iPad、iPhoneのデザイン

 昨日、初めてiPadを触った。すでにiPhoneを持っているのでそこまでの驚きはなかったけど、サイズ感というか、質感がとても良かった。軽く触った感じではiPhoneを大きくした感じで、すぐに欲しい!とは思わなかったけど、すごく新しいものを触っている感動みたいなものはあった。
 皆知っての通り僕は携帯電話や車、そのほかの身の回りのもののデザインに変なこだわりがあって、機能よりデザイン、価格よりデザインという価値観を持っているけど、iPhoneやiPadのデザインにはちょっとした不満がある。いや、使いやすさや機能性を極限までに追い求め、尚且つシンプルに仕上げたデザインだと思うんだけど、逆に完璧すぎて語られることがない、というのがちょっとした不満である。思えばiPhoneはそのほかのどの携帯とも全く違うデザインなんだけど、あれで完成されているというか、完成されすぎていて突っ込みどころもなければ変える所もない、という所まで来ている気がするんだよね・・・。極限までにデザインを追求しながらも、これってある意味ではデザインの限界を示しているとも言えるし、もっというとデザインにあんまり意味なくない?と言われている気すらするのである…。でも本当にiPhoneのこのサイズ感がいいんだよねー。
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お疲れ様でした。

 まあ、PKだから仕方ないことでもあるけど、悔しいのは事実。バーに当たったボールが外に行くか中に入るか、ボール一個分の差だろうけど、その一個の差がもたらす結果の差はあまりにも大きい。
 まあ、日本代表のこのサッカーなら、PKのほうが勝ち残る可能性が高いんじゃないか?と良く言われていたけど、それが何となく悔しいんだよね。たしかに見ていて可能性はあまり見えないし、相手のミスを待つサッカーとも言えるし、耐え忍ぶ時間のほうがずっと長い気もするけど、きっとそんな事はないハズだよね。
 
 PKの緊張感に耐え切れなくてザッピングをしたんだけど、NHKで女子シングルの試合をやっていた。1対1の勝負にも大きな緊張感があって、しかも1対1だから逃げ場のない感覚もあって、これはこれで大変だなあ、なんて思った。スカパーにチャンネルを戻したら選手達が励ましあい、カバーしあい、声をかけあっていて、とても面白い対比だったんだよね。チームスポーツだからこそ可能性はまだまだたくさんあって、それこそ無限にあるんじゃないかと思うし、見る、応援する楽しみがあると思う。今大会は代表は良くも悪くも扱われ、期待値も低く、その中でパラグアイにあわや勝てるという所まで来た。どんな状態だったとしても、やっぱり可能性って常にあるって事だよね。
 
 パラグアイに競り負け、今大会の日本代表のサッカーは終わった。けど、サッカーは続く。日本のサッカーは色んな悔しさをたくさん積み重ねてきたんだから、それと同じだけの努力や工夫を重ねれば、いつかバーに当たったあのボールがゴールの中に入るシュートに繋がるかも知れない。さらに続ければ延長で勝てるかもしれない。もっと重ねれば90分のうちに、さらにさらに頑張れば前半で試合を決められるサッカーが出来るようになるかも知れない。積み重ね、それが新しい歴史に繋がるのかな。

 個人的には日本代表は3敗で帰って来るんじゃないかと思っていた側で、勝ち進むにつれ注目しだしたにわかファンに過ぎない。ハッキリいって発言権もないばかりか、謝った方がいいんだろうけど、今回思ったのは
「俺達の代表っていいよね」
って感じれる代表っていいなあ、ってこと。
「一生懸命やっているよね」
「応援したいよね」
って思えたら、プレイする側も応援する側も楽しいし、幸せなことだと思う。そしてその国のサッカー文化は大きく成長するんじゃないのかな。
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マラドーナについて

