アイ、コンタクト

 昨日の夜中に海外TVドラマ「LOST」を観た。シーズン5の最終話の最後、いよいよ話が盛り上がり、あと2,3分でシーズン終了という所で、主人公の男性が愛する女性ととても重大な決断を下すシーンがある。問題なのはその決断どう下しても二人に未来はないということで、二人ともそれを理解している。そしてその決断を下さないことには大勢の人たちが死に、大きな不幸が始まる事になるのだ。シーズン5まで追いかけて観てきた僕のようなファンには涙なしでは観れない「究極の選択」なのである。(観ていない人たちはすみません・・)

女性の目を見る主人公
見返しながら小さくうなずく女性
涙を浮かべながら覚悟を決める主人公

紆余曲折ありすぎならもシーズン5まで続いたこの世界の行く末を、アイコンタクトで決めているのだ。物語をここまで引っ張ってきて、そして緊張感が極度までに高まったこの瞬間に、二人のアイコンタクトで物語を総括するこの演出に僕は感動した。シーズン5まで「いい加減に終わってくれよ・・・」と思いながらも楽しみにしてきたファンたちはあの瞬間、飛行機墜落から始まった入り組んだ長い長いストーリーの走馬灯を観たことでしょう。二人の間にはここでは書ききれない色々なことが起こり、その度に誰かが泣いたり喜んだりしたこととか、その全てがあの視線の中に詰まっているのだ。

 ちょっと枕話が長くなったけど、僕はこれを観ながら
「アイコンタクトっていい!カッコいい!」
と思ってしまったのだ。二人にしかわからない、二人にしか出来ない、ということがいいんだよね、きっと。

 まあ、フットサルをしていると結構あるよね。長い間一緒に蹴ったり、共通認識を持った仲間とは瞬間瞬間に目で意思を交わすことが。普段は普通にしゃべっていても伝えたいことが100%伝わっているのか不安だったりするけど、そういう時って全く不安がないから思えば不思議なものである。口に出さずに、そして誰にでも知られることなくコミュニケーションを完結させているわけだから、そう普通のことでもないよね、きっと。
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あえて分かりにくく 

 また僕の中でiphone熱がやってきて、色んなところでアレコレ調べている。調べているこの期間も楽しさの一つだけど、毎回思うのは
「携帯電話の料金体系ってなんであそこまで分かりにくいのだろ」
って事。どの会社も一様に分かりにくい。色んな契約の方法、サービス、割引の方法など、色々と見比べているうちに何が一番いいのかが分からなくなってくる。色んなライフスタイルの色んな人がいるのだから、誰にでも合うようにという事もあるんだろうけどねえ。まあ、ちゃんと勉強すれば理解することはできるんだけど、もっと分かりやすい方法もあるんじゃないかと思う。もしかしてあえて分かりにくくしているんじゃないか?とも思う。

 昔聞いた話で、こういうのがあった。車を作る工場の話なんだけど、車を作る時は工場に部品を全部集めて、組み立てて作るのだそうだ。もちろん、効率的ではあるのが理由なんだけど、
「部品が組み合わさって一つの形になっていく」
というその様子がそこで働いている人たちのモチベーションになり、やりがいに繋がるのだそうだ。これを全く違う形でやるのが兵器をつくる工場で、部品を一箇所には集めず、あちこちに運んでは少しずつ組み立てていくのだそうだ。もちろん、何かを作っているのかをハッキリと見せないための手段なんだけど、これが携帯電話の料金体系に通じている気がしてならない・・。
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食べ物の恨みは怖い

 昨日の夜、冷蔵庫を覗いたら食べかけのチーズケーキが入っていた。ちょっと具合が悪かったから何も食べていなくて、それがちょっと回復してきたので手を出そうかと思ったけど、いきなりケーキかよという思いもあった。とは言え他に食べるものもないし、とりあえず何かを腹の中に入れておいた方がいいと思って、温かいミルクティーを作って食べることにした。
 ケーキお洒落なケーキ屋で売ってそうな「小ぶりだけど値段は一丁前」というもので、半分ぐらいが残っていた。ためしに一口食べてみたら思ったよりも全然美味しく、食が進んだ。気付けば全部食べちゃっていた。
 翌朝になって分かったんだけど、そのケーキは並ばないと買えない有名なものらしくて、弟の奥さんが買ってきたのだそうだ。彼女に美味しかったですか?って聞かれて、
「うん、美味しかったよ、チーズケーキ」
って答えたのだが、不思議な顔をされながら
「いや、レモンケーキだったんですけど・・・」
とかえされてしまった。僕は
「ああ、レモンケーキね、レモンケーキ、美味しかったよ!」
と精一杯の笑顔でかえした。確かにちょっと酸っぱい味がするなあ、とは思っていたけど・・・。
まだまだなあ、俺も。
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間違い

