世論調査

 ニュースをずっと見ていると思うんだけど、どうも世の中が正常に回るためには
「叩かれ役」
みたいな存在がどうしても必要なようだ。今回のスノボの人もそうだし、その前が朝青龍、その前が小沢一郎、その前はお塩先生、その前は・・・と、かなり前まで辿っていけるんじゃないか?という気がする。報道やマスコミ、ジャーナリズムには「公権力を監視する」という役割があるから、批判したりするのは当たり前だと思うけど、それをやりすぎるのは「操作」になってしまうんじゃないか?と思うことがある。誰かが何かをすると途端にどこの媒体も叩きまくるから、何も知らない人が見たとしても悪いイメージをもってしまう。世論調査を取りましたら、国民のほとんどがこの人がクロだと思っています!と声高に叫ばれても、終始そういうニュースを流しているんだから当たり前じゃん!それってそういう結果を出そうとしての調査じゃないの?なんて思ったりするのである。

 スノボの人が記者会見で
「反省しています」
の語尾を延ばして、
「反省していまあす」
と言ってしまっている映像を見ながら気付いたんだけど、朝の時点でのテロップは
「反省していまーす」
だったのに、夕方にはもう
「反省していま〜す」
になっていたんだよね(笑)。本当の話だけど。無責任ながらもすげー笑える話だけど、これって明らかに悪く見せようとした演出で、そこに透明性や公平性がない。「ー」が「〜」に変わっただけなんだけど、印象が変わることを思うと、悪意すらも感じる。
 思えばこれを書いている僕も、スノボの人を批判している人の多くは彼がどんな人でどんな実績があって、どんなキャラなのかを知らない。ある部分だけを取り上げて批判したり肯定したり笑ったりしているけど、これだってなんかおかしい気がする。叩かれる存在ってそういうものなのかな。

 それにしても・・・家に世論調査の電話がかかってきたことは未だに一度もんないよね...。
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形のないもの

 僕は本屋が好きで、時間さえあれば万引き犯に思われるぐらいに長居をしてしまう。目的買いじゃない時は良さそうな本を手に取り、価格をチェックして裏のあらすじを読んだり、帯の推薦文を読んだりする。中身を全部読むわけにはいかないから、その本は面白いかどうか、いい本なのかどうかはそれで判断する。もちろん、タイトル、装丁も重要なポイントである。

 今年は電子書籍元年と言われている。キンドルとか、iPadの登場がその理由である。本屋がなくなるとか、出版社がなくなるとか、革命手的なことが起こる可能性があるとも言われている。
 まあ、文字が作っている物語や話は形のないもので触れないものだから、その媒体は何でもいいというのは良く分かる話である。もう一方で、本は「紙に印刷されているという形が本である」という考えがあって、それもそうだなあ、なんて思う。本と言うのは紙質からインク、装丁の色、デザインと、手にとってもらえるように知恵をしぼった商品だから、その魅力は大きい。

 個人的に僕はどちらをも楽しめるタイプで、だからアレがダメでこれが良い!なんてのはないと思う。でも、
「文字になっているその形のないもの」
を自分の中に取り込んで、どれだけ形作れるかが問題なんだよね。好みによって、世代によってその方法はちがうかもしれないけど、中身の価値は永遠に変わらないはずで、そう大きな変化はないんじゃないかと思う。まあ、本屋は儲からなくなるのは困るけど・・・。
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パクられた!

 ライト兄弟が飛行機を発明していた頃、日本でも二宮忠八という人が優れた飛行機を作ろうとしていたのは結構知られている話である。エジソンとベルは電話機の発明競争をしていた頃、ヨーロッパでも限りなく同じものが発明されようとしていたのも結構しられていて、サルがイモを海で洗い始めたら、みんなが真似して、ある数を越えたら全然関係ない土地のサルもイモを洗いだしたって話も聞いた事があると思う。全く違う場所で同じことが同じタイミングでで起きたりする事がある。特に人間の発明には「同時性」みたいなモノがあって、なぜか同時に生まれることが多い。色んな仮説があるけど、ハッキリした理由はわかっていない。