 僕の世代の人たちは、マラドーナがピークを迎えている頃にはまだ幼い頃で、すごさを理解できる年齢ではなかったと思う。マラドーナについては色んな人が色んなところで書いてきたし、映画にもなり、ドキュメンタリーにもなり、ゴシップも腐るほどあるから誰もが知っている人物であって、今更語ることってないだろうに、未だに人気は衰え知らずW杯期間中の今TVに出てこない日はない。良くも悪くもマラドーナには人を惹きつける何かがあって、プレイヤーだった頃も今もそれは変わらない。
 
 凄く前にも書いたけど、アルゼンチンではマラドーナは無条件で好かれているわけではない。マラドーナは下級層の出身で、サッカーでなり上がった人物である。そのプレイでアルゼンチンを有名にし、数え切れないほどの栄光をもたらしたものの、それと同じ数だけの愚かな行いでアルゼンチンの名前を汚してきた。イタリアでのマフィアとの付き合い、隠し子、コカイン、ドーピング疑惑。マラドーナを崇める層のほとんどは彼と同じ裕福ではない層で、アルゼンチンの名声やプライドを重んじるブルジョワな層からは嫌われている。面白いことにイタリアに行ってナポリでプレイしたときも同じ全く構造だったんだよね。イタリアでは経済や文化の中心である北が田舎の南を差別しているんだけど、マラドーナはその田舎であるナポリを率いて、ミランやユーベやインテルを倒してきた。それはただの田舎ものが大企業のフィアットを負かせることであり、都会のお高くとまった人たちを負かしたってことで、革命みたいなものだったんだよね。つまり、マラドーナって常に「反体制」なのである。だから今になってカストロと付き合ったり、ゲバラのタトゥーをしたり、反米的な政治的な発言をするのも当たり前なのかも知れない。常に弱い方の目線で、大きいものや強いものに立ち向かう、そして思っていることを堂々と言う。誰もが心の中には持っているけど、口には出せないことを簡単にいうものだから、そりゃ見ていて気持ちがいいよね。
 
 あんまり言われないけど、マラドーナってすごく仲間思いなんだよね。現役のときも、監督になった今も変わらないのもいい。僕はそこが好きで、選手に抱きついている所を見ると笑顔になってしまう。大体は選手のほうが全然大きいから、マラドーナが首からぶら下がっているようにしか見えないけど。
 マラドーナがいるかどうかで今後のW杯の盛り上がりが左右されるから、是非とも勝ち残って欲しいものである。
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ヒモ

red_laces前にも書いたと思うけど、RED PRODUCTという、色んなブランドが商品を作って、その一部をエイズ基金に寄付するというシステムがある。全く関係のないブランドが商品を開発するんだけど、どれも「赤」を使って商品を作っている。面白いのはロゴの表記で、作ったブランドを()REDで囲んで表示しているのだ。NIKEは
(NIKE)RED
になり
DELLは
(DELL)RED
になるのだ。
 寄付の心とか正直言って全くないんだけど、僕はiPodもMOTOROLAの携帯電話RED PRODUCTのものを買っている。何をお洒落ぶっているんだ!って話なんだけど、ブランドのロゴを()で囲む表記が好きなんだよね。ブランドのロゴといえばそれはアンタッチャブルなもので、カッコで囲むなんて普通は絶対に出来ないことである。コラボ商品の場合だって細心の気を配って扱うものだから、このRED PRODUCTはとても画期的だと思うんだよね。まして天下のNIKE様があのマークをいじらせるなんて、今期のSOPHとのコラボを除いて今後はないかも事かも知れない。というわけでこの靴ヒモをゲットしました。ちょうど赤のカルチェットのヒモが切れそうなので、これに変えようと思います。値段はそこそこなんだけど、機能はまあ、普通かな。
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戦いのあと

 公式戦2戦目を迎えた我がWEED、初の敗北を喫する。「初の」なんて言ってしまうと常勝軍団みたいな感じがするけど、2試合目で早くも負けた、って言い方の方が正解かな。要因はいくつもあって、気付いていないものを含め何千もあるんだろうけど、いつも通りの自分達でなかったことがちょっと悔しいかな。自分達の最大限を出しての負けなら納得も出来るけど、そうでもなかったし、心の中に
「勝てるんじゃないかな?」
という変な考えみたいなものがあったのも事実。確かに一生懸命練習してるし、真剣に向き合っているし、出来ることはしているつもりだけど、どの面でもまだまだで、チャレンジャーであることを忘れたくない。

