2007/1/6 土 | 2007.01
迷宮入り犯罪史B 帝銀事件
戦後すぐ、日本政府がGHQの下に位置していた時代に起こったのが帝銀事件である。古い事件ではありながらもその爪痕が大きく、現在も戦いは行われている。
1948年1月26日の午後3時過ぎ、東京都豊島区にあった帝国銀行椎名町支店に、東京都防疫課員を名のる中年の男があらわれた。男は白衣を着ており、その腕には「防疫班」と書かれた腕章が付けられていた。男は実在する厚生省技官の名刺をさしだし、近所で集団赤痢が発生したことを理由に銀行員ら16人に予防薬と称した薬を2回にわけてのませた。薬は実は予防薬ではなく、青酸化合物であった。男は現金と小切手をぬすみだして逃走した。12人が死亡し、4人が重体となった。
犯人として平沢貞通という画家が逮捕された。55年4月6日に死刑が確定したが、証拠とされた平沢の自白も取り調べが拷問に近かった事や精神病の疑いもあり、冤罪であるとしてその後何度も再審が求められた。平沢は獄中で3度の自殺未遂を計るがことごとく失敗。1987年に八王子医療刑務所95歳で肺炎を患い病死。その後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている。
この事件の裏には731部隊があったと言われている。犯人は薬品の使い方に非常に長けていた事、新聞社に政府からの圧力があった事、そしてGHQが731部隊の研究成果を欲しがっていた事などがそうだ。
銀行とは言っても戦後直後の当時は立派な建物ではなく、現在の質屋に近いものだと言われている。戦後直後のその時代に警備の概念があったかどうかも分からない。そして赤痢が猛威を振るっいた事もこの犯罪の成功の一つとなっている。しかし、何よりも、GHQの存在が影を落としている。GHQを通さずに何も出来ない当時の日本政府のこの事件に対する熱意、そして上から「深入りするな」の達しがあっては何もできない・・・。
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