i love you

 映画「アルマゲドン」のクライマックスの近くで、ブルース・ウィリスが自らを犠牲にし、他のクルーを助ける場面がある。べタ中のベタでありながらも、ついつい男泣きしてしまうシーンなのだが、このシーンの中でずっと引っかかるところがあって、それは
「男同士でI LOVE YOU!と叫び合う」
所である。男同士でもI LOVE YOUって言うんだ、とビックリしたのである。最初は映画的演出なのかな、なんて思っていたけどそれ以降も映画などでたまに目にする事があったので、アメリカ的文化なのだろう、とその疑問を自己完結させていた。
 で、昨日MTVで「The Life of Ryan」という、プロスケーターのガキの日々を追いかけるリアリティー・ショーをやっていて、その中でおそらく10代と思える主人公のRyanが友人に「I love you」と言っていたのだ。喧嘩をした後の友情を再確認するドラマチックな場面でのことで、これまたビックリしてしまった。ティーンの若者が言うぐらいだから、おそらく本当に普通のことなのだろう。恋人や家族にいうシーンは良く目にするけど、
「愛している」
のハードルが案外低いと考えた方がいいのかな。それとも、映画などのエンタメ系は日常とはちがうからちょっと拡張されているのだろうか。こういうカルチャー・ギャップって面白い。
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変わる所もあるかな。

 先日のサッカーに、僕を誘ってくれてサッカーの道を開いてくれたa.k.a.パパさんがお嬢さんと坊ちゃんを連れてきていた。このブログをずっと読んでいる人は知っていると思うのですが、僕は子供が大の苦手で、表記する時も「ガキ」で通している。そもそもガキに人権はないと思っていたところを、法律を勉強しているスタッフに注意された事があるぐらいである。
 とにかく子供というのはATフィールドがないものだから、距離感が掴みにくく、どう接すればいいのか分からない時がある。
 といわうけで、あまり近づかない様にしていたんだけど、以外や以外普通にしゃべれたのである。しかもなぜかちょっと楽しく感じれたのだ。試合と試合の合間に食べ物やアニメの話をするんだけど、その内容がイチイチ面白くてずっと笑っていた。二人は買ってもらったおもちゃを持っていて、それで遊んだりもして、手の甲に鬼太郎のスタンプまで押してもらっちゃった。
 まあ、パパさんのお子さんは二人とも教育というか、しつけがちゃんとなっていたから大丈夫だったんだと思う。これからもどの子供もとも遊べるわけじゃないだろうけど、自分の中で何か新しい変化がおきているのかも知れない。これも歳を取ったってことかな。
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そのままでいい、そのままがいい、のに。

 それにしても岡崎選手のあのゴールは奇跡だとしか思えません。全く同じ条件で同じような環境を作って、それを1000回やったとしても決まるのは1,2回ぐらいだけでしょう。こぼれ球が頭の所に跳ね返ってきて、そしてそれを決めるなんて、漫画です。しかし、その1回のためにそれを1000回でもやる事が大事で、岡崎選手は本当にそれをやってくれそうである。プレイスタイルだけじゃなくて、顔まで中山選手に似ている気がする。