 終わってからいつもの「けん」で反省会。フットサルの話も、そうでもない話も、深い話、浅すぎる話(笑)も出たけど、同じ悔しさを共有していることを確認できてよかったかな。今日負けたからって前の勝利の価値が半減するとは思わないけど、今日勝っていたら2倍ぐらいにはなっていたんじゃないかと思うとやっぱり悔しい。

 最近、下手になることってあるんじゃないかと思う。練習すれば自分の成長や努力の結果を実感することはあるけど、その逆もあるんじゃないかと。感じているだけで、言葉で説明することは難しいんだけど、本当にそういう事ってあるんじゃないかと思う。精神論だとは思うけど、もしそういう事が本当にあるのなら、怖い。すごく怖い。色んな人が
「休むのが怖い」
というのと似ていると思うけど、ちょっと違う気もする。なんて言うか、努力しているから正しいんだとか、頑張っているからある程度の結果は出るよね、とか、ストイックにやっているから良いんだ!とか。どこなの時点自分の努力を肯定し、満足・安心してしまう怖さなのかな。これって多分、「自信」とは全く違うものだよね。なんか、文才の欠如で上手くまとまらないけど。でもまあ、人が輝くのは頑張っている間だけ。経験から言える。逆の事を言っているようだけど。
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言い訳

 「体格で劣っているから、身体能力で負けているから、個人能力で負けているから」
という言葉は今後、言い訳として使えなくなりそうな予感、そう、日本代表の「誰も予想しなかった」快進撃である。今ごろ、
「一試合も勝てない、3戦全敗に決まっている」
と決め付けていた人たちも苦虫をかみ締めながら、喜んでいることでしょう。(笑)
 僕は試合を観ていないので、正直どんな試合だったかは全くわからないけど、ハイライトを見た感じでは守備的に入り過ぎることはなく、堂々とデンマークに立ち向かった模様。終始リードしながら試合を進めたみたいだから、きっと見ていて人は楽しかったにちがいない。
 「日本代表は弱い」という風潮はどこから始まったのかな。アジアではそこそこだけど世界に出るとダメ、点は取れず守れず、という価値観が当たり前というその考え方。国民性として、それに似たものはあると感じるよね。海外サッカーに対して自分達を過小評価したり、必要以上に尊敬したり。たしかにずっと点は取れないし、明らかな伸び悩みもあるし、見ていてつまらないと思うこともある。そしてそれは本当のことだとも思う。
 じゃあ、
「絶対に3連敗」
「鹿島をそのまま出した方が強い」
とまで言われたチームが勝てているのだろうか。運?連帯感?気合?相手が弱かった?多分どれもそうだろうけど、それだけでは勝てないよね。
 もしかしたらこれは奇跡に近いもので、今後何十年も見れない光景かも知れない。でもその奇跡には地道な練習の積み重ね、準備、スタッフのサポート、協会のマネージメント、サポーターの声、全てが合わさってやっと手に出来る何かなんだよね、きっと。岡ちゃんは
「サッカーがチームスポーツであることを証明した」
って言ったらしいんだけど、格好よすぎである。格好つけすぎだけど、日本のこの快進撃を何となく理解させてくれる言葉でもある。日本にはメッシもロナウドもいないけど、みんなで行けばなんとかなるっしょ、ってことだろうけど、言うのは簡単で実行するのはすごく難しいよね。
 これからは日本のサッカーは強くはないけど弱くはない!と思いたいし、そしてチーム全員で行けばどんな競合国に勝てる、ってことを共通認識にしたい。それにしても歴史ってこうやって一歩一歩作っていくものなんだね。
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裏での戦い

