2006/11/26 日 | 2006.11
夭折願望
夭折というのは、若くして亡くなることを言う。年齢の基準があるわけじゃないので、何歳以下を夭折と呼ぶのかはわからない。そしてこの夭折には自殺が含まれるかどうか、議論になるところである。
とにかく夭折というのは、未来あるハズの誰かが亡くなっているわけなので、限りなく不幸なことである。不幸な事ではあるんだけど、その響きには「儚い」感じがある。そう、夭折するなんて卑怯なのである、ずるいのである。
若くして亡くなった人の思い出はいつまでも若いイメージのままなのである。生きているこっち側は醜く老いていくなか、先立った側はいつまでも美しいままなんだよね。ジェームズ・ディーンがいつまでも格好よさの象徴であって、モンローがセクシーさの基準であって、カート・コバーンがいつまでも輝いて見えるのは、彼らの年老いた姿を誰もが見た事がないからなのである。特に日常の生活と限りなく遠い姿を見せてきたスターたちの年老いた姿には大きな寂しさが付きまとう。こっち側も夢をみせてくれたアイドルの年老いた姿を見るのは寂しい。夢はいつまでも続かない、あのスターと同じように生きている僕らは例外なく年を取っていうのである、と悟る瞬間である。
とはいえ、どんなにボロボロの雑巾の様な人生でも生きている事には確かな価値がある。老いていく事は角度を変えればとても特別な事で、幸福と呼べるのかも知れない。格好良く年をとる人もいるしね。
Comments
ちょい悪親父 | 2006/11/27 10:22
それって、俺か?
@5 | 2006/11/27 15:27
まだ10年早い!やっぱり校庭10週してこい!
セビボス@5 | 2006/11/27 23:42
じゃ、俺だな、、。
@6 | 2006/11/29 21:37
あんたも違う!走って来い!