 いきなりですが、日曜日の夜といえばやべっちFCだよね。数多くあるスポーツ番組の中でも中途半端な立ち居地のまま珍しく長く続いているサッカー番組である。お笑いの要素がメインかと思えば、スーパースローを使ってFKの分析をしてしまうという、面白い番組であります。
 そして昨日はもちろん、W杯出場のニュースで持ちきりでした。もちろん、岡崎選手のあの素晴らしいゴールが何度も流されたのですが、非常に面白い現象が起きていました。試合をリアルタイムで見た人ならわかっていると思うのですが、岡崎選手が裏に飛び出しパスを受けて、シュートをして、さらにヘディングで決めるまでの間に、あの有名な
「日本一サポーターに近い解説者、松木さん」
は3度も
「おおくぼー、おおくぼー!ああ!オオクボー」
と違う選手の名前を連呼していたのです。まあ、ない話ではありません。大久保選手と岡崎選手は似てなくもないですし(?)あの密着した状態で背番号を確認しろというのも酷な話です。僕もTVの前で見ていて、
「あれ岡崎じゃない?」
とちょっと思っていたのですが、松木さんの非常に高度な誘導解説のため
「ああ、大久保なんだ」
と思ったぐらいです。W杯への出場を決めるゴールをそこまで演出してしまうなんて、やっぱり松木さんは偉大な解説者ですね!
 と、話はここからなんだけど、昨日のやべっちFCで幾度となく流されたゴールシーンでは、
「おおくぼー、おおくぼー!ああ!オオクボー」
の声がキレイに消されていたのです!角澤アナ声はそのままだったのですが、松木さんの声だけ、完璧に消されていたのです・・・。僕は逆に松木さんの高度な誘導解説を楽しみにしていて、「オオクボー!」を期待していただけに、非常に残念でした。まるで笑い所を一つ減らされた古典落語みたいに、約束笑いが一個足りないじゃないか!という感じでした。編集のマジックですね。
 そしてそれがあまりにも気になり、TBSと日テレのスポーツニュースも見たのですが、そっちではバッチリ「オオクボー」が入ってました。おそらくテレ朝側が松木さんに気を使っての判断でしょうが、そんなものいらない・・・。消してしまうと局側までもが
「ありゃ後世に残せないよね」
と思っているって事じゃないか。
フットサル、サッカー | comments (6) | trackbacks (0)

乗り切った

pitchついに本日、天然芝デビューしました。江戸川区のとある所で蹴ったんだけど、昨日の雨の影響か、芝の臭いが少し気になった。おそらく太陽に照らされて、僕らがプレイしている時に蒸発していたのかな。でもそんな事も気にならない、ちょっと感動的な経験であった。やっぱり寝転がると気持ちがいいね。
 それにしても今日を含めて4回大きいサッカーをしているんだけど、その4回とも僕のシュートがバーに当たるという偶然というか、不運というか、おそらく僕はバーに愛されているんじゃないかと思う。おそらくゴールネットにも愛されていないので、何もないよりはいいか。

 28度の炎天下、しかも太陽が一番高い時間に蹴ったんだけど、立っているだけで体力が奪われるという環境。その中でももちろん走り回ったけど、途中で足の裏で膝を蹴られるというアクシデント。軽い打撲だけどちょっとだけ皮膚が切れて血が出てしまった。やっぱりサッカーのスパイクは凶器だね。冗談抜きで膝にアディダスの三つ葉マークが出来ていました。
 ここまではいいんだけど、実は夕方からWEEDがあり、体力的にどうだろうとちょっと心配であった。しかも本日は練習試合。手は抜けないのだ。でもまあ、人間恐ろしいものでテンションが上がると疲れを忘れるのですね。バファリンを飲みながらこちらも元気にプレイ。32にもなって何をやっているんだろう、俺。楽しいからいいけど。
フットサル、サッカー | comments (12) | trackbacks (0)

W杯への道

 2010年W杯への出場が決まるかも知れないのに、なんとも盛り上がりにかけた感じの今日である。フランス大会の予選と比べると雲泥の差である。日本代表への関心が低いのか、サッカーそのものに対する興味が薄れているのか、なんとも微妙なところであります。

 それにしても、簡単に予選を突破できるところまで日本代表は強くなったって事でしょうか。簡単というと語弊があるけど、このドラマの少なさが実は人々の関心を遠ざけているんじゃないかと思う時もある。フランス大会の予選は常に負ければ終わりという、命綱なしで綱渡りをやるような試合をいくつも観戦させらた。しかも引き分けを繰り返しながら、切羽詰った状況を何度も体験させられるという、今思えばこれ以上ないドラマであった。それこそ「24」よりもハラハラドキドキしたものである。おそらくここら辺で2連敗ぐらいしちゃえばいい感じの演出が出来そうだけど、見たいようなやっぱり見たくないような、そんな気分です。
  
 あっさりと「後一勝」まで来た感はあるけど、良く考えればそうでもないんだよね。思えばドイツで味わったどん底からスタートした代表。希望を見出してくれたオシムは倒れ、試合では席が埋まらない不人気。スター不在というわけのわからない分析。途中から監督を任されたのは岡田監督。しかし気づけば中村選手頼み。いいのか悪いのか、強いのか弱いのか、常に見る方をも迷わせてきた日本代表。やっぱり、これはこれでドラマがてんこ盛りなのである。

