グラン・トリノ

 現在映画館でかかっているクリント・イーストウドの「グラン・トリノ」って映画が素晴らしく良く、今まで何度かここに書こうかと思ったものの、なんて書けばいいのかがイマイチわからなくて、書いては消すを繰り返しているうちにどうでも良くなり、全く違うものを書くという事を何度か繰り返した。
 わりと地味な扱いだから観ていない人が多いと思うので、あらすじ。
 イーストウッド演じるコワルスキーは自動車工の仕事を引退して以来、暇な日々を送っていた。彼には朝鮮戦争に従軍した過去があり、その影響か、今でも差別主義者である。戦争から帰ってからはフォードに身をささげ、必至で働いてきた。が、妻がなくなり、自宅のあるデトロイト郊外から気づけば白人がどんどん少なくってきた。自動車産業の衰退とともに白人が出て行き、代わりに入ってくるのはマイノリティばかりであった。気づけば息子はトヨタの営業マン、もちろん折り合いは悪い。
 そんなコワルスキーの楽しみと言えば自宅のポーチからビールを飲みながら、自分が組み立てた72年型フォード「グラン・トリノ」を眺めること。もう人生も晩年である。
 そんなこんなんで、ついに隣りにアジア系の家族が引っ越してきた。彼らを見るたびに
「このイエロー●×■!」
と差別的な言葉をつぶやくコワルスキー、先が思いやられる。
 ある事件を通じて、コワルスキーは隣のアジア青年、タオと知り合っていく。しかし、このタオが根暗でおまけに好きな女性にも話しかけられないヘタレ。それを見たコワルスキーはタオを「男」として再教育していく事にする。男友達とのつき合いかた、しゃべり方、工具の使い方、家の修理の仕方、女性とのつき合い方。そんな分かり合えた矢先・・・。という感じである。

 コワルスキーは古いアメリカの象徴である。彼が大事にしているグラン・トリノはアメリカ自動車産業の最後の輝きであり、それをピカピカに保つ事でアメリカの価値観を守っている。そして、その敵であるマイノリティを毛嫌いしている。しかし、毛嫌いしていたマイノリティ出身の少年と知り合う事でその価値観を変え、
「自分が守り続けたアメリカの文化を引き継ぐ存在は、必ずしもアメリカ人(白人)でなくてもいい」という事に気づいていく。コワルスキーはタオを一年前の男にするために教育していくのだが、そのままアメリカの男のあり方を教えるのである。実は文化を継承しているのだ。
 
 オリンピックのアメリカ代表を見ると、明らかにアメリカ人には見えない選手がたくさんいる。どうみても東洋人だったり。移民を多く迎え入れたアメリカという国は多民族国家であり、時間が経つにつれ純粋な白人アメリカは消えていく。この映画が描いているのはまさにそこで、
「むしろこの方が正しいかも知れない」
と訴えているのだ。オバマ時代に最もふさわしい映画である。必見。
 
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