 いつも通勤途中で見かける看板に誤字がある。子→字と誤植をしているのである。最初にその看板を見たときになんか変だなあ、と違和感を覚え、ずっと見ていたら「あ!」と、アルキメデスが定理を発見したときに「エウレカ!」と叫んだ時と同じぐらいの声の大きさで叫んでしまったのを憶えている。結構大きくて立派な看板だから数十万円はかかっていると思うんだけど、設置から半年以上たっている今でもそのままだから、立てたほうは気付かないでいるのだろう。発注側が看板のデキをチェックしていないわけは無いんだから、一度は見ているはずだけどねー。作った側が間違えたのか、発注した側が間違えたのか、その大事なところがどうなのかが分からないけど、まるで当たり前の様に間違った看板が立っているのが面白い。

 間違っているものがまるで当然の様にずっと立っている様が滑稽で面白いんだけど、最近ではそれが当たり前になっていて見るたびにクスッとも思わなくなった。逆をいうと、その看板を見て気付かない人たちは
「あれが正解」
と思っている可能性もあるわけで、それまた問題なんじゃないかと思う。物事って
「何が間違いで何かが正解なのか」
で決まるんじゃなくて、
「どれだけ多くの人が正解だと思っているか」
で決まるので、いつの日か「字」が正しい!なんて事にならない事もない。
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タイミング

 この冬に入ってから風邪を引きそうな状態が何度かあった。絶対に引きたくないのでちょっとでも予兆があった場合はすぐに薬を服用、出来るだけ量を食べて寝る、とい作戦を取るんだけど、これが効いているのかどうか、なんとか本格的な風邪を引かずにごまかしごまかしやってきた。
 今週のWEEDのスケジュールに合わせて体調を整え、股関節のために蹴るのを我慢していたけど、今週に入ってから体調が下り坂。胃か腸かの具合がまた悪くなって、時折頭痛がしたり、
「ああ、いつもの奴か・・・」
という感じであった。なんか、体が言うことを聞いてくれないというか、タイミングが悪いというか、32年も付き合っているのに一向に相性が良くならないな。

 とはいえ、今日も激しく動いた。WEED終わりでもフロリの皆とちょっと走り、そのままジムで筋トレ。気分はいいけど、気持ちが悪いって感じかな。(笑)現在頭がガンガンしています。薬飲んで寝まーす。
 そして今日はdsk@14より早すぎる誕生日プレゼントを頂きました。GALLERY2からのサイズの相談TELはこれだったのね。大事にします、ありがとう!
shirt_from_14そう言えば家に免許の更新案内が届いていた。僕もそろそろ年齢が非公開の域に入りそうです。
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2010 Do I dream?

2010 というわけで2010に入った今、最初に見りるべき映画はこの「2010」でしょう。
 「2001年宇宙への旅」は有名で、観た事はなくても名前は知っている、という人は多いと思う。この「2010」はその続編で、「2001〜」で起こった出来事の謎を解くというストーリーになっている。
 「2010」は84年公開の映画で、26年後の世界である現在を描いている。所々近未来的な住居や設備が映るけど、ほとんどは宇宙空間か船の中の場面ばかりなので、ギャップを感じたりすることはほぼない。ありとあらゆるモニターが全部ブラウン管だけど、これは仕方ない。
 で、何が面白いかというと、2010年になってもまだソ連は存在していて、冷戦構造もそのまま残っている、という設定である。冷戦が終わるのは90年に入ってからのことだから当時の感覚としては普通なんだろうけど、今となると古めかしさを感じないことはない。

 映画の中での2010年の冷戦は後一歩で世界大戦、という所まで来ている。そしてその影響は宇宙で研究を続けているクルーにも影響する。おまけにこのクルーはロシア人とアメリカ人で作られているので、地球での権力闘争が地球を遠く離れた木星でも行われているのである。お互いに腹を探りあいながら、相手を出し抜く手を互いに考えているのである。が、戦争になった日には帰る星そのものが無くなる訳で、クルーの人間関係のほうが複雑だったりする。生き延びるため、無事故郷の星に帰るためにクルーは互いに協力をしあう事になる。
 それから色んな事が起こり(いい加減ですみせん 笑 )クルーは「素晴らしい何か」を目の当たりにすることになる。そしてその素晴らしい何かが地球にとあるメッセージを送り・・・。

