最終責任

 いじめの問題をテレビで見る度、出口はあるのか?と暗くなってしまう自分がいる。亡くなった子の父が同級生3人を告訴したみたいだけど、どうもしっくり来ない。被害者の親に責任はないのか?加害者の親にも当然責任はあるよね。見て見ぬふりをした教師、同級生にも責任はあるよね。お互いに責任を擦り付き合っているみたいだけど誰もが無関係ではなく、責任がないわけでは無い。父親の気持ちを思えばそりゃあ想像も出来ない慟哭があるだろうけど、責任がないかと言われたら決してそうは思えない。イジメの問題は昔からあることなのに何でこうも同じことを繰り返すのだろう。
一つ確かなのは、この世からイジメが無くなる事はない。誰にも気づく瞬間がくると思うけど、誰の中にも悪意はある。僕にもあなたにも。本能とも言うべき攻撃性や自分自身を守ろうとするずるがしこさも時には必要なもので、悪とは言えない。
ここで問題となるのは善と悪の区別と、心のバランスだよね。何をしてよくて何をしてはいけないか、これって多分教育なんだよね。自分の心をコントロールすることや、相手の痛みを理解することも突き詰めれば教育なのだろう。優しさや思いやりは本能じゃないから、鍛えるしかない、覚えるしかないものなんだよね。
落としどころのかないこの問題の終着点は気になる。誰も幸せにならない事だけは確定している。社会的な制裁が下って幕引きになっても何も変わらないしね。本当は責任追及よりも構造的な問題を発見することが先なんだろね、きっと。
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