 最近WEEDの練習で毎回写真を撮っていて、(2回に1回は忘れるけど)それをサイトのブログに載せている。少し前の練習の後に撮ったのがこの写真で、代表にも褒めてもらって、自分でも気に入っている。こういう構図がいいな、と思ってすぐにその場で皆に集まってもらって撮った写真で、チームっぽさが出ていて我ながらいい写真だと思っている。
our_shoes










しかし、これが「同時性」なのかなあ、僕がよくチェックしている
NIKE HARAJUKU BLOG
にも似すぎた構図の写真が載っているのです。これはパ○リじゃないのか?そのまま載せるわけにはいかないので、このリンクにしておきますのでチェックしてください!ちなみに僕がこの写真を載せたのが1/31。NIKEさんは2/13日なのでこっちの方が先です!
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なんで一段一段

 冬季オリンピックに興味がまったくない僕は、
「スノボをやっている奴らはやっぱりチャラいのね」
なんて、興味ないだけに変な影響を受けてしまっている今日この頃です。
 
 しかし、ニュースを見ながらとてもいい1シーンを見てしまいました。上村愛子さんが4位で終わり、語った
「なんで、こんな一段一段なんだろう」
という言葉に不覚にも泣きそうになりました。過去のオリンピックでは7、6、5位と階段を上がり、またも一歩だけ前進の4位。確実に上がっているだけでも凄いし、世界の中で4位なんだぜ!なんてこっちは勝ってに思うけど、4位という結果は彼女が重ねてきた全てに値する結果ではなかったって事でしょう。

 くわしい人にきくと実は順当な結果で、もっと言うとかなり運が良かったって話である。実力的にはもっと下なんだけど、上の人たちが何人か転倒し、おかげで4位が転がり込んできたという見方もあるのだそうだ。それだって実力のうちでしょ、なんて思うけどそんなのはどうでもよくて、僕は
「一段一段」
というその表現に心を打たれました。
 
 何かを一段を上げるのがどれだけ大変か、何かに真剣に打ち込んでいる人なら用意に想像がつくと思う。血のに滲むような努力をしても報われる保障はどこにもない。自分に才能があるのか、耐える精神力があるのか、やっていることは正しいのか。外国人選手との差を埋めることはできるのか。もう無理かな・・・なんて思う瞬間は毎日の様にあるはずです。彼女はそれと向かい合い、戦い、しかもそれを4年間重ねてきたんだよね。そこまでに必死にやった人間が
「メダルいけるかな、いきたいな」
と思うのは当然のことで、しかもその可能性があった彼女だから・・・。

「4年間もやってきたのに一段か...」
悪くはないんだけど最高ではない、というその結果がもたらすガッカリ感というか、絶望感というか、誰にも想像できないものでしょう。彼女の周りには多くのファンがいて、多くのスタッフがいて、家族、スポンサー、そして日本代表の肩書きという、
「結果を出さないといけない理由」
はいくつもあるわけで、それを思うとより切ない。でも、それよりも何よりも一人の人間が必死に打ち込み、あと一歩で目標に届かなかったそのやるせなさ、それが全部「一段」という単語に含まれている気がするんだよね。
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お疲れ様でした

 今日のWEEDはスタート直後からなぜか皆ハイテンション。前回の反省がいきたのか、最初から飛ばし気味でみんな頑張りました。途中のボールをうつ伏せで待って全員が触ってからシュート、のゲームでは大きな声が飛び交い、非常にいい雰囲気で練習を行う事が出来た。延長の1時間を含め、思えば全員止まることなく走っていたので疲れているとは思うけど、今頃ちょっとした充実感を感じていることでしょう。これを重ねていくのが、今最も大事なことかな。
フットサル、サッカー | comments (256) | trackbacks (0)