 ADIDASの創始者とPUMAの創始者が兄弟であることは有名な話だと思う。兄はルドルフ、弟はアドルフという名前で、ADIDASは弟のニックネームアディー・ダスラーから来ているんだよね。
 最初は二人でダスラー商会という会社をやっていたんだけど、喧嘩別れして、弟はアディダス、兄はルドルフから「ルディー」という会社を立ち上げるんだけど、翌年に「PUMA」に社名を変更。現在に至る。

 で、今大会のチームを並べて数えてみたんだけど、
ADIDASが12チーム、PUMAが7チーム
と、弟の方ががんばっている結果になっている。NIKEが10チームだから、サッカー界においてはADIDASの優位性を示した結果になってはいるが、全大会の優勝国がイタリア(PUMA)、その前がブラジル(NIKE)だったりと、いまいち煮え切らない感じもあるに違いない。
 僕が思うADIDASの最大のミスというか、弱点はマラドーナにスパイクを履かせなかったことである。マラドーナ=PUMAというのは誰の記憶の中にもあって、永遠に色あせない映像でもある。PUMAがいくらサプライヤーチームが少なくなっも、マラドーナがパラメヒコを履きながらイングランドを切り裂く映像は今後も永久的に流れる。あのスパイクの魅力は永遠なんだよね。

 僕はADIDASは好きじゃないけど憧れていた時期がある。それは漫画の中で、キャプテン翼が履いているスパイクがADIDASだったんだよね。僕の世代の人はわかると思うけど、三つ葉のエンブレムが入ったあのソールは凄く格好よく、うっとりしたものである。キャプテン翼の世界では皆が皆ADIDASなんだけど、最近では日向くんがNIKEを履いてFCRBを着ていたりする。漫画の中でも戦いが繰り広げられているのだ。高橋先生も大変だなあ。
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愛国心

 スカパーでオシムが言っていたんだけど、ドイツかな?のある選手が代表の興奮してユニフォームを投げ捨てたことが原因で今大会の招集を見送られた、ということがあったらしい。選手名も覚えていないし、ドイツかどうかもいまいちハッキリしなくて、非常にあやふやな話で申し訳ないんだけど、オシムは
「それは当然」
という顔をして言っていたのがとても印象深かった。
 
 今、ワールドカップで戦っている各国の選手たちはほとんどがプロの選手である。稼いでいる金額に差があれど、みんな体が資本である。各々どこかの国のリーグのクラブチームに在籍して、そのクラブから金をもらっている。つまり、W杯が主戦場ではないのである。メインの仕事場は自分が所属しているチームであり、飯の種もそこにあるのだ。しかし、彼らは怪我をも恐れず、自分の国のために必死に戦っているのである。長時間プレイできないような怪我をしてしまったらクラブから契約を解除される可能性だってあるし、選手生命を脅かす怪我をする可能性もあるのに、である。

 もし僕が何億ももらっていてるスター選手だったら、W杯に出て怪我をすることをとても恐れると思う。怪我をしてしまって年俸をもらえないかも、という思いが脳裏に浮かんできて、「辞退とかできないかな」なんて考えが絶対に浮かぶはずである。しかし、W杯を戦っている選手たちを見ていると、そんなそぶりはまったくないんだよね。僕はワールドカップの一番面白いところはここにあると思う。いい大人たちが(毎回同じフレーズ)金や利益とは関係のないところで必死に戦う。愛国心、と一言で片付けるのは簡単だろうけど、その意地やプライドの張り合いは理屈なしに熱いんだよね。

 そんな彼らを応援するために地球を半周するサポーターたちも同じで、これも一種の愛国心だと言える。面白いのは敵のサポーターだって半周して来ているのだから、違う国を応援する敵同士でありながら、第三者から見ると似たもの同士になるよね。ワールドカップでサポーター同士の交流が多いこともなんだか分かる気がする。僕は見に行ったことはないが、きっと連帯感みたいなものが感じられるに違いない。