 っていう中途半端な書き方しか出来ないのが悔しいけど、この「2010」はHAL9000とチャンドラ博士の会話など、凄くいいシーンがたくさんある映画なので、興味がある人は見ることを進めます。でも一番面白いのは、84年の時点で2010の事を描いている点である。つまり、84年の時点で予想されていた未来を覗くが出来るんだよね。映画の中の2010年と今のこの現代、どっちがいい世の中であるかは・・・、微妙なところかな。
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強さって奴

 自分の子供時代のことを考えていたら、とてつもなく恥ずかしい過去を思い出した。

 初めて小学校に登校した日のことなんだけど、僕は母と離れるのが嫌で嫌で怖くて泣き出してしまった。学校のロビーで母は
「ずっとここで待っているから」
と言って僕を安心させ、先生が教室に連れていってくれたのだけど、僕はずっと窓から外を見ながら母の姿を探してばかりいた。そしてガキなりに知恵を絞り、
「先生トイレに行きたいんですけど」
と手を上げ教室の外に出る口実を作り、本当に母が待っているのかを確認しに行った。今と違ってガキの頃の僕は頭のいい子だったので、母がそこで待っているというのは僕を黙らせるための口実であることは分かっていたのだが、それでも怖くて怖くて、祈るような思いでロビーを覗いた。驚くことに母はそこにいて、僕は安心して教室に戻っていったのである。
 不思議なのはそれからもそのロビーを通るたびに
「そこに母がいるんじゃないか?」
という気がして毎回毎回確認していたのだ。きっと心の中で母に対して
「いれくれた事はすごく嬉しいけど、同じぐらいに申し訳ない」
と思っていたのだと思う。そして子供は子供なりに強くならなきゃと思うものなんだよね。
 僕はその後何度か転向し、違う国の学校に始めて登校するという大緊張をも乗り越えられたのはこの体験があったからだと思う。多分あの日、僕は少し強くなったのだと思う。

 誰にも頼れない、自分だけで何かに立ち向かわないといけない時があるよね。家族や仲間は入り口までは一緒に来てくれるけど、中に入るのは自分だけって時が。今すぐここから逃げ出したい!と思うけど、そういう時に限って、それまでに支えてくれた人たちの顔が浮かんだりする。ある意味ではたちが悪い。(笑)

 僕もこの歳になって、人を支えたり助けたりしないといけない立場になっているはずである。自分では弱いつもりはないのだが、きっと強くもなく、助けたい、力になりたいという思いがあっても上手く行かなかったり形に出来なかったりする。今まで色々な人たちに散々導いてもらった分、僕も誰かを入り口までに導ける人間になりたいと思う、のである。立ち向かう時は一人であっても、母がしてくれたように見守ることは出来るっしょ。
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希望、ESPERANZA

 僕の両親の年代が子供の頃に描いた21世紀では車が空を飛び、街はゴミ一つ落ちていなく、全てが平和で調和の取れた世界であった。「アトム」で描かれたような未来都市のイメージである。
「絶対にこうなる!」
と本気で思っていたわけではないだろうけど、
「もし自分たちが頑張ればいつかこういう世界が来るんじゃないか?」
という思いが確実に誰の心の中にもあって、簡単にいうとそれが「希望」だったんだよね。
 ところが21世紀が始まって、思っていたものとは全く違う現状、そして逆に世界が悪い方にどんどん傾いて行く様を見て、その「希望」は実はかなり難しいことでもはや不可能なものだったんじゃないか?という事が見えてきた。誰もがウスウスと感じていたけど、
「やっぱりそうは上手く行かないか」
という事がバレてきちゃったのである。
 
 面白い調査があって、僕らの両親が20,30代だった頃に描いた未来図は
「新しいエネルギーの登場、核廃絶」」とかになるんだけど、
今の若者に同じ質問をすると
「環境破壊で苦しむ、人口問題で苦しむ、戦争で苦しむ」
という、まるっきり正反対の未来図になるのだそうだ。これを受けて、現代を生きる僕らは(20代、30代)は
「どこに希望を見出せばいいのか分からない世代」
と呼ばれているのだそうだ。随分な言われ方だなあ、なんて思うけど、あながち間違ってもいないなあ、なんて自分の中で思う。

