけに変な力があるものだから、白い目で見られていて、半ば虐待のような扱いを受けている。ハリーはその力を使って悪と戦う事になる。もちろん彼に選択肢はない。戦いは苦しく、そしてその甲斐もなく最強の敵は蘇り、いつしか自分の周りの人たちも一人一人と亡くなっていき、ハリーは自分のせいなのではと思い込んでいく。それでも世界の未来は彼にかかっており、戦いから逃れることは出来ずに孤独に陥る。
 ハリーの最大の願いは自分が幼い頃に殺された両親に会うことなのだが、これが全くかなわない。魔法を使って会える!という展開が何度かあったと思ったら、やっぱりダメという結果に終わっている。ハリーは最終巻では17歳って事になっているみたいだけど、17歳の青年にはきつ過ぎる運命なのである・・・。後半になるにつれ、子供と一緒に見に行くような映画ではないんだよね。

 暗い物語といえば「ロード・オブ・ザ・リング」だけど、「ハリー」シリーズも同じでイギリス人が書いている物語である。僕は両物語とも好きだけど、きっと救いのないその暗さが好きなのだろう。イギリスってそういう風土があるのだろうか。
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怖い絵

kowaie 最近「怖い絵」という本を読んでいる。タイトルこそちょっとしたホラーな感じがするけど、絵画を紹介しながらその絵画に塗り込められた裏のストーリーを解説してくれる本である。僕は全然知らなかったけどすでに
「怖い絵3」
まで出ていて、シリーズ化されている人気本のようである。
 僕は芸術作品の知識が全くなく、かといって興味もないのだが、この本の「ちょっと変わった見方」のおかげで興味が沸いてくるから不思議なものである。「ダヴィンチ・コード」の時に「最後の晩餐」のに隠された謎が色々と紹介されたけど、そこまでサスペンスの要素はないが似たような感じで絵画の解説をしてくれる。
 絵はそれこそ文字よりもずっと前から存在している文化である。人々が自分たちの境遇や主張をそれとなく伝える手段であった時代もあった。神への恐怖を植えつけたり、貴族社会を批判したり、大っぴらに伝えることの出来ない思いを絵画が運んだこともある。今なお現存するものは時代を超えてそのメッセージを僕らに伝えてくれている。僕が絵画に対して抱いていた
「なんとなくお洒落」
という要素は実は皆無で、どの絵画も当時の社会と密接に関係を持っていて、その絵画を見ることで当時の世の中を除き見たり、その作品を書いた画家の内面を(ちょっとだけではあるけど)理解することが出来たりする。かなり勉強していないと、想像する事すら難しい時代の1シーンを見るのは不思議な感覚である。
 今までそういう全く考え方をしてこなかったので、かなりのショックだったんだよね。ただ単に食わず嫌いをしていたようなもので、ちょっと恥ずかしい。
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気分を変えるために

 気分を変えるためにフットサルシューズを変えようかと思っている。今のASICSは履き心地も軽さもばっちりで、その完成度の高さのため周りでも多くの人が履いている。まとめ買いをしてしまうぐらいの良品である。しかも丈夫なのでなかなか壊れず、次の一足になかなか移れないぐらいである。つまり、自分の足に合っていて変える必要がまったくないんだけど、気分というのかなあ、
新しいものが出ているかもしれないし・・・
ずっと同じものを履いているのもなんだし・・
なんか、買ってみたいし・・・
サッカーのスパイクを見る楽しみを見出してからフットサルのシューズをもチェックしていて・・・
という、どうでもいい浮気心なんだけど。
 
 初めのころは2980円の靴ばかり履いていて、デザインだけで選んで、そこからちょっと金を出してKAPPAと出会って、好きなモデルが廃盤になってNIKEを履きながら同時にASICSに手を出す、という流れで靴を変えてきたけど、ここは一度初心に戻ってKAPPAを買ってみようかなあと思っている。まあ、大事な道具だから見栄えだけで選ばないで、やっぱり自分の足に一番合ったものを選ばないといけないんだけどね・・・。どうも自分の全盛期にはKAPPAを履いていたので、靴とは関係のないかもしれないけどいいイメージがあるんだよね。
散財もの | comments (0) | trackbacks (0)

殴り合い

 立ち技系の格闘技を見ていると時折恐怖間を感じることがある。特にKOシーンはそうで、それをスローで見せられると見てはいけないものを見せられている気がする。顔面に完璧なパンチを決まった時、パンチを受けた選手の表情は説明のしにくい様になっていて、その虚ろな眼差しは
「危険」
であることをこれでもかと物語っている。見えてはいない角度から入るパンチ、折れる首、脱力する体、下がる腕、そしてゆっくりとマットに落ちていく選手。倒れる様子はKOシーンでは良くあることだろうけど、事故映像を見ているかのような罰の悪さである。これが高レベルな試合であればあるほどその一瞬は訪れにくく、だからこそKOは期待されるんだけど、あんまり綺麗にパンチが入ってしまうと本当に怖い。
 格闘技の魅力というのは、
「人間の本能的な暴力への欲求」
があるのかなといつも思うけど、競技なるとその技術はもはや芸術の域までに昇華されるんだよね。そんなレベルでも今日キッド選手が受けたようなパンチがあるんだから、きっとそこが面白いんだろうなあ。
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良かった良かった

 いやー、良かった良かった。とりあえずは結果が出て何よりです。ここの所みんな不安やプレッシャーと戦って毎日を過ごしていたと思うけど、今日ぐらいはゆっくり出来るかな。また今週末にも試合があるので気は休まりませんが。それにしても疲れます。次はサクッっと勝ちたいものです。ね。この一勝は大きいけど、無駄にしないためにも頑張らなきゃいけません。WEED後に新宿中で蹴らしてもらって非常に疲れたけど、やっぱり観戦の方が疲れるわ・・。
フットサル、サッカー | comments (0) | trackbacks (0)
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