何のためにやっているのか

 この前のFC BARCELONA VS ESTUDIANTESの試合で僕はずっとVERON選手を見ていました。コレクションとして取ってあるESTUDIANTESのユニを引っ張り出し、テレビの前で観戦したぐらいである。

 僕がフットサルをはじめた理由の一つに、2002W杯の直前に観戦した日本代表対アルゼンチン代表の試合がある。その試合で見た生VERONがあまりにも格好良く、そして
「どこでどう蹴ればボールはそう動くのか」
ということが分からず、本当に感動したのである。決していい席ではなかったけど、僕の人生を決定的に変えるインパクトがあって、その瞬間から僕の中で何かが変わったことをハッキリと感じた。
 というわけで単純な僕はフットサルをはじめるのだが、いつしかVERONとは似ても似つかないプレイスタイルになり、今も「下手」という枠から抜け出せていない。もちろん、今でも進歩をあきらめていないけどね。
 そんな僕が所属したチームがこれまた僕と同じぐらいか、僕よりちょっと上手い奴らの集まりで、これまた強いのか弱いのかよく分からないチームであった。そういうチームなんだけど、時折ジャイアント・キリングを起こすこともあった。異常にテンションがあがり、集中力が増し、なんだか分からないけど
「やれる」
という自信がやっている内に沸き、実際勝てた時もあった。僕はそこから何となく根性論に傾向していき、今でもあの「終始あの感覚になれる方法がないか」と探している。
 それらの経験から
「どんなに強い上手い奴でも、試合中ずっとは無理だけど、勝てる瞬間は一つはある」
と思っている。というか、信じている。だから努力も出来るし、そこに「気持ちを込める意味」を理解していると思っている。「気持ちを込める」と口に出すのは簡単だけど、行うのは実はすごく難しい。自分では出しているつもりでも、実はそうでなかったりする。手を抜いているつもりはなくても、自分の最大限を出しているわけではない、という時が多いんだよね。

 僕もWEEDもFLRN’もまだまだだけど、「気持ちを込める」事だけでは負けたくないと思っている。それが僕の生命線であり、希望であり、そしてありたい自分自身の姿だから。今も飽きずに蹴っているのは
「最大限の自分を出している」
という感覚を味わいたい、というのがあるんだよね、きっと。まあ、それを引き出してくれるのは日々の努力と仲間の存在なんだけどね。ということをESTUDIANTESの戦いっぷりを見ながら、なんだか説教された気がしてこれを書いてしまいました。華麗なサッカーをする相手に、下手糞な奴らが必死で走りって体を張るあの姿を格好悪いと思う人もいるだろうけど、僕にとっては最高に格好よかった。だからVERONには倒れずに最後まで、試合が終わるまで走って欲しかった。アレを見ながら立て!と思っていたのは僕だけかな・・・。俺らは最後まで走ろうよ、絶対に。
フットサル、サッカー | comments (2) | trackbacks (0)
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