希望、ESPERANZA

 僕の両親の年代が子供の頃に描いた21世紀では車が空を飛び、街はゴミ一つ落ちていなく、全てが平和で調和の取れた世界であった。「アトム」で描かれたような未来都市のイメージである。
「絶対にこうなる!」
と本気で思っていたわけではないだろうけど、
「もし自分たちが頑張ればいつかこういう世界が来るんじゃないか?」
という思いが確実に誰の心の中にもあって、簡単にいうとそれが「希望」だったんだよね。
 ところが21世紀が始まって、思っていたものとは全く違う現状、そして逆に世界が悪い方にどんどん傾いて行く様を見て、その「希望」は実はかなり難しいことでもはや不可能なものだったんじゃないか?という事が見えてきた。誰もがウスウスと感じていたけど、
「やっぱりそうは上手く行かないか」
という事がバレてきちゃったのである。
 
 面白い調査があって、僕らの両親が20,30代だった頃に描いた未来図は
「新しいエネルギーの登場、核廃絶」」とかになるんだけど、
今の若者に同じ質問をすると
「環境破壊で苦しむ、人口問題で苦しむ、戦争で苦しむ」
という、まるっきり正反対の未来図になるのだそうだ。これを受けて、現代を生きる僕らは(20代、30代)は
「どこに希望を見出せばいいのか分からない世代」
と呼ばれているのだそうだ。随分な言われ方だなあ、なんて思うけど、あながち間違ってもいないなあ、なんて自分の中で思う。

 自分で言うのも何だけど社交的でもなく明るくもない僕はその「希望なき未来」という考え方に割りと傾倒していて、この先誰もが平等に幸せになれる「ユートピア」はもう存在しえないと思っている。僕らの子孫は今以上に過酷な環境で生きていかないといけないだろうし、問題は山積みである。宗教が説くような救世主だっていないはずだ、と思っていました。しかし、ここ数年の間に家族が増えたり、仲間に子供が生まれたり、その子供達が成長したりする姿を見ていると、
「やっぱり希望はあるんじゃないか」
と思うようになった。考え方を180度変えさせられるような、僕の中ではかなり大きな出来事である。今まで何度も書こうと思ったけど恥ずかしくて途中で止めていたが、ここは一つ勇気を出して
「みんなが幸せになれる未来は不可能ではない」
と僕は思っていると書いてしまおうと思っての今日の記事なのである。まあ、限りなく夢物語だし、僕に出来ることは何もないのかも知れないけど、そう願っているのは僕だけじゃないハズ。そうだよね。
 というわけで、最近周りでよく見るガキどもを通じて一つ大人になった気がします。その大人が希望を持って未来を語れるような社会であるべきだとも思うし、もうこの歳まで生きたんだから「希望なる何か」を示す責任もあるのだと思う。 
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