2010.06.21 Monday 19:43
タイムラグ
W杯の試合をスカパーで見ているんだけど、地上波でもやっている試合と見比べるとちょっとタイムラグがある。地上波の方が早くて、衛星放送だと少し、ほんの少しだけど遅い。だから、誰かがパスを出した瞬間にチャンネルをスカパーに戻すとソイツがまたパスを出していて、頭のなかで軽いデジャヴ感というか、パラレルワールド感というか、ちょっと楽しい気分を味わうことが出来る。岡崎のシュートは地上波では外れたけどスカパーでは入っているかも!なんて思うんだけどもちろんそんな事はない。
こういう話をすると必ず思い出すのが村上龍の「五分後の世界」という小説である。5分のズレで生まれた日本を描いていて、その世界の日本では第二次世界大戦で降伏せず、地下に都市を建設しゲリラ戦を繰り広げてるのである。その世界に現代の日本を生きる若者が迷いこむ話なんだけど、忘れられない描写がある。主人公のオダギリは意味もわからずに戦いに放り込まれ、その戦いの最中、すぐ近くで味方が爆死を遂げる。戦いが終わり、休んでいた小田切はポケットの中に、爆死で飛び散った仲間のこげた肉片が入っていた事に気づく。そこでオダギリは焦げた肉片の匂いをかぎながら、何も食べていた無かったことを思い出す。という、描写があるんだよね。僕はそれを読みながら、気持ち悪いのやら、すげーなとか、でもわからないでもない、という変な気持ちを感じたのを覚えている。
というわけで、衛星放送と地上波とのタイムラグぐらいの短い間にも僕らは色々な決断を下しているわけで、決断と同じぐらい数の結果が生まれるとすれば、「五分後の世界」もいつだって生まれる可能性はある。そう思うと時間はとても怖いもので、その怖さに気付かないことはもっと怖いものである。
こういう話をすると必ず思い出すのが村上龍の「五分後の世界」という小説である。5分のズレで生まれた日本を描いていて、その世界の日本では第二次世界大戦で降伏せず、地下に都市を建設しゲリラ戦を繰り広げてるのである。その世界に現代の日本を生きる若者が迷いこむ話なんだけど、忘れられない描写がある。主人公のオダギリは意味もわからずに戦いに放り込まれ、その戦いの最中、すぐ近くで味方が爆死を遂げる。戦いが終わり、休んでいた小田切はポケットの中に、爆死で飛び散った仲間のこげた肉片が入っていた事に気づく。そこでオダギリは焦げた肉片の匂いをかぎながら、何も食べていた無かったことを思い出す。という、描写があるんだよね。僕はそれを読みながら、気持ち悪いのやら、すげーなとか、でもわからないでもない、という変な気持ちを感じたのを覚えている。
というわけで、衛星放送と地上波とのタイムラグぐらいの短い間にも僕らは色々な決断を下しているわけで、決断と同じぐらい数の結果が生まれるとすれば、「五分後の世界」もいつだって生まれる可能性はある。そう思うと時間はとても怖いもので、その怖さに気付かないことはもっと怖いものである。