第二節

 明日はWEEDの第二節。前シーズンで敗れた相手との試合であり、なんとか勝ちを手にしたい。その時よりチームとして良くなっているかどうかは正直わからないけど、「慣れ」が足りなかったことだけは克服できているかな。まあ、出来ることがそんなにたくさんある訳じゃないから、少ないそれらを力一杯やりたいと思う。
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人体の不思議

 問題になっている「人体の不思議展」。展示されている遺体の出所が不鮮明である所、倫理的な立場からの「遺体で金儲け」というのが主な問題のようだ。僕はその存在すらしらなかったのだが、ニュースでその内容を知り、こういっては何だが逆に観てみたくなった。抗議活動はかなり前から行われていたようだけどここに来てのこの大騒ぎだから、もう観れなくなる可能性が高いかな。
 ミイラに興味があることは何回か書いたことがあると思う。実はミイラを見るときにも「人体の不思議展」で問題になっていることを感じることがあった。ミイラとは言っても何百年前は僕と同じ人間だったわけで、死後に研究されたり、大勢の前に晒されることを予想していたのだろうか、と思うのである。もちろん予想できるハズなんてないんだけどね。
 ミイラと「人体の不思議」で展示されている遺体との違いはもちろんある。ミイラは死後の世界への信仰であり一つの文化であって、自分からミイラになることを望んでの処置なのだが(とされている)、「人体の不思議展」では遺体の出所が不明なため、ちょっとした気持ち悪さが残る。以前の展示では脳や肝臓を触れるコーナーもあったようで、死後に自分の脳や内臓がペチペチと触られることを希望する人はいないだろう。
 知っている人もいると思うけど、タイには「死体博物館」というのがあって、検索した感じでは「人体の不思議展」よりもずっとずっと遠慮のないグロさである。それ系が苦手な人は検索しない方がいいぐらいだと思う。多分、「死」に関する価値観というか、考え方が違うのかもね。その「死」に対する考え方で、その社会の文化的成熟度が計れるのかもしれない。良いか悪いかはまた別問題だろうけど。
 この問題では当たり前な気もするし、そこまで騒がなくても・・、と思わないこともない。自分がそうなったら嫌でしょ?と言われても、それもまた違う問題だという感じもする・・。
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伊達直人的な

 伊達直人的な運動が進みすぎて、いつの間にか本当の意味を失くしている気がしないでもない。タイガーマスクのお面をかぶった人が役場を訪れた事件はまさにそうで、そこまでされると逆に迷惑なんじゃないかと思う。対応した担当者は
「宅急便で送ってくれればいいのに」
と思っていたに違いない。
 日本とアメリカでの一年間で集まる寄付金の額が全然ちがう、ということをTVでやっていてビックリした。まあ、人口も違うし、宗教的な寄付金が圧倒的に多いはずだけど、多分根本的な考え方がちがうのだろう。 
 寄付をすることにはちょっとした照れくささがある。善人ぶるなよ〜、という居心地の悪さもある。ここで「伊達直人」という「ごまかし方」は実に便利だよね。この「恥ずかしいから」名乗らなかったり、キャラの名前を使う「照れ隠し」がすごく日本人ぽくて、好きである。アメリカみたいに自分の名前を大きく書いた小切手を寄付することもいいが、普通の人が自分の出来る範囲で、たとえランドセル一個でも寄付できる、そんな文化が根付けばいいなあなんて思う。
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必要に迫られて

IMG_0338.gifIMG_0338.gif 最近フットサルの後の足裏痛にずっと悩まされている。最初は家に帰って裸足で歩いてようやく気付くぐらいの痛みだったのだが、そのうち歩くのも難しいぐらいになって、今ではプレイ中にも気になるぐらいの酷い痛みになった。丁寧にマッサージをすれば少しは良くなるのだが、次のフットサルまでに治らないぐらいのものになってきたので、ここは一つ、写真のソールに手を出してみた。以前から周りの仲間からこのソールはすごくいいことは聞いていて、俺もそのうち!と思っていたのだが、どう考えても僕には贅沢品だしなあ、と我慢していた。赤いのが新しいソールで今日早速試してみたのだが、やっぱり違うね。最初から入っている右のソールとは厚さも質感もそんなに変わらないのに、足へのショックが全然違うし、疲労度もちがう。買ってよかった〜。必要でない人にはあまり意味はないとは思うけど、買っておいても損はない。僕が買ったのはASICSの2000円のものだけど、他にも5000円ぐらいするのもあるんだよね。とりあえずしばらく使ってみようと思います。
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歌詞の世界