色んな考え方があるものです。

 仕事をしだした頃に不思議に思ったことに
「みんなこの会社を良くしようと思っているのに、まとまらないのはなぜだろう」
ということであった。一つの問題があって、全員がそれについての解決策を考えたら全員違うものだった、という事は当たり前に起きてしまう。これが良いとか悪いとかではなく、ただ不思議に思ったものである。まあ、この世は十人十色、色んな性格、思考回路、考え方の人がいるのだし、全員が全員同じ意見だった場合には逆に怖いとも思う。ダーウィンの進化論では、
「生き残る種は強い種ではなく、変化に対応できた種である」
というぐらいだから、色んな種類の人がいるのはいい事なんだよね。
 で、話がまとまらない時に出てくるのが「多数決」って奴である。問題を長引かせないように、何とか前に進めるようにと、人間の素晴らしい知恵から生まれた解決法である。問題なのは、多数決は
「何が正しいか」
って事を全く考慮していないということで、この最たるものが選挙だったりするのかなあ。
 仕事上だけでなく、色んな場面で色んな問題に直面するのは今も変わらない。今では解決策が多い方がいいなあ、なんて思うようにはなったけど、みんなで必死に頭を絞って一つのアイディアにたどり着いたとしても、やっぱりまちがってた!って事もあったりする。(笑)

 というわけで、人生で襲ってくる問題には毎回毎回完璧な答えが用意されていないことを実感。ただ、色んな人と一緒に何かを考え、一緒に頭をひねっ取り出した答えには不思議と納得できるものである。たとえそれが間違っていたとしてもね。思えば仕事だけでなくチームにも同じことが言えて、この意見のすり合わせも楽しさの一つかも知れない。
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オーラっていうか、雰囲気っていうか

 昼間の番組に恵比寿マスカッツが出ていた。恵比寿マスカッツとは、今TVでやっている番組の中で2番目に面白い「おねだり!!マスカット」から生まれたユニットで、発売中のシングル、
「バナナ・マンゴー・ハイスクール/12の34で泣いて with 涙四姉妹」
をプロモーションしていた。
 「おねだり!!マスカット」はAV女優を集めて、際どい衣装でくだらないゲームをさせるというとてつもなくIQが低く、なんのためにもならない最高に面白い番組である。出演者がAV女優なので、毎回毎回下ネタのオンパレードなんだけど、月曜日の深夜にピッタリと来る番組なのである。
 
 「恵比寿マスカッツ」は正確にはユニット名ではなく、「おねだり!!マスカット」に出演しているAV女優達を呼ぶ名称で、今日、昼間の番組に出演していたマスカッツは
・アオイソラ
・リオ
・ヨシザワアキホ
・アサミユマ
・みひろ
であった。知らない人は全く知らないけど、知っている人はかなり奥まで知っている名前である。最近流行の手相を鑑定をしてもらいながらキャッキャッしてたんだけど、そのノリが深夜の番組そのもので、見ていてとても面白かったのだ。良く考えたら昼間っから現役のAV女優がTVに出ていたわけだから、ある意味はではレアな放送である。
 で、このコーナーが終わり、スタジオに訪れたゲストが自分の話をして好きなスイーツを紹介するというコーナーに変わった。今日のゲストはクマダヨウコさんで、自慢のボディを披露したダイエット写真集(?)的なものを紹介していた。あまり深くは知らないけど、クマダヨウコさんといえば有名なグラビアアイドルで、「理想の体を持った女性」みたいな立ち居地だと思うんだけど、さっきまでマスカッツを見ていた僕からしてはなんとも輝きのない、普通に人に見えたのです。マスカッツの方が可愛いというか、輝いていたというか、失礼な話だけど「華がある」って感じだったんだよねー。世間的な認識としてAV女優とグラビアアイドルのヒエラルキーは固いもので絶対にひっくり返せないもの、という評価だろうけど、TVを見た限りでは全く逆だったんだよね。魅力って不思議だよね・・・。
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ブレーカー

 実はさっきまでこのブログの今日の記事を書いていたんだけど、後は最後の「。」を打って保存して終わり!という所でブレーカーが落ちてしまい、書いていた記事がパーになるという、泣きたくなるような目に合いました。別に大した記事じゃなかったからまた一から書いてやる!とは思わないけど、これはこれでなんか悔しい。きっと色んな部屋のエアコンとか、電子レンジとかを家族がタイミングよく、まるでヨーイドン!で同時に使ったのが原因だろうけど、本当に本当に後はボタンを押すだけ、というタイミングだったんだよねー。僕はジェンガをやった事がないけど、多分がアレが崩れる様みたいな感じかな(笑)。普段だったら途中で一回は保存をするんだけど、今回に限って最後まで一息で書けていたものだからしてなかったんだよね〜。いつもだけど、悪いことって重なるものだよね。僕の普段の行いがアレかな、実は。
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もしも明日が

