R.I.P.

 Michaelはいかにも早死にしそうな人間だったから、正直あまりビックリしていない。心の中では
「案外長生きしちゃうんじゃないだろうか」
と思うこともあったけど、今日の訃報を聞いて納得したところもある。もちろん、一ヵ月後にコンサートがあろうがなかろうがMichaelには生きて欲しいし、いや出来ることなら永遠に生きて欲しいけど、Michaelは早死にする運命だったことは素直に受け入れられる。なぜなら、僕はMichaelはこの世界に合わない人間だったと思うから。

 僕はMichaelの全盛期をリアルタイムで体験した世代ではなく、その後を追いかけた世代である。そのため彼が起こしたムーブメントや社会的影響を肌で感じたことはなかったけど、好きになるにつれ
「これはとんでない人物なんじゃないか」
と身震いがしたことを覚えている。歌が上手いとか、ダンスが上手いとか、黒人アーティストたちの道を開いたこと、黒人の社会的地位向上に貢献したこと、たくさんの功績を色んなメディアがこれから取り上げるだろうけど、僕がMichaelが好きなのは
「単純にカッコよくてすごい」
からである。頭の悪そうな、具体的なところが何もない意見だけど、その理屈のいらないものこそが音楽やダンス、エンターテイメントであって、それらの力を体現し、表現出来た数少ない存在がMichaelなのである。

 4歳でデビューして、12の頃には世界的スーパースターになったMichaelの思考回路がどんなものだったのかは不明だけど、どう考えても僕らとちがう目で世界を見ていたと思う。宝石のような曲を生み出す才能、そして誰にも理解の出来兄ない言動が共存する、そんな不思議な人物だったんだよね。普通の生活なんてした事のないだろうから、一般人のような普通の考え方をしたことがなかっただろうし。ちがう次元の存在だったのだ。常識の当てはまらない存在だからこそ、僕は彼はこの世と合わない存在だったのだと思う。

 フジテレビで特番をやるようだし、今日はあちこちでMichaelの話題が出ているのだろう。幼児虐待の裁判のときはみんな好き放題言ったので、なんとなく見たくない気持ちである。本当にMichaelが有罪だと思っているのなら、この雰囲気の中でもう一回言ってみろ!と言いたい気分である。
 
 来月に控えた復帰コンサートは10公演の予定がいつもなにか50公演に膨れ上がっていた。50公演はとんでもない数字で、50歳、しかも体力の衰えたMichaelには酷過ぎる数である。その公演を行うのが嫌で自らの死を演出してどこか遠い所へ逃げたのではないかということはないだろうか・・・。だって、ピーターパンは永遠に死なないんだぜ。まあ、とにかく今まで何百回と聴いてきたMichaelの曲は今日からまた違う風に聞こえることでしょう。
 今頃天国でレイ・チャールズとか、マーヴィン・ゲイとか、過去の偉大なアーティストたちと会っているに違いない。

R.I.P.
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