 僕が若い頃に流行って、最近聴いている曲の歌詞に
「自分らしく生きることなど 何の意味もないような朝焼け」
というのがある。自分の小ささを知る風景ってたしかにある。初めて海を見るときに誰もが
「あ、こりゃ俺の存在なんてちっぽけ過ぎてないようなもんだな」
と感じると思う。あまりにも大きいし、不規則に動くし、抗いようのない力に満ちていて、
「自分がいつ死んでもおかしくないんだ」
と思ったのを覚えている。その時に感じた気持ちがこのワンフレーズに詰まっていてる。
 この歳になって以前みたいな音楽に対する情熱はないけど、時たま気になる歌詞がある。ウタダヒカルの歌詞で、
「愛しているよりも大好きの方が君らしいんじゃない?」
というのがあって、これを聴いた時にスゲーと思って、それ以来歌は聴かなくても歌詞は読んでいる。
 それ以外にも
「ちょっと傷ついて(kiss and cry)
あきらめないで(you are my)
笑い飛ばしてがんばれ(natural high)
あとはしょうがない」
しょうがないってフレーズを使うなんて普通じゃないし、前にも書いた
「お父さんのリストラと
お兄ちゃんはインターネット
お母さんはダイエット
みんな夜空のパイロット
孤独を癒すムーンライト
今日は日清カップヌードル」
という、遊んでいるのに風景が浮かぶ歌詞も凄い。どの時代にも良い歌詞を書く作家っていると思うけど、商業的な成功を思うと、ウタダってちょっと特別なのかなあと思う。
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最後の練習会

 本日も練習会に参加。コートの都合なのか大人の事情なのか、理由は分からないが練習会は今日が最後である。個人的に色々と気付きがあって、何かを掴めそうな気がしていただけに非常に残念である。スポーツをやっていると自分が一個伸びた瞬間を感じることってあると思うけど、そんな感じがしていたんだよね、ちょっと。掴めそうというか、憶えそうというか。ここら辺は言葉にしにくくて、まあ、錯覚かも知れないけど。普通に楽しかったからってのもあるかな。
 今回は珍しく@20の弟がチームメイトとして参加。今では常に敵側で血で血を洗う仁義なき戦いをしてきたけど、味方としてプレイしてみたららすごく楽しかった。敵として面白い奴は味方としても楽しいってことか。
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元日本代表

 親分がいなくなった今でも、やっぱり日曜の朝はサンデーモーニングを見てしまう。毎回見る度に
「あ、やっぱ親分いないんだ〜」
と不在を確認してしまう・・。
 
 今日のサンデーモーンニングで中田ヒデのTAKE ACTIONの試合が取り上げられたときに、張元さんが中西さんに
「なんで中西さんはいないんですか?」
と鋭い突っ込みをしたんだけど、中西さんは
「僕は元日本代表じゃないんで呼ばれないんですよ〜」
と答えていた。それまであまり意識していたなかったけど、野球における「元巨人」と同じように「元代表」の肩書きはやっぱり大きいのである。
 dskは中西さんが好きだけど、たしかにサッカー解説者としてはボキャブラリーに富んだ知性派である。話は分かりやすいし、ビジュアルもいいし、落ち着いている。年末にサッカー解説者が集まって熱い話をする恒例の特番があるけど、あれでは司会もしているしね。でも、今思えばあの時に集まる出演者はかなりの知名度と経歴の人たちで、その中では中西さんのキャリアは決して輝くものではない。そう思うとあれは結構戦いの場なのかね。
 この雨のシリア戦を見ながら、松木さんはやっぱりスゲーなあ、と思った人が多いと思う。松木さんの解説といえば、