 昨日の夜、どうしても寝付けなかったので、最近見ている海外ドラマを空が明るくなる時ぐらいから観出した。翌日が眠くなるから普段は後悔するんだけど、あまりにも面白くて完全に起きてしまった。
 そのTVドラマで「キューバ危機」の当時が描かれている。それも、市民レベルでの当時である。キューバ危機に関しての映画や小説は多いけど、今思うと市民レベルでのそれは少なく、とても新鮮であった。
 「キューバ危機」はいわゆる冷戦のピークで、世界がもっとも第三次世界大戦に近づいた日である。アメリカVSキューバ+ソ連という構図で、説明するには長いのでやめておきます。(笑)第三次とは言ってもそれは核戦争で、一瞬で世界が終わることを意味している。このキューバ危機がまさにそうで、つまり、世界がもっとも「終わり」に近づいた瞬間なのだ。
 キューバに核兵器が搭載され、いつアメリカに核爆弾が落ちるかもしれないという不安の中を一般人が生活している。生活しているとは言っても、いつ爆弾が飛んでくるかも知れないから皆一様に暗く、TVやラジオにかじりついている。かろうじて社会は動いているものの、疎開をする人がいたり(疎開してもも意味がないらしいけど)、シェルターに篭る人もいる。今、僕らには想像もできないけど、
「今この一瞬にも世界が終わるかも知れない」
という恐怖と誰もが対峙していたのだ。それは当時の大統領であったケネディも、一般人も、子供も同じあった。
 というわけで前フリがすごーく長くなってしまったけど、夜明けに
「もしこの瞬間に世界が終わったらどうしよう」
と僕は真剣に考えたのである。夜明け前のこの時間は頭が妙にクリアで、ちょっとした天才気分になれるんだよね。で、「今この瞬間」では元も子もないので、
「もし明日が人生最後の一日」
だったらどうしょう、と考えたのである。よく「明日世界が終わったらどうしますか?」って質問があるけど、みんなが世界が終わることを知っていたら世の中が普通に動いているわけがないので、そうではなく、あくまでも僕一人が明日死ぬのであれば、という事に絞って考えてみた。

家族に思いを伝える?
世話になった人たちに挨拶する?
ありったけの資産を換金して寄付する?
ありとあらゆる臓器もドナー登録しておく?
死後に見られたくないものを処分しておく?

 あれこれと考えているうちに、良く考えたらどれも生きているうちに出来ることだって事に気がついた。普段から出来る事、金関係以外のことならいつでも出来ることだ・・・・。
 で、たどり着いた答えが
「誰にも何も言わない」
である。ちょっと不誠実な感じがするけど、案外健康的で正しいことなんじゃないか、と。ま、言われたほうだって困るだろうしね。
 それにしても「明日世界が終わるかも」って不安はどれぐらい大きいものなのかな。知りたいような、知りたくないような。


 
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伝統ってやつ

 朝青龍の話題は正直どうでもいいんだけど、一つだけ気に食わないのは、
「朝青龍は日本の伝統を理解しないまま引退した」
的なあれ。その話を聞くと、それって国民全員じゃないか?と思ってしまうんだよね。そもそも草原で走っていたままの男があそこまでに成り上がった所に魅力があったわけだし、伝統を守っていた(と言われている)側をバタバタと倒していたわけなんだからね。ま、色んな意見があると思うけど、もし言われているようにタニマチに引き回され酒を飲まされて、あの暴行事件が起きたのだったら、横綱ってそんな存在なの?とも思う。神に近い存在ならタニマチの誘いを断ることも出来ただろうに・・・。僕は普段から相撲を見ないし意見を言えるほどの知識もないけど、待ってました!というぐらいの叩きっぷりはあまり健全には思えない。もはやこれが伝統か。

 面白いのは朝青龍は伝説の横綱になっちゃったってことだよね。優勝後、しかもまだ勝てる、という状態でやめた訳だから、
「朝青龍まだやれた。」
という評価が永遠に残ることになってしまった。今後どんなに強い横綱が出てきても、「いやー、朝青龍の方が」的な話になるかも知れない。
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