 まあ、ワールドカップは実質的には選手の見本市であったり、優勝資金も20億円近くだったり、放映料もとんでもない金額なんだよね。スポーツメーカーの戦場でもあるし金との関係は切り離せないけど、ピッチ上、そしてスタンドではそんなことは関係ないと信じたい。
 真剣な表情で国歌を歌う選手達の姿に愛国心を感じる様に、試合後の選手達が健闘をたたえ合う姿にも、そして試合後のサポーター達が言葉を交わす様子にも、自分の国に対する尊敬と愛を感じられる。愛国心って実は、他国を通じて感じるのので、もしかしたら、他国を認めることが真の愛国心なのかもね。
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いい大人が

 フランスやイングランドが揉めている。いい大人たちが監督に反抗したり、練習をボイコットすることは何だか滑稽で、不謹慎だけどちょっと面白い。何億ももらっているスターが何をやっているんだ!?って話である。
 きっと僕には想像も出来ないレベルの話で揉めて当然な理由があるのかも知れないけど、W杯という舞台で恥を晒している感じもあって、7点も取られた北朝鮮よりフランスやイングランドの方が全然格好悪く見える。内輪揉めって…プププッ(笑)って感じである。
 本当に苦しい戦いに勝つためには戦術や技術を超えたものが必要になる瞬間がる。良く
「チームが一つになる」
なんていうけど、僕はその絶対的必要性を体験しているので、本当にそうだと思っている。アマチュアのフットサルレベルでもそうなんだから、世界最高の舞台でもそれは同じどころか、より高い必要性があるに違いない。ましてW杯ともなれば自分のため、仲間のため、金のためという価値観を軽く超え、祖国の名誉やプライドや色んな諸々を背負うわけだからね。
 という訳で有名でもなく、強豪国でもない北朝鮮とかチリとか、愚直なまでに体を張り続けるスイスと、まとまりがあってカッコいいなあと思うのである。いい大人たちが必死になってボールを追いかけ転んでいる姿は冷静になったらおかしいんだけど、彼らは色んなものを背負いながら、色んな人たちのたくさんの気持ちを表現していて、なんかカッコいいなと思うのである。それらの重さを実感しているのであれば不満や不服をなんて言えないと思うし、例えあったしても個人の思いなんかよりも、国を代表しているという事のほうが100倍も重要だよね。
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タイムラグ

 W杯の試合をスカパーで見ているんだけど、地上波でもやっている試合と見比べるとちょっとタイムラグがある。地上波の方が早くて、衛星放送だと少し、ほんの少しだけど遅い。だから、誰かがパスを出した瞬間にチャンネルをスカパーに戻すとソイツがまたパスを出していて、頭のなかで軽いデジャヴ感というか、パラレルワールド感というか、ちょっと楽しい気分を味わうことが出来る。岡崎のシュートは地上波では外れたけどスカパーでは入っているかも!なんて思うんだけどもちろんそんな事はない。
 こういう話をすると必ず思い出すのが村上龍の「五分後の世界」という小説である。5分のズレで生まれた日本を描いていて、その世界の日本では第二次世界大戦で降伏せず、地下に都市を建設しゲリラ戦を繰り広げてるのである。その世界に現代の日本を生きる若者が迷いこむ話なんだけど、忘れられない描写がある。主人公のオダギリは意味もわからずに戦いに放り込まれ、その戦いの最中、すぐ近くで味方が爆死を遂げる。戦いが終わり、休んでいた小田切はポケットの中に、爆死で飛び散った仲間のこげた肉片が入っていた事に気づく。そこでオダギリは焦げた肉片の匂いをかぎながら、何も食べていた無かったことを思い出す。という、描写があるんだよね。僕はそれを読みながら、気持ち悪いのやら、すげーなとか、でもわからないでもない、という変な気持ちを感じたのを覚えている。
 というわけで、衛星放送と地上波とのタイムラグぐらいの短い間にも僕らは色々な決断を下しているわけで、決断と同じぐらい数の結果が生まれるとすれば、「五分後の世界」もいつだって生まれる可能性はある。そう思うと時間はとても怖いもので、その怖さに気付かないことはもっと怖いものである。
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