 今日は22時54分からの放送、いい時間である。久しぶりに多くの人が日本代表の試合を見ることになるのだろう。是非とも多くの人がまた代表に関心を持ってくれるよな試合になってくれることを願う。1回ぐらいなら負けてもいいかな、でも。
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追記
いやー、ドキドキしすぎです。
させすぎです。
やっぱりすっきりと勝って欲しいものです。
恐いです。
そして松木さんはどんばボールでも叫ぶものだから、その恐怖を増長させているとしか思えない。
いやー、良かった。ちょっと泣きそうです。
フットサル、サッカー | comments (299) | trackbacks (0)

変わらなくてもいいものもある

 出来ることなら、まっすぐに生きてみたいものです。世の中の流れに左右されず、自分が信じた道をひたすら突き進む、そんな男になりたいものです。自分の価値観をもち、長いものには巻かれず、ハッキリNOといえる、そんな男にです。しかし、残念ながらそう上手くは行きません。ドアの向こうには誘惑という名の悪魔が常に僕らを待ち構えています。それは
「重要な決断を楽な方に誘導したり」
「空気を読み、雰囲気を壊さないように・・・、と周りに合わせる気持ち」だったり
「上手く丸くまとめよう・・・、と曖昧な逃げ」だったり
「腹筋をしているときのあともう1回!」だったり
します。
 そうです。人とは変わってしまうものなのです。
「何か、昔は違ったなあ。昔は俺だって気まずくても自分の意見を通したり、限界を超えての腹筋の後1回だってやっていたのに・・・」
と思うようになるものです。人によってはそれは「妥協」だったり、見方を変えれば「成長」だったりします。年齢とは関係のない変化というのがあるようで、おそらく社会にもまれる過程の中で少なからず変化していくものなのです。
 しかし、
「変わっちゃったなあ、お前」なんて言われちゃっても
「変わっちゃったなあ、俺」なんて絶対に思いたくもないものです。
なんか重い話になってしまいましたけど、安心してください、人はそうそう変わらないものの様です。

 実はこの前、エイクラナナの新しいCMをTVで見たのですが、なんだかすごーく可愛く見えたのです。この歳で可愛い!とかいうのもどうかと思いますが、本当のことだから仕方ありません。エイクラナナの存在は前から知っていたのですが特に魅力を感じることはなく、逆に顔の輪郭がちょっとアレだよね〜ぐらいに思っていたのですが、なんだかそのCMではすごく魅力的に見えたのです。何でだろう、と思っていたら髪の毛をすごく短くしているんですよね。僕が無類のショートカット好きであることは何回か書いたと思うけど、可愛い!と思った瞬間
「あ、俺変わってない!」
と再確認してしまいました。なんだか安心してしまった、そして人って変わらないねという、それだけの話です。
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個性的って

 ゆとり教育のスローガンの中に
「生徒の個性を伸ばす」
というのがあったことを思い出す。個性を伸ばすのがどういう事かさっぱりわかりませんが、この「個性」という概念も良くわからないものである。
 誰にでもある事だと思うけど
●個性的でありたい
●他人とちがくありたい
●唯一の存在でありたい
と思うものである。特に思春期の頃なんかはその思いが強くて、難しい本を読んでみたり、あえて人の知らない音楽を聴いたり、格好つけて古い映画をみたりする。全ては
「自分のありたい自分になりたい。そしてそれは他人とはちがう、それが僕の個性である」
という思いからくる、「個性」という名前の焦りだったりする。

 良く考えると、この世を生きる誰もが個性的である。双子だって性格がまるっきり違ったりするので、何もしなくても人は個性的であり、唯一の存在である。肉体的に自分とそっくりな人は先ずいないだろうし、全く同じ環境で育ったとしても同じ性格にはならない。個性は得るものではなく、最初から備わっているものなのだ。なのに僕らは自分の個性がとても気になって、自ら作ろうとする。それはファッション、車、趣味趣向に現れる。まあ、
「他人とちがくありたい」
と思っている瞬間に、実は他の大勢と同じ事を思っているとも言えるけどね。