「オフサイドですよね!オフサイドですよー!オフサイドでしょー!オフサイドですよー!」
「なんなんすかコレ、なんなんすかコレ、なんなんですかコレ!」
「ひとり行け!ひとり行け!ひとり!寄せろ!」
今回は
「ぶざけたロスタイムですねー!」
という新作があったけど、基本的には少ない言葉を繰りかえすというパターンなんだよねー。コレはコレで良い所もあるけど、中西さんみたいなタイプの解説も聞きたいなと思う。ちがう人が解説だったら、名波さんももっと自由に話せるに違いない・・。
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マテ茶

mate_bombilla2.jpg 昨日と似たような話なんだけど、アルゼンチンにはマテ茶という種類のお茶である。マテ茶はイェルバマテという植物の葉や小枝を乾燥させたものにお湯を注いでストローで吸って飲む。写真のような容器に茶葉を入れて、写真のような金属のストローで吸うんだけど、このストローの穴がとても大きくて、茶葉のかけらが普通に口に入ってくる。味もこれ以上にない苦さで、ようは大人の飲みものである。
 マテはガウチョ達(アルゼンチンのカウボーイみたいなもの)が火を囲みながら飲む飲み物である。荒々しい男が1日の疲れを癒しながら暗闇に中、火を囲んで話をする。その時にマテを回し飲みするのだ。一つの容器をみんなで回して、交代で飲む。一人が飲み終えたらまたお湯を足し飲んでいく。味が薄くなると、イエルバを変え、飲み続ける。僕が祖父に習った様式できは、飲み終えた人が次の人の分を作って渡す、というのもあった。で、この時にみんな同じストローを回し飲みするんだよね。これも潔癖症に人には無理かな。
 僕から見ればマテを囲めるのは大人の世界のこと。家族が集まると男衆が集まって楽しそうにマテを囲んでいたから、ちょっと憧れでもあった。今になってちょっと飲みたいなあ。
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清潔と手袋

 食べ物屋さんに行くとたまあに、スタッフが食べ物を直に触らないためにプラスチックの手袋をしている時がある。客に対する配慮なんだろうけど、僕はあれがイマイチ好きになれないんだよね。なんていうか、そんなに手が汚いのか?と思っちゃうし、どうも信用が置けない気がするのだ。これは多分学生の時にすし屋でバイトをしていたからだと思う。すし屋の板前の手は無骨でありながらも綺麗なんだよね。そして芸術的な動きですしを握るものだから、どんなに変なオッサンでも手だけは綺麗で、動作に気品がある。
 最近では清潔の基準も上がっていると思うし、潔癖な人はこの考えに反対だと思うけど、他人のお母さんが握ったおにぎりは食べられる?的な問題って昔からあるよね。正確に言えば「清潔」とはまた違う問題である気もするけど、ビニール手袋の問題とは同じかな。
 インフルが大流行してから建物の出入り口に消毒アルコールが常備されて久しい。必要なのかなあって思いながらも時々使ってしまう。これは清潔を通り越して「恐怖」的な何か何じゃないかと思うときがある。その内日常的に手袋をする日が来るのかな。
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洗練

184_s.jpg 沖縄の家族との数少ない交流の中で、もちをもらうというのががある。こっちはもらってばかりだから本当は交流とは言わないんだろうけど、1年に何回かこのもちを送ってもらっているのである。沖縄ではムーチーといって、もちに甘く味付けをして月桃の葉で巻いたお菓子である。僕の印象では家庭で作る料理で、葉っぱで包むわけだから郷土料理なのだろうなと思っていた。食べるときにはモチが葉っぱにくっ付いて食べにくいし、手がベタネタになるしで、食べやすいお洒落な食べ物ではないのだが、僕はそこが好きなのである。田舎料理というか、それがね。
 で、今年も送ってもらったのだが、なんだか変わっちゃっていたのである。一枚ずつビニールの袋に入っていて、その袋が切れやすいように切り目もあり、
「はがれやすく食べやすい!」
というシールが貼られていた。モチそのものの味に変わりはなく、やっぱり美味しいのだが、なんだかちょっとガッカリしちゃった。
 
 物事が洗練され大量生産される寂しさというのが確実に存在すると思う。僕のイメージではお婆ちゃんがヨボヨボの手でモチを葉っぱで包んでいる、というのがあったけど、きっとグラム計算までした機械が完全消毒された葉っぱにモチを載せ、流れ作業で包んでいるに違いない。それはそれでいいけど、やっぱりちょっと残念かな。
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