どっちが不幸で、どっちが幸せか

 昔、「あいのり」で(そんな昔でもないか)僕がずっと思っている人生に対する疑問が取り上げられていて、
「こんな番組でこんな事を考えるんだ」
とビックリしたことがある。
 当時のメンバーは誰だか全く覚えていないけど、一行がガーナを回っている時の事だった。ガーナといえば、チョコレートの原料であるカカオの生産国。一行はカカオ畑を訪ねる事に。一家が営むその畑には驚いた事に、子供が働かされていた。途上国では子供でも立派な労働力で、小学校の低学年ともなると働くのは当たり前。彼らは学校にも行かず、朝から晩までひたすらカカオの実の皮を剥くのが仕事であった。一家で朝から晩まで働いても生活は苦しい。彼らが作るカカオはヨーロッパなどでは高値で取引されるのだが、ガーナからはまるで搾取のような形で買われていくのだ。
 で、ここで一番のポイントは
「彼らが今まで一度もチョコレートを食べた事がない」
という事だった。その原料をいくらでも作ってはいるが、その完成形を見たこともなければ、その甘さを味わった事もないのだ。ここでご一行の一人がいう
「俺はチョコレートを一枚持っている。自分たちがどんなものを作っているのか、せめて食べさせてあげたい。」
そして一人が返す
「それは一見優しさに見えるけど、彼らは今後の人生でチョコレートを再び味わう事はない。チョコレートを食べている時は幸せだろうけど、同時にもうこの味を味わう事は無いんだと理解する事になる。すごく残酷な事じゃないか?」
と。僕はまるで凄い面白いドキュメンタリーを見ているかのように、その後の展開に釘付けとなった。彼らの決断はチョコレートを食べさせて上げるに落ち着き、番組は子供たちの印象的な笑顔で終わった。

・一度だけだけど、食べたことがある。また食べたいけどもう食べられない。
・どんなものか知らないから、食べたいとも思わない。

正解なんて誰にも分からないけど、何となく腑に落ちない何かを感じた。
 この
「知る不幸」と「知らない幸福」
について僕は未だに迷うことがある。変な話、この世の中の何かを知ればその分疑問や不満は増えていく。その何かを知ることがなければ迷うこともないわけで、ある意味では幸せと言える。知らないほうが幸せって何かおかしいけど、事実なんだよね。

 世の中にはすごく考える人と、あまり考えない人がいる。考える対象はなんでもいい。世界、社会、自分自身。「良く考える人」は色んな事を知ることになり、知識や気づきと共に、様々な疑問や不安、不満が生まれる。一方、「あまり考えない人」にはそれはない。どっちが幸福であるかは神のみぞ知るだが、個人的にはせめて自分の幸福や不幸に気づける人間でありたいと思う。
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