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ダヴィンチ・コード

 ダヴィンチ・コードが大流行である。キリスト教色が薄い日本でもこれだけのブームになっているのだから、ヨーロッパや南米ではもっと大変な騒ぎになっているに違いない。
 ダヴィンチ・コードはキリスト教のタブーを描いた小説で、その説が正しければ人類が2000年もの間に信じてきたものがその信憑性を無くす内容だ。そのため、あちこちの教会や団体からクレームが付いている。キリスト教信者が少ない日本ではそこら辺がいまいち体感しづらいが、キリスト教信者が99%を占める国々では不買運動等が怒っているらしい。その気持ちがどこから来るのかが僕にはいまいち理解しづらいもので、おまけに宗教に疎い僕は何も言えないけど、子供の頃に思った事を書こうと思う。
 アルゼンチンの国民の90%はキリスト教信者だ。残りのパーセンテージはユダヤ人とプロテスタントだろう。教会はどこにでもあるし、大聖堂もたくさん。もちろん僕は生まれた時は洗礼を受けている。キリスト教というのはもはや宗教ではなく、習慣のの様なものである。子供の頃の僕からすれば宗教というのは汚してはけないもので、とてつもなく怖いものであった。それは教会の中を流れる空気が持つ独特な雰囲気もそうだし、壁に飾られた聖人の像が気味悪いからであった。変な言い方だけど、幽霊や悪魔と同様に教会は怖い場所だった。恐怖だった。ガキの頃は自分の頭で考えるなんて事はしないから、反射的に怖いんだよね。信仰と恐怖が似ているとは思わないけど、盲目的に信じる事はある意味怖い事かも知れない。2000年もの間信じたものが揺らいだら、それこそ恐怖か。

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Comments

鍵@5 | 2006/5/22 10:30

僕は鍵の閉じこみも怖いです。

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