 おそらく、僕らは
「人とちがう点」
ではなく、
「人と同じ点」
こそを探すべきだなのだろう。なぜなら、「自分」というのは他人との比較の中にしか存在しないからである。個性とか、自分らしさとか、自分探しとか、一見いいものに聞こえちゃうけど、自分の個性は他人との関係性の中でしか浮き上がって来ないものなんだよね。人と接する事で、実は自分自身を理解していくのだと思う。
 フットサルを通じて、そいうことを良く感じたものである。自分では全然気づかないところを注意されたり、逆に評価されたりと。本気でぶつかり合ったからこそ、仲間に自分自身を見つけてもらったと今になって思える。

 ちょっと前に自分探しに苦しむ若者、みたいなドキュメンタリーを夜中にやっていて、見ながら非常にイライラしてしまったんだよね。それだけの話なんだけど・・・。

 


 
日々 | comments (7) | trackbacks (0)

NIKE

 この前の日曜日、WEED後に新宿中に顔を出したら@20と@18にスニーカーについてきかれた。@18はこのブログでも紹介し、実際に僕が父にプレゼントしたAIR TALACHE 1 LOWの真っ白ver.を探しているようだが、残念ながらすでに完売の商品。宇野薫モデルと同じで、即売商品だったんだよね。それにしてもAIR TALACHEに目をつけるなんていい趣味をしている。
 そんなんこんなんで新しいものを見ていたら、とても気になるモデルを発見。写真のものがそうで、NIKEがデザインしたアーミーブーツなのである。ポイントはどこにも「NIKE」を示す部分がないところ。文字も入っていなければスウォッシュも入っていない。しかし流石はNIKE。なんと、NIKE FREEのソールを採用しているのだ。ここら辺で読まなくなる人、多数だろうなあ・・・。NIKEのデザインチームで、いつの変わり種を作っているInnovation kitchenデザイン商品なんだけど、いつも発売と同時に売り切れちゃうんだよね。みんなどうやって情報をつかんでいるのだろうか。絶対に身内で買っているヤツがいるに違いない、と毎回思う。nike
散財もの | comments (4) | trackbacks (0)

調子が・・・

 最近どうもPCの調子が悪い。勝手に再起動されるという症状に悩まされている。タイミングが読めないので、これを書いている間もビクビクしながら打っている。それだけだったらいいんだけど、最近では
「起動中に再起動する」
という良く分からない症状も出てきていて、そろそろ変え時かな、という感じである。
 毎日の様に使っているものがある日、いつも通りに使えなくなる時のストレスは大きい。ストレスというか、もはや怒りに近いものである。他の電化製品だったら買い換えに走るだろうけど、PCの場合は不調の原因がハッキリとしないだけに、
「治せるかな」
と思う一方で、そんな専門知識がないから本当にイライラしてしまう。とりあえず何でもかんでもこまめに保存ですな。
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青春映画の光

 この前の「スマステ」?で、80年代の映画特集をしていました。新聞の番組票では「青春映画BEST」になっていたかと思うけど、実際の放送では「80年代」というくくりになっていた。青春映画のBESTを発表してくれるかな?と楽しみにしていたけど、80年代もそれはそれで良かった。

 僕は青春映画が大好きである。好きな理由はたくさんあるけど、やっぱり
「子供と大人の境目で悩む」
という、人生の特殊な時間にスポットを当てていることが好きなのだと思う。青春映画の面白いところは、映画の始まりの主人公と映画の終わりの主人公が決定的に違っていることである。つまり、その2時間の中で主人公は何かを体験し、その体験が彼を変えてしまう。それが成長であり、大人になることであち、そしてその変化の過程を見せてくれるのが青春映画である。
「スタンド・バイ・ミー」のゴーディは兄の死を受け入れ、クリスはワルの兄に立ち向かう勇気を得る。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマーティは「チキン!」と罵られても聞き流すことができるようになる。
「スーパー・バッド 童貞ウォーズ」の2人は、童貞を捨てることよりも、互いの友情を守る方が大切だということを知る。
「ブレック・ファスト・クラブ」では立場や考え方が違っていても、誰もが同じように悩み、同じように苦しんでいる事を知る。
 これは何もティーン・ムービーに限ったものではなく、「ロッキー」や「40歳童貞男」でも同じ。年齢の問題ではないんだよね。
 青春映画のいいところは、2回見れるところにある。一度目は若い時、そして2度目は大人になってから。見る時によって印象が変わり、自分自身が変わっていることに気づく。これは当たり前のことでありなんだけど、なんとなく寂しい気もするんだよね〜。
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