 自分で言うのも何だけど社交的でもなく明るくもない僕はその「希望なき未来」という考え方に割りと傾倒していて、この先誰もが平等に幸せになれる「ユートピア」はもう存在しえないと思っている。僕らの子孫は今以上に過酷な環境で生きていかないといけないだろうし、問題は山積みである。宗教が説くような救世主だっていないはずだ、と思っていました。しかし、ここ数年の間に家族が増えたり、仲間に子供が生まれたり、その子供達が成長したりする姿を見ていると、
「やっぱり希望はあるんじゃないか」
と思うようになった。考え方を180度変えさせられるような、僕の中ではかなり大きな出来事である。今まで何度も書こうと思ったけど恥ずかしくて途中で止めていたが、ここは一つ勇気を出して
「みんなが幸せになれる未来は不可能ではない」
と僕は思っていると書いてしまおうと思っての今日の記事なのである。まあ、限りなく夢物語だし、僕に出来ることは何もないのかも知れないけど、そう願っているのは僕だけじゃないハズ。そうだよね。
 というわけで、最近周りでよく見るガキどもを通じて一つ大人になった気がします。その大人が希望を持って未来を語れるような社会であるべきだとも思うし、もうこの歳まで生きたんだから「希望なる何か」を示す責任もあるのだと思う。 
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マナーって奴

 最近アイツのブログが子育て日記になっている。まあ、今までは特に姿勢もテーマもなかったからまだいいけど、子供が出来ていっきに老けはしないかと心配している。(笑)
 
 2010年が始まって結構経つので今更の話題だけど、僕は人生で一度も年賀状を出したことがない。お歳暮とか、そういったものもパスしてきた。どこかに遊びに行ってお土産を買うこともした事がない。育ちがアレなので、
「アイツは知らないだけでしょ、きっと」
と思われることも多く、言い訳にさせてもらっている。正直面倒だって事もあるけど、大して気持ちもない誰かに何かを送るのが何だかな〜、と思うのである。だから、アイツに娘が生まれたときも「何か贈ろうかな」なんて想いが頭をよぎったけど、ここはやっぱり次にあった時に心の底から
「おめでとう」
と言うことが先じゃないか、と思って何かを贈ることをやめた。実際会うときは照れくさいし、大した話はしないと思うけど、気持ちは通じると信じている。自分勝手すぎかな。

と、ここまで書いておいて思ったんだけど、年賀状とか贈り物って、気持ちを表す時のための
「照れ隠しの手段」
なんじゃないかと言う気がしてきました。それはそれでありかな。
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嫌な奴

 たまあに会う人でどうしても好きになれない人がいる。60過ぎぐらいのおじさんなんだけど、言葉の節々に毒気みたいなものがあって、どうにもこうにも苦手である。見てくれは全然普通なんだけど、喋ってみると
「今すぐここから逃げたい」
と思ってしまうのである。
 というわけで、今日は勇気を出して仕事仲間の一人の
「俺あの人ちょっと苦手なんだよね〜」
と打ち明けた所、「実は僕も」、「実は私も」と、同じように思っている人がたくさんいて、
「やっぱり皆もそう思っていたんだ」
と一人で納得したのである。
 僕はそんなに人好きではなく、
「僕が好きな人たちだけに好かれればいいかな」
なんて思っているんだけど、このおじさんを見ていると非常に悲しくなるのである。
 きっとあのおじさんはどこに行っても同じような態度で振舞うわけで、きっと僕と同じ様に思っている人はたくさんいるのだと思う。中には嫌っている人もいるかもしれない。そしておそらく本人はそう思われている事にびた一文も気付いていない感じなので、きっとこのまま生きていくのだと思う。
 このおじさんの嫌さ加減を文字に変換するのは難しくて、どうにも説明できないんだけど、なんていうか、人を嫌な気分にさせる才能があるというか、普通にしゃべっているんだけどケンカを売っているように見えるというか、もうそんな感じなのである。これが映画だったらきっとおじさんには不幸な生い立ちがあり、涙なしでは語れないドラマがあり、誰にも癒せない心の傷を背負っているという説明が白黒映像で入るだろうけど、これは映画ではないし、そして例え本当の事だったとしても、やっぱりおじさんの印象は変わらないと思う。そして何が悲しいかというと、僕が嫌だと思っているように、たくさんの人たちが同じように嫌だと思っているだろうってこと。断じてあのおじさんの事を可愛そうに思っているわけではなく、
「誰かを嫌だと感じてしまう事で、自分のことをちょっと嫌いになる」
あの感覚が嫌なのである。あのおじさんは色んな人にそう思わせているわけで、それに気付かずにいるんだよね〜。なんか、世の中って色んな人がいるなあ、本当。
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